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投稿一覧(最新100件)
次のサイトで「東海道中膝栗毛」初版のデジタル画像が見られます。従って,少なくとも国会図書館,早稲田大学,国文学研究資料館,立命館大学には所蔵されています。
・国立国会図書館デジタルコレクション「道中膝栗毛 8編続12編」(十返舎一九 作・画 享和2-文政5 [1802-1822])」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2608423?tocOpened ...
女大学宝箱(国立国会図書館デジタルコレクション)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/754904
掲載のページは,上記コレクションのコマ番号15になります。下段の大きな字が益軒の文章(本文),上段の小さな字や挿絵は別人のもの。文字は拡大が出来ますから,一つ一つ読んで下さい。
https://www2.dhii.jp/nijl_opendata/se ...
字数制限があるようなので,複数回に分けて投稿します。
(あと全角3822文字とあるのにどうなっているのでしょうか)
暫雖為俊賢上臈,依恩思、遂不着其上云々。
暫くして俊賢の上臈に為ると雖も,(俊賢への)恩を思ふに依り,遂に其の上に着かざる云々。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3441719/141(コマ番号35)
公卿補任を見ますと, ...
北一輝の主張は,いわゆる国家社会主義であり,天皇の存在を認めた上での社会主義(一律に平等をめざす共産主義では天皇を認めない)です。なお,Wikiでは次のような説明があります。
言論の自由、基本的人権尊重、華族制廃止(貴族院も廃止)、北の言うところの「国民の天皇」への移行、農地改革、普通選挙、私有財産への一定の制限(累進課税の強化)、財閥解体、皇室財産削減、労働者の権利確保、労働争議とストライ ...
原文も返り点も誤っています。余計な返り点は無用であって,書き下しの邪魔になります。
『百錬抄』第六の大治三(1128)年九月十一日よりの条文は以下の通りです。
大治三年十月二日
〇 九月十一日。待賢門院誕第四皇子。雅仁。
〇 十月二日。諸卿定申官外記勘申八幡璽御筥破損修補哉否。以件璽筥爲御正躰正云々。
〇 卅日。両院参詣高野。
〇 十一月四日。太上天皇於高野供養御塔。(件御塔 ...
〔基本史料〕
・『方丈記』『玉葉』『愚昧記』・・・など
〔参考文献〕
・関根孝「方丈記に表れたる安元の大火について」『火災』43-2(日本火災学会)1993年
https://ci.nii.ac.jp/naid/40000467553
・片平博文「12~13世紀における京都の大火災」『歴史都市防災論文集』1(立命館大学 歴史都市防災研究所)2007年
https://ja.wik ...
明治43(1910)年6月に博文館から発行された『獨歩全集』が,国立国会図書館のデジタルコレクションでネット公開されており,そこには「馬上の友」も収録されています。
ダウンロードして印刷も可能ですし,国会図書館が公開していますから著作権法(著者没後50年まで)には抵触しませんので,ご安心ください。
ただし,お尋ねの箇所のページ番号は,講談社の「日本現代文学全集」とは異なります。
ht ...
慶長2(1597)年から元禄9(1696)年までの幕府の法令を収録している『御当家令条(條・状)』という記録があります。
https://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGHP_jaJP533JP533&q=%e5%be%a1%e5%bd%93%e5%ae%b6%e4%bb%a4%e6%9d%a1 ...
幾つかの写本があると思いますが,国立国会図書館デジタルコレクション(『日本古典全集本』昭和14年 コマ番号26)では次の通りになっており,濁点はありません。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041785
『慶長日件録』慶長八年五月六日
於女院かふきをとり有之,出雲国人云々,女御之御振舞也,内々衆多分,被召立也,
〔読み・・・現代仮名遣い〕 ...
幾つかの写本があると思いますが,国立国会図書館デジタルコレクション(『日本古典全集本』昭和14年 コマ番号26)では次の通りになっており,濁点はありません。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041785
『慶長日件録』慶長八年五月六日
於女院かふきをとり有之,出雲国人云々,女御之御振舞也,内々衆多分,被召立也,
〔読み・・・現代仮名遣い〕 ...
日野西眞定 著の『高野山民俗誌』(『仏教文化選書』奥の院編;佼成出版社, 1990.2)に収録されています。
•奥の院の構成(一の橋 大渡橋;中の橋 手水橋;御廟橋 無明橋)
•奥の院の諸堂(燈篭堂 拝殿)
•主な石塔(墓塔の構成;崇源院殿の墓塔 一番石;持明院墓地の六角宝塔;高麗陣敵味方供養塔;『南山奥之院諸大名石塔記』)
•拝殿の燈明信仰(燈明信仰;奥の院の浄火)
•その他の民俗 ...
