4 0 0 0 OA 安斎叢書

出版者
巻号頁・発行日
vol.25,

4 0 0 0 OA 阿波志

著者
佐野, 山陰
出版者
巻号頁・発行日
vol.[9],

4 0 0 0 OA 阿波志

著者
佐野, 山陰
出版者
巻号頁・発行日
vol.[8],

4 0 0 0 OA 阿波志

著者
佐野, 山陰
出版者
巻号頁・発行日
vol.[6],

4 0 0 0 OA 朝顔図考

著者
四時庵形影
出版者

四時庵形影編、琴鱗画の朝顔図譜。文化14年(1817)正月刊『朝顔叢』(当館請求記号:特1-2377等)2巻の写本。筆彩。外題は表紙に直書きで「朝顔図考 乾(坤)」とあるが、後のもの。上冊、口絵、題言、自序、凡例、目次を備えており、板本の忠実な転写と考えられる。 文化13年(1816)冬の杏花園主人(大田南畝)の序に「丙子秋日都人士、大闘花于浅草大円寺、再闘爾東睿子院、一時喧伝嘖々不已」とあり、当時の江戸では、大坂から転移した、朝顔合で勝負を競う品評会が盛んに行われていた。形影の序に「江都に翫ふもの今凡七百余品、予か見るところのものわつかに一々にうつして五百余種、各/\形葉をことにし艶色を異にす」とあるが、本図譜は、乾冊、坤冊合わせて50丁100図の朝顔図を収める。各絵は、花と葉の形容について、彩色で表現し、詞書きとして、品種の名称と同種の数を書き添え、同種の内の細かい相違については、色合いなどを注記する。(鈴木淳)(2016.2)

4 0 0 0 OA 芥杭 12巻

出版者
巻号頁・発行日
vol.[10],

4 0 0 0 OA あきみち

出版者

書名は書題箋による。室町末期から近世初期頃に成立した御伽草子で、鎌倉近在の武士山口秋道が、強盗金山八郎左衛門によって殺害された父秋広の敵を討つ敵打物語。秋道が、妻を都の遊女に仕立てて敵の金山に接近させ、苦労の末に本懐を遂げるというもの。当館本は、上下2巻(合1冊)の横本で、上巻8図、下巻8図の奈良絵本。屋代弘賢(1758−1841)の「不忍文庫」、徳島藩の「阿波国文庫」の印記がある。室町時代物語大成1ほかに翻刻されている。

4 0 0 0 OA 武蔵志料 15巻

出版者
巻号頁・発行日
vol.[11],
著者
〔伊能忠敬//測量・製作〕
出版者
巻号頁・発行日
vol.第90図 武蔵・下総・相模(武蔵・利根川口・東京・小仏・下総・相模・鶴間村), 1873

4 0 0 0 OA 日本後紀

出版者
巻号頁・発行日
vol.[1], 1764

4 0 0 0 OA 七艸絵巻物

出版者

題箋、内題ともになし。書名は、外箱題「七艸絵巻物」及び内容による仮題。正月七日の七草行事の由来を記した彩色絵巻。室町時代物語絵巻のひとつ。中国の孝子「大しやう」は、親の若返り法として春の七草の羹の作り方を帝釈天より授かる。その教示どおりに作って食べさせると親は若返った。これが天子にも聞こえて出世する、という孝子出世談に併せて、年頭の祝儀ものの性格ももつ。全5図。成立年代、絵師ともに不明。外箱裏書「大須賀氏蔵」、印記「〓軒鑑賞」。大須賀〓軒(1841-1912)は磐城の人で、伊達家狩野派に学び書画をよくした。表紙の「対い鶴菱紋」と「曜紋」は奥州盛岡藩南部氏の家紋。料紙、装丁ともに美麗であり、嫁入り本の可能性も考えられる。日本古典文学大系38ほかに翻刻されている。
出版者

地図上にタイトルはなく、裏面および渋紙製の袋に同じ書き題がある。両国国絵図の集成図で、主要道1里山の記入、海岸の港泊、航海情報など正保国絵図系とみえるが、村形は郡別に色分けされているものの形は小型の円で、村名はその下方に表示されるなど、表現方法は定式とは異なる。渡河地点の注記もほとんどみられない。縮尺は1里6寸(1:21,600)。郡色分け、石高は河内と摂津それぞれ別位置に記載され、河内は色分けと石高のみであるが、摂津は石高、新田高、本村、枝村、小物成(米・銀)を記載する。また、摂津の一部では流路沿いに河川敷が明示され、低地に回らされた堤防も描かれる。