著者
片野 真省
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.65, pp.123-136, 2016

&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;もう30年以上前のことだが、1990年にアメリカのアカデミー賞で9部門を独占した映画に「アマデウス」がある。御存じの方も多いだろう。アマデウスとはご承知のとおり、ヴォルフガンク・アマデウス・モーツアルトの生涯を綴った作品である。プーシキンの「モーツアルトとサリエリ」を題材に脚本・映画化したもので、初めにブロードウエイで舞台上演されたものが映画化された。モーツアルトを描いたこの作品の主人公は、モーツアルトではなく彼と対比されるサリエリである。この映画には「神の名の元にすべては平等か?」という問いかけが基底に流れている。つまり「秀でた才能が、誰にでも平等に与えられはしない。それが現実。」ということでもある。この作品は、モーツアルトが周囲に暴言を吐き、酒に溺れ、父の面影に怯え、レクイエムを書きあげながら死に到り共同墓地に粗雑に葬られる。そんなショッキングなシーンが続く。そしてラストには、自殺しきれずに生きながらえたサリエリが施設で「全ての凡庸なるものに幸あれ」と呟き、微かな笑みを浮かべてエンドロールを迎える。<br> 神とは何か? 信仰とは? そして、人間は天才と凡庸に分かつのか? このように、我々が日々の暮らしで当たり前に抱く問いかけを、この映画は投げかけてくる。生まれによって差別されるのではなく、行為によって差別される。そんなことは分かっていても、我々凡庸なる者は、時に自らの運命を嘆き、その非力さ故に幾度となくあきらめを余儀なくされる。この社会はそんなキレイゴトを飲み込んで、いつも惨たらしい現実を我々に突き付けてくる。しかし、そうして突き付けられた現実に、唯々諾々と流されてしまうなら、我々は自らの凡庸さを受け容れるしかないのである。現実を前にして、登る坂道は向かい風でも、この坂を登らなければ、その向こうにあるまだ見ぬ風景を目にすることは叶わない。その先には真っ青な空が拡がり、雲が浮かび流れ、ひょっとしたら彼方に虹が見えるかもしれない。自身の内にある可能性を見出すにはこの坂を登らなければならない。この坂とは何か? 我々にとっては、百千萬劫にも遭いおうこと難き教え、つまり仏の教えである。<br> 我々は真言宗の寺院に生まれ、または何かしらの縁で今この寺院と関わりあった。遭うこと難き寺院とご縁が結ばれ、それが真言宗の寺院であるという運命は、その寺院のご本尊さまのおはからい以外何物でもないだろう。その得難き縁は、釈尊から連なり、宗祖弘法大師と中興興教大師の尊くも篤き想いを汲むものである。それを「選ばれた者」と受け止めるか「単なる偶然の賜物」と受け止めるのか……。しかし、我々仏教徒、真言行者はもはや前者に身を置くこと以外に選択肢はないはずである。「良く保つ」との言葉を口にした瞬間に、真言密教の世界に生きることは運命づけられた。釈尊から両祖大師へと連なるこの教え。寺院に赤々と灯されてきた法灯を絶やすことなく、次の世代へ、未来へ受け継ぐために身を粉にして励むこと。そうして与えられた場が寺院である。我々自身はあくまで凡庸なる者かもしれない。しかし、遭い難き教えを受け継ぐ運命に出会った以上、その教えを担う役割を我々はこの時代に課せられた。それを喜びと感じ、寺院において法悦を檀信徒とともに味わうすべての凡庸なるもの。そのあり方、一側面を考察するのが本論の試みである。アマデウスの映画の最後にモーツアルトのピアノコンチェルト40番第2楽章「ロマンス」が流れる中、サリエリが浮かべる笑み。その意味をここで考えてみたい。
著者
鈴木 佐内
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.171-189, 1988-03-31 (Released:2017-08-31)

丹後守藤原為忠とその子たち、特に常盤の三寂、為業寂念、為経寂超、頼業寂然の事歴を、白河院の近臣受領という方面から追い、三寂の発心が、院が特に心をかけた待賢門院一流の勢力の衰退に関わることを考察した。藤原為忠の事歴については、井上宗雄氏が「常盤三寂年譜考 附藤原隆信略年譜」でふれておられるが、表題の示すとおり、為忠の子常盤の三寂についての事歴が主であり、白河院の近臣受領としての為忠をみるには十分ではない。知綱以来、白河院と強い縁で結ばれてきた常盤一族の盛衰が、白河院勢力のそれと深いかかわりをもつのも当然であって、本稿は、為忠の近臣受領としての姿をあきらかにする意味で、井上氏の年譜を拠り所とし、同氏が記述されなかった事歴をも加え、私見を付し、更に、これによって、近臣受領の子という、その子たちの消息から、特に出家の動機を探ってみたい。
著者
小島 教知
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.70, pp.139-152, 2021-03
著者
大塚 秀見
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.139-146, 1990-03-31 (Released:2017-08-31)

