著者
松本 賢一 Kenichi Matsumoto
出版者
同志社大学言語文化学会
雑誌
言語文化 = Doshisha Studies in Language and Culture (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.10, no.2, pp.333-367, 2007-12-31

本稿は、ロシア、ノヴゴロド国立大学教授V.V.ドゥトゥキン氏の論考Достоевский в "Размышлениях аполитичного" Т.Манна(1997)の日本語訳である。マンの最も大きい批評的著作と見なされる『省察』は、ロシアでは長らく採り上げられることがなかった。しかしながら、原著者ドゥトゥキン教授の意図は、ソヴェート時代ならば「反動的」と受け止められたであろう本書を紹介することにのみあるのではない。ナチズムという嵐が到来する前のマンの独特の保守主義が、約40年前のロシアートルコ戦争時のドストエフスキイの汎スラヴ主義的発言を直接にドイツに移し変えたものであることを説明し、マンがドストエフスキイから何を得、何を得なかったかを考究することにも、原著者の注意は向けられている。
著者
久野 聖子 Kiyoko Kuno
出版者
同志社大学言語文化学会
雑誌
言語文化 = Doshisha Studies in Language and Culture (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.[139]-166, 2009-08-25

ヒトやモノの移動を背景に、先行研究においてはロマのトランスナショナルな側面が強調される。しかし実際には、「ナショナル・マイノリティ」や「土着」のステイタスを求めるロマの動きも強い。こうしたステイタスの追求は偏狭で普遍性にかけるとされるが、そうだろうか。この疑問に答えるため、本稿では、ヨーロッパやスペインのロマの動きや主張の実態から、こうしたステイタスの追求の背景やこれらの追求が持つポジティヴな側面を明らかにする。
著者
石井 泉美 Izumi Ishii
出版者
同志社大学言語文化学会
雑誌
言語文化 = Doshisha Studies in Language and Culture (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.323-343, 2006-12-31

インディアン史の描き方は、どのような視点から考察するかによって、二つに大別される。一つは、白人側からの視点であり、そこでは、インディアンは欧米文化・文明の「受け手」としての役割しか与えてもらえなかった。そうした「受け身」の歴史に警告を発したのが、エスノヒストリーと呼ばれる学際的な手法である。本論文は、ネイティヴ・アメリカンの社会を彼らの視点から考察するにあたり、インディアン社会の大きな特徴である母系社会と男女の相互補完性に焦点をあてることの重要性を説いた。インディアン社会における男女の在り方、「男らしさ」や「女らしさ」、そして両者の関係性を探ることで、インディアン社会内部のダイナミズムを見る目に大きな違いがでてくるということ、またインディアン社会の内部構造を理解した時にこそ、外部の人間の手による史料を通してでさえ、等身大のインディアンが見えてくるという可能性を本稿は示唆しているのである。
著者
松木 啓子 Keiko Matsuki
出版者
同志社大学言語文化学会
雑誌
言語文化 = Doshisha Studies in Language and Culture (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.[345]-368, 2009-12-31

本論の目標はコミュニケーションにおける儀礼理論の意義を再検討することであると同時に、コミュニケーションにおける儀礼的諸相の再考察である。デュルケムに大きく影響を受けた人類学の儀礼研究が今日のコミュニケーション研究に深く関わっているこを確認すると同時に、コミュニケーションにおける儀礼的諸相とそのような諸相を通して構築される社会的意味の重要性を指摘する。特に、儀礼の機能と意味の問題に注目しながら、人類学の儀礼研究を貫く「連帯」と「聖なるもの」の概念に注目する。

1 0 0 0 OA Russian Berlin

著者
諫早 勇一 Yuichi Isahaya Юити Исахая
出版者
同志社大学言語文化学会
雑誌
言語文化 = Doshisha Studies in Language and Culture (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.8, no.2, pp.313-353, 2005-12-31

