著者
今野 日出晴 KONNO Hideharu
出版者
岩手大学教育学部社会科教育科
雑誌
岩手大学文化論叢 (ISSN:09123571)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.145-159, 2009

筑波大学附属高校の教壇に立って,日本史を教えていたころ,1989(平成元)年3月に告示された「高等学校学習指導要領」の「第1章 総則」の「第2款 各教科・科目の標準単位数等」に示された「その他の科目」の規定を拠り所にして,「東アジア史」を科目として設定できないかと同僚たちと話し合ったことがある。「東アジア史」とすることによって,世界史と日本史という枠組みとは別の構想で歴史を考えてみようということではあったが,いざ,具体化しようとすると,「東アジア史」の内容も方法も曖昧なままで,実施にうつすことはできなかった。 2004年10月23日,日本学術会議歴史学研究連絡委員会の主催によって,歴史教育シンポジウム「歴史教育における東アジア像-近現代を中心に-」が早稲田大学教育学部大会議室で開催された。目良誠二郎「日本の歴史教育・歴史教科書における東アジア像」,杉山文彦「中国歴史教科書における東アジア像」,田中正敬「韓国の歴史教科書における東アジア像」の三氏の報告があり,井口和起氏が「日・中・韓3国の東アジア史像を考える」として総括的な報告をおこなった。ここでの「東アジア」とは地理的にどこを指すのかという,一参加者からの質問に応答するかたちで,李成市氏は,いま議論すべきなのは地理的な領域としての「東アジア」ではなく,「主体的な歴史認識としての東アジア」であり,「自らの歴史認識を検証する場」としての「東アジア」ではないのかと,語気鋭く応答した。新しい思考が生まれてくるような〈トポス(場所)〉としての「東アジア」の意味づけに魅力を感じつつも,この用語が前提としている構図そのものを問題として前景化し,吟味することの難しさにたじろぐ思いがした。 2005年3月5日,歴史教育研究會・歴史學會・韓國歴史研究會の3学会共同の学術シンポジウム「日本の歴史教科書に対する韓・日両国の視角と共同対応方案」がソウル博物館で開催された。韓国からは,安秉佑(韓神大)・宋相憲(公州教育大)・朴星奇(河南高)の各氏が,日本からは,君島和彦氏と私が登壇して報告した。『新しい歴史教科書』の改訂版が検定審査中であったことから,私は,「新しい歴史教科書をつくる会」の会誌『史』や藤岡信勝・西尾幹二氏らの著作を用いながら,まだ見ることのできない改訂版の特徴を類推して批評した。質疑応答のときに,一人の老人が激昂した口調で発言した。通訳の方に訳してもらおうとすると,「俗語が多くて,わかりません」として申し訳なさそうに眼を伏せていた。その老人の口調と通訳の方の様子から,私と,そして日本人に対する非難であろうことは理解できた(会の終了後,日本の留学生から確かめることができた)。また,シンポジウムが終わったあと,テレビ局の取材をうけたが,インタビュアーは,今回の改訂によって歪曲が如何にひどくなったのかということを私に語らせようと幾度も尋ねてきた。しかし,先に述べたように,未だ検定審査中であり,白表紙本を見ることができない状況で不確かな発言をすることはできなかったし,何よりも,そのときの報告で指摘したように,公刊された著作や資料などからは,むしろ,「表現は『洗練』されて簡潔になり,客観性の高いものであるかのように装われ」るであろうと考えていた。そのためインタビュアーの望むような回答にはならなかった。そこには,自らが聴きたい声だけを聴きだそうとする作法があった。そして,日本に戻ってきてインターネットなどで眼にしたのが,公開前の白表紙本を流出させたとでもいうような事実無根の非難であった。事実を検証することもなく浴びせられる言葉の激しさに困惑した。私がこの報告の最後に紹介したのは,「日本人は韓国人の声を『他者の声』として傾聴し,韓国人は日本人の声を『他者の声』として聴く」ことの重要性を述べた都正一氏の言葉であった。