牟田トララ (@muta_torara)

投稿一覧(最新100件)

9 9 9 0 OA 維新史蹟図説

RT @T_urade1987: 『維新史蹟図説』より平野国臣遺影。全く見たことがありませんでした。本物なんでしょうか。 https://t.co/DcPTEgq9xn
一応デジタルで読めますが…https://t.co/L7JBlPWtKL
荒川重平の回想録は樋口雄彦先生の紹介で読めます。 https://t.co/LOjWs8v7uh
大久保利謙先生に聞く近代政治史料収集のあゆみ 二https://t.co/8UlmtTsjQs

22 0 0 0 OA 木戸孝允日記

@ah6JCEkGNmD7EEq こちらで読めますよ! https://t.co/OUe83fWhD4
その戦いの様子は、犯人と戦った中條右京の書に詳しいです。 田中光顕の『維新風雲回顧録』の中で分かりやすく説明されています。 https://t.co/ocbh3VW9hy

4 0 0 0 OA 戊辰物語

@minato_i_ 国デジで読めます!https://t.co/My1xLd7Bl0 金子さんの話は『足ばかり大きくて燭臺の行列』 矢野さんの話は『一ケ月八圓の學資』です。
@oretatami これじゃないでしょうか。 https://t.co/03VZKAZg8E

15 0 0 0 OA 橋本左内言行録

@shibawankok2 この本ですか? https://t.co/XqNP5ZSBkr
『幕長戦争までの伊予諸藩の動向 :松山藩を中心として』田口由香 https://t.co/bGRIJT8aNL
大倉喜八郎の肉声。彰義隊に関わった人の声と考えると貴重だ… https://t.co/YXon9KDgdB

11 0 0 0 OA 生きている歴史

@mia66sa_ga ご存知かもしれませんが佐賀の乱参加者最後の人のお話があります。江藤さんの事も語られてます。 https://t.co/wVn4JgkPLQ

お気に入り一覧(最新100件)

9 9 9 0 OA 維新史蹟図説

『維新史蹟図説』より平野国臣遺影。全く見たことがありませんでした。本物なんでしょうか。 https://t.co/DcPTEgq9xn
出典はこちら、同志細木元太郎の書簡です。原六郎のものも載ってます。 https://t.co/4Dz0CM1zr9
明治40年10月4日、佐田白茅が死去。幕末の久留米藩出身で、真木和泉の影響を受けた。明治3年に朝鮮へ派遣された。沈箕載「版籍奉還前後の朝鮮政策と外務省(佐田)調査団の朝鮮派遣」(『史林』79-6)曰く、佐田の調査報告は後の明治政府における対朝鮮政策の根幹をなした。 https://t.co/HGSxm382SS
大正13年9月27日、今村有隣が死去。幕末の加賀藩出身で、明治の代表的なフランス語教育者。フランス政府から教育功労勲章を贈られた。加藤詔士「武理惠『仏語入門』(明治7)」(『愛知大学教職課程研究年報』2)は、明治初期に今村が翻訳したフランス語学習書を紹介する。 https://t.co/1CuKRk5IXz
明治6年9月27日、沢宣嘉が死去。文久3年8月18日政変の際の「七卿落ち」の公家の1人で、生野の変に参加した。吉岡誠也「慶応四年の長崎における佐賀藩」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』13)曰く、大隈重信を新政府の徴士参与に推挙した。外務卿などを歴任。 https://t.co/FCiMiYm2NR
昭和54年(1979年)9月18日、木村毅が死去。『明治天皇』、『文明開化』などの著作がある。濱口裕介「榎本武揚「共和国」言説に関する一考察」(『札幌大学女子短期大学部紀要』65)は、箱館戦争の際の榎本武揚の政権を、木村が「共和国」と呼ぶことに執着した点を分析。 https://t.co/Z5j7Jk8x7d
明治2年8月13日(1869年9月18日)、土肥典膳が死去。幕末期岡山の尊王攘夷運動を担った人物で、文久2年に岡山藩の周旋方に就任。近藤萌美「幕末維新期地方国学者の人的ネットワーク」(『岡山県立記録資料館紀要』10 )は、土肥に仕えた小山敬容の日記を紹介(下記リンク)。 https://t.co/XKsW3V7anh

