mia (@mia66sa_ga)

投稿一覧(最新100件)

百武の作品の中に「ピエトロ・ミッカ図」というのがあり、これが前田育徳会所蔵らしい。なぜ前田家に?と不思議に思ってたらこちらの論文を発見。 直大公の長女朗子が前田家に嫁ぐときに持参されたとのこと。朗子は百武のことを実の叔父のように慕っていたらしい。 https://t.co/aNY2T8rDCU
久々に論文読む 「おわりに」に書いてある一説 松根の銅像もつくってほしいね https://t.co/AHFbI1Un0t https://t.co/ANHR4tauCL

20 0 0 0 OA 大隈伯昔日譚

大隈伯昔日譚にその時の話が載ってますね。 犯人は福岡藩士の金子。すでに自害していたがパークスが他に共謀者がいると納得せず。大隈は「断然、英公使の脅迫的追求を拒絶」と断固拒否。結局、金子に同道していた者を禁固刑にして落着。 パークスとは2回対決してますね。 https://t.co/i6Xw63MQJD https://t.co/A8KxvMgPXd https://t.co/l5yDBWlLe7

10 0 0 0 OA 佐賀藩海軍史

昨日の青天で登場した蓮池の吉武功成 。『佐賀藩海軍史』は国デジで見れました。 越前堀にあった第三十国立銀行の預金者として名前があった。 間違いなく、吉武氏が蓮池の人でしょうね。 https://t.co/ZyIoX9NCvb https://t.co/PgdwyPppsR https://t.co/SfELgwybMi
伊藤博文邸でのファンシーボールは渋沢も参加してたみたいやけど、大河で仮装舞踏会ある? 直大公と栄子さまのファンシーボール映る?
文久4年5月24日に中野方蔵の3回忌が大興寺で行われる。 大木・副島次・岡本・坂部・吉村謙・坂井辰が参列。 (⊃•̀ω•́)⊃✎⁾⁾メモメモ 私が知らんだけやけど岡本だけ不明。 https://t.co/xlNqXLLvfs
RT @zasetsushirazu: 元治元年10月14日(1864年11月13日)、南里有隣が死去。佐賀藩出身の国学者。前田勉「南里有隣『神理十要』におけるキリスト教の影響」(『愛知教育大学研究報告 人文・社会科学』57)は、平田篤胤以降の国学にキリスト教の影響があるとする…

3 0 0 0 早稲田清話

早稲田清話ってなんでネットで見れないんですかね… 特に面白そうな佐賀関連の話はいくつかピックアップして複写してるのですが、これ図書館でしか見れないの辛い… 福岡の図書館は国デジの資料送信サービス1時間しか使えないんだよ(T∩︎T) https://t.co/IAQ9WVOxlN
RT @zasetsushirazu: 安政6年10月7日(1859年11月1日)、松平慶永の腹心として活躍した橋本左内が処刑された。高木不二「グリフィスと橋本左内」(『福井県文書館研究紀要』13、2016年)は、米国ラトガース大学が所蔵する『橋本左内略伝』について考察。 ht…

1 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

@ambujam10 「後までも一点の跡(眉間に!)残れり」だそうです( ̄∀︎ ̄;) 罹患した人は眉間の方が効果ありとでも思ったんでしょうかね?^^;源太郎くん9歳。嫌とはいえなかったのでしょう。嫌といえば父上から怒られそうです。笑 https://t.co/EfVwcEzzEB https://t.co/Ixfpw0Q0Fw
直正公は温泉好きで柄崎温泉(武雄)によくお出かけしてたのですが、明治になって上京してからは佐賀の温泉に行けなくなったので、熱海への湯治を願い出て熱海温泉を訪れてる。 その際に泊まったお宿が「一碧楼」どんなとこかと調べてたらこんな論文見つけた。 https://t.co/sqAwLT93ni

16 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

一方で、長州侯については「直接会ったこともなく話たこともないが」と断りを入れつつも、「自国の藩士を統御できないのだから無理だろ」と辛辣です…( ̄∀︎ ̄;) それにしても斉彬公ってどこで見てもベタ褒めですよね。それだけ名君だったと言うことでしょうかね。 https://t.co/cHhuJifUQW https://t.co/W7Z8NVWhVp

16 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

そして、間を取り持つ木戸さん。ありがとう。 直正公も「(自分も含めて)天下に人無し」と言いつつも、岩倉と木戸のことは認めている感がある。 https://t.co/KNgS0xNhWh https://t.co/xrI1kwUXdk https://t.co/SwtA2ijxiF

