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文久・元治年間における三条実美の歴史的位置 -長州藩領滞在期に着目して-
RT @Mako_sanjo0818: 拙稿「文久・元治年間における三条実美の歴史的位置」が機関リポジトリで公開されていました。よろしくお願いします。 https://t.co/pGSp8OEI74
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土佐明治維新史とその歴史意識の形成 : 坂本龍馬を中心に
RT @zasetsushirazu: 知野文哉氏の博士論文「土佐明治維新史とその歴史意識の形成-坂本龍馬を中心に-」。読み応えがある。 なお知野氏には、著書『「坂本龍馬」の誕生』(人文書院)や、論文「坂崎紫瀾と土佐明治維新史の形成」(『鷹陵史学』46)、「瑞山会考」(『土佐史…
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広沢〔真臣〕参議横死事件と安藤則命
RT @zasetsushirazu: 明治4年1月9日(1871年2月27日)、広沢真臣が死去。何者かに暗殺されたが、真犯人は不明。当時、明治政府の参議を務めていた長州藩出身者は、広沢と木戸孝允だけだった。笠原英彦「広沢参議横死事件と安藤則命」(『法学研究』63-4)は、事件…
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神田外語大学附属図書館所蔵 シーボルト編/伊藤圭介・賀来佐之録「日本植物目録」について
RT @zasetsushirazu: 明治34年1月20日、伊藤圭介が死去。1803年〜1901年まで生きた日本初の理学博士。遠藤正治ほか「神田外語大学附属図書館所蔵シーボルト編/伊藤圭介・賀来佐之録「日本植物目録」について」(『神田外語大学日本研究所紀要』8)は、植物学を学…
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近代日本「健康保護」事業のための仕組みづくり : 長与専斎文部省医務局長及び内務省衛生局長時代を中心として
RT @zasetsushirazu: 明治35年9月8日、長与専斎が死去。幕末期に大坂の適塾で塾頭を務めた医師。小島和貴「近代日本「健康保護」事業のための仕組みづくり」(『桃山法学』29、2018年)曰く、文部省医務局長として制定を実現させた「医制」は、政府が「衛生行政権」を…
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斃休録
RT @kokeshinookimon: 彰義隊は成一郎と天野八郎のあいだで内部対立があって、成一郎たちは彰義隊と袂を分かつ。天野の史料については以下のものがある。 https://t.co/fhAd4Sc4RQ
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佐倉順天堂門人とその広がり--門人帳にみる門人とその史料をめぐって (共同研究 地域蘭学の総合的研究) -- (第二部 蘭学の地域的展開と交流)
RT @zasetsushirazu: 明治15年7月23日、佐藤尚中(舜海)が死去。幕末期に佐倉順天堂創始者・佐藤泰然の養子になった医師で、順天堂二代目堂主。明治天皇の侍医を務めた時期もある。土佐博文「佐倉順天堂門人とその広がり」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116)は、そ…
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江戸時代における養生書の研究--身体運動の養生的価値をめぐって
RT @zasetsushirazu: 明治22年7月19日、杉田玄端が死去。岩瀬忠震の推挙で蕃書調所に出仕した医師・蘭学者で、その後は外国奉行支配翻訳御用頭取や沼津陸軍医学所頭取などを務めた。鈴木敏夫「江戸時代における養生書の研究」(『北海道大学教育学部紀要』22)は、杉田の…
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渋沢栄一滞仏日記
吉村昭の「夜明けの雷鳴」には、凌雲先生が歯痛の栄一さんを治療するという一文が出てくるのですが、史実の栄一さんも歯痛でお仕事休んでました。凌雲先生の見舞=治療なのかな。 https://t.co/LN4pwNzAn9 https://t.co/1unVvSTeAq
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渋沢栄一滞仏日記
今日はあんまり凌雲先生に関する話は思いつかないのですが。強いていえば凌雲先生は本格的に医術を学ぶため、昭武公のお傍を離れて木村宗三とともに下宿生活に入ります。地名がわからないのですが、リウサンはル・サンでしょうか… 『巴里御在館日記』 https://t.co/ThYC8DvGvD https://t.co/zsffkDjN56
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航西日記
RT @rekishi_info: 渋沢栄一と杉浦愛蔵が残した旅行記『航西日記』は国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができます! https://t.co/UCtBRsFemZ #青天を衝け
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大名の乳幼児死亡率1651~1850年 : 大名系譜の分析
RT @k_hisane: 【大名の乳幼児死亡率1651~1850年 : 大名系譜の分析】 https://t.co/RXqMLcTXD4 江戸時代全体の乳幼児死亡率が大名家に絞っても42%な時点で、時代&出生地&出身がランダムなら、「生まれてすぐ死ぬ」が最大手というのは割と納…
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「政體書」体制時代における神田孝平の地方制度論 (松本睦樹教授定年退職記念号)
RT @zasetsushirazu: 明治31年7月5日、神田孝平が死去。蕃書調所・開成所で教授を務めた洋学者で、兵庫県令などを歴任。南森茂太「「政體書」体制時代における神田孝平の地方制度論」(『経営と経済』99(1-4))曰く、議事体裁取調所総裁の山内容堂の下で、政策ブレー…
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享保期から万延期に至る江戸城本丸御殿大奥御殿向内の御用場からみた将軍家における生活空間の変容
みなせさんと千代田城の厠を探しまくって、一応それらしきものは見つけたのですが、どうも確信が持てないので、まだネットの海をウロウロしてる。これは大奥の御用場についての論文。 https://t.co/M2FpkdCtR1
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続再夢紀事
容堂公が老中部屋に出入りしていたならそこで会うことはありそう。春嶽公は政事総裁職のとき別に控え室貰ってたみたいなので、そこで面会していたのか、又は城内に大名同士向けの面会スペースがあった?例えば梅屋敷事件の後周布さんの赦免を説得した場所はどこだったのかな。 https://t.co/jBt1lTBhUz https://t.co/Z6gBT8t93d https://t.co/vAgBuctbdQ
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第2代日本駐箚フランス公使ミッシェル・ジュ-ル・マリ-・レオン・ロッシュ(Michel Jules Marie Leon Roches,1809-1990)について
RT @zasetsushirazu: 1900年6月23日、レオン・ロッシュが死去(異説あり)。幕末の駐日フランス公使。略歴について、西堀昭「第2代日本駐箚フランス公使ミッシェル・ジュール・マリー・レオン・ロッシュ(Michel Jules Marie Leon Roches…
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西洋医術伝来史
昨日の海原先生の講座に関連して。この辺から明日読む。 https://t.co/fsL47jTRlQ
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臨時陸軍検疫部報告摘要
RT @irisiomaru: 臨時陸軍検疫部報告適要 https://t.co/AgEhcmUoPY 清でコレラ等蔓延の為、後藤新平らが日清戦争帰国兵士23万2千人を大規模検疫。「伝染病の危険の恐るべきこと弾丸より大」と突貫工事で瀬戸内海の似島彦島櫻島を検疫所に。潮水淡水冷水…
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中外医事新報
RT @yaduki_bm: 私が大変お世話になってる論文がネットで読めるようになってた 兵助の暗殺についてお医者さんがまとめてくれた論文です https://t.co/no5Brm1r1P
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鹿児島県の屋外彫刻
RT @zasetsushirazu: 明治43年6月16日、島津珍彦(島津備後)が死去。島津久光の子で、薩摩藩主・島津茂久(忠義)の弟。慶応3年には西郷隆盛や大久保利通に近い人物だった。針貝綾「鹿児島県の屋外彫刻」(『鹿児島県立短期大学地域研究所研究年報』34)は、大正期に建…
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二條斎敬殿容體書
川村正平関係文書の中に半井澄の名前を発見。明治8年だと澄さんは療病院にいる頃だと思うけど、二條斎敬を診たのは高階経支の関係かな。高階経支はおそらく典医高階経徳の父、経由の兄弟。 二條斎敬殿容體書 https://t.co/I5R0wvpPeh
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〔私党人名書上げ〕
RT @n_Fushimi_243: 川村正平関係文書56-42「私党人名書上げ」より 円四郎殿(平岡) 嘉兵衛殿(黒川) 作十郎殿(長谷川?) 勝三郎殿(猪飼) 亨造殿(榎本) 恵十郎(川村) このあたりが神メンという認識でよろしいでしょうか。 https://t.co/…
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国事鞅掌者の映像-2-〔含 権田直助,藤川三渓著書目録〕
RT @zasetsushirazu: 明治20年6月8日、権田直助が死去。国学者・医師で、慶応3年に江戸の薩摩藩邸に入り、相楽総三らと気脈を通じた。明治初期に、丸山作楽らと反政府の陰謀に関与したことを疑われた。安藤良平「国事鞅掌者の映像 2」(『跡見学園女子大学紀要』15)が…
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東湖全集
