著者
安達 太郎
出版者
広島女子大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
1998

本研究は日本語の行為要求表現について、小説などの書記資料だけでなく、録画資料を活用することによって終助詞の有無や音声にまで注意を向けた詳細な機能分析を行うことを目的とするものである。研究期間中、命令・依頼のモダリティと意志のモダリティについての分析を行い、後者は論文として公刊した。意志のモダリティの主要な形式はシヨウ(動詞の意志形)とスル(動詞の基本形)である。シヨウは基本的には聞き手への伝達を意図しない典型的な意志を表し、独話で発話される。一方、スルはその行為の実行を聞き手に表明することを意図する点で典型的な意志ではない。シヨウは聞き手とのさまざまな関係(恩恵の直接的、間接的な付与)によって対話においても使われるように機能の拡張が起こる。特に、ケンカをしている二人にむけて発話される「ケンカもうやめようよ」のような行為の提案の機能を持つ文は興味深い。通常の意志の文では終助詞ヨを文末に付加することはできない。(「明日は早いから、寝ようよ」は意志の文とは解釈できない)が、このタイプでは可能になる。音調的にもこの行為の提案のシヨウは急激な上昇が起きてから下降する点で、勧誘の文に近い。これらから、純粋な意志の表出の形式であるシヨウが、話し手の行為に聞き手の参加を求める勧誘の文に連続していく様相を把握することができた。なお、この研究よって構築されたデータベースを用いて、疑問文の反語解釈、感嘆文などの行為要求以外のモダリティ表現の分析にも着手しており、成果の一部は拙著『日本語疑問文における判断の諸相』(くろしお出版)にも含まれている。
著者
今石 元久 吉田 則夫 佐藤 亮一 桐谷 滋 江川 清 井上 史雄
出版者
広島女子大学
雑誌
総合研究(B)
巻号頁・発行日
1993

交付金により、研究会合を重ねるとともに、平成5年10月22日(金)10時〜15時10分広島市中区中電大ホールにて「新しい日本語社会」「日本語習得の基盤を考える」と題して公開講演とシンポジウムを開催した。全国から多数の参会者があって、盛会に行われた。シンポジウムではメンバーの江川清・土岐哲・佐藤亮一・吉田則夫・真田信治の各氏とNHKの西橋アナウンサーに登壇いただいた。「日本語の習得と話言葉」のテーマの下、それぞれの立場からの提言と討議が行われた。午後から演題「日本語習得の基盤と社会言語学」井上史雄、演題「日本語の習得基盤と音声言語情報処理」桐谷滋各氏の講演があった。その成果を受けて、研究課題「国際化する日本語社会における音声言語の実態とその教育に関する総合的研究」により平成6年度総合研究(A)の申請をした。その内容はつぎの通りである。(1)国際化の進行している日本語社会における音声言語の実態を把握し、有効な教育方策を提案すること。(2)言語理論並びに高度情報処理技術等により、日本語社会における音声言語の教育に効果的な科学的方法を導入すること。この研究目的を、次の6事項に絞って期間内に達成する。A【.encircled1.】日本語社会における音声言語の多様性と標準、【.encircled2.】日本語社会における談話行動の習得過程、B【.encircled1.】日本語教育における学習活動が音声言語の習得に及ぼす効果、【.encircled2.】日本語社会における帰国子女・外国人子弟等の音声言語の習得、C【.encircled1.】日本語社会における音声言語の習得支援システムの開発、【.encircled2.】日本語社会における音声言語の教育用データーベース今年度の成果として、公開シンポジウムと公開講演を冊子にまとめ、研究機関や日本語教育関係機関等に配布した。
著者
石川 一
出版者
広島女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1999

本研究の目的は、慈円の法楽歌群(諸社法楽百首歌八種及び日吉社法楽『慈鎮和尚自歌合』)を調査・収集した上で、和歌内容の分析・検討することにある。調査対象となる当該伝本は相当数存在しているが、その本文は多分に錯綜しており、極めて複雑な様相を呈している。また、諸社法楽百首歌の中には同時代歌人の競作が確認されるものがあるので広角的・多面的視野からの精密な考察が要求されるところである。平成11年度から四年に亘る調査・収集は全国の当該伝本の紙焼写真・マイクロフィルムが収蔵されている国文学研究資料館を中心に段階的に行い、概ね順調であったと言える。ただし、撮影・紙焼写真頒布などが許可されなかった伝本については費やした労力に見合うだけの成果が得られたかどうか判断に苦しむところである。今後、それらを反省材料として検討を重ね、次の分析段階へと進めてゆきたい。なお、一連の校合作業の基準となる青蓮院本本文については、先年の科学研究費「『拾玉集』の諸本分析による本文整定」(一般研究C、課題番号・05610359)によって整定作業が完了しているので、その基盤の下で百首内容の解析がある程度可能であったことは特筆しておきたい。さらに平成十年度文部省科学研究費補助金(研究成果公開促進費)によって刊行され、『拾玉集本文整定稿』(勉誠出版・平11)は学界に寄与している。本研究成果の一部として提出した小論「『慈鎮和尚自歌合』再考」は、科研費導入によって得られた新たな調査報告・見解と共に、前稿以降十年間の研究動向を併せて論述したもので、本学部紀要に掲載することができた。参考資料として、前稿「雙厳院蔵『日吉七社歌合』翻刻」(広島女子大学文学部紀要25号・平2)・同「校本『慈鎮和尚自歌合』」(同紀要23号・昭63)を合冊し、報告書とする。
著者
今永 清二 ウンガムニサイ ノム ウオルカウイン カウイ コンチャナ プラップルン ファルーク オマール WORRAKAWIN Kawee KONGCANA Plubplung コンチャナ ブラップルン ノム ウンガムニサイ カウイ ウオルカウイン ブラップルン コンチャナ アルン チャウジェン ブラッブルン コンチャナ 利光 正文
出版者
広島女子大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1995

東北タイとラオスのイスラム共同体の成立時期は約100年前と推定され、主としてパキスタン人、インド人ムスリムの移住により成立したものである。この地域のムスリムは商業、牛の飼育、牛肉販売に従事している。なお、東北タイとラオスには各1ヵ所のチャム人のイスラム共同体があり、これはカンボジアから移住してきたチャム人の共同体である。以上のムスリムはスンナ派であるが、ラオスのインド人イスラム共同体の場合は、カ-ディリ-教団のス-フィズムの名残りを色濃くとどめていて、注目される。カンボジアのイスラム共同体の殆どはチャム人の共同体である。現在のベトナム中・南部にチャンバ王国を建てたチャム人は、北の強国ベトナムの侵略を受け、15世紀後半、17世紀末、19世紀初の3期を画してカンボジアに移住してきた。今日、チャム人ムスリムはカンボジア政府の民族政策によって「クメール・イスラム」と総称されているが、実際にはジャフド、チャム、チャム・ジュバの3類型に分類することができる。ジャフドとチャムは、チャム語を母語とするムスリムであるが、チャム・ジュバは、14、5世紀頃カンボジアに移住していたジャワ人やマレー人とチャム人とが混血し、文化的にも同化していって形成されたムスリムである。彼らはクメール語を日常語とし、またマレー語やマレー文化に親近感をもつムスリムである。これらチャム人ムスリムは、メコン川やトンレサップ湖の漁業に従事している。コンポン・チュナンやシェムリアップにおいては、川の中のモスクや浮船のスラウを中心に水上生活を営むチャム人ムスリムの調査を行い、イスラムの地域的特色と多様性を明らかにすることができた。