著者
山田 吉郎
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.103-113, 1996-12-10

吉本ばななの『キッチン』は、最後の肉親である祖母を失った女子大生桜井みかげが、その心の痛手から立ち直ってゆく過程を描いた小説であるが、その生の回復の仕方を、主人公が一時期傷心の身を寄せた奇妙な擬似的家庭(田辺親子)との関連の中で考察した。擬似的母親であるえり子の歪曲化された生の回復と照らし合わせる形で、主人公みかげの傷心からの回復の特質を分析した。その際、吉本の処女作『ムーンライト・シャドウ』や彼女と同時期に話題をまいた俵万智短歌との関連、さらに性差や身体感覚、ボーダーレスなど今日的な文化現象とのつながりを視野に入れて展望を試みた。
著者
山田 吉郎
出版者
JAPAN TECHNICAL ASSOCIATION OF THE PULP AND PAPER INDUSTRY
雑誌
紙パ技協誌 (ISSN:0022815X)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.401-405,020, 2003

紙業界は鉄鋼業界の冷間圧延と同様にワーク速度が極めて速いことが知られている。目視では見ることの出来ぬ速度でワークが流れるのでため比較的早くから自動検査化が進んできている。しかし従来のシステムは数十台のカメラをラインに設置せねばならずカメラ間の感度の差異や取り扱いなど多くの問題点を持っていた。<BR>テクノスは全く新しい原理で, たった1台のカメラで速度が毎分10,000m視野幅1, 666mmの時に0.33mm角の欠陥を捉えるシステムを開発した。このシステムは既に日本を初め, アメリカ, ヨーロッパ (ドイツ, フランス, イギリス, スイス, オーストリア), 韓国で国際特許化された技術で, 「中小企業庁長官賞」, 「新機械開発賞」をはじめ「優秀新技術新製品賞」を3度にわたって受賞したもので, 日本のトップ企業38社のうち製造業には100%, 製造業トップ50社の70%以上に納入実績をもち汎用性と世界一の高精度を誇るものである。<BR>このシステムは高速応答性に優れるばかりではなく, 焦点深度が極めて深くラインのどこにでも, たった1台のカメラを簡単に設置でき, また欠陥の原因を追求する情報を容易にハンドリングできるアクティブ・ナビゲータ機能によって欠陥の原因そのものをなくすための情報を自動的に記録する機能を持っている。出来上がった製品の不良を発見するだけではなく, その原因をなくすことによって全ての原材料を無駄なく使い, エネルギの無駄遣いもなく, 世界で初めての地球に優しい検査・情報提供システムである。原理は人間の目の機能を電子回路化することによって行われる。また同時に微細欠陥と全面に渡る色ムラまでを別々なレベルで確実に検出できるアーキテクチャは最近特許化された。
著者
山田 吉郎
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.31-40, 1997-12-10

歌人前田夕暮の遺詠「わが死顔」(昭和二十六年)は、自らの死顔を春の木の花のイメージとともに幻視した異色の作であるが、中井英夫は『黒衣の短歌史』で、この「無気味に美しい一連」を「短歌への信頼を一挙に回復した」作品として高く評価した。この評価をどう見るかはひとまず措くとして、この中井の発言の背景には遺詠「わが死顔」のもつ短歌作品としての特異性がつよく暗示されている。アララギを中心とする写実短歌の流れが主流をなしつつも、一方で前衛短歌運動の足音が近づく当時の短歌界の潮流の中で、「わが死顔」はどのような史的意義を担っていたのだろうか。本稿は、そうした「わが死顔」の文学的特質と可能性を、その独特の幻視や二重自我の問題を手がかりに考察したものである。
著者
山田 吉郎
出版者
山梨英和学院 山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.33-43, 1998-12-10 (Released:2020-07-20)

立原道造は、詩人として本格的な出発を果たす以前の昭和六年、前田夕暮主宰の短歌結社白日社(機関誌『詩歌』)に入会し、一年ほど自由律短歌の創作を試みている。こののち立原は、短歌から身を引くのと踵を接する形で詩作に専念し、周知のように昭和詩史の上に清らかな独自の航跡を残してゆくのであるが、小稿は、立原の文学的生涯の中で初期の『詩歌』時代がいかなる意味を有するのか検討を加えたものである。当時の立原は、前田夕暮の散文集『線草心理』を耽読したと想像される。その『緑草心理』の感覚の美しさが若き立原にいかなる影響を与えたのかという点に焦点を据えて考察し、それをふまえた上で立原の自由律短歌作品の特質を分析した。死と虚無感の揺曳、夢と現(うつつ)のあわいを縁どる少年性といったモチーフをはらむ立原の文学世界を、現実的社会的側面を重視しがちな当時の短歌界の潮流や、さらにモダニズムの大きなうねりと対比させつつ考察を進めた。
著者
山田 吉郎
出版者
山梨英和大学
雑誌
山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.35-46, 1992-12-10

川端康成は大正十三年の大学卒業後、伊豆湯ヶ島に引きこもり、孤独な文学修業時代を送るが、とくに大正十四年は一年の大半を湯ヶ島に滞在し、彼の人生観、文学観の形成の上に大きな影響を与えたと推測される。本稿においてはその若き川端の魂の軌跡を、とくに彼の書いた随筆作品に焦点をおいて考察した。大正十四年の随筆群を概観すると、人間と自然との境界を暈して自然自己一如的な境地に立脚した死生観や、そこから導き出されてきた自然観、さらに旅の意識の三点が主要な要素として指摘できる。そして、これらがこののちの川端文学の基底を形づくってゆくわけであり、その随筆作品の文学的意義はたいへんに重いものをはらんでいると言える。また、この時期の随筆作品の所々に、『伊豆の踊子』や『春景色』など川端文学の主要作品の表現に直接つながるような部分が見られ、川端小説の表現の形成過程を探る上でも、当時の随筆には看過しがたいものが存すると考えられるのである。如上の考察をふまえた上で、大正十四年の随筆活動の位置づけを展望し、まとめとした。