著者
吉田 敦彦 Atsuhiko Yoshida
出版者
学習院大学東洋文化研究所
雑誌
調査研究報告 (ISSN:09196536)
巻号頁・発行日
no.31, pp.50-70, 1990-03

昔話の中で山姥は、自分の身体からさまざまな財宝などを排泄したり分泌していくらでも出せる、不思議な力をもち、また死ぬと死体からも、財宝や作物などが発生するように、物語られてきた。これは記紀に記された作物起源神話の主人公の神たちが、やはりさまざまな御馳走を、身体からいくらでも排泄したり分泌して出せた上に、死体から作物などが発生したと語られているのと似ている。殺されると死体から作物が生え出る、地母神的豊穣女神は、わが国で縄文時代の中期にはすでに信仰され、その姿を土偶や土器に表現されていた。昔話の中の山姥は、土偶や土器から窺えるこの縄文時代の地母神の性質を1さまざまな面でびっくりするほどよく受け継いでおり、古い女神が民間伝承の中で不気味な妖怪に変化したものと目せる。
著者
諏訪 春雄
出版者
学習院大学
雑誌
調査研究報告 (ISSN:09196536)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.1-17, 1984-03

Theゴσγ癖(浄瑠璃ballad-drama)Kanαdehon C肋曲勿g%γα(仮名手本忠臣蔵), was first performed in 1748. It was a work comprised of and incorporating previously performed kabuki(歌舞伎)and jo"rzari based on the vengeance of the forty-sevenγσ%勿(浪人masterless samurai)of Ak6(赤穂),acastle town in Harima(播磨)province, and influenced in tu「n'the develoPment oM々σγδs乃∫9襯(赤穂浪士劇), or plays about the forty-sevenアδπ勿. Kanadehon C航s伽g%γαwas adapted for both励嘘ゴand%勿gyδshibai(人形芝居puppet theater). It also proved to be a favorite subject for novels, and was recast in the various literary modes that emerged in the Edo period, such as ukiyozoshi(浮世草子genre stories), yomihon(読本readers), sharebon(洒落本risqu6 stories), gokan(合巻 bound-together volumes), kibyo'shi(黄表紙"yellow-cover"picture booklets), kolekeibon(滑稽本humorous stories), and%吻励oπ(人情本human・interest stories). Representative examples of these various literary modes are examined in tracing the adaptive changes in Kanαdehon Chu-,shingura. To summarize, the purposes of this article are to compare these modes, includingゴσ剛γゴand kαbuki, for which Kanadehon Chu-shingurα was adapted, in order to elucidate the differences between the novelistic and dramatic renditions of this work;to distinguish the salient characteristics of the various literary modes which emerged in the latter half of the Edo period;and to show, by analyzing the complex pIot of Kanadehon C厩s痂π9%γα,・how thel national /character of the Japanese peoPle was popularly interpreted in the Edo period. A丘nal objective is to clarify「how the novelists of the time, who constituted an inte11ectual elite, and their readers conceptualized and interpreted the tale of the forty・sevenγσ7¢〃¢.
著者
越田 稜 Takashi Koshida
出版者
学習院大学東洋文化研究所
雑誌
調査研究報告 (ISSN:09196536)
巻号頁・発行日
no.34, pp.47-69, 1992-09

この小論のいわば「はじめに」にあたる部分に,以下論述の概要を記しておきたい。 大戦後の日韓政治文化摩擦の一要因として,日韓の教育,とりわけ歴史教育のあり方は比較的大きな位置を占めるものと考えられる。いうまでもなく,政治と教育との関わりは,為政権力層にとっても,また一般市民にとっても,たとえ教育の政治的中立という一種の教育的識見なるものが存在しても,両者の深い関わりは無視することができない。その点の概観を試みつつ,日韓の戦後教育事1青に触れ,相互の特に歴史教育及びその展開過程である歴史教科書問題について点描する。 日韓両国間に横たわる政治文化摩擦の因果関係に,この教科書問題が大きな要因を占めると考えられるので,小論においては,歴史教科書の双方の記述比較と歴史教育の在り方の究明に紙幅が多くさかれることになろう。 さらにこれらを補う意味で,近代日本の対韓イメージの推移を追いながら,日本の近現代史教育に与えた影響を探ってみたい。 そして最後に,日韓の歴史認識の改めの予兆を叙し,日韓近現代史教育の意義性の一端に触れるつもりである。
著者
諏訪 春雄
雑誌
調査研究報告 (ISSN:09196536)
巻号頁・発行日
no.37, pp.22-36, 1992-03-01

