著者
三木 敦朗 奥山 洋一郎 白澤 紘明 斎藤 仁志
出版者
信州大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2019-04-01

森林管理を持続可能な水準に高めることが求められていますが、一方でそれを実行する市町村では人材確保が難しいという現状があります。行政担当者の意志決定を支援するAIシステムがあれば、担当者は住民や関係者との合意形成等に専念することができ、持続可能な森林管理と行政コストの圧縮が両立できるのではないかと考えます。本研究は、そうしたAIの可能性を調査・実験等によって検証します。また、こうしたシステムが導入されたとき、森林管理や合意形成のあり方がどのように変化するのかを、制度と人材育成の面からも検討します。
著者
奥山洋一郎
雑誌
大学研究
巻号頁・発行日
vol.16, 1997
被引用文献数
1
著者
餅田 治之 大塚 生美 藤掛 一郎 山田 茂樹 幡 建樹 大地 俊介 奥山 洋一郎
出版者
(財)林業経済研究所
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2012-04-01

本研究の目的は、日本の育林経営がビジネスとして経営されるようなるには、どのようなビジネスモデルを想定すべきか、またそのモデルを実現するためにはどうした条件が必要かを考察することである。世界の林業が人工林育成林業化している中で、わが国の育林経営だけが経営として成立しないのは、経営の仕方に問題があるからだと考えられる。現に、国内の育林経営も、速水林業のように近年急速に育林コストを低下させている事例、耳川広域森林組合のように受託経営している市町村有林を黒字化している事例、速水林業および住友林業のように育林をコンサル事業として展開している事例など、ビジネス化の条件が整いつつある事例が見られる。
著者
奥山 洋一郎 永田 信
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
no.123, pp.1-15, 2010-07

森林教育の場である学校林がその所在する市町村の立地により,どのような差異があるのかについて,2001 年に実施した学校林現況調査データを分析することで明らかにした。学校林現況調査において所在が確認された学校林から,森林教育を実施することが多いと想定される小学校と中学校を抽出した。その上で,その所在市町村を農業地域類型と振興山村指定状況から5 地域に分類して,そのうち都市地域(都市),平地農村(農村),山間農業地域(山村)の3 地域の所在する学校林3637 箇所について分析した。<改行>その結果,都市の学校林は,校地から距離が近く,樹種は針葉樹のみという学校林は比較的少数であり,広葉樹や果樹も含めて多様な林相を持つ割合が大きかった。また,設置目的は,教育目的に類するものの割合が比較的大きかった。管理については,学校関係者のみで実施している例が多いが,外部主体では地域住民の関わりが大きい。利用に関しては,他の立地条件に比べて活発であり,半数近い学校林で利用されていた。山村は,校地から遠隔地の学校林が多く,樹種は針葉樹のみという学校林が多かった。設置目的は林業教育が多く,また学校の財産としての利用を目的とした伐採の実績も多かった。管理主体では,森林組合の割合が他よりも多かった。利用状況は一番低調であった。農村については,都市と山村の中間的な性格を持つことがわかった。ただし,設置目的や利用内容を見ると基本財産としての目的が比較的多く,財産としての森林整備も実施されていた。この点は,地域共同体の組織力とも関わりがあると予想される。学校林の整備と利用を活性化するためには,これら立地による相違を意識した,例えば都市においては森林ボランティア団体,山村においては地域共同体等の地域主体との連携が必要である。The differences in school forests depending on their location in cities, towns and villageswere examined using data from the school forest situation survey which was carried out in 2001.Data for elementary and junior high schools were extracted from the school survey where theirexistence was identified in the school forest situation survey. Municipalities were classified byagricultural area type and designated area under the Mountainous Regions Development Laws.Then, 3637 school forests was analyzed, being located in city areas, flatland farm villagesand mountain village areas. It was found that school forests located in city areas were close indistance to the school premises and most of them had diverse growing stocks. In the managementof these forests, community residents played a relatively major role. A number of them wererelatively actively used with half of such school forest exhibiting some type or usage. Schoolforests located in mountain villages were more distant from the school and many of them wereexclusively coniferous in their composition. The purposes to which these were put were mainlyforestry education, and there were many cases of felling for use by the school. Forest owners'cooperative supported the management. The number of those used was lower than in otherareas. The farm village showed results that were between those of a city and mountain villages.However, they were likely to be used for school property purpose than forests in the othercategories. To activate the maintenance and use of school forests, it was necessary to strengthenthe relationship between the local players depending on the differences of the location conditions.
著者
奥山 洋一郎
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
vol.102, pp.151-201, 1999

大学演習林は約130,000haという広大な面積を持つが,その広大な面積の必要性や一部大学への集中に対しては,戦後の演習林水平化運動,共同研究利用林構想という演習林当局の議論や行政監察による勧告でも問題とされてきた。本研究では演習林がこのような大面積を持つに至った経緯を明らかにすることを目的として,戦前期における社会の要請と演習林の対応の経緯について検証を行った。そこから現代につながる課題を考察した。資料としては東大演習林所蔵の各種往復文書,書類綴り,予算関係書類等の資料を用いて実証的に分析した。対象時期は演習林が創設された1894(明治27)年から戦前期までであり,特に1921(大正10)年から1934(昭和9)年までに行われた国有財産整理事業による演習林縮小の議論を中心とした。1921(大正10)年に成立した「国有財産法」により,それまで各省庁が独自に管理を行っていた国有財産について初めて統一的に規定された。同法は,国有財産の内で利用が本来の目的から逸脱したり,意義を失ったものについては処分を行うとした。そして,各省庁国有財産の評価を行う国有財産調査会が設置されて,国有財産整理事業が実施された。同事業は財政一元化を目指す大蔵省と各省庁の既得権益確保のせめぎ合いであり,公用財産として陸軍省演習地に次ぐ大面積であった演習林にも,厳しい縮小要求がなされた。北海道所在国有財産を対象とした「国有財産整理案(第一次)」(1921年11月9日閣議決定)では,東大(約25,000ha),北大(約60,000ha(4カ所))の演習林を一演習林当たり1,000ha程度へと縮小するように要求された。これに対して,東大側は林学に関する教育研究には保続的林業経営が可能な面積が必要であり,東大北海道演習林は北海道内国有林の一施業区と面積がほぼ等しく縮小は不可能と主張した。同様の縮小要求は台湾,樺太演習林にもなされて,その後,国有財産調査会において演習林の帝国大学への集中,所在地域の偏りについて共同利用化の検討や,同時に演習林の名称を変更して経営面に配慮をするべきだとする意見が採択された。東大側は教育研究における演習林の重要性を主張して,演習林の集中,偏りについては学生数や全学の予算規模から考えるなら東大は他大学の2倍の面積を持つ必要があり,演習林の財産価値が高まったのは多年の投資や努力の結果であるとした。このような大学,文部省側の抵抗で演習林の縮小は進行せず,その後,戦争という時局の変化で国有財産整理事業は1936年に打ち切られて,演習林縮小や名称変更は実行されなかった。そして,戦時体制へ移行して,海外占領地への演習林拡大が行われたのである。