2 0 0 0 IR 複合語短縮

著者
日比谷 潤子 Junko HIBIYA 慶應義塾大学国際センター助教授 Associate Professor International Center Keio University
出版者
国際交流基金日本語国際センタ-
雑誌
世界の日本語教育 (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
no.8, pp.47-65, 1998

日本語教育の上級では、いわゆる生教材を使った授業がよく行なわれる.そこで頻繁に取り上げられる新聞などをみると、複合語短縮の事例が多数みられる.この複合語短縮というのは、語形成過程の一つで、単独に現れうる語を二つ並列して複合語をつくった後に、それを短縮するものである.短縮された語形の中には一過的なものも多く、辞書などにまとまって載ることはあまりない.本研究では、まずこの現象に関する先行研究、イミダス'95、大学生を対象とした調査、個人的な収集の四つの手法を組み合わせて、複合語短縮の事例を365語集めた.それをもとにして、この過程のメカニズムを検討したところ、「2モーラ+2モーラ→4モーラ」というパタンがもっとも生産的であることが、はっきりした.これで説明できない事例は365語の約20%にあたるが、この例外をタイプ別 に分類した.
著者
青山 友子 Tomoko AOYAMA クイーンズランド大学 アジア言語・研究学科 Department of Asian Languages and Studies The University of Queensland
出版者
国際交流基金日本語国際センタ-
雑誌
世界の日本語教育 (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
no.7, pp.1-15, 1997
被引用文献数
1

パロディには、1)原典、2)模倣(敬愛)、3)作り変え(批評性)が不可欠である。また、多くの場合、4)滑稽味を伴う。その語源「パラ」には、対立と親密性の両義が含まれている。本稿はこうしたパロディの特徴、とりわけその二重性と批評性、カーニヴァル的な再生予祝機能に注目し、それを利用した日本語教授法を考察する。 四技能習得の手段としてパロディを用いる場合、とくに読み・書きでは、能動的・開放的な作業を促すことができる。それとともに、文学離れの現状や日本に対する固定観念に対処するためにも、パロディ使用は有効である。その場合、従来文学テキストを扱うときにありがちだった大作家や名作、日本らしさ志向、小説偏重に捕われずに、翻訳や読解以外の方法を積極的に取り入れたい。 例として、筒井康隆による『サラダ記念日』のヤクザ版パロディ、「カラダ記念日」と、井上ひさしの『吉里吉里人』の一節を使う授業を取り上げる。前者では、短歌や文語文法についての予備知識もない学生に、比較的短時間で本歌とパロディを比べさせ、自作のパロディ短歌を作らせるところまで持っていく。後者では、『坊っちゃん』他名作の冒頭の吉里吉里語訳と日本語の原文、すなわちパロディの原典とを比べ読むことによって、学習者は、日本人なら誰でも知っている(はずの)名文に触れるとともに、パロディ特有のカーニヴァル的転倒を体験することができる。 限られた授業時間では、長大な文を扱うことはできない。しかし、その場限りの断片ではなく、過去や未来とつながるものをめざしたい。それには、パロディが大いに役立つと考える。The aim of this article is to explore various possibilities of using parody for Japanese-language teaching. Parody requires: 1) a prior text, 2) imitation, and 3) transformation. While 2) is often associated with respect for 1), 3) is closely connected with the subversive and carnivalesque nature of parody. Parody pre-serves its object at the same time as it revolts against it. This structural and attitudinal ambivalence can also be explained etymologically: "para" means both "counter/against" and "beside/near." Given this double-sidedness, parody can be used as an effective tool in second-language teaching, reducing fear and encouraging active participation of the learner. Use of parody in language classes can also contribute to alleviating the general tendency away from literature and the stereotype preconceptions regarding Japan. Yet this is by no means an attempt to revive the traditional reading/translation of literary texts in language class. Texts should be selected not on the basis of their canonicity or "Japaneseness," but for their regenerative and critical merit. Genres other than fiction should also be taken into consideration. Two examples of using parodic texts for a late intermediate (or early advanced) Japanese course are presented. First, Tsutsui Yasutaka's "Karada Kinenbi," which parodies Tawara Machi's Salad Anniversary. In a relatively short period of time, students with no prior knowledge acquire a basic understanding of tanka, literary/poetic style, and parody to the extent that they can appreciate Tsutsui's text and create their own parodies of Salad Anniversary. The second example involves a short excerpt from Inoue Hisashi's Kirikirijin. Celebrated texts by Soseki, Kawabata, and others are "translated" into the Kirikiri language. These "translations" accompanied by the protagonist's comments provide the students with an entertaining and dialogic introduction to the modern Japanese literary canon.
著者
高 偉建 長坂 水晶 Wei-jian GAO Miaki NAGASAKA
出版者
国際交流基金日本語国際センタ-
雑誌
日本語国際センタ-紀要 (ISSN:09172939)
巻号頁・発行日
no.10, pp.51-67, 2000

