著者
小山 秀之 前田 泰宏
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 = Memoirs of Nara University (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.46, pp.169-182, 2018-03

" 不登校を経験した児童には発達障害がある者が少なくない。さらに、発達障害がある児童はひきこもりに発展するリスクもあり、予防的観点は不可欠である。居場所は不登校またはその傾向にある児童にとって重要な社会資源の一つであるが、高校生以上の児童が利用できる社会資源は限られている。ところで、発達障害のある児童が利用できるフォーマルな社会資源の一つに放課後等デイサービスがあり、状況に応じた発達支援を行うことができる。そこで居場所に放課後等デイサービスを併設することにより、ひきこもり予防のみならず社会参加が促進されると考えた。 本研究では、15歳以上で発達障害がある児童のうち、過去に不登校経験があった7名にSOFASを実施した。結果、全ての児童の社会的機能は有意に上昇した。この結果をもとに、福祉心理学的支援の有効性について考察した。"
著者
土平 博
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 = Memoirs of Nara University (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.47, pp.55-63, 2019-02

本報告は、桑山氏によって築かれた陣屋ならびに陣屋町の形態をみたうえで、桑山氏改易後の史料を検討しながら、永井氏の新庄について検討し、新庄陣屋と「町」の形態について明らかにしていくことが目的である。桑山氏新庄藩の陣屋および侍屋敷の配置を絵図、地籍図、空中写真等を用いて地図上で復原する作業を行い、同氏改易後の陣屋および侍屋敷の扱いについて、史料分析を通じて考察した。桑山氏は陣屋・侍屋敷・町屋敷を計画的に配置して一体化させた陣屋町をプランとして考えていたことが理解できる。しかし、桑山氏改易後に入封した永井氏は、新庄に陣屋を構えておらず、それに付帯していた侍屋敷も取り壊されていたと考えられる。その跡地は農地へと転換された。その結果、桑山氏による計画的な町屋敷のみが残り、周辺地域の在郷の町として存続していったことが明らかとなった。
著者
中尾 和昇
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 = Memoirs of Nara University (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.47, pp.280-263, 2019-02

" 本稿は、文化九年(一八一二)刊の馬琴合巻『千葉館世継雑談』を翻刻・紹介するものである。 本作は、千葉家の御家騒動に、狐の怪異や鼠の活躍をからめた怪異譚である。千葉家に関しては、『新累解脱物語』(同五年[一八〇八]刊)や『南総里見八犬伝』(文化十一年~天保十三年[一八一四~四二]刊)などの読本でしばしばとりあげられている。とくに、その当主自胤に関して、『八犬伝』では「暗愚の武将」として描かれるものの、本作ではその性質は兄実胤に賦与され、それとは対照的に、自胤は善良な君主として描かれている。歴史上の人物に対する善悪評の変化は、馬琴の小説作法を考えるうえで、注目すべき点といえる。本稿で取り上げる所以である。"
著者
正司 哲朗 エンフトル A. イシツェレン L.
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 = Memoirs of Nara University (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.47, pp.147-158, 2019-02

本稿では、モンゴル国ドルノド県ツァガーンオボー郡に位置する契丹(遼)時代に築かれた土城バルスホト1に隣接する仏塔の調査成果について述べる。2014年の仏塔調査においては、デジタル化および建築部材の年代測定を行った結果、一部の建築部材が16世紀から17世紀前半であることが判明した。このことから、この仏塔は、契丹(遼)時代に建立され、修築されている可能性を示したが、2014年から2016年にかけて大規模な修築が行なわれた。2018年の調査においては、ドローンと画像計測を用いて、バルスホト1および修築された仏塔をデジタル化した。さらに、この仏塔が、どの程度修築されているかを調べるために、2014年と2018年にデジタル化した仏塔をもとに、修築前後の構造を比較した。最後に修築に関する問題について考察した。
著者
横山 香
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 = Memoirs of Nara University (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.47, pp.1-17, 2019-02

