にゃおすけ (@yaonyaosuke2)

投稿一覧(最新100件)

本陣だった立派な建物は随分前に解体されたですが今も更地のまま。門は残してるので再建でもするのでしょうか?本陣兄部家に関する論文がありましたのでリンクしておきます。https://t.co/F7jie6Xzri
寺内町とは寺を中心に発展した集落で環濠を備えているものが多い。主に戦国時代に生まれたもので町割りなど中世の雰囲気が色濃く残っています。リンクにある寺内町に関しての論文が興味深いです。https://t.co/p5cTYesdzt
この論文に大井川の上流にもあったと書かれているように木造で小規模のものは意外と多かったのかもしれないですね。猿橋に似た大規模なものは富山の愛本橋(北国街道)、長野の雑炊橋(野麦街道)、栃木の神橋(日光街道)が有名ですがいずれも街道上なのが興味深いです。 https://t.co/Muc5hveK6N
@maru_ni_no @daifukuneko 気になる気になる・・・。あれから安政地震のことを調べてるとまた面白い論文が見つかっちゃって蒲原から先に進めないでいます。さった峠から岩淵にかけてはじっくり探索しても良さそうなボリュームがありそうです。https://t.co/ljJ4Gy9USS
かつての様子。播磨名所巡覧図会 5巻. [2]より。宿場として機能していたことがわかります。ちなみに幕末に迂回路として計画された徳川道は神戸市石屋川と大蔵谷を六甲山中経由で結ぶものでした。 https://t.co/rsmbU3voqI https://t.co/nYS6MlqX1h
昭和9年のバス路線と車種の一覧「全国乗合自動車総覧」今より長距離を走るバスや街道を走破する路線があって興味深い。https://t.co/66iLChIN0A
近畿の山々と史蹟巡り。これも戦前のもの。今と共通するハイキングコースがずらり。たまには昔のガイドマップを片手にハイキングするのも面白いかもしれない。https://t.co/jy4wz6bSmG
今でも十分使える戦前の関西ハイキングコース。https://t.co/rnTbV0D85d
貴重な戦後すぐのカラー写真。国立国会図書館デジタルコレクションで見れます。全般的に場所がどこか分かれば良いのですが見ごたえがあります。https://t.co/qxO0PgovnE https://t.co/Oy4MXjYlZi

お気に入り一覧(最新100件)

https://t.co/mscLiIA5VM 森川洋(2020)「北海道における年齢階級別人口移動」。 「札幌市の成長は特に著しいわけではないが、その卓越性は強化されており、道内主要都市との階層的格差を一層強めているといえる」
https://t.co/8O6sZpjZzA 森川洋(2020)「東北地方における年齢階級別人口移動」。 ​仙台市は「岡山市の関係圏と同じ程度の圏域しかもたない広島市よりもはるかに関係圏が広く活力がある」「東京に近い福島県の都市では東京特別区との関係が緊密な市町村が多く、仙台市との関係は弱いようにみえる。
https://t.co/CEfvrZ2jSl 光井渉(2007)「書評 大場修著『近世近代 町家建築史論』」。
https://t.co/9AKUnsSCQw 小林博(1968)「滋賀県における京都の影響圏」。 大正〜昭和初期の滋賀県各地からの人口移動も載ってる。京都への指向は全県的に見られるが、特に湖西、湖南に顕著。全地点で京都>大阪ではなく、大阪>京都の地点も意外に多いと思た。
https://t.co/tbMT9ph6M8 竹中竜雄(1960)『大都市と公益事業』。 当時の話が興味深い。
https://t.co/jXCyw63bLG 中井精一(2022)「岸江信介・中井精一編『地図で読み解く関西のことば』」。 書籍紹介。「地域方言の変容や衰退は、今世紀に入りより顕著な姿を見せる」「大阪や京都を中心とした地域の方言は、長い歴史に裏打ちされなお存在感を示しているが、その衰退は否めない」。
https://t.co/pgNx6YkLI6 田代晃二(1959)『日本語アクセント教本』。 「その当時はラジオなんてものもなかったし、本に書いている言葉しかなかったものですから、東京弁や標準語を話す機会もないし、東京へ勉強に出ている人がたまに帰ってきて話す東京弁をきいてびっくりしたものです。

