著者
三村 孝 伊藤 國彦
出版者
医学書院
雑誌
臨床外科 (ISSN:03869857)
巻号頁・発行日
vol.46, no.12, pp.1327-1334, 1991-11-20

発育が緩慢で予後が良好な甲状腺腺癌のなかにあって,小児甲状腺癌は成人と異なった病態を呈する.進行が早いものが多く,頸部リンパ節転移が90%以上に,遠隔転移,特に肺転移が20%近くみられる.進行癌が多いにもかかわらず生命に対する予後は良好である.リンパ節転移のほか腺内転移も多く,甲状腺全摘とリンパ節郭清が理想的手術ではあるが,全摘に伴う反回神経麻痺,永久性テタニーなどの発生率も高く,甲状腺機能低下症の発生も小児にとっては問題であり,必要かつ十分な手術に止めるべきであるとの意見も少なくない.遠隔転移に対しては,甲状腺全摘後131Iによる内照射が行われる.
著者
佐藤 裕
出版者
医学書院
雑誌
臨床外科 (ISSN:03869857)
巻号頁・発行日
vol.61, no.9, pp.1250-1251, 2006-09-20

わが国で創縁切除と訳されている「Débridement(フランス語の発音表記でデブリードマン,英語表記ではデブリドメント)」は「debrider」に由来しており,本来はフランス語起源の医学用語である.その語源を英々辞典で繙くと,「de」は否定を表す接頭語の「un」と同じであり,「bride」は本来は「bridle(拘束する,轡をかませる)」であることから,「débridement」はすなわち「unbridle」のことで,その意味するところは「to remove a bridle」ないし「to remove a constraint」である.ゆえに日本語では「拘束を解く,手綱を緩める,解放する」ことを表す.つまるところ,その名詞形である「débridement」が意味するのは,外科的見地からすると単に「創を開放すること」である.現在でもフランス(語圏)の外科医は「デブリードマン:débridement」という言葉の由来に忠実に「切開して締めつけを解くこと(removal of constriction by incision)」という意味で使っているようである.このことは現在においても「膿瘍を切開する」ことを「debrider un abces」すなわち「incise an abscess」と言うことからも窺える. その後,特に英語圏では「創を切除すること=wound excision」や「挫滅して活力のない組織を切除すること=removal of all obviously devitalized tissue, removal of nonviable tissue」という意味に変化してきて,今日一般的に理解されているような「デブリードマン」の概念が定着してきた.また今日,化学薬剤や酵素剤を用いたデブリードマンも行われるようになってきているが,最近になって,糖尿病性壊疽患者の難治性潰瘍にウジを這わせることで壊死組織を蚕食させて,創傷治癒を促進しようとする「医療用無菌ウジ療法(maggot débridement therapy:以下,MDT)」が脚光を浴びつつある.このMDTは「biodebridement」ないし「biosurgery」とも呼ばれて,その有用性から欧米諸国において「世界最小の外科医」と評価されるようになっている.
著者
福留 厚
出版者
医学書院
雑誌
臨床外科 (ISSN:03869857)
巻号頁・発行日
vol.30, no.1, pp.p127-131, 1975-01
被引用文献数
1
著者
鈴木 義雄
出版者
医学書院
雑誌
臨床外科 (ISSN:03869857)
巻号頁・発行日
vol.37, no.8, pp.1173-1182, 1982-08-20

はじめに 人工肛門というアイデアがこの世に生れたのは1710年のことである.フランスのルイ14世時代で,日本では,宝永7年,7代将軍家継の時代にあたる.フランスのAlexis Littr'eは,生後6日目,鎖肛で死亡した新生児を解剖し,閉鎖部位を切除して,今日でいう,端々吻合を行うか,少なくとも,閉鎖部位より口側の腸管を体外に誘導すれば,救命できたであろうと示唆した.Académie Royale de Sciencesの歴史学者Fontanelle氏が,上記のような,Alexis Littr'eの文献に着目し紹介したのが初まりである(Tilson Dinnick1)より).現在の高度に発達した医療を十分に理解するために,過去の流れに注目することは意義がある.人工肛門造設術も当然変遷の歴史があり,今回は現在の人工肛門造設術にいたつた過程を年代順にひもといてみたい.
著者
三羽 兼義 萩原 三夫 高橋 堅太郞
出版者
医学書院
雑誌
臨床外科 (ISSN:03869857)
巻号頁・発行日
vol.3, no.12, pp.474-476, 1948-12-20

