著者
多々良 直弘 Naohiro Tatara
出版者
桜美林大学
雑誌
紀要 (ISSN:03868516)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.105-117, 2008-03

The aim of this paper is to analyze the structure of sports news stories. Bell (1991) compares the narrative structure of the news stories in English with the narrative structure of personal experience analyzed by Labov & Waletzky (1967) and Labov (1972). In this paper, through the analysis of the narrative structure of English and Japanese newspapers, I will present the view that English and Japanese narratives are characterized as result-oriented and process-oriented, respectively.
著者
多々良 直弘
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.20, no.1, pp.71-83, 2017-09-30 (Released:2018-02-07)
参考文献数
35

現在サッカーは各国の国内リーグ,クラブや各国代表が参加する国際大会が世界各地で報道されており,同じ試合が通訳や翻訳を介さずにさまざまな言語で放送されている.実況中継の参与者たちは,ボールと選手が絶えず移動する流動的な試合を即興的に描写,解説することが求められるわけだが,文化によって試合の中で起こる同じ出来事が異なる形で解釈されたり,異なる側面が言及されたりすることがある.本稿は,日英語の実況中継の参与者たちが同じ出来事を言語化する際に,どの認知資源に注目し,またそれらをどのようなスタイルで伝達するのか分析する.選手たちがミスを犯した場面の日英語による実況解説をデータとし,両言語の参与者たちが選手のミスに対してどのように批判を繰り広げるのか考察していく.英語の実況解説では,コメンテーターたちは客観的に選手のミスを描写し,ミスを犯した選手を言及し,厳しい批判を投げかける.一方,日本語のアナウンサーや解説者たちは,批判をするだけではなく,ミスをした選手の心理的側面を内的引用の形で描写し,意図を理解しようとしたり,選手のおかれている状況を描写したりすることで直接的な批判を回避することが観察される.