4 0 0 0 経済人

https://t.co/zjMJqo19C7 吉田久博(1960)「四カ所の故郷」。 「私などは何と言つても大阪人であり、船場のボンの一人である。ただし、生家は商人ではなく、医家だつたから、私は自分のことを、『ワテ』とは、よう言わぬ」「大阪出身のインテリは、概して国語読本にあるような
https://t.co/G3cgDmGYPL 安田武,高橋和巳(1968)『ふたたび人間を問う』。 高橋和巳「罵りことばとか激語にだけ大阪弁が出てくるのはどういうわけかということで、詰問されたことがあるんです。それはある意味であたりまえであって、ぼく自身は野坂昭如が地のことば自体にも大阪弁を

1 0 0 0 ホトトギス

https://t.co/WqQk2EzRFc 勝本清一郎(1920)「京の宿」。 「『もう私達の言葉も純粋の京都言葉ぢやなくなつているんですよ、祇園あたりのお茶屋の人などの言葉をお聞きになると本当の京都の言葉が分かりますんですよ』と女の人は東京語でつづけた」。

3 0 0 0 現代敬語法

https://t.co/ChQYa3o3pC 「現代の標準語としては『様』が『さん』よりも高い敬称であると感じているのが普通である。故に高官に対しては普通に『様』と申し上げる。但、昔の女房言葉(それは同時に京都語である)の伝統を引く特殊の方面では、右の『様』と『さん』の区別を立てず、

3 0 0 0 現代敬語法

https://t.co/4jkb42pEPp 三宅武郎(1944)『現代敬語法』。 「京都言葉では『さん』の外に『さま』といふ敬称がないところから、上は『天子さん』より下は一般の『さん』に至るまで、すベて『さん』である。明治維新史に有名な『宮さん宮さん』の歌の『さん』も、

1 0 0 0 書物展望

https://t.co/8cKxjF8V1w 織田一磨(1941)「石版随筆」。 「私は大阪へ着いた翌日、一人で心斎橋を渡つて、北の方へ散歩しました。石原時計店の時計台を眺めて、東京をなつかしく思つたことを忘れません。何しろ当時の大阪は風俗がまつたく徳川時代そのままに近く、
明治37年のこの教科書では日本を中域・北域・南域の3つに分類。中部地方は登場せず。 ・中域(関東・東北・北越・甲信・東海・近畿・北陸・中国・四国・九州) ・北域(沖縄・台湾) ・南域(北海道) 中等最新地理教科書. 日本之部 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/hFsQnMBGRb https://t.co/DckE2e7mPK
https://t.co/FRWzlAQLEw 安井寿枝(2022)「高浜虚子の三作品からみる方言意識 : 京都・奈良 ・大阪の差異について」。 丁寧断定のデスは20世紀初頭の京都市、大阪市にあったから、たしかに無かったわけではないな。大阪市は口語法調査報告書でデスを報告してへんけど(西成郡は報告あり)、

1 0 0 0 洛味

https://t.co/Ms7AtHh713 井手成三(1956)「京都の周辺」。 「京都は京都人が中心で、また集まつて来ている人達も丹波、丹後、但馬、南山城、近江、若狭の出身者が圧倒的に多い。これらの地区は永い間、京都文化と京都風習を伝受し、之に育くまれている」
https://t.co/wNAdi8r5uX 長谷川幸延(1974)「昨今、大阪の女」。 「大阪ことばも、まるで変った。若い女性たちが、戎橋筋などのパーラーで話しているのを聴いても、ブロークンというのではなく、訛りの少い、標準語に近い、その代り潤いのないものになっている」
https://t.co/wJUXM6xatZ 上甲幹一(1953)『標準語の学習指導法』。 「東京以外の地域では、大まかにいえば改まった社会的な言語生活の場合には共通語を、くだけた内輪の場合には方言をというふうに使いわけているのが実状である。東京人にとってだけでなく、その地域の人々自身にとっても、
【今昔マップ追悼】UCバークリのデジタル化が、諸問題のパンドラの蓋を開いたともいえる。そのことは、石松氏のこの論文に詳しい。カリフォルニア大学バークリー校における日本古地図のデジタル化プロジェクトについて(<特集>歴史地理情報システムの活用)https://t.co/Riddyq3Vsk

