著者
松村 一男
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
no.19, pp.75-91, 2019-03-11

"Part One: In the Indian epics, the Mahābhārata and the Rāmāyana, the heroes (the Pāndavas and Rāma) represent two aspects of heroic elements (fighting and wandering) simultaneously, whereas these two aspects are represented separately in Greek epics by Achilleus and Odysseus. Nevertheless, the two Indian epics and two Greek epics show remarkable similarities, which can only be explained by a common origin. Further evidence of a common origin in the epic heritage can be provided by an episode in the Mahābhārata called the story of Nala (Nalopākyānam) that shows structural similarities to the Odyssey. Common origin of the Iliad and the Mahābhārata being generally accepted, similarities with Indian epics could be also detected in the case of the Odyssey, especially with the Nalopākyānam. Thus we can assume a common origin for the two Indian epics (and an episode in one of them) and two Greek epics. These epics (and an episode) developed further thereafter but still show traces of a common origin.Part Two: The concept of cyclical ages seems to be shared among the Indo-Europeans. The first is the Golden Age, then gradually the condition becomes worse, and finally the worst comes. In this last stage, the world perishes first by fire and then by water. Following this, the world is renewed and another cycle from the Golden Age resumes. This concept is definitely observable in Ancient India, Scandinavia, and Ancient Iran. Some traces of this also remain among the Greeks and the Romans. Perhaps the message of the myth is that although disasters caused by fire and water are unavoidable, still they are also the beginning of a new period of the Golden Age.The following two papers are Japanese translations of two papers in English concerning Indo-European comparative mythology. I do not claim that the ideas in them are original. They are rather my personal summaries of what I have learned and understood recently about the results of Indo-European comparative mythology established by such scholars as G. Dumézil, S. Wikander, C. Watkins, B. Lincoln, and many others.Part One, titled "Comparative Epic Literature" was presented at the 12th Annual International Conference on Comparative Mythology "Myths of the Earth and Humankind: Ecology and the End of the World" held at Tohoku University in Sendai on June 1-4, 2018, and Part Two, titled "How the End and the Renewal were envisioned among the Indo-Europeans" was presented at the Tohoku Forum for Creativity Thematic Programs, Geologic Stabilization and Adaptations in Northeast Asia, Workshop 1 Natural Disaster and Religion/Mythology, held on June 5, 2018.I would like to thank all the participants for their pertinent criticisms and encouraging suggestions.第一部:インドの叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』の英雄たち(パーンダヴァ五兄弟、ラーマ王)は英雄の二つの側面(戦士と放浪者)を同時に体現している。これに対して、ギリシアの叙事詩においては二つの側面はアキレウスとオデュッセウスという二人の英雄がそれぞれ担っている。しかしながら、インドとギリシアの叙事詩群には極めて細部に至るモチーフの一致が認められ、これは共通の叙事詩からの発展・分化の結果であると考えざるを得ない。さらにまた、『マハーバーラタ』中の一エピソードである「ナラ王物語」にも『オデュッセイア』との顕著な構造的対応が指摘されている。これまでも『マハーバーラタ』と『イーリアス』の共通起源については一般的に承認されてきているが、インド叙事詩との共通要素が『オデュッセイア』においても認められるとなれば、インドの『マハーバーラタ』、『ラーマーヤナ』、「ナラ王物語」とギリシアの『イーリアス』、『オデュッセイア』はすべてインド=ヨーロッパ語族が拡散する以前の時代に遡る原叙事詩型に由来すると考えるべきとなろう。第二部:時代の循環サイクルの概念はインド=ヨーロッパ語族に共有されていたらしい。第一の時代は黄金時代であり、その後は次第に悪い状態となり、最後が最も悪くなる。この最後の時代に世界はまず火災によって、ついで大水によって滅びる。しかしその後、世界は再生し、新たな時代の循環サイクルが黄金時代から始まる。こうした概念はインドとイランと北欧ゲルマンにおいて確実に認められる。またその痕跡はギリシアとローマにも認められる。おそらくこの神話のメッセージは、火災や大水による大災害は不可避であるけれども、それはまた新しい繁栄の時代の始まりでもあるというものだったのだろう。"
著者
UENO Toshiya
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.47-61, 2018-03-11

