著者
澤田 次郎
出版者
拓殖大学人文科学研究所
雑誌
拓殖大学論集. 人文・自然・人間科学研究 = The journal of humanities and sciences (ISSN:13446622)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.1-24, 2019-03-15

本稿は前号掲載分と合わせて一八九〇年代から一九一〇年代を中心に、チベットをめぐる日本の諜報工作活動の実態を検証するものである。前回明らかにしたのは、①一八九七年から一九〇二年にかけて外務省、参謀本部のチベット関与は初歩的段階にあり、それを反映して成田安輝の活動は質量ともにレベルの高いものであったとは言い難かったが、②この点は一九〇六年から〇八年において参謀本部の福島安正の支援を受けた寺本婉雅によって飛躍的に改善、克服されたという点である。今回は③として、一九一三年から一六年にかけてラサに滞在し、ダライ・ラマ十三世の顧問をつとめた青木の情報収集は、それ以前に寺本が地ならしを行っていただけにやはり質の高いものとなったこと、ただしダライ・ラマの依頼を受けてイギリスまたは日本から機関銃の購入をめざすという青木の協力工作は日本を警戒するイギリス外務省、インド政庁の反対にあって成功しなかったことを明らかにした。
著者
阿久津 智
出版者
拓殖大学人文科学研究所
雑誌
拓殖大学論集. 人文・自然・人間科学研究 = The journal of humanities and sciences (ISSN:13446622)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.48-67, 2018-11-10

本稿では,古典文学の音読と文法(文構造)との関係について論じた。文構造は,プロソディー(イントネーションなど)に,ある程度反映される。隣り合う2つの文節が関係する(前の文節が後ろの文節に係る)ときには,イントネーションによって,1つの句(音調句)にまとまりやすい。文構造の違いは,意味の違いになり,それが読み方の違いに現れる場合もある。たとえば,『枕草子』の「春はあけぼの」において,「やうやう白くなりゆく」と「山ぎは」とを区切って(別の音調句として)読めば,別々の文となり(「やうやう白くなりゆく」のは「山ぎは」ではない),つなげて(1つの音調句として)読めば,連体修飾となる(「やうやう白くなりゆく」のは「山ぎは」である)。文構造(意味)の違いは,必ずしも音読で表せるわけではないが,それでも,音読の仕方を考えることが,その文の構造や意味を考えることにつながると思われる。
著者
小野寺 美智子
出版者
拓殖大学人文科学研究所
雑誌
拓殖大学論集. 人文・自然・人間科学研究 = The journal of humanities and sciences (ISSN:13446622)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.16-31, 2018-03-25

本論では,空間を指示対象とする言語表現が時間を指示対象として用いられる概念メタファーにおいてLakoff & JohsonとMooreの分類では説明しきれない事例を取り上げ,Langackerの主体性という観点から分析することの有効性を論じた。特に日本語の時間メタファーである「まえ(前)」と「さき(先)」の用法をもとにMooreの議論を検証した。その結果,主体性の観点から日本語の時間メタファーの特性を説明することの意義が示唆された。
著者
渡辺 勉
出版者
拓殖大学人文科学研究所
雑誌
拓殖大学論集. 人文・自然・人間科学研究 = The journal of humanities and sciences (ISSN:13446622)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.43-59, 2018-03-25

The so-called “five sentence patterns” have been widely used in the teaching of English at junior and senior high schools in Japan. The wide-spread use can be attributed to Hosoe’s(1952)grammar book which owes the large part of its description to Onions(1904). This study has investigated how “five sentence patterns” are described in the educational publications: four self-help books; Hosoe’s grammar book(1971); a recent high school textbook(2013); 18 grammar textbooks for high schools used in 1980s.The findings of the investigation can be summarized in three points:(1) the publications investigated are divided into two kinds, those dealing with only simple sentences in the demonstration of the “five sentence patterns” and those taking up complex sentences as well; (2)the complement and the object are realized by grammatical items assuming various functions; a complement can be realized by adjectives, nouns, that-clauses, to-infinitives, gerunds, present participles, past participles and prepositions; (3)the analysis of the structure”object+to-infinitive” is controversial; some treat it as part of “SVOC”, others regard it as part of “SVOO”.The need of developing a new type of “five sentence patterns” is suggested with the idea of verbal valency in mind.
著者
田野 武夫
出版者
拓殖大学人文科学研究所
雑誌
拓殖大学論集. 人文・自然・人間科学研究 = The journal of humanities and sciences (ISSN:13446622)
巻号頁・発行日
no.41, pp.1-11, 2019-03-15