1 0 0 0 青春物語

https://t.co/nQb8OsFoCb 長田は東京市生まれ。谷崎潤一郎(1933)『青春物語』にはこう書かれていた。 「幹彦君は私と違つて努めて土地の人情風俗に同化しようとする様子が見え、いつの間にか祇園先斗町の廓言葉などを覚え込んで、会話の端にも京風の物云ひやアクセントを洩らす風であつた」
https://t.co/rH2RfBwCHi 長田幹彦(1955)「京ことば」。 「むかしは言葉尻にかならず、『なア』ということをいった。ところが最近では、変な江戸弁めかしいザラザラ声で、『ねえ』をさかんにくっつける」「京ことばのよさも、ぼくの『祇園夜話』あたりで終わってしまったんじゃないだろうか」

1 0 0 0 国語教育

https://t.co/0ncZqsLg5X 土居重俊(1955)「国語教育を考える」。 「近畿型や一型の地方では、関東型の標準語アクセントは敬遠されているのが現状のようですが、もうそろそろある程度の積極論が出てもいいような気もします。わたくしたちのように近畿型のアクセント圏内で育った者が、

1 0 0 0 文化庁月報

https://t.co/Vnt1gkeNLN 阪倉篤義(1977)「京都文化」。 近代の文学者の出身地は440人中、東京都107人、大阪府34人、神奈川県20人、岡山県15人、長野県14人、京都府・兵庫県・福岡県・新潟県12人、北海道10人。

1 0 0 0 随筆京都

https://t.co/ETkO3xCGiZ 井上吉次郎(1941)「京洛文化の行方」。 「京に田舎あり、と昔はいはれたが、今は新興都市が簇生して、新しい文化を盛り出すと、古い京都に、と知人が京は田舎だ、といふひよんな気を起さぬ、とも限らぬ。その時が、京中心の意識に動揺の来たるときで、敏感な婦人が、
https://t.co/Pk1MzSvTrm 佐々木清治(1931)『郷土の地理的研究法』。 「各地方の人々の集合によつて各種の方言が混淆し、又はどの方言にも属せず、標準語に近い一種の方言が新たに生れることがある。台湾・北海道・樺太の如き、或は八幡・大牟田・宇部・呉などの如く急激に膨張した都市に

1 0 0 0 八尾市史

https://t.co/0qjObsCci9 『八尾市史 近代 本文編』(1983)。 「西鶴の小説にも、金持ちではあるが田舎の里人という河内人の話がある」「江戸時代から明治・大正期にかけてまでの河内は、大阪のすぐ近くの田園農村地帯であった」
https://t.co/9vTf1PJO2O 諸星美智直(1993)「人相書の言語事項について」。 近世〜明治初頭。当時の呼称、方言観が興味深い。 「中国言葉」「常陸言葉」「水戸言葉」「江戸言葉」「京言葉」「江戸言葉之様ニなまり有(京都にて)」「東京言語」「上方言葉」
https://t.co/L385W8Ag5K 丹羽一彌(1981)「微細言語地図の調査法について」。 「方言で育った高年齢層でも、今では日常会話において共通語化した語形を使うことが多くなった」「今の日常会話を取るか共通語化以前の物を取るか、ここで立場が二つ分かれる」

1 0 0 0 教育愛知

https://t.co/FPcfIkgQNT 三浦貞作(1981)『特集 愛知県の方言4 失われていく方言』。 山本格安(1748)『尾張方言』は特殊語彙が中心になていたのもあって、稲沢市在住のやや年配の方で使用率は40%。『愛知県方言集』(1920)の尾張西部のものと思われる語彙について調査すると使用率93%。

1 0 0 0 OA 学窓雑記

https://t.co/y4edcTy0Vd 小泉信三(1936)『学窓雑記』。 「言語が混雑しているといへば、門司もさうである。九州の一角でありながら、必ずしも九州らしくない。交通の関係上か、人が流れて来るものか、存外大阪弁系統の言葉をきくことが多いと思つた」。

1 0 0 0 国語国文

https://t.co/vQmX1zb9Ds 柳田國男(1938)「敬語と児童」。 昔の「播州中部の生まれ在所」と「下総利根川べりの農村」の比較。後者は「子供の仲間に、サンとかチヤンとかいふ敬称が少ない。他所から新たに来て加入した者、特に言葉に気をつける商家などの児だけは別になるが、村に共々に育つた者は、
https://t.co/9BF3jBBsn4 今泉忠義(1944)『現代語の性格』。 オラナイを用いているのは「東京に出た関西の人の癖である」。「殆ど皆東京語を真似ながら、やはり真似切れないところの残つている人なのである」「一流の国語学者として自他共に許すほどの大家にもある」