This essay is a part of my ongoing project, the "ontology of withdrawal". In this introductory section, this work begins with comparative interpretations of both philosophical projects by François Laruelle and Toshihiko Izutsu. Some basic but quite idiosyncratic concepts by Laruelle are clarified and explained: One-in-vision, One-in-One, non-philosophy, given-without-givenness,unilaterality, clone, dualysis, stranger-subject, and so on. Each conception is considered and re-examined from the perspective of non-religious philosophy by Izutsu. Rather than being contented with a mere demonstration of similar or compatible points in these two philosophical systems, this paper would like to make some interventions for the recent philosophical debates after the "so-called speculative turn" raised by Object-Oriented Ontology and Speculative Realism.
著者
UENO Toshiya
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.21-31, 2016-03-11

This paper explores Oshii Mamoru's films and animations. First, his view of the cinematic citation (appropriation) is analyzed in some comparison with Jean-Luc Godard. Second, his preoccupation with the plot of the weird duality between reality and dream is examined with plural contexts of cultural avant-garde in the 20th century. Third, the question of why Oshii Mmoru has been so much interested in the warfare in his works. Through the series of problematics, this essay would locate his perspective in some philosophical and ontological debates, in which Deleuze & Guattari and others must be addressed. Then, his insightful but provocative statements on the war and history are interpreted in the philosophical streamwhich I would like to call Machine-Oriented Ontology.
著者
坂井 弘紀
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
no.19, pp.27-44, 2019-03-11

本稿では、先稿に引き続き、中央ユーラシアのテュルク系諸民族に伝わる英雄叙事詩とシャマニズムとのつながりについて論じる。英雄叙事詩に登場する主人公の勇士が、聖鳥に乗って上昇飛翔したり、ジン(精霊)や肩甲骨を使って卜占を行ったりする様は、シャマンの職能行為と酷似する。イスラーム化が進行した地域においても、シャマニズムはイスラームと習合しながら、大きな役割を果たし続けてきた。英雄叙事詩は、「最初のシャマン」とされる人物コルクトが創出したとされる弦楽器コブズの伴奏をしばしば伴うが、コブズをもちいたシャマンの巫術は20世紀末までも行われていた。英雄叙事詩には、シャマンの「祝詞」の一節と酷似するフレーズが歌われることさえある。また、叙事詩の語り手やシャマンになるうえで、夢が大きな意味をもつといった共通点もある。叙事詩の語り手が、叙事詩をもちいながら治療を行うという実例も報告されている。このように、叙事詩語りとシャマンが重なる点は多い。
著者
半田 滋男
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.120-130, 2013-03-11

1970年代から90年代にかけての公立美術館建設ブームは、視覚芸術受容者層の数的増加を促し、展覧会ブームをもたらした。現在国内に存在する美術館の80パーセント以上は70年代以降に建設され、新規に開館している。主に自治体による美術館新説ラッシュが愛好家層を増やし、視覚芸術の裾野を広げる役割を負ってきた。2000年代に至り、美術館はじめ公的文化施設をめぐる環境は激変した。行財政改革の下で公的施設の独立行政法人化、また地方では地方自治法第244条の2改正による指定管理者制度が導入され、文化に投下される公的予算が漸減している。予算を封じられた地方美術館の多くは四半世紀を経ずして早くも陳腐化、衰退への道をたどりつつある。一方その裏面では新たに「越後妻有アートトリエンナーレ」(2000-)、また瀬戸内海、横浜や愛知でのトリエンナーレに代表されるアート・イベントが隆盛を極める。日本の現代美術の主要な舞台は、こと公的(パブリック)な性格をもつものとしては、これらイベント型の野外展に移行したかのようである。現代の視覚芸術という溶質にとって場という溶媒が入れ替わったとすればそれは看過できない。これは一時的な現象なのか、その隆盛の原因はいまだ言及され難い。本論はその現象の意味について、美術館活動の推移に着目し比較しながら考察するものである。
著者
深沢 眞二
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
no.20, pp.112-101, 2020-03-11

芭蕉が、元禄二年(一六八九)四月二十二日から翌日にかけて、須賀川の等躬、および同行者の曽良と三吟で巻いた「風流の」歌仙の名残折十八句を注釈する。これは、本誌前号の(上)の、初折十八句の注釈に続くものである。
著者
坂井 弘紀
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.19-37, 2020-03-11