9 0 0 0 OA 華族大系

明治2(1869)年に華族制度が始まったときは427家。同17(1884)年に公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の爵位が定められた時には509家まで増加。昭和22(1947)年の制度廃止までに1011家の華族が誕生した。  この華族のルーツを詳しく記した文献としては『華族大系』がある。 https://t.co/r1fEPeQhmB https://t.co/Dk13Hz3XR2

2 0 0 0 OA 獄中憂憤余情

https://t.co/OcsTSLpPQ4 国会デジタルの『獄中憂憤余情』の石川島監獄潜入レポが面白くて大好き 自分も佃島にログインして有隣先生たちのルームメイトになった気分が味わえて楽しい
昭和14年9月7日、渡辺蒿蔵(天野清三郎)が死去。吉田松陰の松下村塾門下生の中で、最後の生き残り。幕末期の海外留学で得た造船技術を活かして活躍した。牛見真博「近代造船の先駆者・渡辺蒿蔵(上)」(『大島商船高等専門学校紀要』51)は、海外留学前の前半生を分析。 https://t.co/UblEN0xYgO
文久2年8月13日(1862年9月6日)、成島司直が死去。将軍・徳川家慶の信任を得た儒学者で、『徳川実紀』を編纂した。家慶の日光参詣に随従した際の日記『晃山扈従私記』がある。成島柳北の祖父。具島美佐子「成島柳北研究」(筑波大学博士論文、2017年)が、司直に多く言及。 https://t.co/PDWQYa67kL
CiNii 論文 - <日本史学>優秀修士論文概要 https://t.co/6QqdWvmIhS #CiNii  早稲田は優秀修士論文というのがあるんだな。「後三条期の特質―儀式を中心に―」という題目なので、これの一部かな。
明治31年8月27日、島田篁村(島田重礼)が死去。幕末期に昌平黌の助教などを務めた漢学者で、明治期に東京大学教授。古賀勝次郎「安井息軒を継ぐ人々(三)」(『早稲田社会科学総合研究』11-1)曰く、「江戸時代の儒学の伝統を、明治以後の我が国の漢学へ橋渡しをした」。 https://t.co/llHNvlxxoV
明治25年8月25日、中路延年(中路権右衛門)が死去。佐野静代「近衛家別邸「御花畑」の成立とその政治史上の役割」(『人文学』205、2020年)曰く、「幕末の尾張藩と薩摩藩を直接仲介した人物」で、「尾張藩の世論を王政復古に導くのに大きな役割を果たしたとされている」。 https://t.co/pAJttOjkZN
明治33年8月23日、黒田清隆が死去。第2代の内閣総理大臣。小松京「山川健次郎の留学に関する一考察」(『青山史学』37)は、北海道開拓に携わった黒田について、「榎本武揚の助命嘆願を行ったことも含め、黒田の行動はすべて対ロシアを睨んだ行動と解釈すべき」と指摘。 https://t.co/m9xJpx9T8L

3 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

直正公がお忍びで薩摩に行ったとき、出された菜漬に手を出さない直正公を見て、松根がすかさず「此人は菜漬は嫌いよ」と口添えしてるの笑っちゃう。 というか、これ薩摩をディスってる?^^;不潔ってディスってる?( ̄∀︎ ̄;) 『直正公伝4巻』 https://t.co/puvEzBNrIk https://t.co/WTysgj46OE
➡長井雅楽党と目されて首を斬られた常栄寺の住職・祖溟西堂の首の晒し場が明治期、タバコ屋になっていた場所にあったと天野御民『維新前後名士叢談』に載っているが(https://t.co/U8w2BkCoo9)、先ほどリツイートの地図に載っていたりするのだろうか