ヘルダーリンとのカントとの関係は,シラーの美学論構想に倣った「カントからの踏み出し」,すなわち『判断力批判』の実践部門としての美的教育論構想という側面を持っている。弟宛の書簡において,ヘルダーリンがカント的「思弁的哲学」の重要性を指摘しながらも,さらにその高次の段階として「詩文」(ポエジー)の重要性を説いている点にもその傾向を見ることができる。しかしヘルダーリンにおけるカント哲学の意義をポエジーの前段階のみに位置づけることはできない。彼は1795年のヘーゲル宛ての書簡において「カントが自然の仕組を(従ってまた運命の仕組を),自然の合目的性と結合するしかたには,真に,彼の体系の全精神が含まれている」と述べており,自然の合目的性にカント哲学の本質を見ていた。これがヘルダーリンの後期詩作にも反映されている。例えば,カントの『永遠平和論』等に見られる自然の目的論的進行,すなわち戦争や闘争を経ての高次の平和的段階への移行は,『宥和するものよ…』や『平和の祝い』等のヘルダーリンの後期の詩作に描かれる平和への行程と本質的に一致している。また共和制への共鳴という点にも,両者の類似性を見ることができる。これらの点から,ヘルダーリンにおけるカント哲学の存在は,自然の合目的性という点において,彼の後期詩作の世界像の一端を担う重要要素であったということができる。
著者
塩崎 智
出版者
拓殖大学人文科学研究所
雑誌
拓殖大学論集. 人文・自然・人間科学研究 = The journal of humanities and sciences (ISSN:13446622)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.75-107, 2020-10-30

1872年,日本人が大挙して欧米に留学した。米国へは横浜発サンフランシスコ行きの直行船便が月1本の割合で就航していた。3月の船便アメリカ号には,いつもよりはるかに多い50人の日本人が乗船していた。横浜で発行されていた英字週刊新聞に,船客リストが掲載されているが,英語表記の日本人名から正確に姓名を判別するのが難しいケースが少なくない。この難業にかつて挑戦した先学がいる。その研究結果は素晴らしいものであったが,いくつかの課題を残した。本稿は,約25年間で飛躍的な発展を見せた,日中米の研究者による関連分野の研究成果を駆使してその課題を解決し,同時に四半世紀間の研究の進歩を示す試みである。
著者
豊岡 めぐみ
出版者
拓殖大学人文科学研究所
雑誌
人文・自然・人間科学研究 (ISSN:13446622)
巻号頁・発行日
no.45, pp.25-44, 2021-03

諸外国で安楽死や自殺幇助の合法化が加速している。従来,安楽死や自殺幇助を希望するのは耐え難い肉体的苦痛が主な要因であったが,近年,その理由が変化しており,肉体的苦痛から精神的な苦痛,尊厳の保持,生きる意味の喪失まで多種多様であり,複雑な要素が絡み合っている。そこで,本稿では2001年4月に世界で初めて安楽死を合法化したオランダに着目し,精神的な苦痛による安楽死や自殺幇助の事例を中心に,痛みに悶え苦しみながら病に侵された身体を伴ってなぜ生きるのかという生への意味を問いただす終末期の在り方や多様化する価値観の中での生命終結に関する自己決定の在り方を考察した。第一章では,オランダの事例を考察し,安楽死法の成立までの背景と経緯を追った。第二章では,精神状態および精神的苦痛・認知症による安楽死について取り上げ,オランダの安楽死の現状や課題を探った。第三章では,実存的苦悩による安楽死の実態を明らかにし,その是非を検討した。以上,生命終結に関わる諸問題およびそれについてのわれわれの自己決定の在り方を倫理的観点から考察することを通じて,オランダにおける精神的苦痛や実存的理由による安楽死容認の流れに対する問題点を指摘した。
著者
塩崎 智
出版者
拓殖大学人文科学研究所
雑誌
人文・自然・人間科学研究 (ISSN:13446622)
巻号頁・発行日
no.41, pp.60-93, 2019-03

幕末維新期,米国で学んだ日本人留学生数は200を超える。彼らが「いつ」,「どこで」,「何を」,「誰に」,「どのように」,「どのくらいの期間」学んでいたかは,はっきり分かっていない,あるいは資料で実証されていないケースが多い。留学生が日本の近代化に与えた影響を歴史的に考察する際,このような基本的データは大変重要だ。既存の資料によっては故人の顕彰などの目的で,留学経験が「過大」に表現されている場合もある。本稿では,1870年に米国全土で実施された第9回国勢調査(Census)のデータの中から日本人留学生に関連するものを抽出し,既存の資料との照合を試みた。その結果,新事実,既知の事実の再検討の要,今後の新たな課題などが浮かび上がってきた。
著者
犬竹 正幸
出版者
拓殖大学人文科学研究所
雑誌
拓殖大学論集. 人文・自然・人間科学研究 = The journal of humanities and sciences (ISSN:13446622)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.1-28, 2022-03-25

