著者
田原 範子
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.62, pp.397-425, 2016

ハンセン病は、日本社会において、それを病む人びとが、長らく隔離政策のなかで生きてこざるをえなかったことは広く知られている。もともと感染力が弱く、1940年代の特効薬プロミンの発見で治療可能な病気となったにもかかわらず、世界の動向に反して、日本では漫然と隔離政策が続けられた。こうした社会背景のなかで、ハンセン病は、「差別・隔離・偏見」などという言葉で語られることが多い。 現在、国立ハンセン病療養所は13施設あり、総入所者数は1,840人、平均年齢は83.6歳である(2014年)。日本政府の隔離政策の問題、ハンセン病施設の問題、入所者のライフヒストリー、高齢化する入所者の問題など、さまざまなアプローチにより研究が蓄積されている。各療養所でも入所者自身によって機関誌が発行され、文芸活動なども活発に行われてきた。また2015年は隔離施設の世界遺産化をめざす動き、2016年には家族による訴訟が報道され、現在もなお、その歴史をいかに生きるのかが、社会的にも個人的にも問われ続けている。 本稿の目的は、現代社会におけるハンセン病についてのメディア報道の動向をとおして、ハンセン病にかかわる現在の状況を明確にすることである。四天王寺大学付属図書館を通して検索できる新聞記事データベース「聞蔵Ⅱビジュアル」により2015年度におけるハンセン病にかかわる新聞報道279件の記事により、新聞記事の内容分析を行う。第1 節で各月ごとに、第2 節でトピックごとに紹介しよう。
著者
坂田 達紀
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要
巻号頁・発行日
no.68, pp.7-29, 2019-09-25

" 村上春樹の「とんがり焼の盛衰」は、伊勢丹デパート主催のサークル雑誌に1983 年に発表された、3600 字程度の分量の短編小説である。その後、単行本3 冊、文庫本1 冊、全集のうちの1 冊(いずれも短編集)に収載され、現在では高等学校国語教科書にも採録されている。 この作品もまた、他の多くの村上の短編作品と同様、字面を追って書かれていることそれ自体(たとえばストーリーなど)を理解することは容易いが、結局のところ作品全体として何を言わんとしているのか(たとえばテーマなど)を把捉することの困難な作品である。言い換えれば、ただ単に表面ないし表層を読むのみならず、内側ないし深層までをも読むことが求められる作品なのである。 本稿では、まず、作品「とんがり焼の盛衰」がどのように読めるのか、いわば読みの可能性を、本作品から読み取れる寓アレゴリー意に着目しながら考察した。ついで、本作品の文体的特徴を分析し、最後に、いわゆる村上文学全体の中での本作品の位置付けを論じた。 明らかになったことは、まず、読みの可能性としては、様々な寓意が読み取れることはもとより、その奥に、現代の人間社会に対する作者・村上春樹の批評精神が読み取れる、ということである。この批評精神のゆえに、この作品の価値は高まるのではないか、ということも指摘した。ついで、本作品からは、次のような四つの文体的特徴が析出された。 ⑴ 非現実を現実化する仕掛け(「炭取が廻る」仕掛け)が仕組まれている ⑵ 様々な意味(寓意)が読み取れるアレゴーリッシュな文体である ⑶ ユーモアの要素が見られる ⑷ 遊離したシニフィアンが秩序をもたらす文体である これらのうち、⑷の特徴は、この作品を特異なものにする重要な文体的特徴であった。最後に、作品「とんがり焼の盛衰」は、村上が「デタッチメント(かかわりのなさ)」を大事にしていた時期に書かれた、「デタッチメント(かかわりのなさ)」の考え方を色濃く反映した作品として、村上文学全体の中に位置付けられることを指摘した。併せて、本作品中の「とんがり鴉」は、後に書かれた長編小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』( 1985 年)に登場する「やみくろ」の原型と考えられる可能性についても言及した。 本稿のこれらの考察・分析の結果は、本作品を国語教材として用いる際にも参考になるのではなかろうか。"
著者
天野 了一
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.65, pp.261-270, 2018-03-01

