8 0 0 0 IR 座敷童子考

著者
中村 一基 NAKAMURA Kazumoto
出版者
岩手大学語文学会
雑誌
岩大語文 (ISSN:09191127)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.1-9, 1996-01-01
著者
中村 一基
出版者
岩手大学
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践研究指導センター研究紀要 (ISSN:09172874)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.175-184, 1993

研究ノート(1)では,日本人の言語感覚について,言語と沈黙という対峠関係を突き抜けるように,沈黙の言語があり,またその向こうに,失語という言語主体から遊離した言語の問題あることを,沈黙の意味性の把握を中心に考案した。その結果,日本人の言語感覚には,言語に対する二律背反的な感覚があり,その根底に言霊信仰がいまも生き続けていることを論じた。本稿では,「忌み言葉と差別語」をとりあげ,言語のタブー化という事態の背景に,日本人の「穢れ」の感覚と言霊の観念が色濃く影をおとしていることを考察した。
著者
中村 一基
出版者
岩手大学
雑誌
岩大語文 (ISSN:09191127)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.1-9, 2006

日本において、《遺骨》はどのような思想史的な意味の中に置かれたのか。そのことを考える視点として、釈迦の遺骨(=仏舎利)に焦点を当てる。このことを考えることは、仏教をめぐる《聖遺物信仰》を考えることでもある。仏像が《偶像崇拝》を象徴するように、仏舎利は仏像以前からの《聖遺物信仰》の象徴であった。その意味で仏舎利信仰は仏教のもっとも根源的な信仰の姿を伝えている」(内藤榮「「仏舎利と宝珠」展概説」、奈良国立博物館編『特別展「仏舎利と宝珠-釈迦を慕う心」』、二〇〇一年一七二頁。本稿の基本的な構成・趣旨は、この概説に沿っている。)仏舎利を納める仏塔とともにアジアへ広がった。遺骨の聖性は釈迦に限定された特殊なものだったのか。《遺骨》は舎利信仰と接触することで、聖性への契機を掴んだのでないか。山折哲雄氏は仏教と結びついた舎利崇拝は、上層階級に受け入れられ、漸次一般に浸透していったが、「あくまでも「仏」という特定のカリスマの「舎利」にたいする崇拝」であり「例外的な遺骨崇拝」である(「死と民俗-遺骨崇拝の源流-」『死の民俗学』岩波書店、一九九〇年、四八頁)という前提に立ちながらも、五来重氏の元興寺極楽坊の納骨器研究に着日'、「わが国における仏舎利崇拝と納骨信仰とが共通の文化的土壌から生み出された同血の信仰形態であるということに、とくに注意喚起しておきたい」(同、六〇頁)と述べておられる。筆者も仏舎利崇拝と我が国における遺骨崇拝に基づく納骨の習俗とが、接点をもっているのではないかと考える。本稿は、そのことを明らかにするために、印度・中央アジア・中国・朝鮮・日本と釈迦の遺骨が《仏舎利》という崇拝の対象として辿った道筋を、日本の仏舎利信仰を中心に歴史的に俯瞰しながら、日本の《遺骨崇拝》形成にどのような思想的接触を持っていったかを探りたいと思う。ただ、「日本の舎利信仰は舎利は釈迦の遺骨である」という常識を一度払拭しないと理解できないほど、複雑に入り組んでいる」(内藤榮、前掲概説、同頁)のも事実である。
著者
篠塚 和正 和久田 浩一 鳥取部 直子 中村 一基
出版者
公益社団法人 日本薬理学会
雑誌
日本薬理学雑誌 (ISSN:00155691)
巻号頁・発行日
vol.143, no.6, pp.283-288, 2014 (Released:2014-06-10)
参考文献数
50