1 0 0 0 OA 国語学精義

https://t.co/hh3ITsAb8c 保科孝一(1910)『国語学精義』。 「明治維新以前においては、或る部分にそれぞれ標準語が存在して居たことで、禁中には禁中言葉、武家には武家言葉があり、その武家にも階級によつて、それぞれ一定の標準語があつた。往来書簡文等にも、その用語形式等に、

4 0 0 0 OA 長岡市史

https://t.co/KpbEaDrLqZ 長岡市編(1931)『長岡市史』。 「長岡及其の付近の方言訛語も、亦三州牛久保から移住した士分の用語と市郷の庶民の用語とは随分大きな相違があつたようである。固より二百数十年間には、両者の間に種々の変化が生じ、

118 0 0 0 OA 宝塚グラフ

https://t.co/Si9YpUmhiK 宝塚少女歌劇団出版部(1938)『宝塚グラフ』。 「私が初めて舞台に立ち多くの上級生と接して特に感じた事は、言葉づかひ、即ち宝塚弁とでも云ふ変わつた言葉です。それは大阪弁でも東京弁でもなく、それ等をいつしよにした様なもの」。

1 0 0 0 綴方風土記

https://t.co/UzfXApfKga 『綴方風土記5 関西篇』(1953)。 「田島や猪飼野のへんはとても工場の多い所だ」「このへんの工場は多ぜいの人がかよっている工場もあるが、たいていは家族の人がよってか、あるいは奈良県、三重県、和歌山県のいなかのほうから、住みこみで学校を卒業した人たちを

1 0 0 0 方言研究

https://t.co/AynwPgfJPg 塩田紀和(1941)「方言に対する標準語の問題」。 「甲府から来た叔母さんは『勉強しなさい』といふのを『勉強をしろし』とか『勉強をやれし』などおつしやる」。
https://t.co/6zXpFqvizA 友納友次郎(1915)『読方教授法要義』。 「方言の矯正に方言其の物を矯正するといふ方法は策の得たものではない。方言は方言として其の儘に放置しておいて、それよりも専ら標準語其の物の普及に力を用ひたい」「先づ標準語其の物に十分な内容を与えへ、之に対する語感を
https://t.co/P2BDIIyQqO 飯田恒作(1917)『教案中心綴方教授の実際案』。 「標準語の普及徹底は中々むづかしい。東京に近い、或は都会地の人々は、次第に東京語に同化される傾向があるが、交通の不便な片田舎に行くと、この標準語を地方々々の方言に訳さなければ解らぬ所もある。

1 0 0 0 OA

https://t.co/bxPjbY2Wr6 小幡重一(1938)『響』。 「田中舘愛橘先生が八十歳の高齢に達せられる今日、猶メガダ(目方)、スロト(素人)、ゲンピキヨウ(顕微鏡)等と岩手弁丸出しであられる」「若槻礼次郎男がシウギエンギエン(衆議院議員)、エイモノハエイなどと云はれ

2 0 0 0 OA 国語の教へ方

https://t.co/KaZpinnkQb 森田悟郎(1943)『国語の教へ方』。 「皆さん方は朝鮮では全く標準語が行はれて居つて、方言などは探してもあるまいといふやうにお考へになつて居られるかも知りませぬが、残念ながらさうぢやないのです。かなり広く誠にかんばしからぬ内地の方言が行はれて居ます。

3 0 0 0 OA 雪国の春

https://t.co/z04uPqFzmC 柳田國男(1928)『雪国の春』。 「もつと適切に申せば笑はれる語、匡正したくなる語が方言である。従つて国民の結合が強くなつて、次第に顕著なる現象が方言、方言の注意せられるのも国運隆盛の一兆候と謂ひ得る。
https://t.co/1WftynmwhM 兵庫県立第一神戸高等女学校編(1932)『創立三十周年記念誌』。 昭和初期の神戸方言の資料か。俚言集。

1 0 0 0 国語教育

https://t.co/mWEFRpkqkB 東條操(1936)「方言の通信調査法を中心として」。 「明治四十一年の当時は既に標準語が全国各地に行はれていた時代である。そこで報告者の中には調査事項の中の例語、例文の大半をそのままに残し二三語を削除して報告したものなども発見された、