高齢化社会の到来と、若年・生産年齢人口の都市集中が進む中、地方都市や近郊都市において、商店街や街の衰退が課題となっている。その活性化のためには、従来の商工団体、行政、住民に加えて、起業家・中小企業経営者としての多様な経験と感覚をもった、外部からの地域起業家の役割が注目される。本論では、様々な多彩な経歴と波乱万丈の人生を経て、地域のコンテンツを広く発信することに取り組む、株式会社ON THE ROAD(オン・ザ・ロード)取締役の宮脇繁(みやわきしげる)氏の起業家史について紹介し、そこから地域活性化の今後の課題や起業家の役割、方向性のあり方について考察を行うものである。
著者
坂田 達紀
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.66, pp.7-27, 2018-09-25

村上春樹の「沈黙」は、『村上春樹全作品1979 ~ 1989 ⑤ 短篇集Ⅱ』(講談社、1991 年)のために書き下ろされた短編小説である。この小説について、作者の村上は、「僕の作品系列の中では、かなり特殊な色合いのもの」、「とにかくストレートな話」、「もともとはとても個人的な意味合いを持った作品」などと述べている。さらに、「僕としては作品集の中に「こっそりと忍び込ませた」という感じの作品だった。」とも述べている。しかし、この小説は、その後何度も単行本(短編集)に収録されたり、この小説一作品だけで単行本化されたり、高等学校国語教科書にまで収載されたりしている。あるいはまた、「大幅に手を入れた」りもされている。つまり、村上は、書いた当初はそれほどでもなかったが、後になって、この小説を重要な作品と見なすようになったものと考えられる。 本稿では、以上のことを念頭に置きながら、作品「沈黙」の文体的特徴を析出するとともに、どのような読み方ができるのか、いわば読みの可能性を探ることを試みた。加えて、デビュー以来の村上作品の中で(村上の言葉で言えば、彼の「作品系列」の中で)、この作品がどのように位置付けられるのかを考察した。その目的は、この作品の持つ特殊性を明らかにすることである。 析出された文体的特徴は、聞き書きという形式を利用したリアリズムの文体ということと、純粋な三人称小説でもなければ一人称小説でもない、三人称と一人称とがいわば混在した文体ということである。いずれの特徴も、この作品の持つ特殊性を示すものと考えられる。また、読みの可能性としては、作品に描かれた二つの「沈黙」(高校時代の「大沢さん」が学校で強いられた「沈黙」と、現在の「大沢さん」が真夜中に見る夢の中の「沈黙」)を截然と区別して読むことの重要性を指摘したうえで、「沈黙」と「深み」との関連性を読み取るべきこと、および、システムの「悪」に対する村上の批判が読み取れることを述べた。さらにまた、本来自分の内側にある恐怖を描くことの多い村上が、「沈黙」という外側の恐怖を描いているという意味では特殊な作品だが、この作品の(作者自身による)扱いには、村上のデタッチメントからコミットメントへという考えの変化が読み取れることから、きわめて重要な作品として村上文学の中に位置付けられることを指摘した。最後に、タイトルは「沈黙」であるが、「沈黙」するのではなくそれを破らなければならないとする村上の姿勢が読み取れるという意味で、逆パラドキシカル説的な作品とも言えることを付言した。 本稿で得られた分析・考察の結果は、この作品をより深く読む際にはもちろんのこと、国語教材として用いる際にも役立つものと考えられる。
著者
濵名 元之
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学大学院研究論集 (ISSN:18836364)
巻号頁・発行日
no.14, pp.56-76, 2020-03-20

本稿では障害者に対する就労支援の観点から、特別支援学校高等部における進路指導実践に着目した。現在、発達障害を主とした障害の多様化が、知的障害を対象とする特別支援学校に対する教育的支援を中心としたニーズの多様化と深く結びついている。そこで、筆者はニーズの多様化が高等部生徒に対する現在の進路指導にどのような影響を及ぼしているのか、現状を把握するため、特別支援学校高等部の進路指導と特別支援教育に関する調査を実施した。生徒の「在学中」と「卒業後」の進路指導・支援を担う特別支援学校高等部の進路指導は、教育と福祉、就労支援という複数の要素が混在していることが把握できた。また、進路指導において中心的担い手となる者は「進路指導教諭」であった。この研究の調査内容と関連する文献を確認しつつ、特別支援学校高等部における進路指導は、在籍する生徒に対してこれまでいかなる役割を果たしてきており、今後、進路指導においていかなる専門性が期待されるのか、課題を探り検討と分析を行った。 なお、本稿は平成30 年度四天王寺大学大学院に提出した修士論文の一部を再編集し、大幅に加筆修正したものである。
著者
隅田 孝
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要
巻号頁・発行日
no.64, pp.179-194, 2017-09-25

