著者
中谷 伸生
出版者
関西大学大学院東アジア文化研究科
雑誌
東アジア文化交渉研究 = Journal of East Asian cultural interaction studies (ISSN:18827748)
巻号頁・発行日
no.9, pp.17-35, 2016-03

東アジアの言語と表象文部科学省グローバルCOEプログラム 関西大学文化交渉学教育研究拠点The paintinggs by Rin Ryoen, a painter in Osaka painting school (Osaka gadan), were influenced by the Kano school, the Shijo school, the literati paintings, the Nanbin school, and Western paintings, as well as Ming and Qing paintings. The range of his paintings is so diverse it is hard to encapsulate his entire collection in one phrase. Ryoen's multi-faceted collection typifies works by Osaka painters, who had the liberty of making art without worrying about the constraint of the relationship between a master and an apprentice. Unlike Edo and Kyoto art circles, which enforced strict master-apprentice relationship, Osaka painting school allowed painters to adopt painting styles beyond the boundaries of schools under more flexible master-apprentice relationship. Osaka painting school thus provided the ground for a broad spectrum of paintings like Ryoen's. If I were to choose a word that characterizes Ryoen's painting style that is consistent throughout his diverse collection, it would be "eccentric."
著者
中谷 伸生
出版者
関西大学大学院東アジア文化研究科
雑誌
東アジア文化交渉研究 (ISSN:18827748)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.27-41, 2013-03-27

This paper discusses artistic modification and the cultural relationship of the traditional Japanese style of paintings compared with those of the East Asian world including China by presenting, as an example, some humorous pictures (called "Giga" in Japanese) drawn by Nicyosai, who was known as one of the leading caricature artists during the Edo period. China, however, has hardly any humorous paintings such as caricatures, and no comparison of Giga with Chinese paintings can be given here. In other words, this study sheds light on a new aspect of arts reflecting the characteristics of Japanese paintings within the framework of East Asian arts, and the author discusses some specific problems of art history entailing a two-way approach of works-oriented and method-oriented approaches. The author also reviews works by Nicyosai and evaluates such works to examine if the caricatures drawn by Nicyosai are truly the traditional Japanese style of paintings.
著者
中谷 伸生
出版者
関西大学
雑誌
関西大学博物館紀要 (ISSN:13414895)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.94-132, 2006-03-31

平成十七(二〇〇五)年度妙心寺及び建仁寺の調査報告書〈論文・資料紹介等〉
著者
米田 文孝 中谷 伸生 長谷 洋一 木庭 元晴 原田 正俊
出版者
関西大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

従来, インド国内の石窟寺院の造営時期は前期石窟と後期石窟とに明確に区分され, その間に造営中断期を設定して論説されてきました。しかし, 本研究で造営中断期に塔院(礼拝堂)と僧院を同一窟内に造営する事例を確認し, 5世紀以降の後期石窟で主流となる先駆的形態の出現確認と, その結果として造営中断期の設定自体の再検討という, 重要な成果を獲得しました。あわせて, 看過されていた中小石窟の現状報告が保存・修復の必要性を提起し, 保存修復や復元事業の契機になることも期待できます。
著者
中谷 伸生
出版者
関西大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2006

日本の近世絵画において、これまでほとんど研究がなされなかった大坂の戯画を採り上げ、江戸時代絵画史の重要な一領域を研究した。耳鳥齋(1751年以前-1803年頃、俗名松屋平三郎)は、江戸時代中期、商人の町として賑わう大坂で戯画作者として名をはせた画家である。京町堀で商いをする傍ら、絵画や浄瑠璃を嗜み、とりわけ戯画の世界で異才を放った。京都や江戸に比べ、大坂はアカデミズムとは一線を画す土地柄であるが、商人の町ならではの自由闊達な気風は、狩野派などの職業画家とは一味違う多彩な画家を輩出した。そして、耳鳥齋もまた、大坂的趣味を戯画で表現した、いわば「笑いの奇才」である。芝居絵から風俗画、あるいは版本に至るまで、作品は略筆ながらも当意即妙というべき適確さと「おかしみ」とを合わせもち、「世界ハ是レ即チ一ツノ大戯場」と堅苦しい世間を批判した。この研究では、美術館・個人所蔵家を徹底して調査し、真贋の問題を解明しながら資料整理を進め、耳鳥齋と大坂の戯画について新知見を得ることに成功した。また、東アジアにおける戯画の状況を把握するため、中国に調査に出かけ、版本など多くの比較資料を収集することができた。今回は、代表作「別世界巻」や「仮名手本忠臣蔵」などの肉筆画に、『絵本水や空』といった版本を加え、その画業の全貌を調査研究した。また、中村芳中や月岡雪鼎らによる人物戯画、さらには漫画の元租ともいえる鳥羽絵をも交えて大坂の戯画の系譜を浮き彫りにした。以上、きわめて独創的な研究成果が上がったと考えられる。
著者
山岡 泰造 松浦 清 並木 誠士 中谷 伸生 張 洋一 井渓 明
出版者
関西大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1998

これまで積極的に評価がなされず、研究の余地を大いに残している大坂画壇の絵画について調査研究を行った。主として関西大学図書館所蔵の絵画作品約550点を調査し、それらの写真撮影、法量などのデータ整理、関連文献の収集を行った。また、大阪市立博物館、堺市立博物館、大阪市立近代美術館(仮称)の所蔵作品約200点を調査し、それぞれのデータをカード化した。さらに、大阪、京都を中心にして、美術商及び個人所蔵の約100点を同じくカード化した。加えて、京都工芸繊維大学他、各研究機関所蔵の文献資料を調査し、重要な文献を複製等を通じて収集した。これらの調査は、主として大坂画壇の中でも最も重要な位置にいた木村蒹葭堂と、その周辺で活動した画家たちを中心に進められた。たとえば、愛石、上田耕夫、上田公長、岡田半江、葛蛇玉、佐藤保大、少林、墨江武禅、月岡雪斎、中井藍江、中村芳中、長山孔寅、西山芳園、耳鳥斎、浜田杏堂、日根野対山、森一鳳、森二鳳、森徹山らである。調査研究の結果、これまで生没年すら不明であった画家たちの生涯や活動歴及び作風と所属流派などがかなり明らかになり、大坂画壇研究の基礎研究として大きな成果があった。つまり、大坂の狩野派、四条派、円山派、文人画派、風俗両派(及び浮世絵派)、戯画などの系統が整理され、基礎資料の蓄積がなされた。今回の調査研究によって、大坂画壇研究の基礎研究が充実し、研究上の新局面を切り開くことができたと自負している。