ATPは様々な細胞から遊離されるが,ATPとその代謝産物のアデノシン(ADO)をアゴニストとする受容体もほとんどの細胞の細胞膜上に存在している.したがって,遊離された ATPやADOは,自身または隣接した細胞の受容体に作用し,異種細胞間の共通した細胞外シグナル分子として相互作用(クロストーク)に寄与している可能性がある.血管交感神経終末部にADO(A1)受容体が存在し,交感神経伝達を抑制的に調節していることはよく知られているが,筆者らはα1受容体刺激により血管内皮細胞から ATP やADO が遊離されること,これがノルアドレナリン(NA)の遊離を抑制することを見出し,逆行性のNA遊離調節因子として機能している可能性を報告した.また,培養内皮細胞の ATP(P2Y)受容体を刺激することにより,内皮細胞内のカルシウムイオンレベルが増加するとともに細胞の形状が変化し,細胞間隙が増大して内皮細胞層の物質透過性が増加することを見出し,ATPが生理学的・病態生理学的な透過性調節因子として機能している可能性を報告した.一方,ヒト線維芽肉腫由来細胞(HT-1080)からATPが遊離されることを見出し,これが血管内皮細胞のP2Y受容体を刺激して細胞内カルシウムイオンレベルを増加させることを明らかにするとともに,このような内皮細胞の反応ががん転移機序の一部に寄与する可能性を報告した.さらに,HT-1080のADO(A3)受容体刺激により,cyclin D1発現量の低下を介した抗がん作用が現れることを見出し,内皮細胞がA3受容体を細胞拮抗に利用している可能性を示唆した.このように,内皮細胞を中心としたATPによるクロストークは多様であり,組織の生理学的・病態生理学的機能変化を総合的に理解する上で,クロストークの役割の解明は重要であると考えられる.
著者
中村 一基 NAKAMURA Kazumoto
出版者
岩手大学語文学会
雑誌
岩大語文 (ISSN:09191127)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.1-7, 1994-01-01

菅原道真(菅相公)の左遷が何故起こったのか。『北野天神縁起』では宇多上皇と醍醐天皇とが政を道真一人に任せる事を密議、道真はその事を左大臣時平への憚りから辞退したが、時平はその事を漏れ聞いて無実の事を讒奏、その結果の左遷であるという。宇多上皇の道真への信任の厚さが、時平に危機感を感じさせ讒奏という行為に及ばせ、その讒奏に醍醐天皇が惑わされた結果の道真の不幸であるという。道真は『北野天神縁起』においては全くの犠牲者として描かれている。このような左遷をめぐる理解は、中世においては、北畠親房の「或時上皇の御在所朱雀院に行幸、猶右相にまかせらるべしと云さだめありて、すでに召仰たまひけるを、右相かたくのがれ申されてやみぬ。其事世にもれけるにや、左相いきどをりをふくみ、さまざま讒をまうけて、つゐにかたぶけたてまつりしことこそあさましけれ。し(『神皇正統記』醍醐天皇条)と同じ視点である。そして、讒奏に惑わされ道真を左遷した醍醐天皇について「此君の御一失と申伝はべり」(同前)とその過ちを認める。ただ、親房は「此君ぞ十四にてうけつぎ給て、摂政もなく御みづから政をしらせましましける。猶御幼年の故にや、左相の讒にもまよはせ拾けむ。聖も賢も一失はあるべきにこそ。」(同前)と幼さ故の醍醐天皇の未熟さを擁護することで、道真左遷の罪を首謀者時平に限定する。近世に入って、林鷺峰が「天皇ノ弟ヲ齊世親王卜云。菅丞相ノ婿ナリ。故ニサキニ宇多ノ譲位ヲヲサへトドメラレケルハ。齊世ヲ太子二立ントタクミナリト。時平奏聞セラレケルトナン。天皇今年十七ナレバ。其実否ノ沙汰モナカリケルカ。時平代々ノ執政ニテ。威強テ専二執行ヒケルトキコへシ。」(『日本王代一覧』醍醐天皇条)と、その讒奏の内容が皇位継承に関わった事を明確にした。この事を裏付けるのが、醍醐天皇の道真左連の宣命である。そこには、道真が「欲行廃立。離間父子之慈。淑皮兄弟之愛。」(『政事要略』巻廿二 年中行事八月上〈北野天神会〉)と、醍醐天皇を廃して齊世親王を立てようとしたとあり、その事が罪状の中心となっている。新井白石の『読史余諭』に『神皇正統記』『日本王代一覧』が引用され、伊藤梅宇の「左大臣時平おもへらく、われ摂家の身として微賤の凡人と相ならんで国政をとり、却っておされたる事を恨みて光卿定国などと謀りて、当今の齊世親王は菅丞相の聟となればこれを帝位につけ申さんと謀れる由を讒奏し給ふ。」(『見聞談叢』巻之一、四 菅原道真)、また安積澹泊の「讒を信じて姦を容れ、大いに主徳を累はせしは、啻に道真の不幸なるのみならず、抑々亦、帝の不幸なり。」(原漠文。『大日本史列伝賛藪』巻三上、菅原道真伝の賛)と時平(及びその一派)の讒奏が道真の不幸を招いたという認識に変化はない。その認識は、秋成が愛読した禅僧日初の『日本春秋』の「貶右大臣菅原道真為太宰権帥〈二十五日〉、先是上朝覲朱雀院、法皇謂上日、道真年高才賢挙国之所望也、宜任用、乃召道真宣其旨、時平聞之大忌、於是竊與源光、藤原菅根等屢讃之、方是時、時平妹穏子為皇妃、上皇落飾之後嬖於本朝、又菅根淵子入内承寵、是以内外讒行、道真為其女婿齊世親王謀廃立云、上不察虚実卒黜道真。」(延喜元年正月条)においても同じである。秋成以前、道真左遷に関わる歴史認識に大きな差異は見えない。しかし、『春雨物語』「海賊」に現れた「菅相公論」【注(1)】は、道真の寵臣性を際立たせ、左遷の原因を道真自身に求めるなど、宣命の「右大臣菅原朝臣寒門与利俄尓大臣上収拾利。而不知止足之分。有専権之心。以佞諂之情欺惑前上皇之御意。」(『政事要略』巻廿二)に通じ合う視点を持ち、それまでの道真諭とは異なる。本稿では、その意味を、秋成の不遇薄命説との関わりから論じてみたい。
著者
中村 一基
出版者
岩手大学語文学会
雑誌
岩大語文 (ISSN:09191127)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.1-9, 2000-11-25