" ドイツ語の"heile Welt"(「無傷の世界」)は、「ユートピア」という意味で肯定的に用いられると同時に、通俗性を批判するクリシェとなっている。 その"heile Welt"を描く代表格としてLudwig Ganghofer(1855-1920)がいる。彼は、彼の描く「郷土」「高地」「農村」のイメージから、ドイツ・ナショナリズムの体現者とされ、こういったイデオロギー批判的言説は、いまなお学術界に根強くある。 一方ジャーナリズムのGanghofer像は、ナチス時代から戦後を通じた彼の「郷土映画」と関連している。1950年に出版された詩集から広まった"heile Welt"は、戦後のドイツ的アイデンティティの再構築と関わった「郷土映画」における表象そのものであった。 しかし1960年代になり、「郷土映画」などの復古的な1950年代の文化は批判にさらされ、それとともにGanghofer が描く"heile Welt"も欺瞞的な「キッチュ」とされていくようになった。 このように"heile Welt"とは、ドイツの歴史的、文化的背景があって、初めて理解可能な言い回しなのである。"
著者
吉村 治正
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 = Memoirs of Nara University (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.47, pp.183-195, 2019-02

本稿では、シカゴ社会学の学説史研究の一事例としてエモリー・ボガーダス(Emory Bogardus)をとりあげ、彼の展開した社会調査方法論を検討した。シカゴ社会学というとエスノグラフィーに衆目が集まる。そのため、社会的距離尺度を提唱し戦後の計量的社会分析の確立に大きく貢献したボガーダスは、シカゴ学派の中ではマージナルな存在とみなされている。だが、彼の1920年代から30年代の研究記録を検討することで、この態度測定法は、ライフヒストリー法による社会調査の困難さの克服を求めた試行錯誤の産物であったことが明らかになった。
著者
廣井 いずみ
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 = Memoirs of Nara University (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.47, pp.93-107, 2019-02

非行経験者が非行から離脱するときに、他者とどのように関係性を発展させ、どのような体験を積むのか、援助要請行動が見られるのはどの段階か、非行経験者の手記を分析することで検討した。非行経験者は、大人に対する不信感、周囲との機能不全のコミュニケーションの課題を抱え、それぞれの課題に対して、①支え、ガイドしてくれる大人との出会い、②周囲との関係性の構築を体験することが、課題解決のプロセスになる。援助要請には、非行や非行集団からの離脱のための援助要請、今後の進路の実現のための援助要請の2種類が見られ、前者については、①支え、ガイドしてくれる大人との出会いを経験していることで、主としてフォーマルな援助要請が為され、一方後者については、①支え、ガイドしてくれる大人との出会い、②周囲との関係性の構築を体験した後、構築された関係性を基盤に、インフォーマルな援助を求めるのではないかと論じた。
著者
尾上 正人
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 = Memoirs of Nara University (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.46, pp.183-196, 2018-03

トマ・ピケティの 『21世紀の資本』 には、2度の世界大戦のみが、資本主義における格差拡大傾向を押しとどめたという、いささか物騒な記述が散見される。本研究はこれにも示唆を得て、進化生物学の「ハミルトン・ルール」(包括適応説)に準拠しつつ、戦争を単なる国民大衆に降りかかる災難ではなく、既存の階層秩序が揺らぐ中で戦功を上げて一族の栄達を図る、繁殖戦略に裏打ちされた身内びいき的利他行動の場である、という仮説を立てた。この仮説を検証するため、究極的利他行動である特攻の実行者の遺族、および生存者を対象とした聞き取り調査を行なった。両家族の比較の結果、当初想定していたような「ハミルトン・ルール」は妥当せず、特攻戦死者の遺族が重要な働き手を失って家族の再生にかなり苦労し、未成年のきょうだいたちも十分な教育が受けられなかったのに対して、生存者の家族は戦後の生活の立て直しも比較的容易であったことがわかった。
著者
村上 紀夫
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 = Memoirs of Nara University (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.45, pp.188-177, 2017-03

西大寺では豊心丹という薬を製造販売していた。近世の医薬は受容する側の意識としては効能を神仏によって保証されていた 「呪物」 でもあった。安永七年 (一七七八) に奈良の老舗菊岡家が販売する豊心丹について、西大寺が訴えを起こした。販売差留めを求めるが、菊岡家は豊心丹創始者の西大寺叡尊が菊岡家出身であり、菊岡家が豊心丹を製造することは当然であると主張し、菊岡家の主張は認められて製薬継続が許される。ここでは調合法などが問題になることはなく、西大寺は宗教的な製薬過程を重視し、菊岡家は由緒の確かさを主張する。宗教的威光を背景に呪物として薬を囲い込もうとする西大寺に対し、由緒を梃子に自らの商品としてきた菊岡家の論理のぶつかり合いであり、奈良奉行は西大寺の 「威光」 独占を否定する。一八世紀段階の世俗権力がかかる判断をしたことは、当該期における宗教的 「威光」 を寺院が独占することを奉行所が否定したといえるだろう。