43 0 0 0 OA 国史大系

著者
経済雑誌社 編
出版者
経済雑誌社
巻号頁・発行日
vol.第14巻 百錬抄 愚管抄 元亨釈書, 1901

言及状況

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写真は不鮮明でしたが、質問者さまなりの書き下しを追記していただいたので、どの部分のことかわかりました。こちらの85コマですね。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991104/181?tocOpened=1 追記欄では字数オーバーですので、改めて回答し直します。 【原文】 『兵範記』文治三年三月十四日条 十四日乙酉。加茂祭。近衛【使】右少将信清。於御殿餝馬 ...
>歴史書は全て編年体なのですか? いえ、そんな事は無いです。 紀事本末体に関するブリタニカ コトバンク(↓)で、国際大百科事典 小項目事典の解説が見られます。 https://kotobank.jp/ ~~ 中国の歴史叙述の一形式。編年体 (→年代記 ) は年を主とし,紀伝体は人を主とするのに対して,紀事本末体は事件を主とする。宋の袁枢 (えんすう) が,編年体の『 ...
原文も返り点も誤っています。余計な返り点は無用であって,書き下しの邪魔になります。 『百錬抄』第六の大治三(1128)年九月十一日よりの条文は以下の通りです。 大治三年十月二日 〇 九月十一日。待賢門院誕第四皇子。雅仁。 〇 十月二日。諸卿定申官外記勘申八幡璽御筥破損修補哉否。以件璽筥爲御正躰正云々。 〇 卅日。両院参詣高野。 〇 十一月四日。太上天皇於高野供養御塔。(件御塔 ...

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@0darkeyes0 愚管抄を見る限りは組織犯行です。https://t.co/C594vFkCi8 の294コマ(P573)をご覧ください。都から5人も公卿が下向したのを迎えています。丁度頁の終わりに被り物(行僧頭市?)をした犯人が現れて凶行に及び更に「ヲイザマニ三四人ヲナジヤウナル者ノ出キテ。供ノ者ヲイチラシテ」います。
以下為朝の記録が確認できる資料です。 ●吾妻鏡 ●台記 ●史料通覧 兵範記.1( https://t.co/mAnaoOpbK0) ●国史大系14巻 愚管抄4巻(https://t.co/IJRTXtICQp) ●国史大系14巻 百錬抄 コマ番号54 久寿2年4月(https://t.co/IJRTXtICQp)
@fzk06736 山田先生こんにちは。 ちなみに『愚管抄』は、藤原家忠のことを ”花山院ノ家忠”と記している部分もあります。 名字が確立する以前の状況だとは思いますが、 何かの参考になれば幸いです。 https://t.co/NrOW9lLXXS https://t.co/KV3NAs94ry
山田先生が >「北条時政」と名乗ったり呼び掛けたりすることは皆無だったと思いますよ。 https://t.co/1btQ0Xss4J とおっしゃるように、一人称・二人称としては「北条時政」はありえないでしょうけど、『愚管抄』を見ると三人称としては「北条時政」は、ありだったようです https://t.co/iR4FTba24T https://t.co/rrD9QSJk5j
百錬抄によると安倍宗任は上洛して入京せず伊予国へ行って逃げようとして大宰府へ行ったとな。 百錬抄「依㆑有(㆘)欲㆑逃(㆓)帰本国(㆒)之聞(㆖)也」 #東日流外三郡誌 #椿井文書 https://t.co/ypGdbSouUM
百錬抄「康平七年(*1064)…〇三月廿九日。伊豫守賴義自(㆓)奥州(㆒)相具所(㆓)上洛(㆒)之降虜宗任等。有㆑議不㆑令(㆓)入京(㆒)。分(㆓)遣國々(㆒)。宗任家任遣(㆓)伊豫(㆒)。良照遣(㆓)大宰府(㆒)。 治歴三 宗任等移(㆓)遣大宰府(㆒)。」 #東日流外三郡誌 #椿井文書 https://t.co/ypGdbSouUM
@ameno1080 本の形式であれば、国史大系版が刊行されています。また国立国会図書館デジタルコレクションでも、同じ版が公開されています。 https://t.co/6CftA7qUoE
『元亨釈書』の性空の伝に「神童二人。一曰乙。一曰若。侍左右」とある二童子ですね。 https://t.co/LxzBL6qC99 https://t.co/zLGNe9iMct
@geji2_n 景時は『愚管抄』に「メノト」とありましてhttps://t.co/iLDSCEZJwa、男性の「メノト」(乳母の夫とは限らない)は院政期頃は表記が、乳母・乳母夫・乳父・乳夫・乳人とか不統一で、鎌倉末頃に乳父の使用が増えるので、論文では乳父を使う人が増えて来てます。(続 https://t.co/CgnKmCAYPT
とりあえず百錬抄のこのページ(http://t.co/gnRd3LpeZ7) コマ番号54/618 久寿二年二月一日 九行目に「源義平」記載有り。 これでいいだろうか。
元亨釈書で源信 http://t.co/V3hzzQlPGH 。このころ「源心」という方もおられる。
百錬抄 http://t.co/IWmo39KfAg 「長保四年三月十五日(1002) 入道前参河守定基法名寂昭上状 向大宋国 巡礼五台山 六月十八日首途 天下上下挙首 向聖人房受戒 世人云 是真仙也」、公任の歌はこの頃か。
愚管抄 http://t.co/8UVsG9XXtT 「保元々年七月二日鳥羽院ウセサセ給ヒテ後。日本国ノ乱逆ト云コトハヲコリテ後。ムサ(武者)ノ世ニナリニケル也ケリ。(中略)頼義ガ貞任ヲセムル十二年ノタタカイナドイフモ。(中略)関東鎮西ニコソキコエシ。」
愚管抄第四巻 http://t.co/8ZYKzEZRSK では正暦五年のあと2年後の長徳元年でも藤原道隆、道兼はじめ八人が亡くなったことを記している。
『百錬抄』9/23天皇行幸法金剛院。有十番競馬[上皇女院同臨幸] 9/25車駕猶留。有糸竹和歌興。実行卿献小序。 http://t.co/4xNITu5rQT 『十三代要略』はさらに簡略 http://t.co/XYTsZXmkcH
「愚管抄」は製本された本はちょっとお高くなっているので、先ほどの「近代デジタルライブラリー」頁を紹介します。 http://t.co/iCUysS0x 図書館でコピーしてもいいですが・・。慈円さんの公家っぽいフワフワした語り口が好きですvv

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編集者: めるるる
2022-05-08 21:03:24 の編集で削除されたか、リンク先が変更された可能性があります。
編集者: めるるる
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編集者: Dharmottara
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