10 0 0 0 OA 国史大系

著者
経済雑誌社 編
出版者
経済雑誌社
巻号頁・発行日
vol.第14巻 百錬抄 愚管抄 元亨釈書, 1901

言及状況

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>歴史書は全て編年体なのですか? いえ、そんな事は無いです。 紀事本末体に関するブリタニカ コトバンク(↓)で、国際大百科事典 小項目事典の解説が見られます。 https://kotobank.jp/ ~~ 中国の歴史叙述の一形式。編年体 (→年代記 ) は年を主とし,紀伝体は人を主とするのに対して,紀事本末体は事件を主とする。宋の袁枢 ( ...
原文も返り点も誤っています。余計な返り点は無用であって,書き下しの邪魔になります。 『百錬抄』第六の大治三(1128)年九月十一日よりの条文は以下の通りです。 大治三年十月二日 〇 九月十一日。待賢門院誕第四皇子。雅仁。 〇 十月二日。諸卿定申官外記勘申八幡璽御筥破損修補哉否。以件璽筥爲御正躰正云々。 〇 卅日。両院参詣高野。 〇 十一月四日。太上天皇於高野供 ...

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@geji2_n 景時は『愚管抄』に「メノト」とありましてhttps://t.co/iLDSCEZJwa、男性の「メノト」(乳母の夫とは限らない)は院政期頃は表記が、乳母・乳母夫・乳父・乳夫・乳人とか不統一で、鎌倉末頃に乳父の使用… https://t.co/e86R4LhJij
とりあえず百錬抄のこのページ(http://t.co/gnRd3LpeZ7) コマ番号54/618 久寿二年二月一日 九行目に「源義平」記載有り。 これでいいだろうか。
元亨釈書で源信 http://t.co/V3hzzQlPGH 。このころ「源心」という方もおられる。
百錬抄 http://t.co/IWmo39KfAg 「長保四年三月十五日(1002) 入道前参河守定基法名寂昭上状 向大宋国 巡礼五台山 六月十八日首途 天下上下挙首 向聖人房受戒 世人云 是真仙也」、公任の歌はこの頃か。
愚管抄 http://t.co/8UVsG9XXtT 「保元々年七月二日鳥羽院ウセサセ給ヒテ後。日本国ノ乱逆ト云コトハヲコリテ後。ムサ(武者)ノ世ニナリニケル也ケリ。(中略)頼義ガ貞任ヲセムル十二年ノタタカイナドイフモ。(中略)関東鎮西ニコソキコエシ。」
愚管抄第四巻 http://t.co/8ZYKzEZRSK では正暦五年のあと2年後の長徳元年でも藤原道隆、道兼はじめ八人が亡くなったことを記している。
『百錬抄』9/23天皇行幸法金剛院。有十番競馬[上皇女院同臨幸] 9/25車駕猶留。有糸竹和歌興。実行卿献小序。 http://t.co/4xNITu5rQT 『十三代要略』はさらに簡略 http://t.co/XYTsZXmkcH
「愚管抄」は製本された本はちょっとお高くなっているので、先ほどの「近代デジタルライブラリー」頁を紹介します。 http://t.co/iCUysS0x 図書館でコピーしてもいいですが・・。慈円さんの公家っぽいフワフワした語り口が好きですvv

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編集者: Dharmottara
2015-08-18 23:50:57 の編集で削除されたか、リンク先が変更された可能性があります。

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