5 0 0 0 OA 華鳥譜

著者
服部雪斎//画
出版者

福山藩医の森立之(医号は養竹、1807-85)が立案し、博物画家服部雪斎が描いた61種の食用鳥類図説で、図は正確。立之自筆の解説には、薬効・能毒・味を記す。「華」の字を分解すれば、6個の「十」と一個の「一」となるので、61種の鳥を描いたと立之は序でいう。実際には65図あるが、チドリ・ニワトリ・ナンキンチャボ・カラスの4種がそれぞれ2図ずつだから、計算すれば 65-4=61 種となる。トキもコウノトリも描かれており、当時は食用にもされていたらしいが、トキは「肉性良からず、能(よく)小瘡を発す」、コウノトリは「味、佳からず」とある。雪斎は維新後も活躍し、明治初期の作らしい『[雪斎写生]草木鳥獣図』(特7-653:草木13図、鳥類25図)や、最晩年の『服部雪斎自筆写生帖』(本別6-5:植物のみ69図)が当館に残る。後者に所収されている「三河島菜花」は明治21年(1888)3月30日の写生で、これ以後の雪斎の写生図は知られていない。(磯野直秀)

5 0 0 0 OA 真写諸品図会

著者
〔歌川広重(1世 1797生)//画〕
出版者

収納の木箱と包紙に「真写諸品図会 初代広重草稿」と墨書、「木下氏正□蔵書之印」の朱印がある。鳥、虫、馬などのスケッチや人物の似顔、戯画などから成る。直接描かれたものと紙を貼りつけた部分とが混じる。

5 0 0 0 OA 在印古文書

出版者

これは書中に押捺印のある文書をあつめて帖としたもの。署名と花押の代わりに印判を用いた武家の印判状を主に収めてある。題簽には「墨痕紅影 日本抄秋題 敬所陳人」とあり、目首は「在印古文書」、冑山文庫の押印がある。松竹梅、唐櫃の縫取に金水引使用の豪華な表紙を用いて帖装に仕立ててある。

5 0 0 0 OA 武器図札

著者
正木輝雄 著
出版者
巻号頁・発行日
vol.[2],

5 0 0 0 OA 日本後紀

出版者
巻号頁・発行日
vol.[3], 1764
著者
土佐長隆
出版者
巻号頁・発行日
vol.[1],

5 0 0 0 OA 松屋筆記

著者
松屋, 久重
出版者
巻号頁・発行日
1727

5 0 0 0 OA 鶯宿雑記

著者
[駒井乗邨] [編]
出版者
巻号頁・発行日
vol.巻49-50,

5 0 0 0 OA 慕帰絵々詞

著者
慈俊 著
出版者
巻号頁・発行日
vol.巻5,

5 0 0 0 OA 〔漱石書簡〕

著者
夏目漱石//〔著〕
出版者

夏目漱石の正岡子規宛葉書3通。収納する木箱の箱書は漱石の女婿の小説家松岡譲(1891-1969)の筆。このころ漱石は東京帝国大学文科大学英文学科、子規は国文学科に在学していた。明治25年6月19日消印の葉書で漱石は、子規に哲学の追試験を受けることを勧めているが、子規はこの時の学年試験に落第し退学した。漱石は26年7月に卒業、大学院に進んだ。また、26年3月31日の葉書で漱石が贈与の礼を述べている『俳諧』は子規主宰の雑誌で、3月24日に第1号を発行したが2号で終わった。なお、子規の俳諧革新運動の端緒となった「獺祭書屋俳話」は25年6月から新聞『日本』に連載され、11月には松山から迎えた母、妹と同居を始めている。
出版者
巻号頁・発行日
vol.巻2, 0000

光明皇后御願経。光明皇后(701-760)が亡き両親、藤原不比等、橘三千代の追福のために発願した一切経で、奥書に「天平十二年五月一日記」の日付けがあることから、「五月一日経」とも呼ばれている。写経生によって書かれた唐風の美しい楷書で、奈良朝写経中の優品とされる。本書には文字を消磨して書き改めた部分や、朱筆で校合、書入した箇所が見られる。料紙は麻紙。表紙、軸は後代の補修。表紙と本文との継ぎ目紙背に「東大寺印」の方形朱印が押捺されている。

5 0 0 0 OA 新修鷹経 3巻

出版者
巻号頁・発行日
vol.[1],

5 0 0 0 OA 仙境異聞

著者
平田篤胤
出版者
巻号頁・発行日
vol.3巻,

4 0 0 0 OA 正宝事録

出版者
巻号頁・発行日
vol.[2],
著者
土佐長隆
出版者
巻号頁・発行日
vol.[2],