16 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

公伝によるとですね… 直正公も「彼らは国の経済を知らず」って、ちょっと越前の人たちをディスってますね( ̄∀︎ ̄;) でも、「奥の兄」だからこのままにはしておけないって直正公は筆姫のこと大切に思ってたのね〜( ˘͈ ᵕ ˘͈ )

3 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

そういえば、十可亭は秋の公開するのかな?殿の避暑地また行きたいな〜 直正公が初めて十可亭に泊まったときのお話。 『直正公伝6巻』 https://t.co/VN8BVoV12W https://t.co/ETkEONP9tp

16 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

予め準備している与一 次の日は出発する与一 電流丸を全速力で走らせる与一 道中、松根は心配で心配で気が気でなかったでしょう(´•̥ω•̥`) 『直正公伝6巻』 https://t.co/SzUhN8uLHY

3 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

松根、乗馬できるよ!の巻。 https://t.co/Qyfc30q2jb https://t.co/WU2W1nv6Tb

3 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

今、神野御茶屋を作ってるのでそれに関する資料を見てるのですが、 この掃除仙人のお話、本当好き(^^)v 苔をも愛でる直正公

3 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

春嶽公と閑叟公(直正)が将軍家茂に進講したときのお話。 「黎庶を赤子の如く思し召し給ふ御行こそ肝要なれ」は、 いかにも「領民の者は皆、子の如し」と言っていた直正公らしい。 春嶽公は学問のことを述べてるのが、春嶽公らしい気がする。 https://t.co/Hq7h94pdVo https://t.co/mpIRCIXZM4

4 0 0 0 OA 神人と魔人

RT @nagisanoyuki: 随分と前に春嶽公の名前で検索してひっかかった本。昨晩副島さん付近をウロウロしていたら再び行き当たったので、改めて目次を確認したらなんだか面白そうな人選でした。時間あるときに通読してみようかな。 https://t.co/HNiGD1DSpt…

3 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

大木は怒らせたら怖いと言われてますけども。いや、何やってんのよ…。笑 子供かっ! というより、空閑を偲ぶ話がそれなの?他にはなかったの? 丈一郎…^^; https://t.co/pUSQjr3r5I https://t.co/uYwQct6QSW
伝記物なので、どこまで信じていいのか疑問が残りますが、 貢姫だけでなく、尚丸と宏姫・昶姫も可愛がっていた話も残ってて、日峰公(藩祖直茂)250年祭のお祭りに息子、娘たちを連れてお出かけしてます(^^) 続きを読みたい方はリンク先からどうぞ! https://t.co/Zk6Sm6b7wj https://t.co/E82WrtSdWb

12 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

直正公がお忍びで薩摩に行ったとき、出された菜漬に手を出さない直正公を見て、松根がすかさず「此人は菜漬は嫌いよ」と口添えしてるの笑っちゃう。 というか、これ薩摩をディスってる?^^;不潔ってディスってる?( ̄∀︎ ̄;) 『直正公伝4巻』 https://t.co/puvEzBNrIk https://t.co/WTysgj46OE

1 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

江戸の藩校、明善堂は松根の父が図面を書いたらしい。 古川家の長兄はどうなのかわからないけど、 父上は図面を書くし 母上は細工品を作るし 次兄は刀鍛冶だし 松根はオールマイティだし 芸術一家な古川家! https://t.co/6g9nvTMpOK https://t.co/vjIClFCeOA
RT @zasetsushirazu: 明治29年8月5日、宮崎元立(宮崎蘇庵)が死去。小白藩医の家に生まれ、大村益次郎や伊東玄朴に師事した。日本で最初に市販された英和辞書『英和対訳袖珍辞書』の校訂者。三好彰「宮崎元立と英学」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』5、…

1 0 0 0 OA 鍋島閑叟

頼永との可愛いエピソードも

1 0 0 0 OA 鍋島閑叟

直正公が有馬頼永に宛てた書簡。 大事な大事な家臣を失くして悲しみにくれる殿… いかに永山のことを信頼していたかがわかる文面です.°(ಗдಗ。)°. 体調を崩した頼永のことも気遣う優しい殿。 頼永とは親友の間柄だったので、心配だったのでしょう。。。 https://t.co/P4dBn2LySd https://t.co/os4Ol2cgux
「能う知らぬ」と言いながら、松根のこと語る次郎。 文面からそれはそれは閑叟公のお気に入りだったということがよくわかります(๑˃̵ᴗ˂̵) 次郎が京都に行く前は松根と会ってるのか。神陽も松根と交流があったから、兄の勧め招かれたのかな〜 https://t.co/acMQbcOqS3 https://t.co/JfBIkXpiOf