1 0 0 0 羽曳野市史

https://t.co/6g4ejV5QJA 1998年の羽曳野市史。地域社会と白鳥園,恵我之荘についても記述されている。白鳥園はストリートビューで見ると現在では古そうな和風住宅が若干残っているくらいに見えるけど、90年代末期には洋風建築も残ってたか。

2 0 0 0 OA 御影町誌

https://t.co/uv4doIgYGn 昭和初期には旧御影と新御影という概念があったんか。住宅の外観や服装も違うと記述されている。
https://t.co/Fcpshac2FQ 松崎天民(1928)『旅行気分山水行脚』。 「今は電車が通じた為めに、表通りは道幅が広くなり、古い家は壊たれ、新しい家は建てられて、十余年前の面影など、何処を訪ねても分りません。けれども一歩を裏通りへ、電車の通らぬ町々へ運びますと、そこには古い大阪の香気が、

1 0 0 0 OA 国体論

https://t.co/rkFPx90Zu5 遠藤隆吉(1923)『国体論』。 「今日は主として東京を中心として一切が四方に蔓延しつつあるを見るなり。然れども京阪と東京とは日本の二大中心地点なるがために此間の交通は最も頻繁にして次第に同化せんとしつつあるを見るなり」
https://t.co/P0kvbYrYjK これが往時の北畠住宅か。凄まじい眺めやな。

1 0 0 0 三都見物

https://t.co/Gd22RPnhnm 生方敏郎(1921)『三都見物』。 「日本は、何と云つても、まだ封建時代からわづか五十年しか経つていない。国境の外から来た客は外国人だ」「十里以上も外へ出れば、屹度外国人として待遇される。丁寧にされる場合も、外国人であるが故からの意味に於て丁寧にされ、
https://t.co/a8BfdFL1ok 藤森由佳(1990)「名古屋方言の世代による変遷」。 中川区春日地区。方言語彙の調査。明治40年代〜昭和50年代生まれが対象。今回の調査で最も目立つパターンは「昭和二十年前後生まれの人を境とする、方言形から共通語形への大きな変化」。
https://t.co/5V3l1Tt4YZ 和歌森太郎(1967)『歴史と民俗と』。 「東京の、とくに下町には西や東の関東方言がはいりこんでいるが、『あそこさ』、『東京さ』といったような『へ』をやたらに『さ』というのがないとか、ダッペやだんべがないだけのことである」

1 0 0 0 守山市史

https://t.co/RUL1p7xJn5 『守山市史 下巻』(1974)。 滋賀。書き方からして、近代期の俚言集か。近代期?の守山市域の方言資料。

3 0 0 0 OA 松葉傑作集

教えて頂きndlデジタルコレクションで読めました。当時も今も物議を醸しそうな攻めた台詞が多いがかなり面白い。 載せた絵葉書は幕切れの瞬間のようです。 妖怪室は倶楽部会員が脱会時(縁談が決まった時)に相手の写真を張り出さねばいけない部屋でした
富士市役所周辺が青葉通りを軸に整備されてるのって富士・吉原の中間地点への新都心計画によるものなのか、その後公共施設が市内に分散整備されたことでロードサイド的な土地利用と混在してるのも面白い https://t.co/xBuJMXaVzd
https://t.co/2Cju3YiMqm 『講座日本風俗史 別巻 第4』(1959)。 「以前地方を旅行すると、しきりに東京の言葉を教えてもらいたいという人があった。特に若い女性など、戦前でまだラジオも余りなかった頃には、東京の女性言葉についていろいろと尋ねられた。

1 0 0 0 国語概説

https://t.co/0c0ThCz6fq 佐伯梅友(1959)『国語概説』。 「江戸時代には、どこの藩でも、たいていは、城下町のことばが、その地方の共通語になっていた。現代でも、各地の都市のことばは、近在に比べると、なまりが弱いので、その地域一帯の共通語になっていることが多い。

1 0 0 0 方言学講座

https://t.co/3M77zTaF9K 『方言学講座 第3巻 西部方言』(1961)。 「ラジオ・テレビにおける関西弁の流行は、他地方人に上方弁をはやらせる力を持つが、京都地方人自体における、上方弁保存的傾向には、余り関係がなさそうである」。 https://t.co/e1YGdTFsqS
https://t.co/MFLf8zahiY 真下五一(1942)『京の魔術』 ​「京都弁の女性が書簡文を書く場合のことを一寸調査してみたについて、それが書簡文に限つて案外標準語、または東京語を用ひていることが多いといふ事実だつた」