上田秋成の名作『雨月物語』「蛇性の婬」の女主人公真名児は蛇の身でありながら、人間の男性に恋し、姿を変え、形を変えて付きまとうが、最後には紀伊国の道成寺の法海和尚の法力によって退治されてしまう。そこには蛇を忌避して、蛇と人間との恋愛など許されるはずもないとする仏教的な畜生観が反映している。このような蛇を忌避する思想はこの作の典拠となった中国明代の白話小説にもはっきりとあらわれており、秋成はその思想に共鳴して、自作に取り入れている。しかし、中国の江南地方には紀元三世紀のころまで呉、越の国が栄えており、ことに越の人々は蛇を祖神としてあがめていた。臼蛇と人間の若者との恋を主題とする白蛇伝や同じく蛇と人間との愛をあっかった蛇郎伝説などは、この越の人々によって生み出され、かれらによって中国全土にひろめられていった。それらの伝承の世界には知識人の手になる白話小説などには見られない蛇に対する崇拝の情がある。この江南の蛇信仰は呉、越の人々の日本移住とともに日本へも伝えられた可能性が強い。縄文から弥生にかけての時代に行われていた蛇巫は現在も江南の地に存在するし、中国の蛇郎伝説は日本の蛇婿入りの昔話となり、「蛇性の婬」に結晶した白蛇伝もかなり早い時期に中国から輸入され、昔話の世界で日本的に変容していたとみることができる。
著者
諏訪 春雄
出版者
学習院大学
雑誌
調査研究報告 (ISSN:09196536)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.22-36, 1992-03

