著者
小野 佐和子
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.65, no.5, pp.365-370, 2002-03-30

柳沢信鴻の時代,六義園では,土筆・茸・栗などの採取が楽しまれ,採取された庭の産物は,自家消費の外,贈答品として用いられた。本稿では,柳沢信鴻の『宴遊日記』をもとに,庭の産物のやりとりの様態を明らかにする。庭の産物は,親族や趣味を同じくする仲間といった身近な人々に贈られ,その贈答は偶然性と恣意性のもとにある点で年中行事や儀礼に伴う贈答品と異なる。信鴻自身の採取・収穫物,季節のしるし,興趣の対象,園の自然の豊かさの現れであることに,庭の産物の贈答品としての特徴を認めうる。庭の産物を贈ることは,贈る相手との間に親密さを作り出すと共に,信鴻が,園の自然の豊かさの分配者であり,園の掌握者であることを示した。
著者
小野 佐和子
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.55, no.5, pp.43-48, 1992-03-31
被引用文献数
1

江戸時代後期に越後柏崎で行なわれた茸狩を例に,近世地方都市の行楽のありようを考察する。近世の中小の都市ではわらび取りや鮎すくいといった採取形態の行楽が広く行なわれたが,茸狩もその一つである。茸狩の場所は町周辺の丘陵地帯で春の野遊びの場であることが多い。茸の季節には家族や友人が連れだって茸狩に出かけ,子供も参加した。とった茸は食料であるばかりでなく,贈答品となり,またゲームの戦利品ともみなされた。このゲームとしてのおもしろさが人々を茸狩にかりたてたと考えられる。また茸狩は時として遊宴をともない,都市と農村との交流の機会になることもあった。
著者
小野 佐和子
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.62, no.5, pp.417-422, 1999-03-30
被引用文献数
1 4

安永期の六義園のありさまとそこでの庭園生活を,柳沢信鴻の『宴遊日記』をもとに考察した。この時期六義園では,腰掛茶屋と茅屋の二つの茶屋が建設され,妹背山と水分石の改修がおこなわれた。信鴻は,芝刈りを初めとする庭の手入れに自ら従事し,畑の野菜や園中の春草,栗,茸などの収穫や採取を楽しんだ。俳諧の会もたびたび催された。これらの催しは,個人的で家庭的な雰囲気を有した。この時期,六義園は山里とみなされており,平安時代以来の山居趣味を満たす場であったと考えられる
著者
小野 佐和子
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.48, no.2, pp.93-103, 1984-10-15 (Released:2011-07-19)
参考文献数
38
被引用文献数
1

近世都市における住民のレクリェーション研究のひとつとして幕末の江戸で行われた花見のあり方を考察した。その結果, 下層町人を主体とする行列・仮装・滑稽劇をその特徴に認め, 当時の花見が, 演劇的装いのもとに笑いを通じて民衆の想像力を解放する働きを有しており, 花見の場が民衆の笑いと変身の空間であるとする知見を得た。
著者
小野 佐和子
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.51, pp.45-55, 1997-03-28
被引用文献数
1

帯笑園には,広い地域から様々な階層の人が訪れている.それは,帯笑園が東海道に面しており,その名声が,東海道を往来する旅人を通じて広まり,旅人を引き寄せたことによる.植松家が収集した多数の書画も帯笑園の魅力であった.植木や書画を話題に,富士を眺望する庭で一時を過ごすのが,帯笑園での訪問者の一般的な過ごし方であった.訪問者は,帯笑園に様々なものをもたらしている.大名や公家といった高貴な身分の者のもたらすのは,訪問による栄誉や返礼に贈られる工芸品や美術品であり,それには公家たちの書や絵画も含まれる.第一線で活躍する武士たちは珍しい話,特にこの時期には異国船や大砲についての新しい知識と情報をもたらした.遊芸の師も,煎茶や月琴といった当時教養ある人々が習得すべきとされる芸をたずさえて訪れた.帯笑園の魅力を作り出す,珍しい植物も旅をする植木屋たちが運んでいる.旅人たちを通じて,植物や書画のコレクションが集められ,それらのコレクションが帯笑園の名声を高めてさらに訪問者を呼び寄せる.これら植物と書画のコレクションを通じて,小さな宿場町の民家の庭である帯笑園は,様々な土地から訪れた様々な階層の人々がひとときを過ごす場たり得たのである.
著者
小野 佐和子
出版者
公益社団法人 日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.60, no.5, pp.395-398, 1996-03-28 (Released:2011-07-19)
参考文献数
23

駿河原宿植松家の帯笑園の訪問者の内, 高家大名等身分ある人々の訪問の具体的な有り様を, 植松家に残された日記と立ち寄り記録により明らかにした。彼らにとり帯笑園は, 園内の植物と共に, 富士の眺めや書画のコレクションが魅力であり, 植木好きの訪問者には, 植物や栽培法の知識を得情報を交換し, 珍しい植物を手に入れる場であったこと, さらに, 植松家は訪問者を通じて書画の収集を行っており, 身分ある人々の訪問は, 植松家にとって, 書画を集める有効な機会であったとする知見を得た。
著者
小野 佐和子
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.48, no.2, pp.93-103, 1984-10-15
被引用文献数
1

