著者
中西 久実子 村上 正行 上田 早苗
出版者
教育システム情報学会
雑誌
教育システム情報学会誌 (ISSN:13414135)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.61-70, 2018-07-27

<p>In 2008 and 2009, we practiced Cooperative Learning (CL) twice between learners of Japanese as a second language in Hong Kong and trainees to be a Japanese teacher in Kyoto by using SNS. The questionnaire after CL showed that 2008-CL was not fully activated in terms of 'social presence' and 'social support'. In 2009-CL, we improved the following points to get the students to feel social presence and social support; 1) corrections should be directly written in SNS, not in attached files, so that they are visible, 2) some of the functions of SNS are refined, 3) CL is performed in a group, not in pair, 4) corrections are given not only to a part of the learners' essays, but also to all parts, 5) instructors take the role of facilitators. Due to these improvements, 2009-CL became more activated than 2008-CL.</p>
著者
中西 久実子
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.132-138, 2005-09-30

本稿は,韓国語を母語とする日本語学習者(以下,KL(Korean speaking learners of Japanese)の携帯メールの特徴を実例を示しながら報告したものである.KLの携帯メールでは,韓国語をカタカナ表記するという特殊な現象が観察された.本稿では,これを「カタカナ韓国語」と呼び,母語話者どうしの母語でのメールでさえ頻繁に日本語(学習言語)と母語(カタカナ韓国語)とのコードスイッチングが行われることを指摘した.このほか,KLの携帯メールのデータでは,親愛の呼称,副詞,流行している表現,感情を強調する表現,待遇的な配慮を必要とする表現がカタカナ韓国語になりやすいことを明らかにした.これに対して,パッチム(ハングルの音節末に付く子音k,n,t,r,m,p,〓)はカタカナで表しにくいため,パッチムを含む語彙ではカタカナ韓国語が回避され,アルファベット表記されるという特徴が観察された.
著者
中西 久実子
出版者
公益社団法人 日本語教育学会
雑誌
日本語教育 (ISSN:03894037)
巻号頁・発行日
vol.159, pp.17-29, 2014 (Released:2017-03-21)
参考文献数
19

学習者は「弟は10歳だけだ」など不自然な「だけだ」を多用する。先行研究ではこのような「だけだ」は質を規定する名詞述語に接続すると不自然になるとされている。 本稿では「だけだ」が質を規定する名詞述語に接続しても不自然にならない反例があることを指摘し,「だけだ」が不自然になる原因を解明する。「Xだけだ」というのはたとえば「朝食はバナナだけだ」のように「X+X以外」のセットを前提集合とし,その否定「X+X以外のセットではない。Xはあるが,X以外はない」を表していなければならない。しかし,問題となる「だけだ」では前提集合「X+X以外」があり得ない。質を規定する述語Xにつく「だけだ」では「X+X以外」が,「Xであり,かつ,X以外だ」になるからである。たとえば,学習者が用いる「弟は10歳だけだ。まだお酒は飲めない。」の場合,「弟が10歳であり,かつ,20歳だ」はあり得ないので,「だけだ」が不自然になる。
著者
中西 久実子 Kumiko NAKANISHI
出版者
国立国語研究所
雑誌
国立国語研究所論集 (ISSN:2186134X)
巻号頁・発行日
no.14, pp.193-207, 2018-01

日本語学習者は,「彼は8歳だけだ」のような「数量語+だけだ」など「名詞+だけだ」を多用することが多い。先行研究では,名詞文の述語の位置の「だけだ」について「量による規定をおこなうが,質による規定とは相入れないのではないかと考えられる」(森本1992: 48)とされている。たしかに,「彼は係長だけだ」のように名詞「係長」に「だけだ」を接続すると不自然になる。これに対して,中西(2014)では,「甘えん坊だ」のような「名詞」に「だ」が付いて述語になったものに,さらに「だけだ」を付けて「彼は甘えん坊なだけだ」としても不自然にならない反例があることが指摘されている。つまり,量による規定の場合は「名詞+だけだ」という形しか使えないが,質による規定の場合は,「甘えん坊なだけだ」のように「名詞な+だけだ」という形で許容されることがあるというのである。しかし,「だけだ」が不自然になる要因が明示されていないため,たとえば,「彼は父より少し年下なだけだ」などの「だけだ」が不自然ではないことなどには説明がつけられない。そこで,本稿では,「数量語+だけだ」など「名詞+だけだ」がなぜ不自然になりやすいかという決定的な要因を明示する。不自然と判断される決定的な要因は,補集合の要素の存在の否定(=「他はない」という「モノの非存在」)が読み取れないことである。たとえば,「この本は1000円だけだ」の「1000円」は「安価だ」というように形容詞的に解釈されていて,前提「高価だ」との間に明確な区切りがなく,補集合の要素の存在の否定(=「他はない」という「モノの非存在」)が読み取れないので,「だけだ」が不自然と判断される。「数量語+だけだ」は形容詞的に解釈されがちで,補集合の要素の存在の否定(=「他はない」という「モノの非存在」)が読み取れないので,不自然になりやすい。Learners of Japanese as a second language tend to misuse dakeda 'just' as in Kare wa 8-sai dakeda 'He is just eight years old.' A previous study has shown that dakeda is impermissible in a noun sentence when it follows a predicate nominal prescribing the quality of the subject. Morimoto (1992) claims that dakeda is incompatible with describing the attribution of the subject of a sentence. It is true that dakeda is not pragmatically permissible, when used in such a sentence as Kare wa kakaricho dakeda 'He is just a chief,' because kakaricho 'chief ' describes the attribution of the subject of the sentence. On the other hand, Nakanishi (2014) points out that there is a counterexample to Morimoto's (1992) assertion. Although Nakanishi (2014) presents a factor as to why dakeda is taken to be pragmatically permissible, it is not sufficient as Nakanishi (2014) fails to present a factor as to why dakeda is not pragmatically permissible. In this article, I present the crucial factor why "Noun + dakeda," especially "Quantifier + dakeda," is often taken to be pragmatically impermissible. In conclusion, in particular for "Quantifier + dakeda," it is difficult to find a clear distinction between the focus noun and its paradigmatic element on a scale. Consequently, a reader cannot understand that there is something deficient between the focus noun and the paradigmatic element. For example, Kono hon wa 1000 yen dakeda 'This book costs 1000 yen' is pragmatically impermissible, because it is difficult to find a clear distinction between the focus noun "1000 yen" and its paradigmatic element "5000 yen" on a scale. Moreover, the reader takes 1000 yen as adjectival "cheap," and there cannot be imagined something deficient between "cheap" and "expensive."
著者
中西 久実子
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.132-138, 2005-09-30 (Released:2017-04-29)
被引用文献数
1

本稿は,韓国語を母語とする日本語学習者(以下,KL(Korean speaking learners of Japanese)の携帯メールの特徴を実例を示しながら報告したものである.KLの携帯メールでは,韓国語をカタカナ表記するという特殊な現象が観察された.本稿では,これを「カタカナ韓国語」と呼び,母語話者どうしの母語でのメールでさえ頻繁に日本語(学習言語)と母語(カタカナ韓国語)とのコードスイッチングが行われることを指摘した.このほか,KLの携帯メールのデータでは,親愛の呼称,副詞,流行している表現,感情を強調する表現,待遇的な配慮を必要とする表現がカタカナ韓国語になりやすいことを明らかにした.これに対して,パッチム(ハングルの音節末に付く子音k,n,t,r,m,p,〓)はカタカナで表しにくいため,パッチムを含む語彙ではカタカナ韓国語が回避され,アルファベット表記されるという特徴が観察された.