テュルクの口承文芸において、夢は、神話、伝説、英雄叙事詩、昔話など、ジャンルを問わず、きわめて大きな役割を果たしている。ここでは、夢にまつわる伝承、逸話、その解釈について、実例をあげながら、テュルク口承文芸における、夢の果たす役割とその特徴について考えていく。 テュルクの民間伝承では、歴史上の英雄にまつわる夢は、誕生や武勲、死去について告げる。その際、夢の中に聖者・賢者が現れることもあり、夢は側近や夢占い師、長老によって解釈される。英雄叙事詩では、英雄の誕生やその登場、難問の解決方法を、その家族や関係者、愛馬が夢を通じて知る。昔話のジャンルでは、夢を売買したり、見つけたりするという行為も見られる。語り手になるきっかけは夢のお告げであるという事例も少なくない。そして、山や鳥、 ヘビや竜などがしばしば夢解釈の重要なアイテムとされ、民間伝承のストーリーにも登場する。夢解釈はテュルク口承文芸の一ジャンルを成し、現在でも人々のあいだで利用されている。
著者
松村 一男
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.107-126, 2016-03-11

Myths about unknown islands always fascinated island people. The most famous example is the Odyssey. The Odyssey was introduced to Japan in the middle of the sixteenth century by the Jesuits and gave birth to a story named the Nobleman Yuriwaka. Probably influenced by this story, another voyage story, the Voyage of Yoshitsune to the Island of Yezo, was created. The hero of the story is Minamoto no Yoshitsune. His tragic, untimely death made Yoshitsune one of the most popular legendary figures in Japanese history. Many stories have been created about him and this story is one of them. In this paper, the story will be explained and then a comparison with other voyage stories will be given.
著者
坂井 弘紀
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.41-60, 2016-03-11

日本の民話・伝承について考えるとき、これまで多くの研究者が指摘してきたように、中央ユーラシアの遊牧民の民間伝承を避けて通ることはできない。本稿では、ユーラシアのテュルク系民族に語り継がれてきた『アルパムス・バトゥル』、『ナンバトゥル』・『エメラルド色のアンカ鳥』、『勇士エディゲ』、『ジャルマウズ・ケンピル』、『大ブルガルのクブラトの遺訓』などを取り上げ、日本に、これら中央ユーラシアの伝承・民話とよく似た伝承・説話が存在することを具体的に提示した。これらの話は、中央ユーラシアと日本の民話・伝承の比較研究に大きな示唆を与える適例であるといえよう。古来、遊牧騎馬民が駆け巡った、アルタイ地方を中心とする中央ユーラシアの草原地帯に、日本の民間伝承の起源を解く鍵があるかもしれない。本稿は、それを解くための「たたき台」となるはずである。
著者
深沢 眞二
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
no.19, pp.115-128, 2019-03-11

元禄二年(一六八九)四月二十二日とその翌日に、奥州須賀川の等躬の屋敷で興行された、「風流のはじめや奥の田植哥」の芭蕉句を発句とする俳諧の歌仙一巻を注釈する。芭蕉・等躬・曽良の三吟である。底本には同年内に等躬が刊行した『俳諧荵摺』所載の本文を用いた。紙幅の都合により今回は初折の十八句の注を(上)として示す。
著者
坂井 弘紀
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.33-54, 2015-03-20

テュルクの口承叙事詩には、「最初のシャマン」とされるコルクトをはじめ、シャマンがしばしば登場したり、『エル・トシュテュク』に見られるように、英雄叙事詩の主人公にシャマンの姿が投影されていたりする。英雄の愛馬が八本脚であると暗示されることは、世界各地に見られるシャマン的典型の「八脚馬」と見なすことが可能であり、また、叙事詩で馬の毛を焼く場面からは、シャマニズムの呪術で呪的動物を呼び起こす儀式を読み取ることができる。古来のテュルクの伝承では、大地の中心にある、天空までそびえ立つ世界樹が描かれ、そこからはテュルクの聖樹信仰を見ることができる。また、本来シャマンを意味していたバクスという言葉が、のちに叙事詩の語り手を意味するようになったのは、シャマンの言葉が英雄叙事詩へと発展する一方、イスラーム化にともなって、バクスが預言や託宣を行う機会が減少した結果、叙事詩語りとしての役割が重視されたためと考察される。
著者
佐野 誠子
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.55-71, 2015-03-20