相互に「他者の声」に耳をすますことから始めるべきだという私のメッセージは,二つの国の激しいナショナリズムの立場から挟撃され,それぞれのポリティクスによって,受け入れられずに,宙づりにされたような感覚におそわれた。 「東アジア」や「東北アジア」(「北東アジア」とする議論もある),そして,それらのなかにある交流や対抗の歴史に向きあうということは,具体的な授業レベルから歴史研究のレベル,そして,激しい政治のレベルまでを含み込んで,考えなければならない難問に満ちている。それらの難問を解きほぐすために,その前提をつくるために,本稿では,まず,これまでの「歴史対話」「歴史教科書対話」とはどのようなものであったのか,代表的なものを簡略に紹介しながらその意義を明らかにしてみたい。そして,歴史科目としての「東アジア史」の可能性について検討するなかから,歴史教育と社会科歴史の交差するところを考えてみたい。
著者
今野 日出晴
出版者
岩手大学教育学部社会科教育科
雑誌
岩手大学文化論叢 = The report of social studies, the Faculty of Education, Iwate University (ISSN:09123571)
巻号頁・発行日
vol.7-8, pp.145-159, 2009-03-31

筑波大学附属高校の教壇に立って,日本史を教えていたころ,1989(平成元)年3月に告示された「高等学校学習指導要領」の「第1章 総則」の「第2款 各教科・科目の標準単位数等」に示された「その他の科目」の規定を拠り所にして,「東アジア史」を科目として設定できないかと同僚たちと話し合ったことがある。「東アジア史」とすることによって,世界史と日本史という枠組みとは別の構想で歴史を考えてみようということではあったが,いざ,具体化しようとすると,「東アジア史」の内容も方法も曖昧なままで,実施にうつすことはできなかった。 2004年10月23日,日本学術会議歴史学研究連絡委員会の主催によって,歴史教育シンポジウム「歴史教育における東アジア像-近現代を中心に-」が早稲田大学教育学部大会議室で開催された。目良誠二郎「日本の歴史教育・歴史教科書における東アジア像」,杉山文彦「中国歴史教科書における東アジア像」,田中正敬「韓国の歴史教科書における東アジア像」の三氏の報告があり,井口和起氏が「日・中・韓3国の東アジア史像を考える」として総括的な報告をおこなった。ここでの「東アジア」とは地理的にどこを指すのかという,一参加者からの質問に応答するかたちで,李成市氏は,いま議論すべきなのは地理的な領域としての「東アジア」ではなく,「主体的な歴史認識としての東アジア」であり,「自らの歴史認識を検証する場」としての「東アジア」ではないのかと,語気鋭く応答した。新しい思考が生まれてくるような〈トポス(場所)〉としての「東アジア」の意味づけに魅力を感じつつも,この用語が前提としている構図そのものを問題として前景化し,吟味することの難しさにたじろぐ思いがした。 2005年3月5日,歴史教育研究會・歴史學會・韓國歴史研究會の3学会共同の学術シンポジウム「日本の歴史教科書に対する韓・日両国の視角と共同対応方案」がソウル博物館で開催された。韓国からは,安秉佑(韓神大)・宋相憲(公州教育大)・朴星奇(河南高)の各氏が,日本からは,君島和彦氏と私が登壇して報告した。『新しい歴史教科書』の改訂版が検定審査中であったことから,私は,「新しい歴史教科書をつくる会」の会誌『史』や藤岡信勝・西尾幹二氏らの著作を用いながら,まだ見ることのできない改訂版の特徴を類推して批評した。質疑応答のときに,一人の老人が激昂した口調で発言した。通訳の方に訳してもらおうとすると,「俗語が多くて,わかりません」として申し訳なさそうに眼を伏せていた。その老人の口調と通訳の方の様子から,私と,そして日本人に対する非難であろうことは理解できた(会の終了後,日本の留学生から確かめることができた)。また,シンポジウムが終わったあと,テレビ局の取材をうけたが,インタビュアーは,今回の改訂によって歪曲が如何にひどくなったのかということを私に語らせようと幾度も尋ねてきた。