RT @yukikane66: 平岡円四郎のことを調べるのであれば、実父岡本忠次郎(豊洲)のことから調べなければならない。藤田東湖の『見聞偶筆』に忠次郎のことが書いてある。 https://t.co/U0mQOxfuSf
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明治九年七月ヨリ十年六月迄 警察費予算調
ふと思い立って村田さんの名前で検索してみたら、警保頭時代の書類が出てきた。警察制度といえば川路大警視があまりにも有名なんですが、村田さんの功績も少なくないと思います。 https://t.co/7Z6AEhRf7i
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関西巡回記
@812donchan お年を召した写真、大好きなんですよ~。国デジにある「関西巡回記」に載ってます
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柏原学介届書
先程リツイートした、鳴海さんが仰っていた、柏原学而が見立てをした川村さんの傷についての報告書。 柏原学介届書 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/uljbPme6QH
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御届
平岡さん暗殺の件を記した川村さんの報告書。ここにも柏原学而の名前が出てくる。川村さんの字はあまり崩れてなくて私でもそこそこ読めるので、書かれている内容が分かってしまって尚更ツラい…
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熊澤恵里子著, 『幕末維新期における教育の近代化に関する研究-近代学校教育の生成過程-』, 風間書房, 二〇〇七・六刊, A5, 五八六頁, 一五〇〇〇円
RT @zasetsushirazu: 『史学雑誌』118-3に掲載の、熊澤恵里子『幕末維新期における教育の近代化に関する研究-近代学校教育の生成過程-』(風間書房)の書評。評者は、『沼津兵学校の研究』(吉川弘文館)などの著書がある樋口雄彦氏。沼津兵学校に関係する部分の事実誤認…
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暴瀉病手当素人心得書
RT @iryotoyojo: 2/5 『暴瀉病手当素人心得書』オシャンデル 著/伊藤 圭介 訳 ドイツで出版された家庭医学書からコレラの項目を抄訳し、病態や家庭での対処法を伝える書。翻訳は日本初の理学博士として知られる本草学者・伊藤圭介。 出典:国会図書館デジタルコレクショ…
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徳川慶喜公伝
RT @Fukui_Pref_Arch: 【松平文庫でみる渋沢栄一 資料紹介その2】 今週の「青天を衝け」第14回では、いよいよ徳川慶喜との出会いが描かれます! 生涯、慶喜を尊敬し続けた栄一は、大正7年(1918)に『徳川慶喜公伝』全8巻を刊行。 本展示で一部紹介しています(画…
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幕末・維新期の対外観の転回 : 幕臣・外交官の岩瀬忠震(1818~61)を中心として
RT @zasetsushirazu: 安政5年3月24日(1858年5月7日)、幕臣の岩瀬忠震と福井藩の橋本左内が、初めて会った。その後、交流は活発になり、「外交問題や一橋派の運動を通じて、両者は信頼できる同志」になった(別所興一「幕末・維新期の対外観の転回」『愛知大学綜合郷…
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陶淵明集 : 訳註
自分用メモ。 「適何多處記」は陶淵明「蜡日」 https://t.co/dhxZAE8q8j
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松平春嶽の紀行文「東海紀行」
RT @ambujam10: 出典:「東海紀行」(17歳の公が成島筑山先生に出された旅の様子を書く宿題) 13日分しかない短くて読みやすい日記で、国会図書館のデジタルアーカイブで福井県文書館研究紀要掲載の翻刻文が読めます。雷嫌いを藩士に諫められたことや克服を誓ってるのが面白いで…
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学習院大学所蔵「徳川宗家旧蔵書」について(其の一)
RT @zasetsushirazu: 柳田直美「学習院大学所蔵「徳川宗家旧蔵書」について(其の一)」(『書物・出版と社会変容』26、2021年)は、明治8年に徳川家達が勝海舟を介して華族会館に寄贈した、徳川宗家の旧蔵書を考察。その中で、第14代将軍・徳川家茂が創設した学問所の…
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広沢真臣の子,健三のアメリカ留学について
RT @zasetsushirazu: 明治6年4月9日、広沢健三が死去。初期の明治政府で、木戸孝允と並ぶ長州藩出身の大物だった広沢真臣の子。米国留学中、 19歳の若さで病死した。重松優「広沢真臣の子,健三のアメリカ留学について」(『学苑』930、2018年)は、明治初年の教育…
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茶湯一会集
RT @kokeshinookimon: ちなみに武家の茶の湯というと、「麒麟がくる」のO田N長さんのように名品コレクターのイメージがありますが、井伊は「(茶器は)珍物を誉れとするにあらず。尋常の品にて取合はすは殊勝の事なり」としており、珍物名器主義を批判しています。 http…
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江戸城本丸絵図
RT @kokeshinookimon: 江戸城の図面もあるので、青天を見る楽しみとして参考にすると良いかも。 https://t.co/dNed5lwKB8
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神武天皇陵御修復と戸田忠至「中元御祝義金三百疋」 : 『庁攬』文久三年七月条より
RT @zasetsushirazu: 明治16年3月30日、幕末の山陵奉行だった戸田忠至が死去。外池昇「神武天皇陵御修復と戸田忠至「中元御祝義金三百疋」」(『成城大学共通教育論集』7、2014年)は、文久の修陵をめぐる戸田の悪評や、宇都宮藩家老の家督の身分から異例の大出世を遂…
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維新史料綱要
RT @itaru_ohyama: 『維新史料綱要』巻7 p54 幕府、征夷大将軍徳川慶喜の音称「よしひさ」を布告す https://t.co/rsDm1pDemz
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水府名家手簡
烈公の書は品がある隷書が多いですけれど、躍動感溢れる書翰の文字はアートと言っても過言ではないと思います。 https://t.co/HJIhpEasrw https://t.co/vjVhVkmIAe
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谷干城遺稿
RT @oretatami: 谷さん赤ズボン事件は谷の「長崎及上海日誌」に記載がないので元ネタはどこなんだろう?と思ってたら 千頭清臣の談話からかもしれない? https://t.co/PidULG3n8i
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維新史料綱要
RT @itaru_ohyama: 四日 征夷大将軍徳川家茂、特使ヲ彦根藩邸ニ遣シ、朝鮮人参ヲ大老井伊直弼ニ賜フ https://t.co/uwp94gEntI ほらぁ、将軍様から見舞の特使が来てるくらいだし、再生しかけてたんだよ。
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鐵心遺稿
この話、鐵心遺稿の中でようやく見つけた。何年放置してたのやら
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小原鉄心伝
自分用メモ 小原鉄心の福井旅行 https://t.co/kXbkcAeD8s https://t.co/MQuZGSHIhD
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皮膚の病と境界の神 : 日本「賤民」史研究への一階梯
酒湯についての詳細はこちらを参照。 皮膚の病と境界の神 https://t.co/TAgiyuNfAf
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論語と算盤
RT @kyubunken: 渋沢栄一著の「論語と算盤」は今読んでも大変おもしろいので、大河の前の予習にぜひ✨✨✨✨✨ ネットでも読めますが現代語訳本のほうが読みやすいので、本屋さんで探してみられても良いかと思います☺️ https://t.co/a2VbesOaaz
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続再夢紀事
@ambujam10 大蔵は春嶽公です
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明治初期の官業と民業(2) : 民業論に関する一考察
尾高淳忠が富岡製糸場工場長で思い出した。これ読もうと思って忘れてた!近々読む。(忘れないために呟いておく) https://t.co/vZjjujL9xw
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伊藤若冲 : 創造性の地下水脈としての自閉スペクトラム特性
読みたいリストに追加φ(..)メモメモ CiNii 論文 - 伊藤若冲 : 創造性の地下水脈としての自閉スペクトラム特性 https://t.co/ltuMB2oGgR #CiNii
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佐々木権六(長淳)に関する履歴・伝記史料の紹介
RT @zasetsushirazu: 大正5年1月25日、佐々木権六(佐々木長淳)が死去。越前福井藩出身で、幕末期には鉄砲製造など軍事の分野で働き、明治期は養蚕技術者になった。長野栄俊「佐々木権六(長淳)に関する履歴・伝記史料の紹介」(『若越郷土研究』52-2)は、研究の少な…
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清水卯三郎の政治観--『当世言逆論 政体篇』を素材として