摘要:近世都市における住民のレクリエーション研究のひとつとして幕末の江戸で行われた花見のあり方を考察した。その結果,下層町人を主体とする行列・仮装・滑稽劇をその特徴に認め,当時の花見が,演劇的装いのもとに笑いを通じて民衆の想像力を解放する働きを有しており,花見の揚が民衆の笑いと変身の空間であるとする知見を得た。
著者
小野 佐和子
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.48, no.5, pp.55-60, 1984-03-30 (Released:2011-07-19)
参考文献数
57
被引用文献数
3

自然と人間との遊びを媒介としたかかわりをさぐる一助として江戸時代の園芸植物の流行現象を考察した。江戸時代のたび重なる園芸植物の流行は, 奇品-通常とは異なる珍しい植物の嗜好を大きな特徴とするか, そこでは, 奇品は自然が人間の助けをえて作り出す傑出した作品であると考えられた。また奇品の流行には競争及び賭の要素を, 流行の背景には武家と植木屋の積極的な関与の存在を認めることができる。
著者
小野 佐和子
出版者
公益社団法人 日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.59, no.5, pp.9-12, 1995-03-29 (Released:2011-07-19)
参考文献数
16

駿河原宿 (現沼津市原) の素封家植松氏の庭, 帯笑園について, 皆川淇園による「植松受花園記」と「帯笑園絵図面」を中心に, 江戸時代後期の庭のありさまを考察した。その結果, 帯笑園が盆栽とさまざまな園芸植物の収集展覧の場であったこと, 収集品に外来種が多数含まれること, 富士山の眺めと収集品を, 庭中の亭からあるいは庭をめぐって楽しむことができたこと, 旅行者の訪問が多いこと, 庭についての文章や扁額の存在があきらかとなり, 帯笑園が, 園芸の趣味, 亭での観賞と歓談書や文芸を通じた庭の楽しみ方が一体となった, 富裕層の庭のありかたを示す顕著な例であることを認めた。
著者
小野 佐和子
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.50, no.5, pp.18-23, 1987-03-31
被引用文献数
1 2

摂津池田稲束家の別荘不蔵亭の成立の事情とそこでの宝暦・天明期の生活を明らかにした。その結果、不蔵亭は、稲束家の経済力の上昇期に、その社会的地位の確立をめざして設けられ、社交・接客・交際の場として、あるいは、家族のレクリエーションの場として使われたこと、その背景に、池田の富裕層の間にみられた、別荘で趣味の生活を楽しむ伝統が存在したことを認めた。
著者
小野 佐和子
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.46, no.5, pp.1-6, 1983-03-31
被引用文献数
1

藩主により造成され領民に解放された園地は,領国の再生と統合をはかる場であったと考えられる。領国の再生と統合は,両義的なシンボリズムを有する花のもとで,集団の歌舞飲食を通じてなされた。その時花は,領主の威光と善政を印象づける都市的華やかさと豊さを表現するとともに,宇宙の死と再生を象徴していた。
著者
小野 佐和子
出版者
日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.46, no.4, pp.235-250, 1982
被引用文献数
4 5

江戸時代後期に江戸に住む一般民衆のレクリエーションのあり方を考察した.<BR>その結果, 寺社を核とし, 寺社門前の料理屋, 花の名所, さらには囲周の風景をとりこんだ広い地域に及ぶ遊覧地の存在が明らかになり, そこに, 寺社参詣, 料理屋での遊興, 郊外の逍遙が結びついた娯楽のモチーフを認めることができた.
著者
小野 佐和子
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.49-58, 1996-03-29

コミュニティーガーデン運動は,オープンスペースを自らの手で作り出すことを通じて,70年代の都市の荒廃に対処しようとする市民運動である。70年代から80年代にかけての運動を通じて,コミュニティーガーデンは合法化され,オープンスペースの一形態として社会的に認知される。その背景には,市民が行動を起こさざるをえないほど進んだ都市の荒廃,不動産不況による空き地の存在,草の根市民運動の盛況,伝統的オープンスペース計画の失敗,連邦レベル,自治体レベルでの住民参加を促す政策の存在が考えられる。組織化やネットワーキングによる住民の組織力を背景として問題解決や社会的認知の獲得がなされたのが,この時期の運動の特徴だと考えられる。
著者
小野 佐和子
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌 : journal of the Japanese Institute of Landscape Architecture (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.63, no.5, pp.361-366, 2000-03-30
被引用文献数
1

大和郡山藩主柳沢信鴻が致仕の後記した『宴遊日記』をもとに,安永・天明期の六義園での庭見物の様相を明らかにする。六義園では,家臣とその家族,奉公人とその親族,信鴻と交友関係にある者,さらには信鴻と直接関係のない部外者の庭見物が認められる。部外者は,藩の関係者を仲介に庭を見物し,その数は,安永9年(1780)以降著しく増加する。その理由としては信鴻が菊花壇を設けて見物を誘ったことと,当時の郊外の遊覧の盛況が考えられる。様々な人が見物に訪れる庭は,外部に閉じた構造をもつ大名屋敷が,外部の人々を導きいれ,外部社会と交わる装置の役割を果たしたと考えられる。