著者
池上 貞子
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.A15-A26, 2010-03-15

在台灣‚ 提到50 年代60 年代文學的時候, 有<縱的繼承>和<橫的移植>的說法 °就此‚ 香港的劉以鬯既體現了<縱的繼承> , 又不啻爲<橫的移植> , 他的存在爲新一代文學青年樹立了榜樣‚ 成爲文學青年們景仰的長者 ° 這裡提及的新一代文學青年, 其中亦有也斯 °比較劉以鬯與也斯‚ 前者身爲小說家其作品卻充滿詩意;而也斯身爲詩人其作品卻一欲跳離常識意義上的詩 °也斯敏銳地觀察著劉以鬯的文學世界‚著眼於其作爲詩性的小說家的獨特存在‚ 他發現了劉以鬯屬於另類詩人‚ 而也斯也因此而成爲解讀其詩性的另類讀者 °也斯一邊從劉以鬯那裡吸收現代主義養分‚ 一邊結合60 年代的"實事求是"精神‚ 將香港作爲<鄕土> ‚ 筆下傾注著感情 ° 已經步入中年的也斯‚ 在個人的身份上是如此‚ 於文學家身份上亦然:他似乎擁有某種長者的責任感‚ 欲依靠<重劃(的)地圖>而跨越<邊界> °
著者
池上 貞子
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.36, pp.A1-A12, 2003-03

本論は,2001年度および2002年度跡見学園女子大学特別研究助成金を受けて,倉石あつ子助教授との共同研究「『女性とモノ』についての考察1,2」を行った成果のひとつである。われわれは上海をはじめとする華南地方の都市での資料収集と,そこでの絹に関連した文化施設の見学,および浙江省の農村での養蚕の現況についての調査などを行なった。養蚕に関する研究と農村の現況報告については倉石論文で扱い,本論では主として製品としての絹と中国近現代文学との関連に視点をあてて論じた。絹はその主な製品が衣類であることから,中国の多くの文学作品でも言及されるところであるが,とくに張愛玲(1920-95)の作品のなかでは,それらが技法上の効果を高めるものとして,多用されている。本論ではまず,彼女の代表作である「金鎖記」1944のなかの,絹の諸様相を描写している箇所を拾い上げ,その意味するところを分析する。また張愛玲は衣服にこだわったことでも知られ,小説での言及はもとより,エッセイでも正面から論じている。とりわけ初期の英文エッセイChinese Life and Fashionsと,大枠はそれに取りながら中国語で論じた「更衣記」は,みごとな中国文化史論になっていて,単なる"恋衣"(Clothes fetishism)を超えている。本論では,その背景にある,張愛玲が香港大学時代に影響を受けた可能性のある許地山(1893-1941)の著述や活動についても考察し,この影響関係から開けてくる張愛玲の中国近現代文学史への位置づけの展望についても論じる。
著者
池上 貞子
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.42, no.2, pp.A1-A12, 2009-03-15

台灣女詩人席慕蓉是一位暢銷作家。在台灣和大陸都曾經興起過席慕蓉熱。她的詩很受年輕人歡迎。大槪因爲這個緣故,有些學者認爲她的詩太過於浪漫,不値得硏究。其實,這位既做畫家、教師、散文家,同時又是妻子、母親的女詩人非同尋常。她的祖籍在內蒙古,自認爲是成吉思汗的後代,並引以自豪。她三十年來的寫作生涯可以說是一個嚮往原鄕,追求認同的過程。她怨恨青春不再來,不只是因爲時間不能倒流,更是因爲她當時沒能盛開。 她後來終於回到原鄕,尋到了自己的根。可是她彷彿擁又有了新的感槪和追求。並將這些表現在詩歌裡。筆者有幸飜譯,編輯一部日文版的席慕蓉詩選。期盼著通過分析她的作品,考察她究竟是如何把對原鄕的思念之情融入到自己的作品之中的,從而進一步探索她目前仍在苦苦尋求著的東西。
著者
渡辺 新一 池上 貞子 小林 二男
出版者
中央大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2002

1.中国語に翻訳された日本文学の目録(1919年〜1949年:単行本編)の作成従来の漢訳日本語書籍の目録は主なものでも幾つもあるが、そのいずれも、日本語の原題名を明示せず、ただ原作者と訳者と漢訳名と訳出の時期を記したものがほとんどであった。当研究は、原題名を調査して明示することによって、日本文学のいかなる作品が漢訳されたのかを初めて具体的に提示した。以前のカード化に変わる各種のソフトの発展は目録作成という作業を簡素化させてきてはいるものの、こうした目録の作成は訳本の内容から原文の題名を確定するという膨大な手間を必要とした。そのため、こうした作業につきものとはいえ、調査の行き届かなかったものや思わぬ勘違いなどがあると思われる。またさらに、雑誌類に訳出された日本文学の作品目録も一定程度手をつけており、今後同じく原題名を調査して、今回の成果と併せて近い将来公表したいと考える。2.中国語訳に関する論文研究分担者の各自の問題意識に従って、以下の論文をまとめた。・池上貞子「翻訳の可能性と限界をめぐる一考察-川端康成著・唐月梅訳「古都」を中心に」・小林二男「中国における日本文学受容の一形態-周作人の「日本近三十年小説之発達」と相馬御風の「明治文学講話」「現代日本文学講話」をめぐって」・渡辺新一「<吾輩は猫である>はどう漢訳されているか」これらはいずれも、翻訳という作業が異文化を跨いでおこなわれる刺激にみちた行為であることを共通の前提とした当研究の偽らぬ成果の一部といえ、各自の論文の指し示す方向性と問題意識は今後さらに深めていくことが求められている。
著者
三木 直大 池上 貞子 佐藤 普美子 松浦 恆雄
出版者
広島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

連携研究者と協力して台湾現代詩研究会を組織し、以下のふたつを大きな柱として共同研究をすすめた。(1)台湾現代詩の研究と翻訳紹介については、研究代表者を編集委員として、台湾現代詩人シリーズ 5 冊の翻訳詩集を詳細な解説と詩人年表を付して出版した。(2)台湾から詩人・研究者を招聘し、日本の詩人にも参加を依頼しての研究会を5回開催し、そこでの成果を公表するとともに、今後の台湾現代詩研究の基礎を提供した。