3 0 0 0 OA 春岳遺稿

みなせさんのツイートを読んで思い出した、家臣達の様子が事細かにわかる春嶽公の筆によるこの漢文。慶應2年2月25日、家老の本多修理(復斎)の別荘で、春嶽公と公のお気に入りの家臣達が、思い思いに詩作したり、お酒を飲んだり、また談笑したりしている様子がよくわかります。 https://t.co/6NeLrYh0yL https://t.co/nM4Lu7n2pK
明治35年8月18日、西村茂樹が死去。幕末の佐倉藩出身の啓蒙思想家。西川泰夫「千葉県郷土史:近現代史の一断面:幕末から開明期における佐倉藩士と洋学「西国の心学、心理学」との接点」(『放送大学研究年報』26)は、「心理学」という日本語誕生のヒントとして西村を分析。 https://t.co/IhcioV2GOi
『維新前後名士叢談』(https://t.co/U8w2BkCoo9)見ながら笑っている。なかなか面白いエピソード集。伊藤博文殺そうとした大田市之進(御堀耕助)とか。馬上の大久保利通がわざわざ降りて毛利敬親に平伏した話とか。隊の規約を破ろうとして門番から銃撃されかけた赤禰武人とか。

2 0 0 0 OA 土方伯

国立国会図書館のデジタルコレクションでみたところ、2点ありましたね。 ①菴原鉚次郎, 木村知治 著『土方伯』(https://t.co/26cpeFqbh4) ②… 続きは質問箱へ #Peing #質問箱 https://t.co/WU6oWWEN2T
明治15年8月9日、大島友之允が死去。幕末の対馬藩士で、木戸孝允と親しかった。沈箕載「幕末期の幕府の朝鮮政策と機構の変化」(『史林』77-2)によれば、朝鮮進出(征韓)を主張し、対馬藩への財政援助を幕府に要求する運動に積極的で、幕閣に働きかけを行った。 https://t.co/i7A1xGyx34

1 0 0 0 三島通庸伝

三島弥彦のお父ちゃんの伝記が読めるんだ。 >十四 賢婦三島和歌子/150 おお、さすがは和歌子お母様だ。 >2 强盜を怒鳴り付けた夫人 おお、さすがは和歌子様だ(笑冷汗) #いだてん #いだてん史料噺 三島通庸伝 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/hjSjmNl0ze
CiNii 論文 -  国家と地域の歴史意識形成過程--維新殉難者顕彰をめぐって https://t.co/N6FfkA05nm #CiNii いまさら読みましたが幕末土佐人の顕彰活動について 中央の佐佐木・光顕・久元と地元の古勤派が絡んですっごく俺得な内容でした

4 0 0 0 OA 井上馨論

法政大学名誉教授・安岡昭男先生の『井上馨論』(https://t.co/3Ao1W2r8lN)馨の外務卿としての活動を追った論文ですが「大隈重信が伊藤と井上を比較して論じ、伊藤は八方美人主義で井上は一方美人主義と評した(が外交では違うという先生の結論)」が好きです(*ノωノ)(他の部分も読んでるよ!)
詳しくはこちらの論文を読んでみてください(^^) CiNii 論文 -  <論説>箱館戦争に荷担した10人のフランス人(人文科学編) https://t.co/qVEeiASimk #CiNii
@sasakitoru こちら、天誅組の中山忠光と吉村虎太郎と連動関係にあったようです。藤本鉄石・飯居簡平が上げたメンバーのなかに佐々木六角源氏太夫の名前がありますので、おそらく同一人物かと。 https://t.co/U8UyFPTvm1
安政3年6月20日(1856年7月21日)、天文方の渋川景佑が死去。天文方・高橋景保の弟。天保暦を作成。湯浅吉美「2033年の旧暦問題について」(『埼玉学園大学紀要 人間学部篇』14)曰く、天保暦は「天保15年(=弘化元年、1844)から明治5年(1872)まで用いられた」。 https://t.co/VAI40tRNVU