緒言 重篤なる瓦斯壞疽症,身體各部の化膿炎衝,或は廣汎なる火傷等に續發する全身中毒症状の發現に際して,私共1)は積極的に病竈部よりの主幹靜脈を結紮して甚だ滿足すべき結果を得,既に屡々報告して批判を乞ふた。 茲に報告する症例は,濃硫酸の爆發によつて殆ど全身に亙る腐蝕性熱傷を蒙り,最初から豫後不良を想はしめた症例である。果して受傷の翌朝から全身中毒症状が漸次甚しくなり。午後になつてからは,高熱と共に尿閉,意識溷濁,譫語等の重篤症状が相次で起り,脈壓遽かに衰え,橈骨動脈の搏動を辛うじて感ずる程度となつた。これに對し輸血,その他の強心法を試みるも殆ど見るべき效を奏しなくなつたので,腐蝕程度の最も高度である全下肢よりの毒素吸收を遮斷する目的を以て,兩側鼠蹊靱帶直下に於て大薔薇靜脈を含む股靜脈根部を完全結紮することによりて,奇蹟的に病勢を好轉せしめ得たものである。爾後の經過は極めて順調となり,生命の危險を脱したのみならず,創傷治癒の經過も亦極めて良好となつた。
著者
山田 一郞
出版者
医学書院
雑誌
臨床外科 (ISSN:03869857)
巻号頁・発行日
vol.7, no.8, pp.415-416, 1952-08-20

体表の80%以上の火傷で10日間の生存中種々の興味ある経過をとつた例を報告する. 症例.神○正○ 男子.花火師 40歳 昭和26年9月15日仕掛花火及び打上げ花火を自宅居間に於て点檢中誤つて之に引火して爆発し消火に務めた.当時衣服は丸首シャツと猿股のみの着用として全身に火傷を受けた.他に3歳女子(收容1時間後死亡)妻弟等6名も同時に火傷を受けた.火傷後数時間を経て来院したものである.
著者
塚本 潔 池田 正孝 野田 雅史 山野 智基 小林 政義 濱中 美千子 馬場谷 彰仁 木村 慶 宋 智亨 今田 絢子 内野 基 池内 浩基 冨田 尚裕
出版者
医学書院
雑誌
臨床外科 (ISSN:03869857)
巻号頁・発行日
vol.73, no.4, pp.450-456, 2018-04-20

【ポイント】◆根治性と機能温存の観点から,家族性大腸腺腫症に対して大腸全摘・J型回腸囊肛門吻合術が標準術式とされている.◆肛門側操作で確実な粘膜切除と括約筋温存を心がけることで根治性と機能温存が両立される.◆1期的手術や腹腔鏡手術の有用性が期待されるが,いまだ十分なコンセンサスを得たものではなく,専門性の高い術式であるという認識をもつことも必要である.*本論文中、[▶動画]マークのある図につきましては、関連する動画(Flash形式)を見ることができます(公開期間:2021年4月末まで)。
著者
伊藤 庸二
出版者
医学書院
雑誌
臨床外科 (ISSN:03869857)
巻号頁・発行日
vol.20, no.5, pp.637-640, 1965-05
著者
古橋 正吉 宮前 卓之 上田 伊佐雄
出版者
医学書院
雑誌
臨床外科 (ISSN:03869857)
巻号頁・発行日
vol.30, no.3, pp.p357-365, 1975-03
被引用文献数
2
著者
河田 健二 和田 聡朗 岡田 倫明 出口 靖記 大嶋 野歩 水野 礼 板谷 喜朗 肥田 侯矢 坂井 義治
出版者
医学書院
雑誌
臨床外科 (ISSN:03869857)
巻号頁・発行日
vol.75, no.2, pp.145-149, 2020-02-20

【ポイント】◆ICG蛍光法は,術中の再建腸管血流をリアルタイムに評価する客観的手法として注目されている.◆直腸癌術後の縫合不全を減らすのに有効な可能性が示唆されている.*本論文中、[▶動画]マークのある図につきましては、関連する動画を見ることができます(公開期間2023年2月末まで)。
著者
中川 国利
出版者
医学書院
雑誌
臨床外科 (ISSN:03869857)
巻号頁・発行日
vol.75, no.2, pp.185, 2020-02-20

急性胆囊炎例に対して即手術をすべきか否か,外科医によって治療方針は異なる. 初期研修時代のボスは痛いと訴えている患者には,「即しかも根治手術をしてあげるのが外科医の責務である」との信念を持っていた.そこで急性虫垂炎例を始め,急性胆囊炎例に対しても手術を即施行した.そこで初期研修後に入局した母校医局で「急性胆囊炎例でも即手術をすべきです」と発言したら大いにしらけ,教授からも非難を受けた.当時の医局は,急性胆囊炎例に対しては保存的治療を行うことが掟であった.
著者
中川 国利
出版者
医学書院
雑誌
臨床外科 (ISSN:03869857)
巻号頁・発行日
vol.63, no.7, pp.1019, 2008-07-20