1 0 0 0 Chamber

https://t.co/UBRnzWkC0w 「話しことばとしての大阪弁」(1966)。他にも見所が色々あった。 牧村史陽「ところで『そやさかい』ちゆうことばも使わんようになりましたな」「『いけず』ということばもね、もういまの若い人知りませんやうね(笑)ええことばでつせ」。
https://t.co/nvzR2ymPHl 『大阪の文化を考える』(1974)。 平野が結構話題になっている。 西川「いきなり堺を復元せよといっても大変なので、平野で実験すればよいと思います」「大阪は何もなくなっているように見えるけれど、知られないまま残っているものがたくさんあるように思う。
https://t.co/UmAGlbuM1E 大阪文化振興会編(1975)『都市と文化問題』。 箕面の百楽荘や牧落とかは「大正の末期ぐらいから住んでいるような人が多くて、わりとりっぱな家に住んでいる。そういうところもいま、どんどん景観が変わってしまう。あそこでも、やはり町並みを守らないかんと思ってますね。

1 0 0 0 菟田野町史

https://t.co/mFsX7cMArp 『菟田野町史』(1968)。 1889〜1908年生まれ5人の語法調査文例でことごとく「借りる」「飽きる」になってたのがいっちゃん気になった。

1 0 0 0 天理市史

https://t.co/UxEi6qeCkT 『天理市史』(1958)。 江戸末期頃の方言資料としての天理教原典にも言及している。
なんと! 東里村史もおうちで読めますね。ありがとう国会図書館! https://t.co/GhS3RhkEkO 残念ながら加茂町史は個人送信対象ではなかったですが、年表加茂町の歴史と文化はありました。これ各戸に配られたんじゃなかったかなあ。家にもある気がします。 https://t.co/xjCCRVVZSa

2 0 0 0 東里村史

なんと! 東里村史もおうちで読めますね。ありがとう国会図書館! https://t.co/GhS3RhkEkO 残念ながら加茂町史は個人送信対象ではなかったですが、年表加茂町の歴史と文化はありました。これ各戸に配られたんじゃなかったかなあ。家にもある気がします。 https://t.co/xjCCRVVZSa
https://t.co/UQNOr5KJc8 大阪府高等学校地理研究会編(1973)『大阪 : その風土と生活』。 写真がもっとあると良かった。 「最近は大阪市八尾区の感がある」。飯盛山麓は1960年以降、急速な宅地化が進み、環境破壊が大きな課題になっている。1965-70年の四条畷市の人口増加率は大阪府最高を記録した。
@musashinokotaro @yaonyaosuke2 「日本街道総覧」、国立国会図書館の図書館/個人送信で見られるようになってました。手元の書籍版の方はもうぼろぼろになっているので、ありがたい
@musashinokotaro 私がこの本を買ったのは、高校生の時なので、もうはるか昔ですね(^^; 今では、前半の「大日本道中行程細見記」は国立国会図書館デジタルで公開されているので、拡大して見るのも楽になりました。 https://t.co/6wg3cj4E5q
https://t.co/BrF0Q2LBSL 淡路方言の系統の解明と西日本方言の区画の再検討 「方言区画としては、現時点の仮説として、1.近畿中央部、2.近畿周辺部(四国を含む)、3.中国(雲伯を含む)が想定されるものの、中国地方は議論の余地がある」。
https://t.co/2xtXmJ2bvE 湯浅茂雄(2022)「山田美妙『日本大辞書』の方言語彙」。 「方言ハ、大抵、東西両京ノモノヲ取リテ、諸国辺土ノモノハ、漏ラセルモ多シ」。
御意。>>イメージ先行型の和風建造物は、東京都内でも貴重な町並み景観である神楽坂花街に対して、歴史的な真正性の観点から悪影響を与える恐れがある。神楽坂の町並み景観を継承していくには、この真正性を意識しながらまちづくりを行うことが重要であろう。 https://t.co/tQK7JmNMgB

3 0 0 0 OA 旅の家つと

明治33年だとまだ談山神社より多武峰の方が通りが良かったらしいのが興味深いです。https://t.co/8L8x2xyaxv https://t.co/lTQaFdvmu6
桜井祐男(1926)『芸術的各科教授法』 https://t.co/J5kMVJJsO2 当時の色々な言説を探してるけど、これはかなりインパクトあんな。 「九州のはてと北海道のはてとは優に八百里の差がある筈だ。だのに、それを一東京の地方言で壁塗りするとは、余りに各地方の文化と生長を無視したものだ。