義楚の編んだ仏教類書『義楚六帖』における志怪引用の状況を調査した。『捜神記』、『宣験記』、『冥祥記』といった六朝志怪については、先行する仏教理論書『弁正論』や仏教類書『法苑珠林』に引用される資料からの孫引きがほとんどであり、文字の校勘に使える可能性はあるものの、新たな佚文資料を含んではいなかった。しかし、『列仙伝』、『博物志』、『感応伝』、『集異記』などにおいては、独自の引用も行っており、一部に佚文資料が含まれていることを明らかにした。仏教が外典に博物的な知識を求めていたがために、『博物志』、『集異記』といった書の佚文が残ることとなったのだろう。また、同種の博物知識を伝える書である『漢武洞冥記』についても大量の引用があるが、紙幅の関係もあり、別稿を用意する予定である。
著者
松村 一男
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.75-91, 2019-03-11

"Part One: In the Indian epics, the Mahābhārata and the Rāmāyana, the heroes (the Pāndavas and Rāma) represent two aspects of heroic elements (fighting and wandering) simultaneously, whereas these two aspects are represented separately in Greek epics by Achilleus and Odysseus. Nevertheless, the two Indian epics and two Greek epics show remarkable similarities, which can only be explained by a common origin. Further evidence of a common origin in the epic heritage can be provided by an episode in the Mahābhārata called the story of Nala (Nalopākyānam) that shows structural similarities to the Odyssey. Common origin of the Iliad and the Mahābhārata being generally accepted, similarities with Indian epics could be also detected in the case of the Odyssey, especially with the Nalopākyānam. Thus we can assume a common origin for the two Indian epics (and an episode in one of them) and two Greek epics. These epics (and an episode) developed further thereafter but still show traces of a common origin.Part Two: The concept of cyclical ages seems to be shared among the Indo-Europeans. The first is the Golden Age, then gradually the condition becomes worse, and finally the worst comes. In this last stage, the world perishes first by fire and then by water. Following this, the world is renewed and another cycle from the Golden Age resumes. This concept is definitely observable in Ancient India, Scandinavia, and Ancient Iran. Some traces of this also remain among the Greeks and the Romans. Perhaps the message of the myth is that although disasters caused by fire and water are unavoidable, still they are also the beginning of a new period of the Golden Age.The following two papers are Japanese translations of two papers in English concerning Indo-European comparative mythology. I do not claim that the ideas in them are original. They are rather my personal summaries of what I have learned and understood recently about the results of Indo-European comparative mythology established by such scholars as G. Dumézil, S. Wikander, C. Watkins, B. Lincoln, and many others.Part One, titled "Comparative Epic Literature" was presented at the 12th Annual International Conference on Comparative Mythology "Myths of the Earth and Humankind: Ecology and the End of the World" held at Tohoku University in Sendai on June 1-4, 2018, and Part Two, titled "How the End and the Renewal were envisioned among the Indo-Europeans" was presented at the Tohoku Forum for Creativity Thematic Programs, Geologic Stabilization and Adaptations in Northeast Asia, Workshop 1 Natural Disaster and Religion/Mythology, held on June 5, 2018.I would like to thank all the participants for their pertinent criticisms and encouraging suggestions.第一部:インドの叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』の英雄たち(パーンダヴァ五兄弟、ラーマ王)は英雄の二つの側面(戦士と放浪者)を同時に体現している。これに対して、ギリシアの叙事詩においては二つの側面はアキレウスとオデュッセウスという二人の英雄がそれぞれ担っている。しかしながら、インドとギリシアの叙事詩群には極めて細部に至るモチーフの一致が認められ、これは共通の叙事詩からの発展・分化の結果であると考えざるを得ない。さらにまた、『マハーバーラタ』中の一エピソードである「ナラ王物語」にも『オデュッセイア』との顕著な構造的対応が指摘されている。これまでも『マハーバーラタ』と『イーリアス』の共通起源については一般的に承認されてきているが、インド叙事詩との共通要素が『オデュッセイア』においても認められるとなれば、インドの『マハーバーラタ』、『ラーマーヤナ』、「ナラ王物語」とギリシアの『イーリアス』、『オデュッセイア』はすべてインド=ヨーロッパ語族が拡散する以前の時代に遡る原叙事詩型に由来すると考えるべきとなろう。第二部:時代の循環サイクルの概念はインド=ヨーロッパ語族に共有されていたらしい。第一の時代は黄金時代であり、その後は次第に悪い状態となり、最後が最も悪くなる。この最後の時代に世界はまず火災によって、ついで大水によって滅びる。しかしその後、世界は再生し、新たな時代の循環サイクルが黄金時代から始まる。こうした概念はインドとイランと北欧ゲルマンにおいて確実に認められる。またその痕跡はギリシアとローマにも認められる。おそらくこの神話のメッセージは、火災や大水による大災害は不可避であるけれども、それはまた新しい繁栄の時代の始まりでもあるというものだったのだろう。"
著者
UENO Toshiya
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.11-19, 2019-03-11