RT @zasetsushirazu: 明治43年1月20日、清水卯三郎が死去。慶応3年のパリ万博に、唯一の日本人商人として出品。薩英戦争後に五代友厚と寺島宗則を匿った。白山映子「清水卯三郎の政治観」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』49)は、「海外からの啓蒙思想を移入した人…
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続再夢紀事
3コマ目の忙しい云々は、さらっとですが実際に書翰に書いてあります。ここで知己の交情に流されて断りきれずに書いてしまうのが春嶽公、流されないのが容堂公。(春嶽公経由での古香公からの依頼を長い間放置して、春嶽公に怒られてようやく揮毫した) https://t.co/eAn9UI9B0Z https://t.co/MJkSE4RPbf https://t.co/mLCqVAtG0X
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日本及日本人
@ambujam10 ありがとうございます!前から欲しい号でした
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江戸叢書 : 12巻
「武家年中行事」によると今日は「七種之御祝儀」ということで、大名たちは熨斗目麻裃をつけて登城したそうです。春嶽公が福井藩主として初めて「七種之御祝儀」で登城したのは、天保11年の正月7日、数え13歳のときでした。 武家年中行事 https://t.co/cRHkOwBqsb 家譜慶永 https://t.co/4Kr1ahqJA8 https://t.co/ko4j0dJxEk
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文献にみる江戸時代の牛肉食について
RT @tanakaru99: あと薩摩藩は江戸藩邸で豚を飼育していたようですし…他にも #徳川斉昭、#徳川慶喜 も肉好きですし、#桂小五郎 も牛肉を食してたり…おもしろエピソード多いですよね〰️
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江戸時代における豚の飼育と薩摩藩
RT @tanakaru99: あと薩摩藩は江戸藩邸で豚を飼育していたようですし…他にも #徳川斉昭、#徳川慶喜 も肉好きですし、#桂小五郎 も牛肉を食してたり…おもしろエピソード多いですよね〰️
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幕末期宇和島藩の動向(13)伊達宗城を中心に
RT @zasetsushirazu: 明治25年12月20日、幕末の宇和島藩主だった伊達宗城が死去。明治期にも日清修好条規を調印するなど活躍したが、三好昌文「幕末期宇和島藩の動向(13)」(『松山大学論集』12-6)曰く、宗城の解任で宇和島出身の政府官僚の多くが帰郷し、藩閥は…
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孝明天皇の松平容保宛て宸翰 : 久邇宮宛て秋月胤永書翰の問題点
RT @zasetsushirazu: 明治26年12月5日、松平容保が死去。幕末期、京都守護職を務めた。中西達治「孝明天皇の松平容保宛て宸翰」(『金城学院大学論集 人文科学編』16-2、2020年)は、孝明天皇が容保に与えた宸翰を明治天皇が把握していたかもしれないという、白石…
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福井県文書館講演 他国修行 : 福井藩教育改革の軌跡
RT @zasetsushirazu: 昭和5年11月17日、松平康荘が死去。幕末の越前福井藩主だった松平茂昭の子で、農学者。熊澤恵里子「他国修行-福井藩教育改革の軌跡-」(『福井県文書館研究紀要』9)は、康荘が海外留学先で農学を学んだ理由に、松平春嶽と親しかった福沢諭吉の助言…
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伊達宗城在京日記
@00srkw 在京日記は記載内容控えめでした(笑) https://t.co/VN5jveQDIL https://t.co/2FxQrWVB5Z
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南里有隣『神理十要』におけるキリスト教の影響--『天道溯原』との関連
RT @zasetsushirazu: 元治元年10月14日(1864年11月13日)、南里有隣が死去。佐賀藩出身の国学者。前田勉「南里有隣『神理十要』におけるキリスト教の影響」(『愛知教育大学研究報告 人文・社会科学』57)は、平田篤胤以降の国学にキリスト教の影響があるとする…
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福井県文書館講演 「公議」運動における福井の役割 : 横井小楠を通じて
RT @archivearticles: 福井県文書館講演 「公議」運動における福井の役割 : 横井小楠を通じて/ . 福井県文書館研究紀要(via CiNii Articles). https://t.co/9pFKpcVAHH
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大政奉還運動の展開過程
RT @zasetsushirazu: 慶応3年10月3日(1867年10月29日)、土佐藩が大政奉還を建白。井上勲「大政奉還運動の展開過程」(『学習院大学文学部研究年報』20)曰く、徳川慶喜は土佐藩論に、幕府から離反しつつある勢力を議院制に組み込み、「幕府もしくは徳川氏の政治…
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長州藩処分問題と薩摩藩 : 幕府・越前藩関係を中心に
RT @zasetsushirazu: 町田明広「長州藩処分問題と薩摩藩」(『神田外語大学日本研究所紀要』11、2019年)によれば、長州再征をめぐる薩摩藩の抗幕姿勢を気にかける幕閣に対して、中根雪江の意見に見られる越前藩の方針は薩摩藩に友好的で、薩摩藩と会津藩の確執が国政混乱…
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同愛社五十年史 : 日本救療事業史料
同愛社五十年史より凌雲先生の次男、高松静先生の写真。静先生は子供の頃、父親が大変厳しい人に見えたそうですが、父親や夫としての凌雲先生はどんな感じだったのか正直あまり想像がつきません。 https://t.co/auLhPU66Oz https://t.co/7IyRmJhgXT
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文部大臣を中心として評論せる日本教育の変遷
探しものをしていたら、全然違うところで春嶽公の逸話を発見。容保公は牛乳嫌いだったそうですが、春嶽公は愛飲してたっぽい。團野の牛乳屋って福井だけじゃなくて東京にもあったの? 文部大臣を中心として評論せる日本教育の変遷 https://t.co/D86WT5OeAj https://t.co/PGZivHyISa
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昨夢紀事
RT @bibliophilism: 『放課後ていぼう日誌』と『丁卯(ていぼう)日記』の著者・中根雪江。「釣り」つながり。 https://t.co/vdyts70Oga https://t.co/R2vThZA39G https://t.co/iR5Qao7Glv
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安井息軒の生涯--安井息軒研究(2)
RT @zasetsushirazu: 明治9年9月23日、儒学者・安井息軒が死去。私塾・三計塾の門人には、陸奥宗光・品川弥二郎・谷干城・雲井龍雄・世良修蔵・井上毅などがいた。古賀勝次郎「安井息軒の生涯」(『早稲田社会科学総合研究』8-2)によれば、藤田東湖を通じて徳川斉昭に攘…
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鍋島直正公伝
RT @mia66sa_ga: 公伝によるとですね… 直正公も「彼らは国の経済を知らず」って、ちょっと越前の人たちをディスってますね( ̄∀︎ ̄;) でも、「奥の兄」だからこのままにはしておけないって直正公は筆姫のこと大切に思ってたのね〜( ˘͈ ᵕ ˘͈ )
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明治初期日朝交渉における書契の問題
この前の桐野先生の講座でいまいち理解が及んでいなかった、幕末~明治初期~征韓論に至るまでの日朝関係。この論文を読んで、少し頭の中が整理できたかも。 明治初期日朝交渉における書契の問題 https://t.co/xHG210h9sT
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現代華族譜要
RT @kishimoto_yoshi: 昭和4(1929)年に出た『現代華族譜要』は華族の当主・略系図・家譜を記した本で、1996年に霞会館から発行された『平成新修旧華族家系大成』の原典となった文献。系図の記載は昭和3年までだが、入手が難しく、数万はする『平成…』の原典が国立…
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名判集成
名乗半切の話、本当は諱について触れてからじゃないといけないんだけど、昨日はEishunさんのツイート引用をえいやっと貼り付けて終わってしまいました。あとで追記します。 で、今日になって「名判集成」をチラ見してみたけど、やっぱり全く意味がわからない。 https://t.co/2ddHoxRlXc
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鍋島直正公伝
RT @mia66sa_ga: 春嶽公と閑叟公(直正)が将軍家茂に進講したときのお話。 「黎庶を赤子の如く思し召し給ふ御行こそ肝要なれ」は、 いかにも「領民の者は皆、子の如し」と言っていた直正公らしい。 春嶽公は学問のことを述べてるのが、春嶽公らしい気がする。 https:…
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神人と魔人
随分と前に春嶽公の名前で検索してひっかかった本。昨晩副島さん付近をウロウロしていたら再び行き当たったので、改めて目次を確認したらなんだか面白そうな人選でした。時間あるときに通読してみようかな。 https://t.co/HNiGD1DSpt https://t.co/rtMcN1pSo5
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日本語の教材としてのアーネスト・サトウ『会話篇』
RT @zasetsushirazu: 1929年8月26日、アーネスト・サトウが死去。幕末・明治の日本で通訳や公使として活躍した英国人で、神道や国学を研究するぐらい日本語が堪能。兪三善「日本語の教材としてのアーネスト・サトウ『会話篇』」(『實踐國文學』96)は、サトウの著作を…