1 0 0 0 OA 国語教育原論

鈴木敏也(1933)『国語教育原論』 https://t.co/1UazmmduC7 「今日如何に意識的に標準語化を否定し怠るにしてももはや交通通信機関の発達と社会生活様式が一般化した結果からみて、往年の様な変化を招くことは無いであらうが、方言を過重し方言の意義への正確な認識を失つた暁には、つひに国語の混乱
『帝国教育大会報告書』(1895)。 https://t.co/5PKu0sqCqf 香取「地方の異なるに従つて人情も違ひます従つて言葉も違つて居ると云ふやうな訳があらうと思ひます広く申しますと英国に住む者は英語が行はれ仏蘭西に住む者には仏語が行はれ露国には露国語が行はれると云ふやうなもので
大日本仏教全書に浄瑠璃寺流記事が入っているのですが、「奈良大門造営事四足。是ハ奈良道赤門之事也」とあります。ところが、加茂町史版だと「是ハ奈良道前門之事也」になっています。今も赤門坂と呼ばれているので、「赤門」だと思うんですが、どっちが正しいんでしょう
https://t.co/SEHSAJqqKX 川島庄一郎(1900)『各科教授原理及教案』。「関東に多くある戦ウテをたゝカツテ追ヒテをオツテの類も故らに之を習はすべきに非ず」。「サニテアリよりサデアリ、サウデアルサウダ(ルを省く)若しくはサウヂヤ(同じくルを省きデアを拗音にしたり)となりたるは普通なれども

2 0 0 0 OA 鹿児島語法

https://t.co/MZOH76zZGe 村林孫四郎(1908)『鹿児島語法』。 「一日も早く方言を撲滅して、国語を統一せざるべからず。若し、猶ほ方言を用ひて得々たる者あらば、実に国民の団結発展を阻害し、国家の体面を損する国賊なり」

1 0 0 0 OA 国語学の十講

https://t.co/6L6G3bcyGP 上田万年(1916)『国語学の十講』。「現在の文語は関西語系に属するものである。近畿を中心として発達した文学より出でたるものである。言葉の上に於ける関西語系の勢力はまた昔日の如くでは無い今日、関東語系の国語の上に権威を有するやうになつて来た現代に於ては、

1 0 0 0 OA 大正文典要義

https://t.co/CppbZ1lfIU 高橋竜雄(1915)『大正文典要義』。「宇音便は関西語なり。『買うて貰うた』と関西にていふを、東京語にては『買つて貰つた』と必ず即音便にいふ。但し宇音便は文語としてはなほ標準語なり」。当時の西日本的語法の扱いに興味があるので。
https://t.co/inam2cnQQ0 市川源三(1913)『実験的総合的批判的国語教授法大成』。 「標準語(帝国語)に要求する所は思想発表が自由で且精確だといふ点と、それが広い範囲に有効であるといふ点とにあるから、それが歴史上どういふ関係になつて居らうが、歴代文学とどう云ふ関係になつて居らうが、

1 0 0 0 OA 華城村誌

https://t.co/yTzK3eVgp4 山口県佐波郡華城村(1928)『華城村誌』。 「小学校教科書に於て、中央標準語を使用するに至りて、父母兄弟姉妹等人倫に属する用語先づ改まりたり」。
https://t.co/WTaiCuCntp 池田小菊(1929)『子供と綴方教育』 「どうして、奈良へ生れてんやろ。きたない言葉やのに、東京へ生れてたら、生れた時から、もう江戸つ子つかふやうになれるのに、東京の人はとくや」。

1 0 0 0 OA 日本都市風景

https://t.co/GCuLQSzunc 『日本都市風景』。「洋風の建物は三都殆んど相類似してその特徴をとりあげるよすがもないが、ビルディングの狭間に、裏通り​や横町通に、昔から根づいている町家の態様に少しく注目してみると、土地の変るにつれてかうも変つたものかと驚かされるぐらい

4 0 0 0 OA 将来之東北

https://t.co/LKoCnpoIik 半谷清寿(1906)『将来之東北』。 「余か懐抱せる社会改良事業中、其の最も困難にして且つ容易に目的を達する能はざるは、言語の改良より甚しきはあらず。余は相馬全般に対して時々警告して曰く、若し言語を改良するを笑はは、
https://t.co/9s1ZvCgG1I ​東京教育研究会編(1913)『常識教育の実施的施設』の「一歩一歩進む事が必要である。彼の言語改良の如きも一例である。直に東京の標準語に倣せやうとしても駄目だ。先づ其の地方に於ける高尚な言葉を習はしめ、漸を追ふて進まねば、