本稿では、少子高齢化の影響を受けた子供市場において、近年いわゆる豪華一点主義といわれる現象がみられ、そのような子供市場についてマーケティング論的分析を行った。豪華一点主義といった社会的背景を受け、近年関心の高まりをみせ注目を集めている子供や若者といった若年層をターゲットにしたマーケティングのあり方を、食品産業、とりわけ玩具菓子及び外食産業を例にあげて分析を行った。 玩具菓子市場では大人と子供のボーダーレス化現象がみられ、大ヒット商品を誕生させた要因の1 つであると考えられる。従来、大人が好んで購入する商品とみなされていたモノが子供の嗜好を刺激するモノであるといったように潜在的なニーズの発掘に成功した。その逆の成功事例も数多く存在する。たとえば、子供の玩具から大人のコレクションへというように、玩具菓子が市場で新たな価値を帯びていくプロセスをチョコエッグやプロ野球カードを事例に、そのメカニズムを明らかにした。また、今後の食品産業における子供市場のあり方として、子供というカテゴリーにとらわれることなく、子供と大人が共有できる価値をもつ製品の開発が求められることを述べた。
著者
土谷 幸久
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.48, pp.35-56, 2009
著者
加藤 彰彦
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.64, pp.101-131, 2017

アンドレ・ブルトンは最後のシュルレアリスム宣言として捉えられる『吃水部におけるシュルレアリスム宣言』の結論部分において、シュルレアリスムとグノーシス主義の目指すところが一致していることを指摘している。確かにシュルレアリスムの神秘主義的なところもブルトンのテキストから明らかに指摘されるのであるが、シュルレアリスムとグノーシス主義が大きく分かれるところは、前者が現世において特に愛によって幸せを獲得しようとしているのに対して、後者は物質的世界=肉体的世界を悪の世界として否定していることにある。またブルトンは階層秩序的二項対立を否定するのに対して、グノーシス主義は肉体と精神のプラトン的二項対立をその根本に据えているのである。しかしながらブルトンの目指す超現実とは実体を欠いた記号空間にすぎないこと、またブルトンが求めるシュルレアリスム的精神の一点とは、まさにグノーシス主義における救済の如く、身体内で見出す真の知であることから、シュルレアリスムとグノーシス主義は同じ方向を目指していると理解されるのである。
著者
メイスン 紅子
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要
巻号頁・発行日
no.63, pp.469-475, 2017-03-25

Case histories are real science, as long as we do enough of them and pay attention to crucialcharacteristics of our subjects' experiences. The case studies presented here provide confirmation of centralhypotheses in language acquisition and have interesting practical implications. Eight subjects, formerstudents of the first author, reported the self-selected reading they did on their own time: the mean gainwas .6 of a point per hour of reading on the TOEIC, with very little variation among subjects, even thoughthey read different things.
著者
土取 俊輝
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.68, pp.353-367, 2019-09-25

本稿は北海道大学文学部人骨事件を事例とし、先住民をはじめとする遺骨返還問題で何が問題とされているのかについて論じるものである。北海道大学文学部人骨事件とは、1995 年に北海道大学文学部の古河講堂内の一室から、人間の頭骨6 体が入ったダンボール箱が発見された事件である。発見された遺骨のうち返還されたものは、韓国東学党のものとされる頭骨1 体と、北方先住民のウィルタのものとされる頭骨3 体である。あとの2 体は返還先を探す事が出来ず、現在は寺院に仮安置されている。これらの人骨が北海道大学に保管されていた背景には、北海道大学が植民地主義やダーウィニズムに基づいた北方先住民の人骨の収集、研究の拠点でったことが関係している。 北海道大学文学部人骨事件を事例として遺骨返還問題を見てみると、研究機関と植民地主義との密接な関係が浮き彫りとなった。また、その植民地主義の負の遺産であるところの遺骨問題に対して、研究機関が真剣に向き合って対応していないことも、先住民の側から問題として焦点化されている。人権意識の高まった現代において、研究機関や我々研究者は、学術研究と植民地主義との関係という過去に向き合った上で、遺骨返還問題に対して取り組んでいくことが求められている。