著者
肥塚 隆 深見 純生 淺湫 毅 丸井 雅子 小野 邦彦 橋本 康子 デュルト ユベール 藤岡 穣 デュルト ユベール 藤岡 穣
出版者
大阪人間科学大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2006

研究成果の概要:東南アジアの遺跡や博物館等に遣されているヒンドゥー教や仏教の造形芸術資料を渉猟し、それらを過去の王朝、民族、あるいは現在の国ごとに分類して検討するのではなく、東南アジア全体を一まとまりとする歴史体系の中で総合的に位置づけて考察するための基礎資料の集成に努めた。特筆すべき成果としては、分担者の深見純生が東南アジアのモンスーン航海の確立が4世紀前半にさかのぼることを明らかにした点である。
著者
肥塚 隆 淺湫 毅 橋本 康子 深見 純生 小野 邦彦 上野 邦一 榎本 文雄 渡辺 佳成 丸井 雅子
出版者
大阪大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2009

クメール王国の刻文に頻出する devaraja の語は、 「神のような王」を意味し、王の没後にその墓廟として寺院が造営され、神仏と一体化した王像が安置されたと考えられてきた。また東部ジャワでも、同様な信仰があったとされてきた。しかしインドではこの語は「神々の王」の意味で用いられるのが一般的で、王を神格化する信仰が盛行した形跡はない。南インドでは王像が神像と並べて寺院に安置されることは珍しくないが、むしろ王権の神聖さの明示にあったと考えられる。
著者
石澤 良昭 上野 邦一 菱田 哲郎 一島 正真 VERIATH Cyiril 丸井 雅子
出版者
上智大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

上智大学アンコール遺跡国際調査団は、2001年3月と8月に仏教遺跡バンテアイ・クデイから274体の廃仏と千体仏石柱を発掘した。歴史上初めての大量廃仏発掘であった。この大発見は国内外の各紙に報じられた。仏像の大きさは大きいもので1.8mほど、小さいもので20cmほどの大中小があった。仏像は砂岩製で,青銅製の小物2体も見つかった。これら仏像は蛇神ナーガの上に結跏跌座したブッダ坐像であり、仏陀を守っている彫像(以下ナーガ坐像と略す)である。時代は11世紀から13世紀である。<インドからヒンドウ教と仏教が到来>カンボジアには1~2世紀頃インドから海のシルクロードを通じてヒンドゥー教と仏教が入ってきたが,カンボジアで土着した大乗仏教は、観世音菩薩のナーガ坐仏を信仰していた。<政治抗争と廃仏事件>これら廃仏はほとんどが首を切られていた。13世紀半ば頃ヒンドゥー教を信奉するジャヤバルマン8世(1243-1295)が命じて全国の仏教寺院に安置されていた仏像を引っ張り出し、首を切断して埋納抗に埋めたのであった。本研究は、この274体の廃仏事件から始まるものである。<バンテアイ・クデイ遺跡周辺調査>バンテアイ・クデイ遺跡発掘を再開し、アンコール遺跡群および地方の仏教系遺跡(バンテアイ・チュマール、コンポンスヴァイ、プリヤ・カンなど)の遺跡調査を実施。<マトゥラー地方の発祥ナーガ坐仏の歴史背景調査および東南アジアとの比較研究>マトゥラー地方ではクシャン朝(BC2世紀~AD6世紀)からグブタ朝(4~7世紀)にかけて多数のナーガ坐仏が製作された。これらナーガ坐仏は力強く量感に富む造形を持ち、インド各地、そして海外のカンボジアなどに伝播した。インドとカンボジアに共通するナーガ坐仏が何故時を超えて存在したかを問い、両地域に存続した仏教的精神価値体系の結晶を探ろうとする初めての試みであった。<カンボジア・インドのナーガ坐仏の図像学的特相調査および比較考察>(1)肉髷相、(2)衣相、(3)耳朶相、(4)自毫相、(5)手足の千幅輪相、(6)印層、(7)宝冠飾り、(8)身広長等相、(9)真青眼相などについて調査し、両地域における図像解明を実施し、信仰における受容状況とその展開、さらにその時代の仏教精神の比較検討をした。加えて両国におけるヒンドウ教徒と仏教の政治的背景と歴史展開をそれぞれ詳解に考究し、大きな学術研究の成果をおさめた。