5 0 0 0 OA 出雲方言

https://t.co/H1OpMWATxH 後藤蔵四郎​(1916)『出雲方言』。​ ​「明治の初年に於ては松江にて子供が​虹をビヨージといつた、然るに現今の子供はニジといふ語を知つてビヨージといふ語を知らぬ」「松江にては明治の初年までびようじといふ方言があつたが今は之を聞くこと稀である」

4 0 0 0 OA 大呉市民史

https://t.co/TzqBnExloO 『大呉市民史』(1943)。 「外来移住者は伊予を最とし、山口、岡山、大分、香川、島根県等が多く、各々の風習と地方訛を持ち込むため軍港開設当初より雑然たるものがあつたが、この頃に至つては漸く風習の同化をみると共に土着訛も薄らいで、
https://t.co/QBVG3fyHtL 山田美妙(1902)『言文一致作例 : 日用書翰文・記事論説文』。 「今後の日本全国の語は東京語化されるのである。地方によツては化せられる遅速も有あらう。しかし早晩化せられるのは疑ふべくも無い。
(参考) CiNii 論文 - 住民主導型歴史的街並みの再生メカニズム : 長野県上田市柳町を事例にして https://t.co/cObW6bEUpZ

3 0 0 0 OA 文章速達法

https://t.co/X7kmVIKMnq 堺利彦(1915)『文章速達法』。 「東京語と云つても、純粋の江戸言葉(即ち江戸ツこ)は矢張り一つの方言である。東京語の中から江戸ツこの方言を除き去つたものが、先づ今日全国に通用する言葉である」。

1 0 0 0 OA 足跡十二年

https://t.co/spdKY5QHac 大正五年千葉県師範学校本科第一部卒業生(1928)『足跡十二年』。 「大阪弁のわかるまで半年もかかつた。覚束ない大阪の生活も五年十年と過して見れば今ではどう見ても上方贅六である」。
https://t.co/eX6hGsnlic 宇野浩二(1913)「清二郎・夢見る子 : 小さき話集」。 「過去何代の洗練されて来た大阪言葉は、今大日本国語の名の下に滅ばされつつあるけれど」。

1 0 0 0 OA 老境の黎明

https://t.co/CxCzWzIq8s 暁烏敏(1927)『老境の黎明』。 「地方に行くと、宴会などで芸妓にあふことがあります。鹿児島あたりであふ芸妓が大阪言葉を使うていたり、盛岡や秋田であふ芸妓が東京言葉を使うていたりするのは、物たりない気がします」。

1 0 0 0 OA 労働調査報告

https://t.co/TvZLS9muxb 大阪市社会部調査課編​の『労働調査報告​ ​第26号』(1924)の​「土方の挨拶」について。​ ​「この社会は全く関東語を以て社会語としているが、之は江戸任侠の感化と見るべきであらう。手伝の社会また博徒社会も略々同一の言語を使用しているが、
イギリスのフットパスや「歩く権利」の進展はおもしろいです。日本の場合、山道が里道として市町村の管理となっていますが、イギリスではそういう小道は行政の管理下になかったということでしょうか。そうだとすると日本にはこうした道をつなげる上で有利な点もありそうです。https://t.co/YuCvJRtadg https://t.co/gfCbJIaGVU
ネットで読める実範上人の生涯についてはこちらがよくまとまっています。実範は大治二年(1127)高野山御塔の落慶供養で唱礼を勤めたそうで、実範は声明でも達人であったと推察されるとのこと。>佐藤哲英「中ノ川実範の生涯とその浄土教」https://t.co/BebgjaFhOq https://t.co/3oohcodWIt
都市は人間のパーソナリティやつながりをどう変えるか、という問いに対するこれまでの議論の整理。下位文化理論を評価する立場からの整理という点は踏まえる必要があるものの分かりやすい。 赤枝尚樹「Fischer 下位文化理論の意義と可能性」 https://t.co/7EbobW11YB https://t.co/gzeCY9gFaD
https://t.co/PLjf5iFyf0 井上史雄(2021)「文法形式の分布と距離―共通語化と鉄道・徒歩距離―」。

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