著者
松浦 史子 喜多 藍 楢山 満照 水口 幹記 大形 徹 齋藤 龍一 下野 玲子 山本 尭
出版者
二松學舍大學
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2022-04-01

漢~唐代に成立発展した瑞獣の図とその東アジアへの伝播について多分野の祥瑞研究従事者により考察する学際的研究である。龍・鳳凰など多様な種が知られる瑞獣は、王権の正当性を保障する象徴として政治利用されたのみでなく、東アジアの世界観・死生観など文化の基底にも存在するが、従来の祥瑞研究ではとくに図像の研究成果を活用しきれていない。そこで本研究では文献・図像を統合すべく王権との関わりを一つの中心的課題として、研究者間で方針の一貫性を図り、新出の祥瑞図を現地調査し、関連の文献を読解し、①漢~唐代の主要な瑞獣とその図像の名称・機能の検討、②瑞獣図のデータベース化、③唐代の重要な祥瑞文献の翻刻と出版を目指す。
著者
松浦 史子
出版者
東京大学東洋文化研究所
雑誌
東洋文化研究所紀要 (ISSN:05638089)
巻号頁・発行日
vol.155, pp.93-132, 2009-03-27

江淹在<別賦>的夫妻離別場面中使用“惜瑤草徒芬”來表現妻子的悲哀。中國古代詩歌中把女子的姿色比作香草,表現其美得不到愛憐光陰無情流逝之悲哀的手法很常見。但江淹沒使用香草而使用了從漢代到六朝用例極少的“瑤草”。江淹在其他兩個作品中也詠嘆瑤草,由此可以把瑤草視為表現江淹特徵的詞語。本文試通過探尋瑤草的來歷,考察江淹賦予瑤草的內涵。江淹以前唯一的瑤草用例出现在東方朔《與友人書》中,瑤草是賦予人永恆生命的仙境之草。<別賦>的瑤草是詠嘆<美之衰落的悲哀>,因此很難認為江淹的瑤草直接源於東方朔。作為瑤草之典故,<別賦>李善注引用了《山海經》<中山經>中的“帝女死於姑媱山,屍體化作〓草”的記述以及郭璞“〓与瑤同”的解說。但最早註釋《山海經》的郭璞從崇拜古代帝王的儒家思想出發把“〓草”釋為“君子之佩物”,認為“佩於身可得人之敬愛”。那麼“〓草”与<別賦>“瑤草”有什麼聯繫呢?在李善注中可找到另一線索。在早於《山海經》<〓草>神話的<別賦>李善注所引宋玉<高唐賦>佚文中,巫山神女自稱“帝女瑤姬”,未嫁先逝葬於巫山,〈靈魂化作靈芝〉。江淹把“巫山的帝女瑤姬”与《山海經》中“化為〓草的姑媱山帝女”等同看待,把對帝女瑤姬的“夭逝之悲哀”用於姑媱山帝女,把帝女化身的“〓草”改稱為“瑤草”,使瑤草在<別賦>中成為表現夫妻離別之悲哀的象徵。与此對照,郭璞從儒家立場出發把≪山海経≫的“帝女”与自願出現在王之寢室的“巫山神女”加以區分,而把“〓草”視為<君子佩帶之物>。由此可見,雖然郭璞和江淹同是喜愛并研究《山海經》的六朝詩人,可是在如何繼承《山海經》方面有著很大差異。江淹<丹砂可學賦>中的瑤草繼承了東方朔的“仙境之草”,似乎与<別賦>的瑤草相矛盾。然而“瑤池”“瑤樹”等冠有“瑤”字的詞一般用於對仙境的描寫,而從江淹多用的“瑤”字中可以發現一罕見特徵:他是用礦物玉石來歌詠現世的自然・植物・女性。由此推測,因江淹深知生命必衰,他要把生命之美變成永恆來留存。江淹把帝女的化身“〓草”与仙境之草“瑤草”相結合,創造出了既含玉之永恆又悲生命之短暫的“瑤草”一詞。透過瑤草我們可以看出以<別賦><恨賦>聞名的江淹作為優秀抒情詩人的一個側面。
著者
水口 幹記 洲脇 武志 喜多 藍 名和 敏光 佐々木 聡 高橋 あやの 清水 浩子 藤井 誠子 松浦 史子 田中 良明
出版者
藤女子大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2016-04-01

本年度は、ベトナムと中国を中心対象地域に設定し、研究を進めていった。1、研究検討会の開催:国内において、計三回の研究検討会を開催した。特に第二回には、立教大学日本学研究所と「前近代東アジアにおける術数文化の伝播・展開―日本とベトナムを中心として―」と題した大規模検討会を共催した。ここでは、ベトナム(ハノイ国家大学)からファム・レ・フイ氏を招きご報告を頂いたほか、外部スピーカーもお招きし、広く意見交換を行い、一般聴衆へも本研究課題の意義を伝えることができた。この概要は『立教日本学研究所年報』に掲載予定である。2、『天地瑞祥志』研究会への参加・翻刻校注の刊行:毎月一度開催される『天地瑞祥志』研究会に参加し、本資料の輪読・校注作業が進展した。本年度は、本書第十六・第十七の翻刻校注が刊行でき、研究作業が大いに進展した。3、国内外調査:複数の研究班メンバーが共同でベトナム調査を敢行した。多くの漢籍を所蔵するハノイの漢喃研究院を中心に文献調査、史跡調査を行った。調査先は、漢喃研究院のほか、国会議事堂地下展示室・タンロン王城遺跡・ベトナム国立歴史博物館・文廟(以上ハノイ)・バクニン省博物館・陶おう廟碑・延応寺(以上バクニン省)などであった。特に、漢喃研究院の院長や研究員と懇談し、今後の協力を取り付けたこと、また、国宝に指定されている隋代の仁寿舎利塔銘を実見・調査できたことは、今後のベトナムの歴史と術数との関連を考える上で大きな収穫であった。また、現地の道教研究者とも意見交換を行うことができ、今後の研究の足がかりを得ることができた。その他、各研究班により、各地の資料館・図書館・文庫での調査が行われた。4、関連論文の翻訳:ベトナム語の論文としては、グエン・コン・ヴィエット「漢喃暦法の文献における二十八宿に関する概要」を日本語に翻訳することができ、研究班メンバー全員での共通認識形成に役立った。