4 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

松根の兄ちゃん、勤勉の度が過ぎて反感を買う。笑 https://t.co/OB89OSnYMK https://t.co/U2OppIYaZL
明治31年7月5日、神田孝平が死去。幕末期に幕府の蕃書調所および開成所で教授職などを務めた。奈倉哲三「もう一つの戊辰戦争」(『国立歴史民俗博物館研究報告』157、2010年)は、慶応4年4月の『中外新聞』第12号に掲載の神田による論説「日本国当今急務五カ条の事」を紹介。 https://t.co/ciEqNG3wM6
明治5年5月24日(1872年6月29日)、土肥大作が死去。丸亀藩出身の尊攘派志士としての活動を経て、丸亀藩権大参事に就任。中山光勝「明治4年・丸亀県土肥大作襲撃事件関係資料(1)」(『身延山大学仏教学部紀要』2)は、家禄削減をめぐる問題で起きた襲撃事件の資料を紹介。 https://t.co/agsgOvj62t

3 0 0 0 OA 筑前志士伝

勤王派の福岡藩士の小伝がもりもりしてるのは長野誠『筑前志士伝』https://t.co/9i8JUuo9yb (NDLデジコレ)と、九大が持ってる『筑前志士傅』1〜5( https://t.co/LB2r0IUL92 、このURLは1の)とか
興味深く読みました。 葉隠は戦時中に1番もてはやされたのよね。特に佐賀の軍人が記憶に残るような“名誉の戦死”を遂げた以降に… https://t.co/iUT3NfpomL
大正10年6月19日、鍋島直大が死去。幕末の肥前佐賀藩主で、鍋島閑叟の子。明治13年にイタリア公使として海外赴任。谷口眞子「読み替えられた「葉隠」」(『早稲田大学高等研究所紀要』9)は、中村郁一という人が、直大を通じて葉隠を天皇に献納しようとしたことに言及。 https://t.co/2ZRO7XM7yd
隠居大名でググってたら面白そうなものを発見。あとで読もう。 隠居大名の幕末・維新―延岡藩内藤政義の『日記』から― https://t.co/P9zQO3KCnL
明治44年6月15日、大鳥圭介が死去。幕末の幕臣で、戊辰戦争・箱館戦争で新政府軍に抗戦。学習院の院長、清国公使などを歴任。長佐古美奈子「大鳥圭介関係史料について」(『学習院大学史料館紀要』18)は、大鳥の関係史料が孫の大鳥蘭三郎から寄贈された経緯などを紹介。 https://t.co/SOcRXqsrk5

5 0 0 0 OA 維新史談

「維新史談」によると、容堂公は口を漱ぐのにポン酢を用い、蚊を燻すときには蒼朮を焚いていたようですが、容堂公を気に入らない人は「公は口を漱ぐのに味醂を使い、蚊を燻すのに沈香を使う」と言ったとか。それを聞いた容堂公の言葉が、いかにも酒好きのら容堂公らしい。 https://t.co/EnZJxi54gT https://t.co/1iU04riLMf
ちなみに以下の論文は来週月曜日に確保予定(https://t.co/h5TTAQff0V) 上原雅文「幕末長州藩の思想」 #長州毛利家 #長州藩 #幕末史 https://t.co/i2sJ6rNMjj