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明治三年二月の「大學規則」における「教科」について : ドクトル・ベルリンの学校改革案とのかかわりをめぐって
数年前に読もうと思ったまますっかり失念していた論文の存在を思い出したので、今週中に読もう。 明治三年二月の「大學規則」における「教科」について : ドクトル・ベルリンの学校改革案とのかかわりをめぐって https://t.co/PN2IRMJc4V
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春岳遺稿
みなせさんのツイートを読んで思い出した、家臣達の様子が事細かにわかる春嶽公の筆によるこの漢文。慶應2年2月25日、家老の本多修理(復斎)の別荘で、春嶽公と公のお気に入りの家臣達が、思い思いに詩作したり、お酒を飲んだり、また談笑したりしている様子がよくわかります。 https://t.co/6NeLrYh0yL https://t.co/nM4Lu7n2pK
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豆腐百珍
朝食ブッフェに江戸時代の豆腐料理本に載っている「雪消飯」がありました。優しいお味でとても美味しかったので、おうちでも作りたい。 豆腐百珍 https://t.co/AqBureV9EK https://t.co/jXOUca0qDz
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隠岐国産物絵図注書
RT @NIJL_collectors: 何度見ても、「かせ鰐」「とびさめ」がイイ(国会デジコレ「隠岐国産物絵図注書」https://t.co/IuwJihwNIN ジャパンサーチ(BETA)ギャラリー「江戸の珍魚」https://t.co/fqomkeOdQM でも紹介され…
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春岳遺稿
そういえば淡交で紹介されていた容堂公の書翰で触れていた方外室は土佐散田邸の方かと思いますが、春嶽遺稿に載っている「方外室書畫文房圖録跋」は明治3年作なので、箱崎邸の方外室ですね。ふと思い出したので。 https://t.co/2eJYMNrjPx https://t.co/4oCjsYILjs
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近世後期の朝廷と幕府の災害祈禱 : 安永~安政期
RT @zasetsushirazu: 間瀬久美子「近世後期の朝廷と幕府の災害祈禱」(『千葉経済論叢』61、2019年)によれば、幕末の京都朝廷が行う祈祷は攘夷問題が大半となり、一方で幕府は地震災害に関連する祈祷を推進。内憂外患で権威を喪失した幕府は、祈祷の発令で権威の回復を企…
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続再夢紀事
@shibawankok2 日にもよるかと思いますが、習慣としては午の刻から未の刻までだそうです。 https://t.co/XXPxWYcVZH https://t.co/SI7L1N8ttA
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鍋島直正公伝
RT @mia66sa_ga: 松根の兄ちゃん、勤勉の度が過ぎて反感を買う。笑 https://t.co/OB89OSnYMK https://t.co/U2OppIYaZL
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読み替えられた「葉隠」 : その刊行と受容の歴史
RT @zasetsushirazu: 大正10年6月19日、鍋島直大が死去。幕末の肥前佐賀藩主で、鍋島閑叟の子。明治13年にイタリア公使として海外赴任。谷口眞子「読み替えられた「葉隠」」(『早稲田大学高等研究所紀要』9)は、中村郁一という人が、直大を通じて葉隠を天皇に献納しよ…
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隠居大名の幕末・維新―延岡藩内藤政義の『日記』から―
隠居大名でググってたら面白そうなものを発見。あとで読もう。 隠居大名の幕末・維新―延岡藩内藤政義の『日記』から― https://t.co/P9zQO3KCnL
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大鳥圭介関係史料について
RT @zasetsushirazu: 明治44年6月15日、大鳥圭介が死去。幕末の幕臣で、戊辰戦争・箱館戦争で新政府軍に抗戦。学習院の院長、清国公使などを歴任。長佐古美奈子「大鳥圭介関係史料について」(『学習院大学史料館紀要』18)は、大鳥の関係史料が孫の大鳥蘭三郎から寄贈さ…
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白鹿洞書院掲示
白鹿洞書院掲示 https://t.co/3H3qEoi114
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維新史談
「維新史談」によると、容堂公は口を漱ぐのにポン酢を用い、蚊を燻すときには蒼朮を焚いていたようですが、容堂公を気に入らない人は「公は口を漱ぐのに味醂を使い、蚊を燻すのに沈香を使う」と言ったとか。それを聞いた容堂公の言葉が、いかにも酒好きのら容堂公らしい。 https://t.co/EnZJxi54gT https://t.co/1iU04riLMf
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史籍雑纂
福井侯行実は書いてあることはだいたい本当、と雪江が言ってたけれど、この侍医の頭に墨引きの話はあまり春嶽公っぽくない話だなあと思うのは私だけでしょうかね。(画像とURLは国デジの史籍雑纂第二巻「松のさかへ」内の「福井侯行実」より。) https://t.co/FzbfKNclGJ https://t.co/mpnh9WvEpg
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賢哲伝
大正8年発行の「賢哲傳」という本に「福井侯行実」が載ってるの、全く知らなかった。そして「常陸帯」も載ってるの地味にありがたい♪ https://t.co/LITj3fJ95w
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維新功臣伝
相変わらず口が悪いというか、人を食ったような態度ですこと(笑)容堂公が箱崎邸にいる頃の話らしいけど、もしこれが本当にあったことなら、この某侯は誰なのか気になる。 https://t.co/W7KMfy4SlR https://t.co/vaVoLdB917
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中世後期守護権力の構造に関する比較史料学的研究
RT @merontomikan: 詳しくはこちらの科研の報告書「越前朝倉氏」の項目で論じましたので、最寄りの図書館等でご覧になってください▼ https://t.co/VxjLBehLNg
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福井藩の忍者に関する基礎的研究
RT @bibliophilism: 福井藩の「給帳」がエクセルとPDFで公開! 四代光通および六代吉品の代の「給帳」には、義経流軍学師・井原番右衛門の名も。井原は福井藩の忍者制度(忍之者・忍組)を導入・確立させた人物。 https://t.co/KdeXur0FlE 詳細は「…
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江戸時代におけるコレラ病の流行
海邸の鉄砲稽古のこと遡るのに手っ取り早いので久々に奉答紀事を繙く。嘉永元年に雪江が暴瀉病で瀕死の状態に落ちいった話をまた熟読。嘉永元年ってコレラの流行年でもないよね…と思ったけど、これ見たら割と死亡者多かった。 江 戸 時 代 に お け る コ レ ラ病 の 流 行 https://t.co/pe609juTyP
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立軒存稿
みなせさんの観海日誌に触発されて、この春嶽公の三国港巡りのときにお供をしていた矢嶋立軒の漢文を久々に読もうとしてるんだけど、睡魔到来(( _ _ ))..zzzZZ ちなみにみなせさんが描いてくださったシーンはこのあたりですね。 https://t.co/t3VCrea9NB https://t.co/JXxZ4ObcQx
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韮山県から慶應義塾への派遣学生
RT @zasetsushirazu: 樋口雄彦「資料紹介 韮山県から慶應義塾への派遣学生」(『近代日本研究』34、2017年)によれば、明治初年の韮山代官江川家の当主は江川英武だが、幼少のため実務は柏木忠俊が担った。その柏木が推進したのが、県民の東京などへの遊学、中でも慶應義…
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女性皇族の衣装の変移について : 明治の洋装化がもたらしたもの
RT @zasetsushirazu: 彬子女王「女性皇族の衣装の変移について」(『京都産業大学日本文化研究所紀要』24、2019年)は、お雇い外国人たちが「ヨーロッパ宮廷では古来の衣装を用いる向きがある」として女性皇族の洋装化に否定的な一方で、伊藤博文らが形からの西洋化を試み…
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知恩院・京都写真発祥の地-堀内信重の業績
RT @zasetsushirazu: 中川邦昭「知恩院・京都写真発祥の地-堀内信重の業績-」(『日本写真学会誌』67-2)は、慶応元年の堀与兵衛が京都における写真撮影の先駆者だという説を疑問視し、『越前藩幕末維新公用日記』(福井県郷土誌懇談会)の口絵写真などを手がかりに堀内信…
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春岳遺稿
@ambujam10 私は泳げないので、あの部分を読むと背筋がゾワゾワします(ノД`ll) 春嶽公の漢詩と和歌は春嶽遺稿にまとまっていて、国デジでご覧いただけますよ♪巻1,2が漢文漢詩で3,4が和歌です。たくさん載ってますが、恐らくこれでも公の詩歌の膨大な量の一部に過ぎないと思われます… https://t.co/E9wdf7v83X
お気に入り一覧(最新100件)
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文久・元治年間における三条実美の歴史的位置 -長州藩領滞在期に着目して-
拙稿「文久・元治年間における三条実美の歴史的位置」が機関リポジトリで公開されていました。よろしくお願いします。 https://t.co/pGSp8OEI74