Russian Berlinとは、1920年から1923年ころまでのベルリンで、ロシア人亡命者とソヴィエトの文化人たちが作り上げていた独特の世界を表すが、これについてはこれまでにもさまざまな研究がなされてきた。しかし、それらの多くは当時の文学サークル・定期刊行物などを中心とした「文学」研究であり、それによれば、Russian Berlinは1923年をもって崩壊したとされていた。だが、当時ベルリンにつどったロシア人たちは、演劇・音楽・映画・思想などさまざまな分野で秀でた業績を残しており、それらを考慮に入れるとき、1923年という区切りは意味を持たなくなる。本論文では出版、文学サークル、文学カフェ、定期刊行物、演劇、音楽・美術、映画、思想などの分野でのRussian Berlinの活動を跡付け、ベルリンにおける亡命ロシア文化が、ヒトラーが政権につく1933年ころまで数多くの成果(キャバレー「青い鳥」の活躍や、ベルジャーエフをはじめとする思想家の啓蒙活動、ジャーナリスト・文学者同盟の継続的な活動など)を残してきたことを確認し、その中で亡命ロシア人が果たした役割も大きかったことを論証した。
著者
宮地 隆廣 Takahiro Miyachi
出版者
同志社大学言語文化学会
雑誌
言語文化 = Doshisha Studies in Language and Culture (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.14, no.4, pp.377-400, 2012-03-10

本稿は、地域研究の扱う範囲とアプローチについて、先行研究に対する批判的検討を通じ、その妥当なあり方を提示する。第1に、地域研究の扱う知識の範囲は特定の空間、時代、テーマおよび方法論によって制限されるべきではない。第2に、研究に値する知識は、既存の地域イメージを覆すものか、社会や学界で価値の認められるテーマに関連するものに限られる。第3に、研究のアプローチは、科学的なものと多声的なものに分けられる。
著者
竹内 理樺 Rika Takeuchi
出版者
同志社大学言語文化学会
雑誌
言語文化 = Doshisha Studies in Language and Culture (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.15, no.4, pp.359-389, 2013-03-10

何香凝の芸術活動は一般にその政治活動と密接に結びつけて論じられる。しかし、1920年代末から40年代半ばまで、彼女は政治とは一線を画し、「一国民」として絵画の「義売」(慈善販売会)や兵士の救護活動を行い、画家の立場を立脚点として独自の抗日救国活動を行っていた。その活動は孫文と夫廖仲愷の遺志を継承する政治的理念に基づいたものであったため、多くの人々の支持を集め、結果的に彼女の名声と人望を高め、彼女を政治の第一線に復帰させることとなった。
著者
諫早 勇一 Yuichi Isahaya
出版者
同志社大学言語文化学会
雑誌
言語文化 = Doshisha Studies in Language and Culture (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.69-87, 2011-08-25

ナボコフがゴーゴリ論の中で使って有名になったposhlostという語は、ゴーゴリ自身が自分の作品を論じるにあたって使った語だが、その後メレシコフスキイ、ゼンコフスキイらさまざまな批評家もゴーゴリの作品を論じるにあたって用いてきた。本論では、poshlostという語の意味の変化を追いながら、その意味の広がりを検討し、ナボコフの用法によってこの語を理解することの危険性を指摘した。
著者
Cross Robert クロス ロバート
出版者
同志社大学言語文化学会
雑誌
言語文化 = Doshisha Studies in Language and Culture (ISSN:13441418)
巻号頁・発行日
vol.11, no.4, pp.493-514, 2009-03-10

論文(article)The 2001 Bollywood film Lagaan is a parable of the fall of the British Raj that unfolds in the drama of a cricket match between colonizers and colonized. The protagonist, an Indian villager named Bhuvan, embodies the iconicity of the Indian cricket star Sachin Tendulkar and the nationalist and inter-communal ideology of Gandhi. Set at the end of the 19th century, the deeper discourse of the film constructs an ideal post-Independence 'India' in which Gandhi's ideas, far from dying with his assassination and the horrors of Partition, have been fully implemented in the imagined new order. The fantasy of this Gandhian idyll, however, is problematised by the film's treatment of the non-Hindu minority communities-the Muslims, the Sikhs and the outcaste Dalits-particularly when considered in the broader context of the rise of Hindutva fanaticism and communal violence in present-day India.アカデミー賞にノミネートされたボリウッド映画『ラガーン』(2001)は、19世紀末、植民者のイギリス人と被植民者のインド人との間で行われるクリケットの試合を軸に、ガンジーの理想とした異教徒間の調和を掲げる「インド」が、一人のインド人青年によって建設されていくドラマを描いている。しかし作中の、民族間で団結してイギリスに立ち向かった「インド」においても、非ヒンドゥー教徒のマイノリティに対する描写に問題が存在する。