上田秋成の名作『雨月物語』「蛇性の婬」の女主人公真名児は蛇の身でありながら、人間の男性に恋し、姿を変え、形を変えて付きまとうが、最後には紀伊国の道成寺の法海和尚の法力によって退治されてしまう。そこには蛇を忌避して、蛇と人間との恋愛など許されるはずもないとする仏教的な畜生観が反映している。このような蛇を忌避する思想はこの作の典拠となった中国明代の白話小説にもはっきりとあらわれており、秋成はその思想に共鳴して、自作に取り入れている。しかし、中国の江南地方には紀元三世紀のころまで呉、越の国が栄えており、ことに越の人々は蛇を祖神としてあがめていた。臼蛇と人間の若者との恋を主題とする白蛇伝や同じく蛇と人間との愛をあっかった蛇郎伝説などは、この越の人々によって生み出され、かれらによって中国全土にひろめられていった。それらの伝承の世界には知識人の手になる白話小説などには見られない蛇に対する崇拝の情がある。この江南の蛇信仰は呉、越の人々の日本移住とともに日本へも伝えられた可能性が強い。縄文から弥生にかけての時代に行われていた蛇巫は現在も江南の地に存在するし、中国の蛇郎伝説は日本の蛇婿入りの昔話となり、「蛇性の婬」に結晶した白蛇伝もかなり早い時期に中国から輸入され、昔話の世界で日本的に変容していたとみることができる。Manago, the heroine of"Jasei no in"in一塑亘,amasterpiece by Akinari Ueda, loves a human although she is a snake. She changes her appearance, follows the man and is finally exterminated by Houkai, who is a Buddhist priest of Dojoji Temple in Kii Province, The story reflectS the Buddhist idea that snakes should be hated and that love between snakes and humans should not be allowed, The idea that snakes should be hated is found in a novel in colloquial Chinese in the Ming dynasty which is a source of the stoly. Akinari sympathized with the idea and used the story in his novels. However, people in Yueh, which existed in the Chiangnan district in China until the 3rd century, together with the people form Wu, worshiped a snake as their God. Hakujaden(the story of the white snake), the theme of which is love between awhite snake and a human youth, and Jaroudensetsu(the legend of the snake), whose theme is also love between a snake and a human, were created and spread everywhere in China by the Yueh people. In such folk tales, we can find examples of snake worship, which cannot be seen in stories such as the novels in colloquial Chinese created by the intelligentsia. The snake worship in Chiangnan was probably introduced to Japan by Wu and Yueh immigrants. Snake shamanism, which was found from the Jomon Era to the Yayoi Era in Japan, still exists in the Changnan district. Jaroudensetsu in China tumed into Japanese folk tales. Hakujaden, which crystallized into"Jasei no in", was also introduced from China in early times and was turned into Japanese folk tales.上田秋成的名作《雨月物語》"蛇性之淫"中的女主人公眞名見原本是一條蛇,却愛懸上了人間的男性。其不噺地攣化形態,追随自己喜愛的男子,最後地被紀伊國道成寺的法海和尚制伏。此故事反映了佛教忌誰蛇、不允許入蛇相懇的畜生観。這種忌諦蛇的思想在中國明代的白話小説中也明顯地存在着,上田秋成與此思想有着共鳴,因此以明代白話小説爲藍本創作了此作品。但是,公元三世紀之前,中國江南地匪的呉、越爾國十分昌盛,尤其是越人將蛇作爲祖神來崇葬。崇舞蛇的越人1門創作出了以白蛇與年輕男子相慧爲主題的"白蛇傳"以及同様表現蛇與人相愛的"蛇郎"傳説等作品。這些傳説故事又由他椚傳播到了全國各地。在這檬的傳承世界中存在着一種封蛇的崇舞之情。這様的崇#之情,在知識分子創作的白話小説中是看不到的。江南的蛇信仰恨可能随着呉越人的移居日本而傳到日本各地。流行於縄文、彌生時代的蛇巫,今天的江南地[副乃然存在着。中國的"蛇郎"傳説傳到日本而攣成了"蛇婿"的昔話;孕育出"蛇性之淫"的白蛇傳也在相當早的時期從中國傳到了日本。総之,在昔話的世界中可以看到蛇信仰在日本愛化的形態。
著者
吉田 敦彦
出版者
学習院大学
雑誌
調査研究報告 (ISSN:09196536)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.50-70, 1990-03

昔話の中で山姥は、自分の身体からさまざまな財宝などを排泄したり分泌していくらでも出せる、不思議な力をもち、また死ぬと死体からも、財宝や作物などが発生するように、物語られてきた。これは記紀に記された作物起源神話の主人公の神たちが、やはりさまざまな御馳走を、身体からいくらでも排泄したり分泌して出せた上に、死体から作物などが発生したと語られているのと似ている。殺されると死体から作物が生え出る、地母神的豊穣女神は、わが国で縄文時代の中期にはすでに信仰され、その姿を土偶や土器に表現されていた。昔話の中の山姥は、土偶や土器から窺えるこの縄文時代の地母神の性質を1さまざまな面でびっくりするほどよく受け継いでおり、古い女神が民間伝承の中で不気味な妖怪に変化したものと目せる。It is related in Japanese folk tales that the mountain witch has a magical power to excrete or secrete treasure as much as she wants, and that even after death foods and treasures come out from her body. The same power is attributed to the deities of food in the Japanese myths recorded in K()jilei(『古事記』)(the Records of Ancient Matters) and〈Xihonshohi(『日本書紀』)(the Chronicles of Japan). A mothergoddess of fertility (akind of the Mother Earth), from whose dead body foodstuffs grew up, was believed in and represented by clay figurines and earthenwares in the Jomon period (the Japanese neolithic cultural period extending from about 8000 B.C. to about 300 B.C). The mountain witch inherits various characteristics of this Jomon goddess of ferility, and it seems that the goddess was transfigured in folklore into a witch.