著者
山本 欣司 Kinji Yamamoto
雑誌
学校教育センター年報 (ISSN:2432258X)
巻号頁・発行日
no.3, pp.39-47, 2018-02-23

別役実の短編小説「愛のサーカス」は、かつて中学校1 年生向け国語教科書に掲載されていた、ユニークな内容の教材である(『新しい国語1』、『新編新しい国語1』東京書籍、平成二年度~十二年度)。十年以上のブランクを経て、平成二十六年度より高等学校向けの国語教科書に掲載されることとなった(『探求現代文B』桐原書店、高校3 年生配当)。なぜこのように配当学年が大きく変わったのか。それは「細部の発見」によって、小説の解釈が大きく変化したためだというのが本稿の主張である。これまで見すごされてきた「細部」(根拠)に着目することで、中心人物の一人である少年の人物像の理解が深まると同時に、それと連動する形で変化したラストシーンの論理的な説明が複雑であるため、配当学年が大きく変化したのではないかと主張した。
著者
山本 欣司 ヤマモト キンジ Yamamoto Kinji
出版者
弘前大学教育学部
雑誌
弘前大学教育学部紀要 (ISSN:04391713)
巻号頁・発行日
no.87, pp.11-21, 2002-03-28

「たけくらべ」をめぐる論争をたどりながら明らかになったのは、美登利の変貌の原因を初潮とする見解の背後に、性的な「成熟」によって(子ども)/ (大人)を分割する近代的パラダイムがひそんでいるということである。初潮を迎え(大人)になるまで美登利は無垢で、娼妓の世界-の参入を猶予されているとアプリオリに前提されてきた。ところが、佐多稲子氏は初潮にそれほど大きな意味はないとして、女性のセクシュアリティをめぐる神話に疑問を投げ掛けた。暴力による変貌を主張した《水揚げ説》は強い説得力を持つ。だが、これまでの議論には、娼妓になるべき娘として、実際に美登利にどのような立場の変化があり得たか一という視点が欠けていた。日本近代公娼制をめぐる歴史的事実に目を向けたとき、娼妓とは売られた娘であったことがわかる。私は、美登利の変貌が「身売り」によるものであり、「たけくらべ」の合意する残酷さから目をそらしてはならないと主張した。
著者
山本 欣司
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.54, no.9, pp.52-60, 2005

小学校六年国語教材「海の命」は、教師用指導書や実践報告等を見る限り、父を殺された太一が、「父を破った瀬の主」を捕らえ父を乗り越えようとするものの、瀬の主を「海の命」と見ることで認識を転換し、共生を選ぶ物語として教授されているようである。しかし、太一から殺意が感じられず、瀬の主への恨みも読み取れないこと、太一の出会ったのが「父を破った瀬の主」かどうか確定できないことなどから、そもそもこの小説は復讐譚的枠組みとは無縁であると考えられる。作品に突然の転回をもたらしたのは、太一がそれまで抱いてきた瀬の主への憧憬であり、海への畏敬の念であった。「海の命」は、与吉じいさの後継者としての太一の生が描かれた作品である。
著者
山本 欣司 大橋 毅彦 永井 敦子
出版者
武庫川女子大学
雑誌
武庫川女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09163115)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.11-21, 2013

We, the Society for the Research of Modern Culture of Kobe, have been studying the cultural formation of the port city of Kobe from various aspects. In this paper( which will form the first part of our whole research) we deliver a report on the trend of movies, theater, performing arts, fine arts and photography in the city, by scrutinizing a series of articles, Zassô-en, written by the Kobe correspondents, in the newspaper Kobe Furoku, Osaka Asahi Shimbun, issued in 1923. Through the Zassô-en articles we can see not only various incidents reported by the correspondents but also their love for their hometown, which encouraged them to plan and carry out diverse cultural and artistic events in the town. We can also find the trend of the picture houses and moviegoers in Shinkaichi, Kobe, in those days, especially the way the entrepreneurs attracted people. Concerning the theater, the articles tell us that the things gladly accepted then were comedy and Shinkokugeki.
著者
山本 欣司 Kinji YAMAMOTO
雑誌
学校教育センター年報 (ISSN:2432258X)
巻号頁・発行日
no.4, pp.13-21, 2019-03-25

小学校国語教材「おてがみ」(アーノルド・ローベル)は、一般に理解されているように、手紙をもらったことが一度もなくて落ち込んでいたがまくんが、かえるくんから手紙をもらい、元気を取り戻す物語ではない。注目すべきは、がまくんを驚かそうと思ったかえるくんが、足が極端に遅いかたつむりに手紙の配達を依頼するというドジを踏んだことである。これにより、以降の展開はかえるくんの目論見通りにならず、がまくんの喜びも幾分か減じたはずなのである。ところが、その失策がかえって思いもかけない豊饒な結果をもたらすところに、この物語のユニークな特質がある。他者の孤独を癒やすための実践的な知恵が、さりげない形で盛り込まれているところに、「おてがみ」という物語の素晴らしさがある。
著者
山本 欣司 大橋 毅彦 永井 敦子 Kinji Yamamoto Takehiko Ohashi Atsuko Nagai
雑誌
武庫川女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09163115)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.11-21, 2014-03-31

We, the Society for the Research of Modern Culture of Kobe, have been studying the cultural formation of the port city of Kobe from various aspects. In this paper( which will form the first part of our whole research) we deliver a report on the trend of movies, theater, performing arts, fine arts and photography in the city, by scrutinizing a series of articles, Zassô-en, written by the Kobe correspondents, in the newspaper Kobe Furoku, Osaka Asahi Shimbun, issued in 1923. Through the Zassô-en articles we can see not only various incidents reported by the correspondents but also their love for their hometown, which encouraged them to plan and carry out diverse cultural and artistic events in the town. We can also find the trend of the picture houses and moviegoers in Shinkaichi, Kobe, in those days, especially the way the entrepreneurs attracted people. Concerning the theater, the articles tell us that the things gladly accepted then were comedy and Shinkokugeki.
著者
山本 欣司
出版者
弘前大学教育学部
雑誌
弘前大学教育学部紀要 (ISSN:04391713)
巻号頁・発行日
no.101, pp.1-9, 2009-03

宮本輝「泥の河」はこれまで、板倉信雄と松本喜一の出会いから別れまでを描いたものであり、信雄が身近に経験し、父親から聞かされもした死の問題や、「舟の家」の人々との交わりの中で目覚めた信雄の性と成長の問題がテーマの主軸をなすと捉えられてきた。しかし拙稿では、小説の構造を丹念にふまえ、そのような解釈の問題点を指摘するとともに、自分なりの把握を示した。さらに拙稿では、小栗康平監督による映画「泥の河」が、どのようにして貧しさを背景とする子ども達の短い交流を主題化したかを論じた。