6 0 0 0 OA 木戸孝允文書

https://t.co/P9itcLQGQf この孝允伯父さん→彦太郎くんのお手紙すごい好きなんだけど、この大久保は利和くんだと嬉しいなぁとずっと考えてる
山﨑善弘「近世地域社会論の動向と課題―個別性の把握と一般化・普遍化の両立に向けて―」(『東京未来大学研究紀要』第14号、2020年、221-231頁)のPDFが公開されていた。 https://t.co/R1DZHvE3Ki
樋口雄彦「資料紹介 韮山県から慶應義塾への派遣学生」(『近代日本研究』34、2017年)によれば、明治初年の韮山代官江川家の当主は江川英武だが、幼少のため実務は柏木忠俊が担った。その柏木が推進したのが、県民の東京などへの遊学、中でも慶應義塾への留学だったという。 https://t.co/7trm2zex3O
中川邦昭「知恩院・京都写真発祥の地-堀内信重の業績-」(『日本写真学会誌』67-2)は、慶応元年の堀与兵衛が京都における写真撮影の先駆者だという説を疑問視し、『越前藩幕末維新公用日記』(福井県郷土誌懇談会)の口絵写真などを手がかりに堀内信重の方が先とする。 https://t.co/fSOI62qJq9
読了! 幕末期に創設された医学館について、役割と機能を重点に置いて解明した論考です。 CiNii 論文 -  幕末期長州藩における医学館の創設とその機能 https://t.co/FPJSWtBz9w #CiNii
さて、本日の収穫ー。 前々から読みたい読みたい言うてたこの本、読んできたよ。 ちょっとだけしか読めなかったけど、収穫あったのよ。 コピーも取ってきたのよ。 #いだてん #いだてん史料噺 『スポオツ随筆』辰野隆, 辰野保 著 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/mxzv0FFCrk https://t.co/bbXw97RIOA
意外に史料はあるものですね。伊藤、大久保が共に三条の屋敷に向かい、木戸は伊藤と落ち合おうとしたが出来なかった。さらに木戸は帰宅直後に腹痛を起こした。木戸日記は五時とあります、とすれば予定通りに行われたのか。 https://t.co/72fNOujnGk https://t.co/jN548Yg6Iq

19 0 0 0 OA 木戸孝允日記

意外に史料はあるものですね。伊藤、大久保が共に三条の屋敷に向かい、木戸は伊藤と落ち合おうとしたが出来なかった。さらに木戸は帰宅直後に腹痛を起こした。木戸日記は五時とあります、とすれば予定通りに行われたのか。 https://t.co/72fNOujnGk https://t.co/jN548Yg6Iq
明治38年5月9日、小野義真が死去。幕末の土佐藩出身で、岩崎弥之助・井上勝と共に小岩井農場を創設した(3人の頭文字から命名)。井上琢智「小野義真と日本鉄道株式会社」(『経済学論究』63-3)曰く、「日本における運輸事業の近代化の初期の段階で大きな役割を演じた」。 https://t.co/mGIauJ8x82
明治32年5月8日、村田氏寿が死去。幕末の越前福井藩士で、『続再夢紀事』の編纂者。勝海舟が神戸に私塾を開く資金の援助を松平春嶽に求める際、門弟の坂本龍馬に託したのが、村田宛の書簡だった。吉田健「文久三年の龍馬と福井藩」(『福井県文書館研究紀要』8)参照。 https://t.co/UOawCo1JaQ
長州藩の藩政史料や関係史料に基づいて、西洋兵学者であり尊王攘夷派でもあった松島剛蔵の実像を解明することを研究目的とした論考。 CiNii 論文 -  松島剛蔵と洋学 : 長州藩洋学者が歩んだ尊王攘夷派への道 https://t.co/urK1lZ44ja #CiNii
上野大輔「幕末期長州藩における民衆動員と真宗」(『史林』93-3、2010年)によれば、村田清風は海防のために宗教も利用しようと考え、長州藩内の真宗僧侶たちもキリスト教や排仏論への対抗から要請に応じた。月性の門下・大洲鉄然の僧兵隊結成の動きなどを分析。 https://t.co/epYE9WUSSW
こんなの見つけました。 増野弘幸「陶淵明「帰去来兮辞」における雲の表現について」(『大妻国文』41 2010年 大妻女子大学) https://t.co/h1XdN8b4fj 増野氏によれば、「陶淵明の作品において雲は志の高潔さや高貴さの比喰物として扱われている」とのことで、いかにも木戸が好んで用いそうな表現だ。
明治24年4月22日、吉井友実が死去。幕末の薩摩藩士で、西郷隆盛や大久保利通が京都不在の際に代役を果たすこともあった。坂本龍馬とも親しかった。中川未来「雑誌『国光』の創刊と吉井友実」(『愛媛大学法文学部論集 人文学編』46)は、帝国議会開設の頃の吉井の史料を紹介。 https://t.co/SG54BVPKtF