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芳野金陵家塾「逢原堂」門人録の翻印
芳野金陵の門人録。伊庭八郎、金陵と繋がりは有名かもしれませんがはっきり文久二年に門下生になっていたんですね。しかし三郎とは誰か。 https://t.co/7PobufAbyx
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戊辰戦争と秋月悌次郎
鳥羽伏見戦争前後の会津藩の動きや奥州列藩同盟の成立後の事態において秋月悌次郎がどのように関わっていたのかが述べられた論文を、別件事項検索中に見つけたのでプリントアウト。そのうち読みます。 CiNii 論文 - 戊辰戦争と秋月悌次郎 https://t.co/Xg9RUHwTaL #CiNii
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広沢〔真臣〕参議横死事件と安藤則命
明治4年1月9日(1871年2月27日)、広沢真臣が死去。何者かに暗殺されたが、真犯人は不明。当時、明治政府の参議を務めていた長州藩出身者は、広沢と木戸孝允だけだった。笠原英彦「広沢参議横死事件と安藤則命」(『法学研究』63-4)は、事件捜査に関する通説を再検証。 https://t.co/XCToPjhXws
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坂崎紫瀾と土佐明治維新史の形成 : 「汗血千里の駒」を中心に
大正2年2月17日、坂崎紫瀾(坂崎斌)が死去。坂本龍馬を主役に据えた小説『汗血千里の駒』の作者で、瑞山会の『維新土佐勤王史』の執筆も担当した。知野文哉「坂崎紫瀾と土佐明治維新史の形成」(『鷹陵史学』46)は、土佐の維新史を語る上での坂崎の重要性について考察。 https://t.co/llVIzrnJpP
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盲唖学校の成立と山尾庸三(補遺) : 建白書と暗殺事件
文久2年12月22日(1863年2月10日)、国学者・塙忠宝(塙次郎)が死去。塙保己一の長男で、『続群書類従』などを編纂した。久田信行「盲唖学校の成立と山尾庸三(補遺)」(『群馬大学教育実践研究』31)は、伊藤博文と山尾庸三が塙を暗殺したことは「ほぼ確実」とする。 https://t.co/WwIBcyl1u9
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神田外語大学附属図書館所蔵 シーボルト編/伊藤圭介・賀来佐之録「日本植物目録」について
明治34年1月20日、伊藤圭介が死去。1803年〜1901年まで生きた日本初の理学博士。遠藤正治ほか「神田外語大学附属図書館所蔵シーボルト編/伊藤圭介・賀来佐之録「日本植物目録」について」(『神田外語大学日本研究所紀要』8)は、植物学を学んだシーボルト関連の史料を紹介。 https://t.co/ewXW3JBGFf
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黎明期の日本人米国留学生 : 横井左平太と津田静一
明治42年12月28日、津田静一が死去。幕末の熊本藩出身で、明治初期に米国留学。留学先での演説「日本の政体」は、現地の新聞で紹介された。佐々友房らと共に紫溟(しめい)会を結成。津田の留学に関しては、高木不二「黎明期の日本人米国留学生」(『近代日本研究』34)がある。 https://t.co/1hgf8UVnf7
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明治二十年のファンシーボール : あるいは鹿鳴館外交の挫折について
伊藤博文邸でのファンシーボールは渋沢も参加してたみたいやけど、大河で仮装舞踏会ある? 直大公と栄子さまのファンシーボール映る?
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伊藤博文公
伊藤博文没後20年に国民新聞主催で行われた講演の講演録『伊藤博文公』に収録されている渋沢栄一の講演が面白いです。伊藤と渋沢の関係を知る上でも有益かも。 https://t.co/Mi6kLJu62Y
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近代日本「健康保護」事業のための仕組みづくり : 長与専斎文部省医務局長及び内務省衛生局長時代を中心として
明治35年9月8日、長与専斎が死去。幕末期に大坂の適塾で塾頭を務めた医師。小島和貴「近代日本「健康保護」事業のための仕組みづくり」(『桃山法学』29、2018年)曰く、文部省医務局長として制定を実現させた「医制」は、政府が「衛生行政権」を掌握する仕組みを用意した。 https://t.co/FQr9jSwY8e
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斃休録
彰義隊は成一郎と天野八郎のあいだで内部対立があって、成一郎たちは彰義隊と袂を分かつ。天野の史料については以下のものがある。 https://t.co/fhAd4Sc4RQ
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慶応二年政局における薩摩藩の動向―藩政改革と薩英関係の伸展
慶応2年6月18日(1866年7月29日)、西郷隆盛が寺島宗則らを伴い、鹿児島滞在中の駐日英国公使パークスと会談した。町田明広「慶応二年政局における薩摩藩の動向」(『神田外語大学日本研究所紀要』13、2021年)によれば、「薩英間の本格的な国内での蜜月関係」に結実した。 https://t.co/wLdjTVJyEi
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佐倉順天堂門人とその広がり--門人帳にみる門人とその史料をめぐって (共同研究 地域蘭学の総合的研究) -- (第二部 蘭学の地域的展開と交流)
明治15年7月23日、佐藤尚中(舜海)が死去。幕末期に佐倉順天堂創始者・佐藤泰然の養子になった医師で、順天堂二代目堂主。明治天皇の侍医を務めた時期もある。土佐博文「佐倉順天堂門人とその広がり」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116)は、その門人に関する分析。 https://t.co/xCZeOthyRO
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江戸時代における養生書の研究--身体運動の養生的価値をめぐって
明治22年7月19日、杉田玄端が死去。岩瀬忠震の推挙で蕃書調所に出仕した医師・蘭学者で、その後は外国奉行支配翻訳御用頭取や沼津陸軍医学所頭取などを務めた。鈴木敏夫「江戸時代における養生書の研究」(『北海道大学教育学部紀要』22)は、杉田の著書『健全学』を分析。 https://t.co/3zmjpnipJu
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横浜鎖港使節・パリ万博使節他写真
文久期に横浜鎖港交渉のため渡仏した使節団とパリ万博視察の使節団の随員写真。なかには羽織にワイシャツを合わせるような格好の者もいる。 https://t.co/2zCfd1HKSm
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国際法より観たる幕末外交物語
小栗上野介の600万ドル借款で思い出しすのが「岸川家文書」。 由来がとてもドラマチックなのですが、最新研究だとどういう位置づけになるのかしら。 #青天を衝け https://t.co/WbHSd5HaEi
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大名の乳幼児死亡率1651~1850年 : 大名系譜の分析
【大名の乳幼児死亡率1651~1850年 : 大名系譜の分析】 https://t.co/RXqMLcTXD4 江戸時代全体の乳幼児死亡率が大名家に絞っても42%な時点で、時代&出生地&出身がランダムなら、「生まれてすぐ死ぬ」が最大手というのは割と納得できるというか、リセマラ感がある(当たりを引いても生き残れるかは別 https://t.co/8PcLZwCQse
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「政體書」体制時代における神田孝平の地方制度論 (松本睦樹教授定年退職記念号)
明治31年7月5日、神田孝平が死去。蕃書調所・開成所で教授を務めた洋学者で、兵庫県令などを歴任。南森茂太「「政體書」体制時代における神田孝平の地方制度論」(『経営と経済』99(1-4))曰く、議事体裁取調所総裁の山内容堂の下で、政策ブレーンとして働いた時期もある。 https://t.co/qv04A8yVtp
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白虎隊勇士列伝 : 絵入
なぜ手を触れてはいけないかというと 「此農民甚しき惡漢にして各士の金嚢及ひ大小刀上着等を掠奪し而して屍を棄てゝ埋めす」 と、こういうことをするヤツがいるからだ。 https://t.co/VQtnzgoAT4
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第2代日本駐箚フランス公使ミッシェル・ジュ-ル・マリ-・レオン・ロッシュ(Michel Jules Marie Leon Roches,1809-1990)について
1900年6月23日、レオン・ロッシュが死去(異説あり)。幕末の駐日フランス公使。略歴について、西堀昭「第2代日本駐箚フランス公使ミッシェル・ジュール・マリー・レオン・ロッシュ(Michel Jules Marie Leon Roches, 1809-1900)について」(『横浜経営研究』19-1)参照。 https://t.co/pPWTn3w1Gm
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臨時陸軍検疫部報告摘要
臨時陸軍検疫部報告適要 https://t.co/AgEhcmUoPY 清でコレラ等蔓延の為、後藤新平らが日清戦争帰国兵士23万2千人を大規模検疫。「伝染病の危険の恐るべきこと弾丸より大」と突貫工事で瀬戸内海の似島彦島櫻島を検疫所に。潮水淡水冷水の風呂場、薬品消毒室、乾燥室を備え衣服や毛布はボイラ蒸気で消毒 https://t.co/ttrbRhbQPg
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中外医事新報
私が大変お世話になってる論文がネットで読めるようになってた 兵助の暗殺についてお医者さんがまとめてくれた論文です https://t.co/no5Brm1r1P
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鹿児島県の屋外彫刻