生を受けた人間は必ず死を迎える.人は死を悟ったとき,大いに落胆し歎き悲しむのがつねである.しかし,死を従容として受け入れ,身近な人々との別れを惜しみながら死に逝く人も稀ながら存在する. 80歳代後半のSさんは7年前に大腸癌の手術を受けた.進行癌ではあったが術後の経過は良好で,好きなゴルフを夫婦で楽しんでいた.久しぶりに来院したので胸部X線写真を撮ると,肺に腫瘍を認めた.そこで,呼吸器内科に紹介した.しかし,肺癌はすでに転移し,また高齢のため,単に対症療法が行われることになった.
著者
佐藤 裕
出版者
医学書院
雑誌
臨床外科 (ISSN:03869857)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.243-245, 2008-02-20

1.フランスの「痔瘻の年」(1686年) フランスでは1686年を「痔瘻の年」と呼ぶことをご存じであろうか.この年の11月18日に,17世紀フランスにおいて絶対的権力者として君臨した太陽王ルイ14世(図1)が,長年にわたって彼を苦しめていた痔瘻の根治手術を受けたのである(別に意図したわけではないが,11月18日から本稿を書き始めた).現在,ベルサイユ宮殿の前庭には雄々しいルイ14世の騎乗像が建っており,この像は痔瘻の手術の前か後か定かではないが,痔瘻で苦しんでいたということを感じさせないものである(もっとも,絶対権力者の弱々しい姿を写すわけもないのだが). このとき,ルイ14世の痔瘻を外科的に治療したのが,国王の主席外科医であったフェリックス(Francois Felix:1635~1703年:図2)であった.巷間,手術を担当することになったフェリックスは,国王の体にメスをあてるので,絶対に失敗の許されない手術を実施する前に多くの痔瘻患者を集めて,そのすべてを自らが執刀することにより安全な手術手技の確立をはかったと言われている.そして,1686年11月18日にベルサイユ宮殿2階の「牛の目のサロン」に設けられた臨時の手術室において,多くの侍医団や家臣が見守るなか無麻酔下にこの手術は行われた.
著者
佐藤 裕
出版者
医学書院
雑誌
臨床外科 (ISSN:03869857)
巻号頁・発行日
vol.59, no.4, pp.466-468, 2004-04-20

1881年に行った胃癌切除手術があまりにも有名なため,Billrothが1873年に世界に先駆けて喉頭癌を切除したことは忘れられがちであるが,ヨーロッパではBillrothの業績を語るに際しては,むしろ胃癌より喉頭癌切除手術のほうが先に取り上げられる(以前「ビルロート余滴・4」で述べたように,ウィーン大学付属医学史博物館のBillroth顕彰文でもまず1873年に行われた喉頭全摘手術のことが先に述べられている:図1).言い換えれば,Billrothが「近代外科学のパイオニア」と賞せられるようになるきっかけはこの喉頭全摘手術であったと言える. 今回は,以前よりたびたび引用しているAbsolonの論文に基づいて,この歴史的手術の詳細を紹介していくことにする.
著者
木村 聡元 大塚 幸喜 八重樫 瑞典 箱崎 将規 松尾 鉄平 藤井 仁志 佐藤 慧 高清水 清治 畑中 智貴 佐々木 章
出版者
医学書院
雑誌
臨床外科 (ISSN:03869857)
巻号頁・発行日
vol.72, no.8, pp.952-957, 2017-08-20

【ポイント】◆現在漢方薬は,西洋医学的解析が進み,少しずつエビデンスが蓄積され,使用しやすくなってきた.◆大腸癌における漢方薬は,おもに周術期の合併症予防と抗癌剤治療の有害事象対策に用いられることが多い.◆漢方薬は,その特性を理解し利用することで,今後も癌治療における重要な役割を担っていくものと考えている.
著者
眞鍋 欣良 猿渡 和彥 重信 文男 添原 治夫 今井 維準
出版者
医学書院
雑誌
臨床外科 (ISSN:03869857)
巻号頁・発行日
vol.11, no.7, pp.471-474, 1956-07-20