死後、肉体は腐る。しかし骨は朽ちず。ただ、その骨もいづれの日か朽ちる。それが、自然の摂理である。この自然の摂理の過程のなかに、人間は火葬という葬法をもちこみ、骨化を早める。骨化が白骨を目指したとしても、はたして白骨は遺骨の意識と結びつくのか。古代から中世にかけての葬送史を俯瞰した時、〔納骨/散骨〕という遺骨処理に注目せざるを得なかった。それは、どの程度の浸透力をもって人々の葬送習俗の規範となったのか。〔納骨/散骨〕という遺骨処理の方法は、〔遺骨尊重/遺骨軽視〕の意識とパラフレーズするのか。さらに、霊魂の依代としての骨という観念と、祖霊信仰の成立との関連は霊肉二元論の次元では把握しきれない問題を孕んでいる。その意味で、山折哲雄の次のような方法論は示唆的であった。「死」の問題を「霊と肉」の二元的構図のなかでとらえようとする方法にたいして、もう一つ、「霊と肉と骨」という三元的な立体構成のなかで考察する方法が、わが国の場合とりわけ有効でもあり、かつ必要でもあるのではないか。(『死の民俗学-日本人の死生観と.葬送儀礼-』第1章「死と民俗-遺骨崇拝の源流-」)白骨という強力な磁場が遺骨崇拝に働いているのではないか。山折が「遺骨崇拝の源流」を考える上で、重要なモメントとしてあげる「十一-十二世紀における納骨信仰の形成」(同)の背後に、白骨という強力な磁場の存在を思い描く。さらに、磁場の形成に民俗としての〔〈白〉のシンボリズム〕が強く働いているのではないか。
著者
中村 一基
出版者
武庫川女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2006

冬虫夏草は古来より中国において滋養強壮薬として用いられており、また、その特有の成分としてコーディセピン(3' -deoxyadenosine)を含有している。平成18年度は、コーディセピンの生体内分解酵素であるアデノシンデアミナーゼの阻害剤である2' -deoxycoformycin(DCF)を併用することによりWECS及びコーディセピンの抗がん作用がどの程度増強されるかをin vitroにおいて検討した。その結果、WECS及びコーディセピンの抗がん作用はDCFの併用により著しく増強され、WECSで約3倍、コーディセピンで約300倍有意な活性亢進が認められた。平成19年度は、マウスメラノーマ細胞をC57BL/6Crマウスの足蹠皮下に接種するin vivo自然がん転移モデルを用いて、WECSのがん転移抑制作用をモデルマウスの生存日数延長により検討した。その結果、in vitroにおいてWECSの抗がん作用を3倍増強させたDCFは、腹腔内投与により単独あるいはWECSとの併用のいずれにおいてもがん転移抑制作用を示さなかった。一方、WECS 10mg/kgをがん細胞接種日から7日間連続1日1回及び原発巣切除翌日から7日間連続1日1回腹腔内投与したマウスの生存日数は、がん細胞接種後53日以内に全例が死亡した対照マウスと比べて有意に延長された。また、WECS 10mg/kg投与マウスの6匹中3匹はがん細胞接種後110日以上生存し、さらに、体重減少や脱毛などの副作用は観察されなかった。なお、WECS3mg/kgの投与量では、有意ながん転移抑制効果は認められず、WECS 100mg/kgの投与量では、対照マウスに比べて有意な体重減少が認められた。従って、WECSを臨床応用するためには、有効成分を出来るだけ絞り込み、抗原性を押さえ込んだ注射剤として開発することが、最も有力な方法であると結論付けられた。
著者
中村 一基
出版者
岩手大学語文学会
雑誌
岩大語文 (ISSN:09191127)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.1-9, 2006-12-08