明治43年6月16日、島津珍彦(島津備後)が死去。島津久光の子で、薩摩藩主・島津茂久(忠義)の弟。慶応3年には西郷隆盛や大久保利通に近い人物だった。針貝綾「鹿児島県の屋外彫刻」(『鹿児島県立短期大学地域研究所研究年報』34)は、大正期に建立された珍彦の銅像に言及。 https://t.co/5LeweLiHtX
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〔私党人名書上げ〕
川村正平関係文書56-42「私党人名書上げ」より 円四郎殿(平岡) 嘉兵衛殿(黒川) 作十郎殿(長谷川?) 勝三郎殿(猪飼) 亨造殿(榎本) 恵十郎(川村) このあたりが神メンという認識でよろしいでしょうか。 https://t.co/VsdTXrKtRd https://t.co/FOrciJvicS
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国事鞅掌者の映像-2-〔含 権田直助,藤川三渓著書目録〕
明治20年6月8日、権田直助が死去。国学者・医師で、慶応3年に江戸の薩摩藩邸に入り、相楽総三らと気脈を通じた。明治初期に、丸山作楽らと反政府の陰謀に関与したことを疑われた。安藤良平「国事鞅掌者の映像 2」(『跡見学園女子大学紀要』15)が、権田の著作一覧を掲載。 https://t.co/aTdhajB1Qh
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幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化 : 「御用状」にみえる土佐勤王党への対応を素材に
https://t.co/Oy2Yy6KWIi 幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化 : 「御用状」にみえる土佐勤王党への対応を素材に 「土佐藩京都藩邸史料」では土佐勤王党のこともこんなにいろいろ書かれてるんだあ…!面白かったです
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東湖全集
平岡円四郎のことを調べるのであれば、実父岡本忠次郎(豊洲)のことから調べなければならない。藤田東湖の『見聞偶筆』に忠次郎のことが書いてある。 https://t.co/U0mQOxfuSf
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口上覚
皆さん呟かれていた国図の川村正平関係文書、落合直亮の上書もありました。小仏関所の武器類が古く破損しているから修繕して!というもの。弓矢・鉄砲・六尺棒・捕縄などがその対象ですが、なかなか古典的
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幕末・維新期における両敬関係の構築とその意義
週明けの図書館で複写する文献(メモ) https://t.co/fOp1nn0cLM
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維新土佐勤王史
https://t.co/jElmf1LvSG 維新土佐勤王史読者に一大インパクトを与える尾崎幸之進さんの「奇行異装」集!! RT
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鈴藤勇次郎書簡 川村正平宛
この鈴藤からの書簡は国立国会図書館デジタルコレクションで公開されているから、現物を見て欲しい。 https://t.co/SWlDBMy7c1
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書評 香西豊子著『種痘という〈衛生〉 : 近世日本における予防接種の歴史』
海原亮氏の書評、読む人が読めばいかにこの本が問題含みかよくわかるように周到に書かれている。この本が素人目に日本の種痘史の基本書のように見える状況は本当にまずいので。 https://t.co/NhSlNPo4Mp
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熊澤恵里子著, 『幕末維新期における教育の近代化に関する研究-近代学校教育の生成過程-』, 風間書房, 二〇〇七・六刊, A5, 五八六頁, 一五〇〇〇円
『史学雑誌』118-3に掲載の、熊澤恵里子『幕末維新期における教育の近代化に関する研究-近代学校教育の生成過程-』(風間書房)の書評。評者は、『沼津兵学校の研究』(吉川弘文館)などの著書がある樋口雄彦氏。沼津兵学校に関係する部分の事実誤認を中心に論評。 https://t.co/LQggmhLRBX
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徳川慶喜公伝
【松平文庫でみる渋沢栄一 資料紹介その2】 今週の「青天を衝け」第14回では、いよいよ徳川慶喜との出会いが描かれます! 生涯、慶喜を尊敬し続けた栄一は、大正7年(1918)に『徳川慶喜公伝』全8巻を刊行。 本展示で一部紹介しています(画像は国立国会図書館HPより)。https://t.co/RaF7htpuMB https://t.co/yBGyNSxl2C
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暴瀉病手当素人心得書
2/5 『暴瀉病手当素人心得書』オシャンデル 著/伊藤 圭介 訳 ドイツで出版された家庭医学書からコレラの項目を抄訳し、病態や家庭での対処法を伝える書。翻訳は日本初の理学博士として知られる本草学者・伊藤圭介。 出典:国会図書館デジタルコレクション https://t.co/ZswjdsnWLO https://t.co/qrgqfTdKhD
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幕末・維新期の対外観の転回 : 幕臣・外交官の岩瀬忠震(1818~61)を中心として
安政5年3月24日(1858年5月7日)、幕臣の岩瀬忠震と福井藩の橋本左内が、初めて会った。その後、交流は活発になり、「外交問題や一橋派の運動を通じて、両者は信頼できる同志」になった(別所興一「幕末・維新期の対外観の転回」『愛知大学綜合郷土研究所紀要』62、2017年)。 https://t.co/4Oi2rr1nFQ
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第一次長州征伐における薩摩藩――西郷吉之助の動向を中心に――
明治29年5月6日、高崎五六(高崎猪太郎)が死去。町田明広「第一次長州征伐における薩摩藩」(『神田外語大学日本研究所紀要』8)及び同『薩長同盟論』(人文書院)曰く、元治元年に岩国領主・吉川経幹に対して、長州征伐を寛典処分とする薩摩藩・島津久光の方針を伝えた。 https://t.co/xUZx0nyPvK
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松平春嶽の紀行文「東海紀行」
出典:「東海紀行」(17歳の公が成島筑山先生に出された旅の様子を書く宿題) 13日分しかない短くて読みやすい日記で、国会図書館のデジタルアーカイブで福井県文書館研究紀要掲載の翻刻文が読めます。雷嫌いを藩士に諫められたことや克服を誓ってるのが面白いです(*´艸`*) https://t.co/bGwYUjjvOc
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尊攘論の時代
慶応4年4月5日(1868年4月27日)、水戸藩主・徳川慶篤が死去。徳川斉昭の子で、徳川慶喜の兄。文久3年に「生麦事件処理の責任者」(高橋秀直「尊攘論の時代」『京都大学文学部研究紀要』44)。慶篤の死で、パリにいた弟・徳川昭武が帰国し(渋沢栄一が同行)、水戸藩主に。 https://t.co/ynNtrigDya
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津田仙の信仰と生涯 (深町正信先生・廣瀬久允先生退職記念号)
明治41年4月24日、津田仙が死去(死去日に異説あり)。ペリー来航時、佐倉藩の一員として江戸湾警備に参加。慶応3年には通訳として、福沢諭吉らと共に渡米。津田梅子の父親で、嶋田順好「津田仙の信仰と生涯」(『キリスト教と文化』24)曰く、草創期のキリスト教界の指導者。 https://t.co/BiBbisqVl9
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学習院大学所蔵「徳川宗家旧蔵書」について(其の一)
柳田直美「学習院大学所蔵「徳川宗家旧蔵書」について(其の一)」(『書物・出版と社会変容』26、2021年)は、明治8年に徳川家達が勝海舟を介して華族会館に寄贈した、徳川宗家の旧蔵書を考察。その中で、第14代将軍・徳川家茂が創設した学問所の蔵書印などに着目。 https://t.co/Vs0MMmj4NB
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幕末政治家
参考文献 福地源一郎著『懐往事談』の中から、 第五 井伊大老の不人気、井伊大老の横死 小山文雄著『明治の異才 福地桜痴』中央公論社 1984年 福地桜痴著 佐々木潤之介校注『幕末政治家』岩波書店 2003年 https://t.co/ytCdfYYSPr
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懐往事談 : 付・新聞紙実歴
#青天を衝け 9話、桜田門外の変により井伊大老が横死しました。 今回は、旧幕臣・福地源一郎の著書『懐往事談』から、#水野忠徳 #水野筑後守 が井伊直弼と桜田門外の変をどうとらえたか、を追ってみたいと思います。 https://t.co/lAz11AwcXE
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広沢真臣の子,健三のアメリカ留学について
明治6年4月9日、広沢健三が死去。初期の明治政府で、木戸孝允と並ぶ長州藩出身の大物だった広沢真臣の子。米国留学中、 19歳の若さで病死した。重松優「広沢真臣の子,健三のアメリカ留学について」(『学苑』930、2018年)は、明治初年の教育や国際交流の事例として分析。 https://t.co/FSVytV8mS2
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[維新史料編纂会]講演速記録
@nagisanoyuki ご教示有難うございます‼️ メニューのURLって、そのためにあったのですね
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明治天皇行幸年表
『明治天皇行幸年表』(明治天皇聖蹟保存会 編、大行堂、昭和8年)の96頁に記載がありました。(国会図書館デジタルコレクションでは56コマ) https://t.co/51Gmk4UMUP https://t.co/MChuhJINNR
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[維新史料編纂会]講演速記録
調べ物をしていたら #渋沢栄一 が自らを山芋とウナギに喩えているのを発見。 攘夷を叫んでいた頃 → 山芋 渡欧する頃=開国論 → 半分ほど鰻 半分ウナギな山芋って新種の妖怪?