4 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

松根の兄ちゃん、勤勉の度が過ぎて反感を買う。笑 https://t.co/OB89OSnYMK https://t.co/U2OppIYaZL

1 0 0 0 OA 鍋島閑叟

@nagisanoyuki 負けず嫌いでじっと座ってられない直正公。お子様みたい。笑 お菓子のくだりはいかにもお大名といった感じですね。松根は別格ですからね( ´艸`)いただいた菓子は大事に大事に食べてそうです。 ちなみに、「竹馬の友」話も載ってました! https://t.co/F7mNUGIxUY https://t.co/8vrlmnJRH0

1 0 0 0 OA 鍋島閑叟

@nagisanoyuki なぎささーん
興味深く読みました。 葉隠は戦時中に1番もてはやされたのよね。特に佐賀の軍人が記憶に残るような“名誉の戦死”を遂げた以降に… https://t.co/iUT3NfpomL
RT @zasetsushirazu: 大正10年6月19日、鍋島直大が死去。幕末の肥前佐賀藩主で、鍋島閑叟の子。明治13年にイタリア公使として海外赴任。谷口眞子「読み替えられた「葉隠」」(『早稲田大学高等研究所紀要』9)は、中村郁一という人が、直大を通じて葉隠を天皇に献納しよ…

5 0 0 0 OA 大隈伯百話

ちょっと、大隈さん。 源太郎は息子じゃないの? https://t.co/wdankgxWZ4 https://t.co/JvRwR4uosA

5 0 0 0 OA 大隈伯百話

大隈、人の家をめっちゃ貶してて笑うw 井上さん食べ物の趣味も危ない人だけど、家の趣味というかデザインというか美術関係も並外れた感性の持ち主だったもよう。 そして、ちゃっかり自分の家の自慢もしてくるあたりが大隈ですね! https://t.co/lJj20JegPn https://t.co/RT5lXBxiIh

3 0 0 0 OA 鍋島閑叟公

序文が大隈伯なんだけど、めちゃ褒めてて笑っちゃう。 「鍋島閑叟公」 https://t.co/ag01xUTW0V
昨日、読んだ論文。 副島の外務卿としての功績にマリア・ルス号事件と清国皇帝への謁見があるけど、これは李鴻章側の資料も使用されてて興味深い内容だった。 副島の評価って中国では真逆なんだね。 1873年における清国皇帝への謁見問題--李鴻章と副島種臣との外交交渉 https://t.co/vBftX4yOPw
RT @zasetsushirazu: 海原亮「江戸の蘭学者」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116)は、文政2〜3年に刊行された『江戸今世医家人名録』を分析。「江戸における「医療」環境の実態を解明する基礎的な作業」として、土生玄碩・華岡青洲・大槻玄沢・伊東玄朴・坪井信道の門人…

1 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

ちなみに、そのイタズラエピソードはこちらです。 自分が忘れていった羽織なのに、若様から賜った羽織と思い、貞丸さまに御礼を言おうと探すけど、貞丸さまは見つかるまいと逃げ続ける。笑 御遊び相手の羽室も松根もグルになってイタズラ仕掛けるの。かわいい☺️ https://t.co/JlyrKqnxC7 https://t.co/xPv6Kt1dYA
@muta_torara そうなんです… そこまでは突き止めて佐賀県立図書館で「文明協会講演集」を借りてきたのですが大正10年からのしかなく 国デジにも詳細なデータは1921年分からしかないんですよね 複写サービスを申込むか現地に行って複写しようかと思ってますが後回しにしてしまってます^^; https://t.co/Bsxuk4SmuL
浦川さんは佐賀城本丸歴史館研究紀要第12号でも間違った認識を指摘してある。 「佐賀藩はフェートン号事件がきっかけで近代化が始まった」 という文言をたまに見るけど、このときはまだ直正公は御生まれになってませんからね。 近代化の直接的きっかけはアヘン戦争。 https://t.co/3ZuFX8Upnv

8 0 0 0 OA 鯨海酔侯

RT @nagisanoyuki: 駄菓子の話、出典は坂崎斌の「鯨酔酔侯」なんですけれど、これがいつ頃の話なのか、本当の話なのかは不明。 https://t.co/JwshEawmy4 https://t.co/vOD0UrqXOk
RT @zasetsushirazu: 明治38年1月31日、副島種臣が死去。幕末の佐賀藩出身で、兄の枝吉神陽が主宰した義祭同盟に参加した。明治期に外務卿、内務大臣などを歴任。池田勇太「史料紹介 「政体」」(『史学雑誌』125-2、2016年)は、政体書の草稿と思われる史料を分…