27 0 0 0 OA 百官履歴

国立国会図書館デジタルに『百官履歴』(https://t.co/zGkyx684Cm)という本があります。 明治前半までの高官の履歴が載っていて、何年何月にどこにいたか見られます。画像は大久保利通さんのですが大久保さんクラスなら詳細年表ありそうだけど、資料の少ない人の情報もあるので是非! #お家で歴史充 https://t.co/6fePJkWrG5
明治6年4月19日、司法卿・江藤新平、文部卿・大木喬任、左院議長・後藤象二郎が明治政府の参議に任命された。高橋秀直「征韓論政変の政治過程」(『史林』76-5)曰く、この人事に基づく改革は大蔵大輔・井上馨の期待を裏切り、井上と腹心・渋沢栄一の辞表提出に繋がる。 https://t.co/IhaUxVJ2AB
土佐博文「佐倉順天堂門人とその広がり」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116、2004年)は、数千人の門人がいたとされる佐倉順天堂(蘭医・佐藤泰然が開いた)について、慶応元年閏5月の門人帳から、門人たちの事績を紹介。明治期に軍医となった西友輔らの関連史料も紹介。 https://t.co/xCZeOthyRO
『日本研究所紀要』第12号はKUIS学術情報リポジトリで公開しました。拙稿「慶応二年前半の政局と薩摩藩―「小松・木戸覚書」以降の動向を中心に」もダウンロードが可能です。https://t.co/jW0JUjCOHp
【上原勇作書簡 桂太郎宛】大正元年11月17日 上原勇作陸軍大臣が桂太郎前首相に宛てた「二個師団増設問題」に関する書簡。山縣グループは西園寺首相に師団の増設を求めたが、西園寺が拒否したため上原陸相が辞職。さらに陸軍が後任の陸相を出さず内閣が瓦解した事件。 https://t.co/y8JZ42flXQ https://t.co/WBv3OeAqT9
明治20年4月15日、伊地知貞馨(伊地知壮之丞、堀次郎、堀仲左衛門)が死去。幕末の薩摩藩出身で、島津久光の側近として重きをなした時期がある。薄培林「近代日中知識人の異なる琉球問題認識」(『関西大学東西学術研究所紀要』47)は、琉球処分に関わった伊地知に言及。 https://t.co/b1Q6imZ0Ds
1990年代以後の幕末維新史の実証研究に寄与した史料集の1つとして、小野正雄・稲垣敏子解読『杉浦梅潭 目付日記』と『杉浦梅潭 箱館奉行日記』を挙げることができる。どちらも1991年刊行。下記は、『史学雑誌』101-3(1992年)に掲載された、井上勝生氏による新刊紹介。 https://t.co/dm8YOEH6Lf
明治12年4月1日、大原重徳が死去。文久2年に、勅使として島津久光を伴って江戸に赴き、幕政改革を要求した公家。外池昇「和宮降嫁と文久の修陵」(『人間文化研究』1)は、大原と一橋慶喜・松平春嶽の会談での、仁孝天皇17回忌のための和宮上洛問題と文久の修陵の話題を分析。 https://t.co/0gcv5clKe5
明治18年3月23日、亀井茲監が死去。幕末の津和野藩主で、明治初年の神祇行政を担った。岩谷泰之「森鴎外と仏教」(『大正大学大学院研究論集』42)は、亀井家典医の家に生まれた森鴎外について、その思想形成上の茲監の影響を、茲監が仏教を排除した点に着目しつつ分析。 https://t.co/5n9FZJgKpD

5 0 0 0 OA 浮沈日記

大久保利通関連文書、面白いですね。第二奇兵隊立石孫一郎が殺されたときに所持していたらしい「浮沈日記」が読めます。新館精一郎と会ったことは他の史料から分かりますが、楢林昌建とも面会していたり、色々と興味深い。 https://t.co/B1gS9SOL5h