This essay continues to provide with an introductory explanation of some basic conceptions raised by French philosopher Francois Laruelle, of which the previous section of this series of essay has already scrutinized, while keeping in mind something comparable or counterparts within some Japanese philosophy including Izutsu Toshihiko's one or other potential references. Insofar as Laruelle's non-philosophy has given conceptual inspirations for the recent debates around speculative philosophy and Object-Oriented Ontology since a decade, in which I am interested in the intention of re-elaborating the potentiality of (speculative) materialism in both the philosophical sense and critical theory.
著者
浅見 克彦
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.11-28, 2018-03-11

ポストヒューマニティとは、超越的な人工知性や人類の生物的な新種が喚起する問題群だけをさす概念ではない。思想史的に言えば、それは何よりも、ルネッサンス以来の人間性に深刻な懐疑が向けられ、人々が自身の新たな存在価値を模索していく情況をさすものだ。本稿はこの情況を整理すべく、おもに自律性の理念が掘り崩される事態に注目し、生命科学の新展開にともなう知のシステムの権力作用、神経科学の発展を背景とした意識の自存性の否定、さらにはサイボーグ技術を典型とするテクノロジーとの連続性の受容、などを検討する。そこから浮かび上がるポストヒューマンな実情は、意外にもすでに近代の初めから、あるいはそれ以前から伏在していた現実である。私たちは、ヒューマニズムの理念にしがみつき、そこから目を逸らしてきたのだ。ポストヒューマニズムとは、人間の実情を隠蔽し糊塗してきた、このイデオロギー的な枠組みを脱却する思考の営みにほかならない。
著者
坂井 弘紀
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.52-70, 2013-03-11

15-17世紀、キプチャク草原の遊牧政権ノガイ=オルダの歴史は、中央ユーラシアのテュルク系諸民族のあいだに英雄叙事詩などの口頭伝承で伝えられてきた。ノガイ=オルダの代々の有力者について伝える一連の伝承は「ノガイ大系」としてまとめられる。16世紀後半のノガイの有力者であるカラサイやカジについて歌った叙事詩もまた、「ノガイ大系」に整理される。彼らを描いた英雄叙事詩は、ノガイ=オルダが大ノガイと小ノガイとに分裂する過程やその後のノガイの状況を歌っている。本稿では、ノガイの有力者オラクとママイの時代を取り上げた先稿に引き続き、16世紀のノガイ=オルダ、とくに小ノガイについて、オラクの息子カラサイとカジに注目して論じる。またクリミア=ハン国の王子アディルを主人公とする叙事詩も取り上げながら、クリミア=ハン国、オスマン帝国、ロシア、サファヴィー朝(ペルシア)など周辺諸国とノガイとの関係についても論じる。
著者
詫摩 昭人
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.61-79, 2016-03-11

ドイツの絵画としてすぐに思いつくものは、古くはデューラー(Albrecht Durer、1471-1528)、もしくはフリードリヒ(Caspar David Friedrich、1774-1840)、現代ではリヒター(Gerhard Richter、1932-)やキーファー(Anselm Kiefer、1945-)かもしれない。しかし、ドイツの美術を鑑賞すると皮肉やユーモア、政治的社会的な作品が多いことを特に感じる。そこで今回、ドイツの主要作家1414人を調べ、どれくらいの割合で、そのような作家がいるのかを調査した。また現地でのインタビューも交え考察した。