カントは30年以上にわたる哲学的思索の末に,批判哲学を樹立するに至ったが,この批判哲学へと向かう思索の歩みの途上において決定的な役割を果たしたものは,カントの空間論(の変遷)であったと思われる。カントはその哲学活動の開始以来,自然哲学と形而上学との関係というテーマ,より正確には,ニュートン力学に代表される近代自然科学の形而上学的基礎づけというテーマを自己の主要な哲学的課題の一つとしていた。カントは初期には,この問題をライプニッツやヴォルフの形而上学のうちに受け継がれている伝統的な形而上学の枠組の下で考えていたが,ニュートン力学の理解が深まり,とりわけ,その基礎に絶対空間という形而上学的前提がおかれるべき必然性を理解するにつれて,空間の関係説を内包する伝統的形而上学に対する深刻な疑念が生じてきた。そして68年の『方位論文』における絶対空間の存在論証を経て,69年には,空間・時間をわれわれの感性的直観の形式として捉える空間・時間の超越論的観念性の理論へと至ったと思われる。その成果が70年の『就任論文』であったが,そこに展開された形而上学は,批判哲学への扉を開いただけの過渡期の形而上学であり,批判哲学の完成には,なお10年余にわたる茨の道を歩む必要があった。
著者
小野寺 美智子
出版者
拓殖大学人文科学研究所
雑誌
拓殖大学論集. 人文・自然・人間科学研究 = The journal of humanities and sciences (ISSN:13446622)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.16-31, 2018-03-25

本論では,空間を指示対象とする言語表現が時間を指示対象として用いられる概念メタファーにおいてLakoff & JohsonとMooreの分類では説明しきれない事例を取り上げ,Langackerの主体性という観点から分析することの有効性を論じた。特に日本語の時間メタファーである「まえ(前)」と「さき(先)」の用法をもとにMooreの議論を検証した。その結果,主体性の観点から日本語の時間メタファーの特性を説明することの意義が示唆された。
著者
保坂 芳男
出版者
拓殖大学人文科学研究所
雑誌
拓殖大学論集. 人文・自然・人間科学研究 = The journal of humanities and sciences (ISSN:13446622)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.131-153, 2019-10-31

I have been investigating English education in middle schools in Japan focusing on native English teachers(Hosaka, 2012, 2017).This paper focuses on Japanese and native English teachers at Kobe middle school. English education in Kobe was highly appreciated by Soseki NATSUME.There were only two principals in Kobe middle school: Kumeichi TSURUSAKI and Tasuke IKEDA before WWII. It goes without saying that they formed the foundation of education in Kobe middle school, including that of English education.Mr. Tsurusaki decided to hire a native teacher of English to improve the quality of English education not only for the purpose of entrance exam preparations but also for its practical use.Mr. Ikeda was a Christian and started a Bible study club and continued English education even during wartime(1941-1945).Many young Japanese teachers of English started to work very hard there to make Kobe middle school prestigious for high school entrance exams. Also many young native teachers of English did the same and later went on to work at many other middle schools or universities.
著者
阿久津 智
出版者
拓殖大学人文科学研究所
雑誌
拓殖大学論集. 人文・自然・人間科学研究 = The journal of humanities and sciences (ISSN:13446622)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.48-67, 2018-11-10

本稿では,古典文学の音読と文法(文構造)との関係について論じた。文構造は,プロソディー(イントネーションなど)に,ある程度反映される。隣り合う2つの文節が関係する(前の文節が後ろの文節に係る)ときには,イントネーションによって,1つの句(音調句)にまとまりやすい。文構造の違いは,意味の違いになり,それが読み方の違いに現れる場合もある。たとえば,『枕草子』の「春はあけぼの」において,「やうやう白くなりゆく」と「山ぎは」とを区切って(別の音調句として)読めば,別々の文となり(「やうやう白くなりゆく」のは「山ぎは」ではない),つなげて(1つの音調句として)読めば,連体修飾となる(「やうやう白くなりゆく」のは「山ぎは」である)。文構造(意味)の違いは,必ずしも音読で表せるわけではないが,それでも,音読の仕方を考えることが,その文の構造や意味を考えることにつながると思われる。
著者
小澤 貴史
出版者
拓殖大学人文科学研究所
雑誌
拓殖大学論集. 人文・自然・人間科学研究 = The journal of humanities and sciences (ISSN:13446622)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.78-92, 2019-10-31

1900(明治33)年,台湾協会学校として誕生した拓殖大学は,数度にわたる校名変更を重ね現在に至っている。なかでも,本学史的資料において心理学教育に関する科目名称が確認できるのは,1922(大正11)年に遡る。この時期本学は,大学令による東洋協会大学の設置が認可された年であり,建学後22年目にあたる。以来,心理学部を有さない大学ではあるが,脈々とその教授活動が進められてきたことが窺い知れるが,ここに焦点を当てた研究及び資料は存在しない。本稿の目的は,本学における心理学教育について,上述の1922(大正11)年から1949(昭和24)年の新制紅陵大学移行までを対象期間として,心理学における世界的潮流と本邦における心理学の発展過程を明らかにすると共に,本学の建学の精神及び独自の歴史の流れの中にあってその教育を担った教員を明らかにし,業績や研究内容を探究し,結果として一つの学統として本学自校史に確立することを意図した史的研究である。