- 著者
-
喜多 藍
- 出版者
- 法政大学
- 雑誌
- 特別研究員奨励費
- 巻号頁・発行日
- 2011
本年度の最大の成果は、これまでの研究をまとめた博士論文が受理されたことである。本稿では、中国古典文学に描かれる厠と井戸の描写を分析し、古代中国の人々が厠や井戸をどのような場所と認識していたかを考察した。中国の厠については、主に六朝から唐代まで、どのような場所と考えられていたかを論じ、中国には多種多様な厠神に関する記述があり、出会っただけで人間に死をもたらす恐ろしい神と、富貴を与える神との二種類に大別されることが判明した。これは、日本の厠神が、不敬な行為を行わない限り禍をもたらすことのない、穏やかな神であるのとは大きく異なっている。また井戸については、文言小説に描かれる井戸がこの世と異界を繋ぐ境界であることが指摘されている以外、ほとんど研究が行われていない現状を踏まえ、従来取り上げられたことのない多くの文献を対象として、中国における「井戸観」を探求し、以下の三点について指摘した。1. 文言小説に加えて中国古典詩歌を検討し、詩歌では「境界としての井戸」は描かれず、詩歌と小説では井戸の何処に注目するかが異なっているとする新たな見解を提示した。2. 井戸で使われる釣瓶や轆轤に注目し、釣瓶は人間の魂の入れ物であり、釣瓶を上下させる轆轤は人の運命をもてあそぶものという象徴的意味があることを明らかにした。3. 唐・元稹「夢井」に「遶井(井戸をめぐる)」いう語が二度現れることを端緒とし、ものの周囲をめぐるという行為の民俗学的意義を考察し、中国では先秦時代から現在まで、死者を安置した棺や墳墓の周りをめぐるという死者を弔う習俗が途切れることなく行われてきたことを指摘した。以上を踏まえ、元稹「夢井」および李賀「後園鑿井」の新たな解釈を提示しつつ、李白「長干行二首」では井戸に関する習俗や婚姻儀礼における旋回の意義に基づいて、従来提起されていた多くの議論の中からひとつの結論を導いた。