16 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

RT @nagisanoyuki: 該当部分は国デジで読めますね。三者三様の言動が目に浮かぶようですが、老人云々の軽口を宗城公ではなく春嶽公が言い出してるあたり、この姻戚関係の気安さを伺える気がします。 https://t.co/xOcSBMupYt

10 0 0 0 OA 関西巡回記

でもね。村田さんが九州を旅したときは6月でめちゃめちゃ暑かったらしい… 「大暑」とか「烈暑」とか出てくる。佐賀は滞在中、全日烈暑だったみたい( ̄∀︎ ̄;) そりゃ蚊にも文句言いたくなるわ。笑 https://t.co/3JSN9Nkg1u https://t.co/pyhHuKJ3nA https://t.co/3xiNdzUuuj
そして、鍋島家が所有して開墾した千葉の小間子牧についても調べてみた。 開墾会社永沢社の初代社長は前山精一郎だったのね! 前山は軍人のイメージが強かったから意外だった! https://t.co/QVEBqMBBdt
直大公の種痘についての話に 古川源太郎くん9歳が登場するんだけど… 源太郎くんすでに天然痘になったことあるのに、殿の「天然痘を患った者にも効果あるのか」という好奇心で眉間に種痘されたらしい 眉間って…!? 眉間に痕が残っちゃったの⁈ Σ(゚Д゚ ) https://t.co/hN16TDv6VC https://t.co/wnj1NzWnz1
今は『鍋島直正公実歴百話』という昭和に書かれた逸話集を読んでます。 殿が帰国途中の川崎宿で、「松平備前守」と書かれた関札を土足で踏み荒らした一橋家の家臣ども!許さん(*`з´*) https://t.co/hN16TDv6VC https://t.co/83io5j1NM7
重松先生のこちらの論文。大木の青年時代がよくわかる(^^)母から可愛がられてた大木。弘道館時代の大木。読んでて楽しかった(´∀`) CiNii 論文 -  青年大木喬任と佐賀勤王党 https://t.co/hikIegykBx #CiNii
RT @hakuboku0810: RT/なるほど岩下哲典「一八世紀~一九世紀初頭における露・英の接近と近世日本の変容」(笠谷和比古編『一八世紀日本の文化状況と国際環境』)が元なのね
RT @tsundokulib: 初期の種痘につきものの別の感染症のコンタミは種痘の足をひっぱったようで、19世紀ドイツでホメオパシーが地盤を築いたのにも、種痘反対運動が大きな要因として。19世紀ドイツのホメオパシーについてはこちらの本を https://t.co/cehF7k…
RT @zasetsushirazu: 『史学雑誌』の「回顧と展望」号が出たらしい。自分の関心ある分野で、前年にどんな研究書や論文が出ていたか概観する上で有用。ちなみに、古い号はネットに公開されているものもある。 CiNii 論文 -  二 幕末・維新期(近現代,日本,二〇一…
RT @hakuboku0810: 中牟田倉之助の上海での行動が詳しく論じられてるのが、こちらの論文。行動範囲が視覚的にわかります。 https://t.co/Om06QhJ7RT #どん頃 #佐賀藩
心の支えみたいな感じ…?^^; あー…ちょっとうまく言えんわ! 詳しくは↓の論文にあります^^; (人任せでごめんなさい
心の支えみたいな感じ…?^^; あー…ちょっとうまく言えんわ! 詳しくは↓の論文にあります^^; (人任せでごめんなさい
RT @hakuboku0810: なお、三重津海軍所跡からは肥前焼の磁器が見つかってます。その産地を分析した論文がこちらです。かなり専門的な論文ですが、今はこのようにして磁器の産地を特定していくのだという参考として紹介 https://t.co/7HaTAqp6Le

お気に入り一覧(最新100件)

元治元年10月14日(1864年11月13日)、南里有隣が死去。佐賀藩出身の国学者。前田勉「南里有隣『神理十要』におけるキリスト教の影響」(『愛知教育大学研究報告 人文・社会科学』57)は、平田篤胤以降の国学にキリスト教の影響があるとする議論を受けて、有隣の思想を分析。 https://t.co/fxpesYdv2B
同愛社五十年史より凌雲先生の次男、高松静先生の写真。静先生は子供の頃、父親が大変厳しい人に見えたそうですが、父親や夫としての凌雲先生はどんな感じだったのか正直あまり想像がつきません。 https://t.co/auLhPU66Oz https://t.co/7IyRmJhgXT
探しものをしていたら、全然違うところで春嶽公の逸話を発見。容保公は牛乳嫌いだったそうですが、春嶽公は愛飲してたっぽい。團野の牛乳屋って福井だけじゃなくて東京にもあったの? 文部大臣を中心として評論せる日本教育の変遷 https://t.co/D86WT5OeAj https://t.co/PGZivHyISa

