著者
古田 雅憲 フルタ マサノリ FURUTA MASANORI
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学人間科学論集 (ISSN:18803830)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.1-10, 2016-03

「仙厓さん」こと仙厓義梵は美濃の人。臨済禅の僧侶として江戸時代後半に生きた(1750-1837)。その前半生を諸国行脚に多く費やしたが,数えて39歳の春,招かれて博多を訪れ,翌年(1789),今も博多区御供所町にある聖福寺の第123世住持となった。以後,亡くなるまでの約50年の間,常に博多の町衆とともにあった。61歳でいったん住職を退いてからは特に好んで筆を執り,たくさんの絵を描いては以て自身の修養の種とし,あるいは周庶の教化の縁とした。時に求められるままに描きもした数多くの絵の,その筆さばきの軽妙洒脱,天真爛漫なこと――今日の博多っ子も親しみを込めて「仙厓さん」と呼ぶ。仙厓絵のコレクションは出光美術館のそれが有名だが,福岡市美術館にもまとまったものがある――「石村コレクション」と言う。博多銘菓「鶴乃子」でおなじみの石村萬盛堂のご先代・石村善右翁が蒐集されたもので,仙 さんの書画ほか96点が収蔵されている。そのなかに「寒山拾得」を描いた一葉がある――その含意について些かなりとも思いを巡らしてみたい,それが小稿の趣意である。
著者
川上 具美
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学人間科学論集 (ISSN:18803830)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.121-134, 2019-02

日本におけるテスト政策もアメリカ同様に学校現場の教員に影響を持ち始めている。2018 年8 月2 日付けの日本経済新聞には次のような記事が掲載された。大阪市の吉村洋文市長は、2019 年度から学力テストの結果しだいで、校長や教員のボーナスに当たる「勤勉手当」を増減させたり、校長の裁量で使える予算を変動させたりなど、教員評価として活用すること検討すると明言したというのである。テストの結果を、教員評価や学校予算の裁定に利用することによって、米国の公立学校は民営化に追い込まれていることを考えると、今後日本の教育が向かう先が米国のようになるのではないかと危惧されるところである。学力テストは、「学力・学習状況調査」であったはずだが、テスト結果が公表されると現場はただの調査では済まされなくなっている。日本の教育におけるテスト重視の傾向は「脱ゆとり」から急速に高まり、学校教育では学習内容、授業時間数や日数も急激に増加の一途をたどっている。しかも、そうした傾向は日本が「脱ゆとり」路線を歩むようになった2003年のOECD のPISA(生徒の学習到達度調査)において、一位をとったフィンランドとは真逆の方向に向かっている。西南学院大学に客員教授として来日されたノルウェーのオークレー教授(Bjorn Magne Aakre)によると、北欧のフィンランドとも同様の歩調をとっているノルウェーでは、1997 年に徹底した学校改革が行われ、教育はテスト重視から学び重視の姿勢へと転換したという。伝統的な一斉授業のスタイルを取る教師も少なからずおり、そうした人々からの批判も寄せられたが、法律によって問題解決学習といったプロジェクト型の授業スタイルを取ることが義務とされ、徐々に浸透していったという。1990 年代末といえば、奇しくも日本でも総合的な学習の時間などが導入される時期でもあった。それから、数十年が経つが、フィンランドを初め北欧からベネルクス三国にいたる国々において、一斉授業のスタイルはほとんど取られていない。しかし、それとは反対にこの数十年で、日本において経験主義的な学び、問題解決学習などは学習内容の増加とともに鳴りを潜め、さらに追い討ちをかけるように、先の学力テスト実施によって小学校でもテスト対策の授業が行われるなど一斉授業のスタイルが低年齢化し、またその時間数も増加しつつある。次々と改訂が進む新しい学習指導要領では、学習内容が増加の一方で思考力の育成などの一見テスト政策とは反対のような指針が示され、新しい大学入学のための共通テストでは、それをテストで測ろうとしている。このような日本の教育の向かう先はどんな未来が待っているのだろうか。ここでは、暗澹たる惨状を晒しているアメリカの教育事情について、そのテスト政策と学校の民営化を浮き彫りにすることによって、日本の教育への警鐘としたい。
著者
深谷 潤 フカヤ ジュン FUKAYA JUN
出版者
西南学院大学
雑誌
西南学院大学人間科学論集 (ISSN:18803830)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.41-56, 2018-08

山本七平の思想における「日本教」の特徴と問題点について、特に日本社会におけるキリスト者との関係から考察する。
著者
松永 裕二 マツナガ ユウジ MATSUNAGA YUJI
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学人間科学論集 (ISSN:18803830)
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.111-145, 2017-02

文部科学省の「平成26年度公立学校教職員の人事行政状況調査について」によれば、2014年度に9,677人の教職員が懲戒処分等(訓告等を含む)を受けた(前年度から183人の増加)。そのうち体罰で懲戒処分等を受けたのは952人で、前年度(2013年度)の3,953人に比べると3,000人も減少した。2012年度に体罰で懲戒処分等を受けた教職員数は2,253人であった。2014年度に体罰による懲戒処分者がこのように激減したのには理由がある。2012年12月に大阪市立桜宮高校の男子学生が部活顧問による体罰を苦にして自殺をするという痛ましい事件が起こった。これを受けて文部科学省が緊急の体罰実態調査を実施したところ、2012年度に公立学校で5,415人の教員が体罰を加えていたことが判明した。2012、2013年度と2年連続でこれらの体罰教員が大量に処分された結果、2014年度には処分者数が952人に落ち着いたというわけである。この952人という数字をどのように理解するべきなのだろうか。実は、文部科学省の統計によれば、体罰による懲戒処分者数は2002~2011年度の過去10年間平均で414人に過ぎなかった2。この数字と比べると2014年度の体罰による処分者数は例年の2.3倍だったことになるが、今後は400人程度という例年の数字に落ち着くようになるのであろうか。しかし、緊急調査を行えば体罰教員が急増し処分者も増えるがその嵐が去ってしまえばまたもとに戻るというのであれば、これは何とも奇妙な話ではないか。言うまでもなく、体罰による処分はその体罰が摘発されない限り実施されることはない。処分された教員はまさに氷山の一角であり、その下には多くの体罰教員が潜んでいる可能性が高い。教員集団だけでなく保護者や児童・生徒が体罰を見過ごしたり甘受したりする背景の一つには、体罰についての認識の甘さや誤解、「子どもの権利」意識の不徹底などが横たわっているように思われる。このような認識のもとに、筆者は、本学での担当科目「教師論」にて教員の体罰問題を積極的に取り上げるのみならず、2015年度からはPTA 会員(主として役員・委員)を対象に体罰根絶のための講演活動に取り組んでいる。本稿はその活動の評価報告である。最初に、その講演の内容について概説し、次いで、講演参加者の感想に基づいて講演の成果と課題を浮き彫りにする。最後にこのような活動を今後さらに充実する上で必要な条件などについて考察し結論に代えることにする。