3 0 0 0 OA 皇室之藩屏

まあ少なくとも江戸時代的な感覚だったら、エラい人の邸宅と菩提寺が個人情報なわけがないよな。 https://t.co/AqA0nSNkt5
明治20年3月7日、黒田長溥が死去。薩摩藩主・島津重豪の子で、幕末の筑前福岡藩主。蘭癖と呼ばれた大名の1人。慶応元年に加藤司書や月形洗蔵らを弾圧した「乙丑の獄」について、西尾陽太郎「黒田長溥と筑前勤王派」(『史淵』98、1967年)をネット上で読むことができる。 https://t.co/fYc8wN3o4w
秋田の戊辰戦争…。 是非とも研究が進んでほしいな…。 この史料群が役立つはず❗ https://t.co/EaWZR0ce7L

8 0 0 0 OA 運動年鑑

あらいやだ。 この三島弥彦本のこのページ、ネットで読めるでないですかw #いだてん 運動年鑑.大正10年度 - 国立国会図書館デジタル :欧米を歴遊して・三島弥彦 https://t.co/7H1mtuAPkK https://t.co/fNAKlrcLLg

フォロー(364ユーザ)の投稿一覧(直近7日間)

1 1 1 0 OA 年録

@shidacita64 紀伊守の養子なので宗孝でした。消しておきます。どちらも内匠の弟なので勘違いでした。 https://t.co/NTPgkzjxOo
RT @busyo3: これデビュー論文なんですが、中村武生で検索したら引っかかれへんのですわ。なぜなら名前が誤っているから。サイニーにこれ訂正依頼でけへんのですか。「京都惣曲輪「御土居」跡の推定」 https://t.co/U2OO1BIgIG
RT @kotofanatic: 奥州藤原氏の人体的特徴についてご興味ある向きに https://t.co/XjfVzY1Mqz

2 2 2 0 OA 東京市史稿

芳賀敬太郎、永倉と同年ぐらいと思われていましたが、想像以上に年を食っていたかも知れません。こちらで四谷内藤宿に屋敷替えされているのですが、弘化元年です。「諸向地面取調書」を見ると「芳賀禄之助」が四谷内藤宿にいます。これ口書の「六之助」のことですよね。 https://t.co/SnBlBvdFpc
RT @zasetsushirazu: 小泉雅弘「史料紹介 駿州赤心隊富士亦八郎の「口書」」(『駒澤史学』69)は、戊辰戦争期に東征大総督・有栖川宮熾仁親王に随従した赤心隊(慶応4年結成)の、隊長を務めた富士亦八郎が、明治2年に旧幕臣殺害事件を起こした際の供述書を紹介。 htt…

9 9 9 0 OA 維新史蹟図説

RT @T_urade1987: 『維新史蹟図説』より平野国臣遺影。全く見たことがありませんでした。本物なんでしょうか。 https://t.co/DcPTEgq9xn

9 9 9 0 OA 維新史蹟図説

RT @T_urade1987: 『維新史蹟図説』より平野国臣遺影。全く見たことがありませんでした。本物なんでしょうか。 https://t.co/DcPTEgq9xn

9 9 9 0 OA 維新史蹟図説

RT @T_urade1987: 『維新史蹟図説』より平野国臣遺影。全く見たことがありませんでした。本物なんでしょうか。 https://t.co/DcPTEgq9xn

9 9 9 0 OA 維新史蹟図説

RT @T_urade1987: 『維新史蹟図説』より平野国臣遺影。全く見たことがありませんでした。本物なんでしょうか。 https://t.co/DcPTEgq9xn

9 9 9 0 OA 維新史蹟図説

『維新史蹟図説』より平野国臣遺影。全く見たことがありませんでした。本物なんでしょうか。 https://t.co/DcPTEgq9xn

2 1 1 0 早稲田清話

早稲田清話ってなんでネットで見れないんですかね… 特に面白そうな佐賀関連の話はいくつかピックアップして複写してるのですが、これ図書館でしか見れないの辛い… 福岡の図書館は国デジの資料送信サービス1時間しか使えないんだよ(T∩︎T) https://t.co/IAQ9WVOxlN

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