緒言 原爆被爆者の皮膚毛細血管に"荒癈失調状態"が観られることは既に数次に亘り発表して来たが今回は広島に於ける原爆被爆者の10年後の皮膚毛細血管像について調査した成績を大略記載し皆様の御参考に供し度いと思う. 扨て原爆被爆者の皮膚毛細血管像について観察した成績は今迄に幾つか報告がある.即ち被爆後早期の検索では東大坂口内科,粥川,熊取,椿,尾山,京大真下,舟岡及び富田,横田の記載があり所謂後遺症期に於ける観察では吾々の成績のほか東大中泉津屋の報告がある,粥川等は原爆後81日目の被爆者について皮膚毛細管抵抗を検査しその中異状のある者13名に皮膚毛細管像の顕微鏡観察をなして6例に出血を認めたと云つており,真下,富田等は被爆1ヵ月後の15例について火傷部の皮膚毛細管像を観察し中央部では毛細血管の荒癈,周辺部では乳頭毛細血管の延長,その中間移行部では乳頭毛細血管の増加,口径拡大,延長異常屈曲,充盈度増強並に血流遅延を観たと云い火傷中央部及び周辺部は治癒過程を示し移行部は炎症が存在すると述べている.此の両者はいずれも特殊例についての早期の観察であるがその後の後遺症期に於てはどうであろうか.此れについては吾々の今迄の発表や津屋の報告でも明らかなように被爆後数年を経た者にも猶皮膚毛細管像の変化が多数に観られており,津屋は形態上からその変化を数型に分類して考察している.
著者
板野 聡
出版者
医学書院
雑誌
臨床外科 (ISSN:03869857)
巻号頁・発行日
vol.69, no.8, pp.919, 2014-08-20

7月号では,ラグビーで使われる言葉について書かせて頂きましたが,小説『三銃士』が御本家の“one for all, all for one”のことが気になり,少し調べてみることにしました.この言葉は,一般には「一人は皆のために,皆は一人のために」と解釈されているようですが,フェイス総研の小倉広社長のコラムを拝読して,眼から鱗が落ちることになりました. 小倉社長の解説には,ラグビーで有名な平尾誠二氏のお話として,この言葉は「一人は皆のために,皆は『勝利』のために」という意味だと紹介されていたのです.そう,後者の“one”は“victory”だったのです.確かに,ある集団で「一人」が「皆」のために努力することは当たり前でしょうし(いや,最近はそうでもないか?),一人ひとりが力を合わせることで,1+1が3にも5にもなるでしょう.そのためには,“one for all”でいう“one”は自立し然るべき能力を備えた大人であるという前提が必要になります.もっとも,「一人」が半人前で他のメンバーの助けを借りなければ仕事ができないようでは,その集団の力は十分に発揮されることはなく,ただの烏合の衆となり,期待された相乗効果も生まれるはずがありません.したがって,個々に独立し,それなりの能力を備えた「大人」が集まってこそ,一つの目標,戦いであれば当然「勝利」に向けてその力を合わせることができるというわけです.言葉の出自を考えれば当然のことと納得でき,この解説で頭の中の霧が晴れた気がしたわけですが,聖徳太子の時代から,「和を以て尊しとなす」日本人ゆえに,先のような一般的な解釈がなされたのではないかと,今にして思い当たることになりました.
著者
竹内 新治 吉田 穣 三浦 重人
出版者
医学書院
雑誌
臨床外科 (ISSN:03869857)
巻号頁・発行日
vol.24, no.2, pp.213-219, 1969-02-20

はじめに 視診と触診のみに基づいての乳癌の診断法では,腫瘤がある一定の大きさに達するまでは診断が不可能であり,より早期に診断する事が出来るような手段の現れない限り,もはや乳癌の根治成績の向上は期し難いとするLawson1)およびLe-wison2)の説は,極めて正鵠を得ているものと思われる.より早期の乳癌腫瘤が発見され,かつまた,乳腺症,線維腺腫をはじめ種々の良性疾患との鑑別も試験切除の結果を待つまでもなく可能にするような手段の開発が切に望まれるところである.さらに,その手段の実施に当つて普遍性がありMass Screeningに使用可能である事が最も望ましい.このような目的を追求するために,Thermo-graphyもMammography,超音波,同位元素による診断法等と共に登場して来た. Thermographyは生体表面から放散される赤外線をScanning mirrorを通し,増幅してフィルムに写しとる方法であり,皮膚温度の分布を白黒の濃淡度によつて表現するものである.従つて本法により乳癌を診断するためには,乳癌部皮膚温が非癌性腫瘤部および正常乳腺部のそれよりいつも上昇しているという前提が不可欠である.