日本において、《遺骨》はどのような思想史的な意味の中に置かれたのか。そのことを考える視点として、釈迦の遺骨(=仏舎利)に焦点を当てる。このことを考えることは、仏教をめぐる《聖遺物信仰》を考えることでもある。仏像が《偶像崇拝》を象徴するように、仏舎利は仏像以前からの《聖遺物信仰》の象徴であった。その意味で仏舎利信仰は仏教のもっとも根源的な信仰の姿を伝えている」(内藤榮「「仏舎利と宝珠」展概説」、奈良国立博物館編『特別展「仏舎利と宝珠-釈迦を慕う心」』、二〇〇一年一七二頁。本稿の基本的な構成・趣旨は、この概説に沿っている。)仏舎利を納める仏塔とともにアジアへ広がった。遺骨の聖性は釈迦に限定された特殊なものだったのか。《遺骨》は舎利信仰と接触することで、聖性への契機を掴んだのでないか。山折哲雄氏は仏教と結びついた舎利崇拝は、上層階級に受け入れられ、漸次一般に浸透していったが、「あくまでも「仏」という特定のカリスマの「舎利」にたいする崇拝」であり「例外的な遺骨崇拝」である(「死と民俗-遺骨崇拝の源流-」『死の民俗学』岩波書店、一九九〇年、四八頁)という前提に立ちながらも、五来重氏の元興寺極楽坊の納骨器研究に着日'、「わが国における仏舎利崇拝と納骨信仰とが共通の文化的土壌から生み出された同血の信仰形態であるということに、とくに注意喚起しておきたい」(同、六〇頁)と述べておられる。筆者も仏舎利崇拝と我が国における遺骨崇拝に基づく納骨の習俗とが、接点をもっているのではないかと考える。本稿は、そのことを明らかにするために、印度・中央アジア・中国・朝鮮・日本と釈迦の遺骨が《仏舎利》という崇拝の対象として辿った道筋を、日本の仏舎利信仰を中心に歴史的に俯瞰しながら、日本の《遺骨崇拝》形成にどのような思想的接触を持っていったかを探りたいと思う。ただ、「日本の舎利信仰は舎利は釈迦の遺骨である」という常識を一度払拭しないと理解できないほど、複雑に入り組んでいる」(内藤榮、前掲概説、同頁)のも事実である。
著者
中村 一基
出版者
岩手大学語文学会
雑誌
岩大語文 (ISSN:09191127)
巻号頁・発行日
no.12, pp.1-8, 2007

義経と弁慶の五条大橋での対決場面に相当するほどの、わくわくする対決場面が他にあるだろうか。千本の太刀を集めることを目標として、京の町を徘徊する僧兵姿の弁慶が、五条大橋で千本目に当たる黄金の太刀を帯びた女装の笛吹き童子牛若丸に遭遇、太刀をめぐって闘いを行ない、牛若丸の圧倒的な強さの前に降り、主従の約束をするという、《義経伝説》の中でも最も親しまれた場面である。現在、この場面を描いた多くの絵(挿絵・浮世絵が大半)が残っているが、七つ道具を背負った弁慶の大薙刀が振り下ろされ、牛若丸が軽やかに飛翔してそれをかわしている構図が、その絵の定番の構図である。本稿では、飛翔する《笛吹き童子》に象徴される芸能神義経誕生の神話にこだわってみたい。
著者
中村 一基 NAKAMURA Kazumoto
出版者
岩手大学教育学部附属教育工学センター
雑誌
教育工学研究 (ISSN:02852128)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.107-118, 1990-03-01

日本人の言語感覚のなかに、言葉に対する或る種のよそよそしさという要素は否めない。その感覚が何に由来するものなのかという関心に立って、その感覚の構造を明らかにするために、日本神話、中世の歌論・連歌論、近世の国学者の言霊論、現代の詩論を対象に、沈黙の意味性の把握という視点から考察を行った。本稿においては、特に言霊信仰の破綻の意識と再生への動きが、言葉に対する二律背反的な意識の根底にあることに注目して考察した。