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茶湯一会集
ちなみに武家の茶の湯というと、「麒麟がくる」のO田N長さんのように名品コレクターのイメージがありますが、井伊は「(茶器は)珍物を誉れとするにあらず。尋常の品にて取合はすは殊勝の事なり」としており、珍物名器主義を批判しています。 https://t.co/1yC1siQUKS
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谷干城遺稿
https://t.co/ksYDlTmEiH 谷さんが「余と山内家との関係」で山一商会の失敗の黒幕は板垣と後藤のせい><と語ってるの好き。 「この大失敗の大参謀は板垣と後藤なり。金子真辺は両氏の犠牲となれり。これより後藤板垣氏山内家に遠くなれり」
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南洲翁逸話
家近良樹『西郷隆盛』でも参考にされてたこれ、面白い。鹿児島の各町村に調査委員を置いて、まだ存命だった古老からの聞き取りを収めたもの。鹿児島に銅像が出来たときに発行されたらしい。こういう仕事は本当に重要で、いい仕事されたと思う。 https://t.co/XhKJ2Whtya
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江戸後期庶民のお茶
ではなく、水でもなく、お茶。 こういう論文を読むのである。 https://t.co/wM5KaVqp4R
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神武天皇陵御修復と戸田忠至「中元御祝義金三百疋」 : 『庁攬』文久三年七月条より
明治16年3月30日、幕末の山陵奉行だった戸田忠至が死去。外池昇「神武天皇陵御修復と戸田忠至「中元御祝義金三百疋」」(『成城大学共通教育論集』7、2014年)は、文久の修陵をめぐる戸田の悪評や、宇都宮藩家老の家督の身分から異例の大出世を遂げたことなどに言及。 https://t.co/2mmDsYjLT5
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江戸城本丸絵図
江戸城の図面もあるので、青天を見る楽しみとして参考にすると良いかも。 https://t.co/dNed5lwKB8
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鉄舟言行録
山岡鉄舟は武士道を「神・儒・仏、三道融和」だとしている。 https://t.co/ezTHVq6wBz 「鉄太郎、之を名付けて武士道と云ふ」 武士道という概念を提唱したのは俺だ! そうなんだけど、それって通俗道徳も中味は同じでしょ
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生きている歴史
https://t.co/iczbhDD9It 虎太郎の人物評を読むの好きなのですが 虎太郎の甲冑姿を目撃して「甲冑に身を固めてその上から目の覚めるような猩々緋の陣羽織を着て…実に見事な武者姿でした。…しかし相当重いと見えて家来が二人がかりで後からその兜を支えるようにして歩いて行きました」も面白いな~
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維新史料綱要
『維新史料綱要』巻7 p54 幕府、征夷大将軍徳川慶喜の音称「よしひさ」を布告す https://t.co/rsDm1pDemz
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王政復古前後の政局と公議 : 新発田藩を事例に
青山忠正「王政復古前後の政局と公議-新発田藩を事例に-」(『歴史学部論集』10、2020年)曰く、王政復古政変前後の政局では、「その他大勢」の在京諸大名勢力が京都政局の多数意見を形成し、政局の方向性を掣肘した。長州藩毛利家の官位復旧の問題も同様だったとのこと。 https://t.co/mQtU5Cpids
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武田観柳斎書簡 河村宛
この書簡で武田観柳斎は桂川で魚釣りしたと書いており、つまりそれだけ非番の日が多かったということなんでしょうね。しかし武田と釣りで絡めたフィクションは意外に少なそうです。 https://t.co/Bgt0hxnN9R
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谷干城遺稿
谷さん赤ズボン事件は谷の「長崎及上海日誌」に記載がないので元ネタはどこなんだろう?と思ってたら 千頭清臣の談話からかもしれない? https://t.co/PidULG3n8i
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近世史料にみる憑き物「オーサキ狐」の諸相
昨日の青天を衝けで出てきた狐憑きについての論考。 近世中後期から武蔵において尾裂き狐が社会問題化していったからこそ、栄一の家はあんな騒動になったわけで… https://t.co/JMeaFo5lmW
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遺稿永井道明自叙伝
超ー!!ややこしいですけど、こんな家系図です。 :藤田東湖と永井道明の家系図 #いだてん #青天を衝け https://t.co/RjQfCfS1J6 情報出典 :『遺稿永井道明自叙伝』 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/k1z2vjSsQG https://t.co/I8LFSTdrZl
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維新史料綱要
四日 征夷大将軍徳川家茂、特使ヲ彦根藩邸ニ遣シ、朝鮮人参ヲ大老井伊直弼ニ賜フ https://t.co/uwp94gEntI ほらぁ、将軍様から見舞の特使が来てるくらいだし、再生しかけてたんだよ。
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「士族の商法」再考
この論文おもろいで。 https://t.co/bg8KYI5W0U
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論語と算盤
渋沢栄一著の「論語と算盤」は今読んでも大変おもしろいので、大河の前の予習にぜひ✨✨✨✨✨ ネットでも読めますが現代語訳本のほうが読みやすいので、本屋さんで探してみられても良いかと思います☺️ https://t.co/a2VbesOaaz
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鶯宿雑記
#みんなで翻刻 のお釜みたいなマスコット「そらまる」。「虚舟(うつろ舟)」に似てるなぁって思ってたら、そのものがモデルなんですね。享和3年(1803)常陸国に漂着したとされる乗り物。画像は「鶯宿雑記. 巻14」(NDLデジタルコレクション)より。https://t.co/fuOHyp9W5C https://t.co/M0fo5Gz5Dt https://t.co/E9L8VBCH5B
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井上虎三時代併順天堂醫院創業當時
こんなんあったんかーい ╰( ^o^)╮-=ニ=一=三https://t.co/sOH32Nx6Yw 読む
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『官許佛和辭典』と岡田好樹をめぐって
大正15年2月10日、岡田好樹(岡田誠一)が死去。幕末の長崎・済美館で何礼之らと共に英語を教え、フルベッキと一緒に写真撮影もした。最初の仏和辞書も出版。中井えり子「『官許佛和辭典』と岡田好樹をめぐって」(『名古屋大学附属図書館研究年報』6)が、その履歴を紹介。 https://t.co/h2IH2rs3KY
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幕末期アイヌ風俗改変政策に関する地理的考察 : 後藤蔵吉『蝦夷日記』の検討を中心として (三ツ木芳夫・長谷部宗吉・松田潤先生 送別号)
濱口裕介「幕末期カラフトを踏査した佐倉藩士たち」(『佐倉市史研究』31)は講演録。 関連の深いほかの論文に、「安政年間における老中家臣の蝦夷地調査」(『史友』35)、「幕末期アイヌ風俗改変政策に関する地理的考察」(『札幌大学女子短期大学部紀要』64)などがある。 https://t.co/xJkptvdFep
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保健衛生新横浜之建設
出典を忘れてた。 https://t.co/0oP8xUbDMD
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山県有朋とその館
大正11年2月1日、山県有朋が死去。長州藩出身で、幕末期に奇兵隊の幹部。内閣総理大臣に2度就任。伊藤博文と並ぶ元老の最有力者で、政治・軍事の両面で大きな影響力を有した。佐藤信「山県有朋とその館」(『日本研究』51)は、「空間に興味を持った人物」として分析。 https://t.co/bpc1fSErMm