『御堂関白記』長保2(1000)年正月1日の記事ですね。
長保二年 正月
一日。己卯。
節会停。是旧年依諸卿定申也。右府。内府。・・・幷殿上人来。無拝礼。事了。両府有引出物。各馬一疋。但家司等。早朝為拝礼。従此参院。・・・(旧漢字は新漢字に改めた)
古代では例年,元日朝賀という儀式があり,文武百官が天皇に拝礼(朝拝)することになっていました。しかし,平安中期には次第に行われなくなり ...
『武官』ではなく『武鑑』ではないですか。
『武鑑』であれば江戸の各時代に何度も改訂して,木版印刷で刊行されています。もちろん手書きの草稿もありますが。
「全て手書き」と書いておられますが,古い木版印刷は手書きのように見えます。文字や家紋ををしっかりと見て,木版印刷か手書きかを確認して下さい。
木版印刷であれば,江戸時代の刊行物ですし,手書きでしたら,それを手本にして筆写したことも ...
一髪
木の葉焼く
跡は淋しき
囲爐裏哉
木の葉焼く 跡は淋しき 囲炉裏かな
なお,次の文献では,
木の葉焼く → このはた(焚)く・・・となっています。
[PDF]趣向と叙景の俳諧表現史Ⅴ - 浦和大学リポジトリ
https://urawa.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item ...
『東大寺要録』原文の刊本は国書刊行会からのものだけで,全体の書き下しはありません。
なお,東大寺桜会縁起に関しては次の論文に詳しい注釈があり,ネットでも読めます。検索すれば簡単に分かることですが。
辻憲男「東大寺桜会縁起を読む」(『親和国文』第33巻 1998年12月1日)
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006606766
(左上にある「CiNii論文PD ...
確かに正貨の金の含有量を減らせば,平価は切り下がります。しかし,1930年代の日本の場合,金の含有量を変更してはいません。金本位制のもとで平価を切り下げるには金の含有量の減らす,あるいは金に対する円の価値を下げる(例えば1円=金0.75gを1円=金0.5gにする)ことであり,1897年に公布された貨幣法の改正が必要になりますから,それには議会の承認が不可欠です。
この辺りは外国為替レートの問 ...
太真瓊(ふとまに)教会は,明治期に設立された神道系の新興宗教の一派で,ネットで検索すると色々とあります。
惟神太真瓊教会規約
http://www.konko-library.jp/tosmok.asp?tilcod=120415&mngkbn=01&style=
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/760041?contentNo=2
易 ...
史料の一部分だけを書き出しても答えようがありません。
全文を掲載するか,せめて『類聚符宣抄』の巻数およびタイトルを記して頂ければ,『類聚符宣抄』は国会図書館の近代デジタルライブラリーで見ることが出来ますので,当方で探しますが。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1215371
なお,「宣」は「宣(せん)す」,「奉勅」は「勅(ちょく)を奉 ...
向誉上人は関通和尚とも言いますので,『浄土宗全書』第18巻にある「関通和尚行業記」(271)が関係するかと思います。
右側のテキスト保存をクリックすれば,ファイルを開くことも,保存することも出来ます。冒頭の部分だけ掲載しておきます。
http://www.jozensearch.jp/pc/index/chapter
關通和尚行業記卷之上
師諱は關通。字は無礙。一蓮社向譽と ...
あのですね,あなたは『勘仲記』の刊本さえも全く見たこともないのに,こういう図々しい質問をしていますね。しかも,日本の日記なのに中国史カテで質問をしている。
これを漢文だと思ったら大間違いです。漢字で書かれた日本語の文章(和漢文)で,和漢文の独特の書き下し方があり,中国史の専門家には書き下しは難しいですよ。とにかく,あなたの横着かつ無知・無神経にも呆れ果てます。
『勘仲記』の刊本は『史料 ...
「日本の古本屋」で検索すると12000円もしていますが,幸いに国会図書館の近代デジタルライブラリーで公開していますから,読むだけでしたらどうぞ。ダウンロードして印刷も可能です。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983107
『荘子』駢拇(へんぼ)第八の一節ですね。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/941432/224
吾所謂聰者,非謂其聞彼也,自聞而已矣。
吾所(レ)謂聰者,非(レ)謂(二)其聞(一レ)彼也,自聞而已矣。
吾(わ)が謂(い)ふ所の聰(聡・そう)は,其(そ)の彼(かれ)に聞くを謂(い)ふに非(あら)ず,自(みずか)ら聞くのみ。
(一 ...