4 0 0 0 OA 神人と魔人

随分と前に春嶽公の名前で検索してひっかかった本。昨晩副島さん付近をウロウロしていたら再び行き当たったので、改めて目次を確認したらなんだか面白そうな人選でした。時間あるときに通読してみようかな。 https://t.co/HNiGD1DSpt https://t.co/rtMcN1pSo5
大正10年6月19日、鍋島直大が死去。幕末の肥前佐賀藩主で、鍋島閑叟の子。明治13年にイタリア公使として海外赴任。谷口眞子「読み替えられた「葉隠」」(『早稲田大学高等研究所紀要』9)は、中村郁一という人が、直大を通じて葉隠を天皇に献納しようとしたことに言及。 https://t.co/2ZRO7XM7yd
海原亮「江戸の蘭学者」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116)は、文政2〜3年に刊行された『江戸今世医家人名録』を分析。「江戸における「医療」環境の実態を解明する基礎的な作業」として、土生玄碩・華岡青洲・大槻玄沢・伊東玄朴・坪井信道の門人帳を、人名録と照合。 https://t.co/Z1NBUncPmL
@ambujam10 @mia66sa_ga なんか呼ばれた気が…(笑)ちなみに、「寧楽園歌伝純忠古川松根」という国デジで読める松根アゲの伝記があるのですが、閑叟さまは息子の直大公に「何でも譲るがひとつだけ譲れないものがある」と言ったそうで、鍋島家ではそれは松根のことだったと言われてたとか。 https://t.co/SJNP2vqMtb https://t.co/sjxdibgvdB

8 0 0 0 OA 鯨海酔侯

駄菓子の話、出典は坂崎斌の「鯨酔酔侯」なんですけれど、これがいつ頃の話なのか、本当の話なのかは不明。 https://t.co/JwshEawmy4 https://t.co/rcQ47rv64k https://t.co/vOD0UrqXOk

25 0 0 0 OA 生きている歴史

@mia66sa_ga ご存知かもしれませんが佐賀の乱参加者最後の人のお話があります。江藤さんの事も語られてます。 https://t.co/wVn4JgkPLQ

16 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

該当部分は国デジで読めますね。三者三様の言動が目に浮かぶようですが、老人云々の軽口を宗城公ではなく春嶽公が言い出してるあたり、この姻戚関係の気安さを伺える気がします。 https://t.co/xOcSBMupYt https://t.co/FrVXR3bUq1
平成28年7月27日、歴史家の安岡昭男が死去。明治維新の外交史を得意とし、著書に吉川弘文館の人物叢書『副島種臣』や、『陸奥宗光』、『幕末維新の領土と外交』、『明治維新と領土問題』など。下記は、『法政史学』80号に掲載された『副島種臣』の書評(評者は小沢洋輔氏)。 https://t.co/KM9CacLnmP
国立国会図書館デジタルコレクションから 小笠原島真景図1(父島、母島の測量図の画像はここから) https://t.co/hvEyEgVwPH #どん頃

10 0 0 0 OA 関西巡回記

前もつぶやいたんですが、村田氏寿の関西巡回記は、彼の観察眼の鋭さや当時の武士の旅行の様子を知ることが出来る、とても興味深い内容だと思います。 https://t.co/ZUczbJ8JFz
なお、三重津海軍所跡からは肥前焼の磁器が見つかってます。その産地を分析した論文がこちらです。かなり専門的な論文ですが、今はこのようにして磁器の産地を特定していくのだという参考として紹介 https://t.co/7HaTAqp6Le
佐藤理恵「維新期佐賀藩海軍とその終焉」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』12、2017年)は、長崎警備のため早くから西洋技術を導入して整備された佐賀藩海軍が、廃藩置県に向かう中央集権化の過程でどのように終焉したか分析。 https://t.co/aWJVu8VAFQ
安政6年10月7日(1859年11月1日)、松平慶永の腹心として活躍した橋本左内が処刑された。高木不二「グリフィスと橋本左内」(『福井県文書館研究紀要』13、2016年)は、米国ラトガース大学が所蔵する『橋本左内略伝』について考察。 https://t.co/N1ABrHua1B

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