タイ中等学校日本語教師研修では、アシスタントを導入したプロジェクトワークを取り入れてきた。一般 にプロジェクトワークは運用力の安定し始めた中級以上の学習者に効果的であるとされるが、プロジェクトの一つ「食生活:タイ料理」に関するアンケート結果 から、初級から中級前半の段階にある学習者を対象にした場合でも、学習者は自由に楽しく話せると感じ、プロジェクトワークを日本語の実際使用場面 を獲得する機会として評価していることが分かった。ただし、必ずしも発話量 が普段の教室での授業より増えるという自覚を持つわけではなく、プロジェクトワークは日本語運用力以外の個人の様々な能力を発揮できる異文化接触の機会として評価されたと見ることができる。 また、多くの学習者がプロジェクトワークを自分の授業にも取り入れたいと感じており、教授活動への参考になっていることがわかった。更に、学習者のアシスタントに対する期待が多様であるという結果 も得られた。
著者
椙本 総子 Fusako SUGIMOTO 大阪外国語大学大学院言語社会研究科 Graduate School of Integrated Studies in Language and Society OsakaUniversity of Foreign Studies
出版者
国際交流基金日本語国際センタ-
雑誌
世界の日本語教育 (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
no.10, pp.221-239, 2000

本稿の目的は、組織の中で上下関係のある会話者と対等な立場の会話者の会話を比較し、どのような会話の連鎖構造や言語形式で会話を行なうことが会話者の上下・対等関係を示すことに関わるのかを解明することである。本稿では、特に課題解決を導き出すことを目的とする会話を分析の対象にした。 分析から、課題解決の会話の連鎖構造には、指示タイプの命令型と指示仰ぎ型、提案タイプの強制型と自発型の四種があることが明らかになった。さらに、自発型には提案提供要求、提案提供、提案の判定要求、提案の協働作成の四つの方法が観察された。 命令型と強制型が多く、連鎖構造の中で誰がどの位置でどの発話を行なうかが固定したタイプの会話は、上下関係が明確に実践さている会話である。同様に、提案が自由に行える自発型が多くても提案発話を行なう会話者が固定されていたり、提案の決定に関する力をもつ会話者ともたない会話者がわかれている場合も上下関係が実践されている会話だといえる。それに対して、対等関係が実践されている会話はデータでは、自発型の提案の判定要求や協働作成の方法が頻繁に見られた。そこでは、一人の会話者による明示的な提案の提示が避けられ、皆で提案が作り上げられており、それによって会話者は対等な関係であることを示しているのである。これまで、人間関係に応じた会話の方法は、待遇に関わりのある文末表現や語彙の選択によって特徴づけられると論じられてきたが、どのような会話の流れで会話を行なうかも重要であることを本稿では明らかにした。
著者
杉村 泰 Yasushi SUGIMURA 北京第二外国語学院日本語学部外国人講師 Foreign Expert The Japanese Department Beijing Second Foreign Language Institute
出版者
国際交流基金日本語国際センタ-
雑誌
世界の日本語教育 (ISSN:09172920)
巻号頁・発行日
no.7, pp.233-249, 1997

本稿は「モダリティ」の観点から日本語副詞「キット」と「カナラズ」の意味分析を試みたものである。従来、「キット」と「カナラズ」は「陳述副詞」あるいは「話し手の主観的態度を表わす副詞」として位 置付けられ、その「蓋然性」の違いや「推量的機能」「習慣的機能」について諭じられてきたが、その違いはいまだ明確にはされていない。これに対して、本稿では少し角度を変えて考察し、2語とも蓋然性に関わるが、その呼応する成分のモダリティ階層が異なることを主張する。すなわち、「キット」は話し手の判断と関わり、「カナラズ」は命題内容と関わると考えるのである。そして、この呼応する成分のモダリティ的な階層の違いが、二次的に2語のさまざまな意味的な差となって現われていることを明らかにする。また、こういった現象が「キット」と「カナラズ」との間においてだけではなく、「タブン」と「タイテイ」との間にも並行してみられるものであることを指摘する。