しかし,先に述べたように,未だ検定審査中であり,白表紙本を見ることができない状況で不確かな発言をすることはできなかったし,何よりも,そのときの報告で指摘したように,公刊された著作や資料などからは,むしろ,「表現は『洗練』されて簡潔になり,客観性の高いものであるかのように装われ」るであろうと考えていた。そのためインタビュアーの望むような回答にはならなかった。そこには,自らが聴きたい声だけを聴きだそうとする作法があった。そして,日本に戻ってきてインターネットなどで眼にしたのが,公開前の白表紙本を流出させたとでもいうような事実無根の非難であった。事実を検証することもなく浴びせられる言葉の激しさに困惑した。私がこの報告の最後に紹介したのは,「日本人は韓国人の声を『他者の声』として傾聴し,韓国人は日本人の声を『他者の声』として聴く」ことの重要性を述べた都正一氏の言葉であった。相互に「他者の声」に耳をすますことから始めるべきだという私のメッセージは,二つの国の激しいナショナリズムの立場から挟撃され,それぞれのポリティクスによって,受け入れられずに,宙づりにされたような感覚におそわれた。 「東アジア」や「東北アジア」(「北東アジア」とする議論もある),そして,それらのなかにある交流や対抗の歴史に向きあうということは,具体的な授業レベルから歴史研究のレベル,そして,激しい政治のレベルまでを含み込んで,考えなければならない難問に満ちている。それらの難問を解きほぐすために,その前提をつくるために,本稿では,まず,これまでの「歴史対話」「歴史教科書対話」とはどのようなものであったのか,代表的なものを簡略に紹介しながらその意義を明らかにしてみたい。そして,歴史科目としての「東アジア史」の可能性について検討するなかから,歴史教育と社会科歴史の交差するところを考えてみたい。
著者
宮川 洋一 山崎 浩二 名越 利幸 渡瀬 典子 ホール ジェームズ 土屋 明広 田中 吉兵衛 立花 正男 山本 奬 今野 日出晴 川口 明子 田代 高章 藤井 知弘 長澤 由喜子 遠藤 孝夫 MIYAGAWA Yoichi YAMAZAKI Kouji NAGOSHI Toshiyuki WATASE Noriko James M HALL TSUCHIYA Akihiro TANAKA Kichibei TACHIBANA Masao YAMAMOTO Susumu KONNO Hideharu KAWAGUCHI Akiko TASHIRO Takaaki FUJII Tomohiro NAGASAWA Yukiko ENDOU Takao
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.14, pp.219-230, 2015

本研究の目的は,4年次後期に必修となった教職実践演習における模擬授業のあり方を検討し,評価基準を策定することにある。そのうえで,ICTを活用して,組織的に評価を行うシステムを構築し,試験的運用を行うことである。「教職実践演習」は,「教育職員免許法施行規則の一部を改正する省令」により,平成22年(2010)年度入学生から導入される教員免許必修科目であり,学生が最終的に身につけた資質能力を,大学が自らの養成教員像や到達目標に照らして最終的に確認することを目的としている。中教審による「今後の教員養成・免許制度の在り方について(答申)」(2006)によると,教職実践演習の授業内容は,①使命感や責任感,教育的愛情に関する事項,②社会性や対人関係能力に関する事項,③幼児児童生徒理解や学級経営に関する事項,④教科・保育内容等の指導力に関する事項を含めること,が適当であるとされている。そして,教職実践演習の実施にあたっての留意事項として,授業の方法は演習を中心とすること,役割演技(ロールプレーイング),事例研究,現地調査(フィールドワーク),模擬授業等も積極的に取り入れることが望ましいこと等が示されており1),極めて実践的・実務的色彩の強い内容となっている。
著者
今野 日出晴
出版者
岩波書店
雑誌
思想 (ISSN:03862755)
巻号頁・発行日
no.1036, pp.207-223, 2010-08