著者
倉地 真太郎
出版者
北ヨーロッパ学会
雑誌
北ヨーロッパ研究 (ISSN:18802834)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.1-11, 2018

デンマークは高負担税制を維持する国の一つである。しかし、デンマークは1970年代初頭に反税政党・進歩党による所得税廃止運動を経験した国でもある。1980年代以降、反税政党の勢いは衰えたが、代わりに極右政党・デンマーク国民党が台頭し、2001年11月国政選挙で第三政党まで躍進した。本稿では、極右政党の台頭がデンマーク税制に与えた影響を明らかにするため、2004年税制改革の政治過程を分析した。2004年税制改革は、労働所得税減税だけでなく選別主義的な高齢者手当が導入されたが、これはデンマーク国民党にとって移民高齢者に恩恵が行き渡らないようにすることが狙いであった。
著者
岩﨑 昌子
出版者
北ヨーロッパ学会
雑誌
北ヨーロッパ研究 (ISSN:18802834)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.39-48, 2009

ノルウェーの新右翼政党 「進歩党」 は、1980年代後半から、流入する移民の急増とともに台頭を始めた。従来のノルウェーの移民政策は、移民を「ノルウェー語を話せない」ハンディキャプトと見なし、ネイティブ・ノルウェー人との社会的平等を図るための特別の支援を行うというものであった。進歩党は、これをノルウェー人への逆差別であると批判する。この主張は、多文化化が進行する中で有権者から一定の支持を得るが、既存政党が従来の路線に結集する中で、進歩党は徐々に反移民票を失う。その結果、ノルウェーの移民政策は従来の路線を踏襲することとなった。これは、移民を福祉国家の「社会的連帯」の範疇に含めることに、ネイティブが同意したことを意味すると考えられるだろう。この「社会的連帯」の再構築は、 進歩党が移民問題を政治アリーナに持ち込んだことによって、初めて確固たるものとなったのではないかと考えられる。
著者
小川 有美
出版者
北ヨーロッパ学会
雑誌
北ヨーロッパ研究 (ISSN:18802834)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.1-9, 2015

共に北欧型福祉国家デモクラシーと呼ばれながらも、スウェーデンとデンマークは、移民の包摂や「福祉排外主義」の定着において異なる姿を示す。 その差異は、民主的な福祉国家に至るレジーム形成局面に遡って分析することができる。すなわち、1. 北欧各国ではナショナル・レジーム、民主レジーム、社会レジームの三つが重層的に成り立っているが、各レジームの確立するタイミングとその政治的規定力は異なった。2.スウェーデンの場合、社会を国家が包摂する社会包摂ステイティズムが先に確立し、ナショナル・レジームの問題が大きな影響をもつことはなかった。3. デンマークの場合、ナショナル・レジームの問題が繰り返し政治化し、「小国」としての民主的なナショナル・レジームが確立した。それは国民国家の枠組みを強調するリベラル・ナショナリズム的な性格を有するものとなった。
著者
中丸 禎子
出版者
北ヨーロッパ学会
雑誌
北ヨーロッパ研究 (ISSN:18802834)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.51-60, 2009

現在の日本において、北欧には「理想的・牧歌的な福祉国家」、ラーゲルレーヴには、そのイメージに合致する「母性的な平和主義者」というステレオタイプ・イメージがある。<改行>本論文では、このようなイメージの起源を明らかにすることを目的に、ラーゲルレーヴの邦訳作品の傾向・翻訳者の関心のあり方と日本史・日本文学史上の立場を関係付けながら、明治から戦後までの日本における北欧文学の受容史を概説する。<改行>まず、1905年にラーゲルレーヴを日本で初めて翻訳した小山内薫と、1908年に訳した森鷗外の当時の接点として、新劇運動に着目する。同運動においては、日本の近代化・西欧化の一環として、イプセンなどの北欧演劇が最新のヨーロッパ演劇として紹介された。<改行>第二に、1920年前後に児童文学作品が翻訳されていることと、その訳者の多くが〈青鞜〉と関わっていたことから、大正期の女性解放運動・児童教育運動に着目する。ここには、平塚らいてうが理論的なよりどころとした、スウェーデンの女性解放運動家・教育学者のエレン・ケイの影響を見て取ることができる。<改行>第三に、「キリスト教文学」として訳された作品が多いことに着目する。ラーゲルレーヴを複数冊訳した人物には、無教会グループのメンバーをはじめとするキリスト教徒が多い。この背景には、内村鑑三のデンマーク受容があることが推察される。彼らは反戦運動の中で、ラーゲルレーヴを平和主義者として理想化した。<改行>最後に、日本において初めて包括的・体系的に北欧文学を受容した山室静に着目する。山室は、戦前にマルクス主義運動に身を投じたが転向し、戦後、雑誌〈近代文学〉を創刊した。山室は西欧や日本の「近代」を疑問視する立場から、近代北欧文学を受容したが、その際に、ラーゲルレーヴを「近代的」ではないと捉え、「牧歌的な児童文学作家」へと局限した。<改行>これらの例からは、北欧が、最初は「欧米」の一部でありすぐれた近代化モデルとして、次いで、受容者たちが抱いた日本の近代化のあり方への疑問から、西欧やアメリカとは別の近代化モデルとして受容され、理想化されたこと、そのことが現在の理想化・牧歌化の一因であったことがうかがえる。
著者
長谷川 紀子
出版者
北ヨーロッパ学会
雑誌
北ヨーロッパ研究
巻号頁・発行日
vol.12, pp.67-76, 2016

ノルウェー、ヌーラン県ハットフェルダル・コムーネ(kommune)に、少数先住民族サーメ児童・生徒のための基礎学校がある。1951年、国立の寄宿制サーメ学校として創立され、特に1980年以降、南サーメ言語・文化教育をノルウェーの普通教育に取り組んだ独自の教育を展開してきた。しかし、2000年以降、徐々に児童・生徒数が減少し、現在は通年の学校として機能していない。本稿の目的は、スウェーデンにあるサーメ学校と比較の観点から、学校の教育的特徴を分析し、児童・生徒数減少の要因と実情について明らかにすることである。学校は、現在、短期セミナーや遠隔教育を駆使して南サーメ言語・文化を伝承する役割を果たしている。しかし、通年で 通う児童・生徒を確保できないがために新たな課題に直面している。この学校は、今後どのような教育機関として位置づけられていくのだろうか。