宗教現象の一形態として、呪術が考えられるときに、呪術は負の性格(マイナス・イメージ)を付与されることが多い。そのことを裏付けるように、近年の人類学の調査研究の結果から、今までの「呪術」研究に対して疑問が投げかけられている。それは、「呪術」としてあきらかと思われていた現象も、当事者の意識から判断するなら、呪術の範疇にいれることが必ずしも妥当な結論とは言えない場合が多いという点である。呪術概念は、そもそも定義のさまざまになされているテーマだけに、多くの問題点を含んでいる。本稿では、特に今までに行われてきた「科学」や「宗教」との対比を通して「呪術」を明らかにしていこうとする方法を批判的に取り上げる。それゆえ、中心課題となるのは、呪術を類型化する前段階としての方法論の検討である。結論的には、「呪術」または「呪術性を有した宗教現象」を、独立の宗教現象として捉えることが、類型化において最重要点課題になるであろうことを論究する。それは、価値判断の中止(エポケー)によって、はじめて可能になるであろう。
著者
鈴木 佐内
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.263-275, 1998

『代集』の「大原集 証心撰、おおはらの歌。」の一行の記録をたよりにして、長明『伊勢記』の旅の同伴者証心法師の考察をした。『大原集』の証心は『朗詠要抄』の藤氏朗詠相承系譜にみえる中原有安の弟子証心と同一人物であるとし、証心像を拡大した。『大原集』の証心の存在は、長明と洛北大原とのかかわりを明かし、長明の履歴解明、『方丈記』解釈にも資することになるわけで、「大原集 證心撰、おおはらの歌。」という一行の記録は貴重であると言わねばならない。
著者
関 悠倫
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.69, pp.391-410, 2020

<p> 本稿は、『釈論』が空海とその門流においてどのように受容されているのかを検討したものである。真言密教において『釈論』は、重要な典籍として位置付けられ、教学面において非常に研究が盛んであった。確かにこれまで講伝された記録があるのだが、それは事相面についてはほとんど言及されておらず、近年では専ら教相のみで用いる典籍と認識されてきたようである。さらに『釈論』を真言密教から切り離して同教学を論じようとする研究動向も確認できる。本研究は、空海や後代の学匠における『釈論』理解を再検証し、さらには実践面、すなわち事相における法流の印信類を紐解きながら、『釈論』が事教二相の両方に密接であり、真言密教の所依の典籍の中でも重要な位置を占めていることを改めて論じたのである。</p>
著者
駒井 信勝
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.69, pp.219-234, 2020

<p> 本稿では,<i>Vajrapāṇyabhiṣekatantra</i>(以下VPA)に見られる金剛灌頂曼荼羅,並びに画像法の中央に画かれる世尊大転輪がいかなる尊格であるのかを,『大日経』との比較や,経典の内容から検討してきた.</p><p> 尊容に関しては,『大日経』「転字輪曼荼羅行品」の世尊毘盧遮那と酷似しており,この視点からみるならば,世尊大転輪は毘盧遮那と言える.</p><p> VPAにおける世尊大転輪の位置付けに注目すると,あらゆる尊格の中でも最高位の存在であることが読み取れた.このような位置付けから見ても,世尊大転輪を毘盧遮那とすることは可能であろう.</p><p> 最後に,VPAでの転輪者がいかなる存在であるのかを検討した.VPAでは,秘密の教説と金剛杵が,釈迦—普賢—文殊というふうに相承されていく.そして,これは毘盧遮那—金剛手—妙施金剛と置き換えることができた.金剛灌頂曼荼羅では,世尊大転輪の上下に普賢と文殊が,画像法では世尊大転輪の左右に金剛手と妙施金剛が配置された.このように,教説と金剛杵の相承と,曼荼羅の配置を比較すると,世尊大転輪は毘盧遮那ということができよう.</p>
著者
北尾 隆心
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.65, pp.209-224, 2016 (Released:2019-02-22)
参考文献数
49

弘法大師空海(774~835)が入唐して恵果阿闍梨(746~805)より胎蔵と金剛界との両部の密教を授かったことは空海の『請来目録』に掲載されており、有名なことである。 本論では、この恵果の密教を空海はどのようにみておられたのか、ということを中心に論じることとする。
著者
鈴木 佐内
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.111-125, 1990

『梁塵秘抄』二句神歌、「石清水五首」(実数六首)中の、「若宮のおはせんよには貴御前、錦を延へて床と踏ません」(五〇〇)の一首に於ける「若宮」は、諸説、仁徳天皇をあてるが、往時の若宮についての伝承からすると、主神の大菩薩(応神天皇)と比〓大神(沙竭羅龍王の女)との子とするのが適切と思われる。また「貴御前」については、この一首の伝承歌謡的性格からすると、仮想された若宮妃であって、具体的に求めるべきものではないと思われる。「若宮の」の一首を含めて、石清水歌六首の中には、この宮寺の臨時祭、放生会等の祭事の場の東遊びの求子歌として用いられたものもあったのではないかと推測される。
著者
鈴木 佐内
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.197-209, 1994

『梁塵秘抄』四句神歌の「佛法よ文殊とか 多聞摩訶迦羅天 山王及傳教 慈覺還如來」の一首は『山門堂舎記』に「是根本中堂所作次第。慈恵大師御略頌也。」とあることにより、略頌であることが明らかになっている。いま、本今様の意味(これが、根本中堂毎日の供花の次第であること。)と、これが今様として『秘抄』に収録されるにいたった消息(これが、寺院に於ける延年享受を契機として、逆に、寺から里へ流出したものであること)との二点を考察した。