〔誠心誠意〕
平心虚懐
霞山人〔霞山〕〔●子●〕
当時の著名人で「霞山」と号した人物に近衛篤麿(文麿の父)がいます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E7%AF%A4%E9%BA%BF
正編が渡辺国武,続編が谷干城という当時の有力政治家が巻頭の題字を書いていますから,恐らく近衛篤麿だと思います。
http:// ...
アラン・メリアムの『音楽人類学』(藤井知昭・鈴木道子訳,音楽之友社,1985年)は当初の定価が3500円でしたが,私は大阪市内の古書店で20年ほど前に2000円で購入しました。
確かにネットの「日本の古本屋」や「スーパー源氏」などでは見かけないし,アマゾンでは14000円以上もしていますね。
メリアムは著書の第11章「用途と機能」において,ラドクリフ・ブラウンやナードルなどの研究を援用 ...
自一九四三年七月 至一九四四年二月ですと,外務省調査局第一課による『米英蘇戰後對策の研究』となり,国会図書館のほか,小樽商科大学,財団法人東洋文庫,成蹊大学,東京大学経済学部,名古屋大学法学部,広島大学の各図書館にあります。
http://iss.ndl.go.jp/books/R000000008-I000304002-00
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA425722 ...
国立情報学研究所(NII)の論文情報ナビゲータ CiNii(サイニィ)は見ましたか。まずは藤田さんの商鞅に関する論文目録を参考にして下さい。
藤田 忠;「商鞅の変法」・「商君書」に関する論文目録
國士舘東洋史學 (3), 148-130, 2008-06
国士舘大学東洋史学会
http://ci.nii.ac.jp/naid/40016820816
商鞅関係の論文
http ...
今年の『歴史読本』(新人物往来社)6月号に次のようなものがあります。
青山忠正 「時代を動かした「志士」たちの明と暗」 (『歴史読本』2011年6月号特集「時代を変えた幕末英雄と組織」)
http://ci.nii.ac.jp/naid/40018862708
http://ci.nii.ac.jp/author?q=%E9%9D%92%E5%B1%B1%E5%BF%A0%E6%AD%A ...
>その対価として日本側から米以外の安い穀物が朝鮮半島に流入して
三浦さんの論文のどこに,このように書いてありますか。日本側の米以外の安い穀物とは何ですか。論文も読まないでいい加減なことを言わないで下さい。
また,三浦さんは指摘していませんが,日本統治下に土地改良事業や農業技術の指導などが行われたことも,朝鮮における米の増産の要因です。
>これって当時の朝鮮半島は貨幣経済が普及して ...
>その対価として日本側から米以外の安い穀物が朝鮮半島に流入して
三浦さんの論文のどこに,このように書いてありますか。日本側の米以外の安い穀物とは何ですか。論文も読まないでいい加減なことを言わないで下さい。
また,三浦さんは指摘していませんが,日本統治下に土地改良事業や農業技術の指導などが行われたことも,朝鮮における米の増産の要因です。
>これって当時の朝鮮半島は貨幣経済が普及して ...
国会図書館のデジタルアーカイブポータル(近代デジタルライブラリー)はご覧になりましたか。
そこに南満洲鉄道哈爾賓事務所調査課が大正14(1925)年に出版した『哈調資料』第36号 があり,その資料には密山炭礦 のことも記載されています。このサイトの資料は保存・印刷も出来ます。
http://porta.ndl.go.jp/service/servlet/Result_Detail?meta ...
何時の時代の,どういう出版の形態のものなのかがわからないと回答のしようがありませんが,滝沢(曲亭)馬琴による文化4(1807)年の初版本ですと,古書店では36.8000円というのがあります。
しかし,初版本(一部)は九州大学図書館が,明治時代の活字本(全部)は国立国会図書館がネット公開していますので,いずれにしても史料・資料としての価値はあまりありませんね。
http://catalo ...
・何其棄之不用乎・・・何ぞ其の之を棄てて用いざるか
・(宋明の陋医=ろうい・卑しい医者は)どうして之=用心して至れり尽くせりした分量のことを棄ててしまったのであろうか。
『薬量考』は肥後の村井椿寿が明和5(1768)年7月に著したもので,京大図書館に写本が,早大図書館に版本が保存されており,ネットでも公開されています。
http://jien.ll.chiba-u.ac.jp/db/CU ...