著者
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出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.1920, no.7, 1920
著者
森口 光俊
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.A1-A29, 1999-03-31 (Released:2017-08-31)

バラモンの土壌に発した出世間を理想とする仏教は、その最終段階でヒンドウGrhasthaの基本的思想を受容した。即ちヒンドウの[浄法:Samskara;通過儀礼]である。「Kryasamgraha」は後期密教の解釈に基づいた通過儀礼を説いている。ここではインド密教におけるヒンドウ通過儀礼の受容について述べ、[弟子の潅頂]におけるその様相を考察する。
著者
苫米地 誠一
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.73-90, 1992-03-31 (Released:2017-08-31)

興教大師覚鑁の成仏思想に就ては、これまで殆ど何の論証も無しに速疾・現生成仏説として捉えられている様である。而し覚鑁以前に、弘法大師空海の『即身成仏義』に於る〈即身成仏〉思想、異本『即身成仏義』諸本の三種即身成仏説、伝教大師最澄の『法華秀句』に見られる〈即身成仏(大直道)〉説と、それから展開した日本天台宗の〈円教の即身成仏〉思想等が在る。そこで覚鑁の著作を検討してみると、速疾成仏説ではあるが、その中で現生の生身の成仏を主張しており、又その成仏の果を三身即一の妙覚仏としている。この即身の意味に於て現生、特に生身を問題とするのは天台宗の〈円教の即身成仏〉思想の特徴と考えられるものであり、三身即一の妙覚仏というのも天台宗の仏身論に拠るもので、即ち覚鑁に於る天台(台密を含むか)教学からの影響を認める事ができる。
著者
山本 宥政
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.49, pp.145-159, 2000
著者
藤田 隆乗
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.259-271, 1993-12-12 (Released:2017-08-31)

頼瑜(一二二六-一三〇四)はその生涯の中で多くの著作を残したが、いまだそれら全体を通じての教学の特色が明らかにされているとは言い難い。そこで今回は成仏観をとりあげ覚鑁の成仏観との比較も含めて考察し、頼瑜研究の一助としたい。頼瑜は即身成仏を即疾、現生の肉身を有したままでの成仏と理解し、これにもとづいて一生・二生成仏を主張する。本論では一生・二生成仏、機根、三摩地等を中心として検討する。
著者
平澤 照尊
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報
巻号頁・発行日
vol.1930, no.2, pp.i-ii, 1930
著者
里見 秀明
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.A105-A125, 1992

時間と空間,これはものに即してしか現われない。ものが無ければ,時間も空間も存在しないといわれる。すると物を新たに観察しなければならない。ものを見るということは,様々なものに名前をつけることである。さらに具体的に認識するということである。今までは,具体的認識ということについて,数学,科学の目をとうして見てきた。そしてこれは西洋文明の優越性と見られてきた。しかしそれは人類に必しも幸福をもたらさなかった。それでは東洋思想といっても,現代科学にたえうるものでなくてはならない。少くとも現代科学,数学と共通の認識を持てる部分があるものでなければならない。仏教は科学であり,密教は生命存在の科学であったはずである。共産主義崩壊は,一神教崩壊の予曲にすぎない。嫉妬深い一神教崩壊の後には,生命に慈悲深い宗教が必要である。