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佐々木権六(長淳)に関する履歴・伝記史料の紹介
大正5年1月25日、佐々木権六(佐々木長淳)が死去。越前福井藩出身で、幕末期には鉄砲製造など軍事の分野で働き、明治期は養蚕技術者になった。長野栄俊「佐々木権六(長淳)に関する履歴・伝記史料の紹介」(『若越郷土研究』52-2)は、研究の少ない幕末期の史料を紹介。 https://t.co/nT4g2bSAGj
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清水卯三郎の政治観--『当世言逆論 政体篇』を素材として
明治43年1月20日、清水卯三郎が死去。慶応3年のパリ万博に、唯一の日本人商人として出品。薩英戦争後に五代友厚と寺島宗則を匿った。白山映子「清水卯三郎の政治観」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』49)は、「海外からの啓蒙思想を移入した人物」の1人として分析。 https://t.co/94lpM0o3v7
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文献にみる江戸時代の牛肉食について
あと薩摩藩は江戸藩邸で豚を飼育していたようですし…他にも #徳川斉昭、#徳川慶喜 も肉好きですし、#桂小五郎 も牛肉を食してたり…おもしろエピソード多いですよね〰️
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江戸時代における豚の飼育と薩摩藩
あと薩摩藩は江戸藩邸で豚を飼育していたようですし…他にも #徳川斉昭、#徳川慶喜 も肉好きですし、#桂小五郎 も牛肉を食してたり…おもしろエピソード多いですよね〰️
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明治前期の「貴紳の茶の湯」 : 『幟仁親王日記』および『東久世通禧日記』にみる喫茶文化の状況
明治45年1月4日、東久世通禧が死去。文久3年8月18日政変の際の、「七卿落ち」の公家の1人。明治期に外国事務総督、北海道開拓使長官、侍従長、貴族院副議長などを歴任。廣田吉崇「明治前期の「貴紳の茶の湯」」(『日本研究』45、2012年)は、東久世の日記を分析素材とする。 https://t.co/1kkKgGGdm6
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幕末期宇和島藩の動向(13)伊達宗城を中心に
明治25年12月20日、幕末の宇和島藩主だった伊達宗城が死去。明治期にも日清修好条規を調印するなど活躍したが、三好昌文「幕末期宇和島藩の動向(13)」(『松山大学論集』12-6)曰く、宗城の解任で宇和島出身の政府官僚の多くが帰郷し、藩閥は形成されなかった。 https://t.co/ErSjmJSIEO
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孝明天皇の松平容保宛て宸翰 : 久邇宮宛て秋月胤永書翰の問題点
明治26年12月5日、松平容保が死去。幕末期、京都守護職を務めた。中西達治「孝明天皇の松平容保宛て宸翰」(『金城学院大学論集 人文科学編』16-2、2020年)は、孝明天皇が容保に与えた宸翰を明治天皇が把握していたかもしれないという、白石烈氏の近年の見解などを考察。 https://t.co/HLGKVvJKbb
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第一次長州征伐における薩摩藩――西郷吉之助の動向を中心に――
元治元年10月24日(1864年11月23日)、徳川慶勝(第1次長州征伐の総督)が西郷隆盛に意見を諮問した。町田明広「第一次長州征伐における薩摩藩」(『神田外語大学日本研究所紀要』8)曰く、慶勝は西郷を信頼し、西郷は「事実上の総督府の参謀」として遇されるようになった。 https://t.co/xUZx0nyPvK
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福井県文書館講演 他国修行 : 福井藩教育改革の軌跡
昭和5年11月17日、松平康荘が死去。幕末の越前福井藩主だった松平茂昭の子で、農学者。熊澤恵里子「他国修行-福井藩教育改革の軌跡-」(『福井県文書館研究紀要』9)は、康荘が海外留学先で農学を学んだ理由に、松平春嶽と親しかった福沢諭吉の助言があった可能性に言及。 https://t.co/efdPb5gvmH
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南里有隣『神理十要』におけるキリスト教の影響--『天道溯原』との関連
元治元年10月14日(1864年11月13日)、南里有隣が死去。佐賀藩出身の国学者。前田勉「南里有隣『神理十要』におけるキリスト教の影響」(『愛知教育大学研究報告 人文・社会科学』57)は、平田篤胤以降の国学にキリスト教の影響があるとする議論を受けて、有隣の思想を分析。 https://t.co/fxpesYdv2B
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原市之進暗殺事件の高橋泥舟・山岡鉄舟黒幕説を否定する
『原市之進暗殺事件の高橋泥舟・山岡鉄舟黒幕説を否定する』がciniiに投稿されていました。この事件に関しては画期的な論考になりました。 https://t.co/VpAa3pCoba
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福井県文書館講演 「公議」運動における福井の役割 : 横井小楠を通じて
福井県文書館講演 「公議」運動における福井の役割 : 横井小楠を通じて/ . 福井県文書館研究紀要(via CiNii Articles). https://t.co/9pFKpcVAHH
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大政奉還運動の展開過程
慶応3年10月3日(1867年10月29日)、土佐藩が大政奉還を建白。井上勲「大政奉還運動の展開過程」(『学習院大学文学部研究年報』20)曰く、徳川慶喜は土佐藩論に、幕府から離反しつつある勢力を議院制に組み込み、「幕府もしくは徳川氏の政治統合力を回復する展望」を見た。 https://t.co/PaFHpL84v2
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長州藩処分問題と薩摩藩 : 幕府・越前藩関係を中心に
町田明広「長州藩処分問題と薩摩藩」(『神田外語大学日本研究所紀要』11、2019年)によれば、長州再征をめぐる薩摩藩の抗幕姿勢を気にかける幕閣に対して、中根雪江の意見に見られる越前藩の方針は薩摩藩に友好的で、薩摩藩と会津藩の確執が国政混乱の原因とするものだった。 https://t.co/DXrUyOs3WI
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早稲田清話
早稲田清話ってなんでネットで見れないんですかね… 特に面白そうな佐賀関連の話はいくつかピックアップして複写してるのですが、これ図書館でしか見れないの辛い… 福岡の図書館は国デジの資料送信サービス1時間しか使えないんだよ(T∩︎T) https://t.co/IAQ9WVOxlN
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木戸松菊先生
あ、内容は勿論これだけではありません。私が以前読んで個人的に気になった点を紹介したに過ぎません。蘇峰の講演を文字起こししたものでページ数も多くないので読みやすいと思います。 因みに国デジでも読めます。 https://t.co/zzT0EKiD9a
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鍋島直正公伝
@ambujam10 「後までも一点の跡(眉間に!)残れり」だそうです( ̄∀︎ ̄;) 罹患した人は眉間の方が効果ありとでも思ったんでしょうかね?^^;源太郎くん9歳。嫌とはいえなかったのでしょう。嫌といえば父上から怒られそうです。笑 https://t.co/EfVwcEzzEB https://t.co/Ixfpw0Q0Fw
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鍋島直正公伝
@nagisanoyuki 直正公も牛乳
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昨夢紀事
『放課後ていぼう日誌』と『丁卯(ていぼう)日記』の著者・中根雪江。「釣り」つながり。 https://t.co/vdyts70Oga https://t.co/R2vThZA39G https://t.co/iR5Qao7Glv
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近世熱海の空間構造と温泉宿「湯戸」の様相
直正公は温泉好きで柄崎温泉(武雄)によくお出かけしてたのですが、明治になって上京してからは佐賀の温泉に行けなくなったので、熱海への湯治を願い出て熱海温泉を訪れてる。 その際に泊まったお宿が「一碧楼」どんなとこかと調べてたらこんな論文見つけた。 https://t.co/sqAwLT93ni
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