著者
八田 幸雄
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
no.40, pp.p53-67, 1991-03

大神神社の神仏習合の問題を考える場合、その隣接する長谷寺、更には東方の室生寺も併せて考察していかなければならない。いうまでもなく長谷寺は中世、三輪流神道の教義がうちたてられ、神道灌頂が行われ、神仏一体の信仰の中にあった寺である。室生寺は三輪流神道の創始者といわれる慶円上人(一一四〇〜一二二三)の伝承によると、三輪明神に灌頂の印明を授けたことは互為灌頂に示されているが、この灌頂の印明は八幡大菩薩より授けられた理智不二の印明であり、それは胎蔵、金剛の世界の究極の真髄を印・明という形で示されたものであり、これは三輪明神に授けられたものであるとともに、室生山の善女竜王にも授けられたものであると伝えられている。ここに室生、長谷、三輪は共通の信仰の地盤があることが推測される。
著者
岡部 光伸
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
no.43, pp.p185-196, 1994-03

室町時代に日光山寂光寺の僧、覚源によって「釘抜念仏」が始められ寂光寺が念仏道場として発展すると共に日光修驗者によって「釘念仏」が諸国に伝えられた。釘念仏とは死者は生前の業により地獄に落ちると、体に四十九本の釘を打ちこまれ、その打たれる時の苦るしみからのがれる為に釘を抜くのであるが、釘一本抜くのに念仏一万遍を唱え、合計四十九万遍念仏を唱えるのである。この様な釘念仏は日光より全国各地に相承され上総の国にも今現在釘念仏として二つの地域で葬儀終了後、初七日の行事として行なわれており、日光寂光寺と上総の二地域の三地点に伝えられておる念仏について比較してみようとするものである。
著者
牧尾 良海
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
no.16, pp.47-57, 1968-03