- 著者
-
平本 毅
- 出版者
- 日本社会学会
- 雑誌
- 社会学評論 (ISSN:00215414)
- 巻号頁・発行日
- vol.62, no.2, pp.153-171, 2011-09-30 (Released:2013-11-19)
- 参考文献数
- 13
- 被引用文献数
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本稿では, 他者の「私事 (独自の経験やそれにかんする見解や態度) 語り」に対して「わかる」と明示的に理解を表明するやり方の, 会話の中での組織化のされ方を会話分析により記述する.Harvey Sacksによる理解のとの区別を参照して論じながら, 以下2点の問題が提起される. (1) 語りに対する理解の表明の形式としては「弱い」であるはずの「わかる」が, 「私事語り」に対する理解の提示においてしばしば用いられるのはなぜか, (2) 「わかる」を含む発話連鎖により, 理解の提示を組織化することはいかにして可能になっているのか.分析の結果, まず「わかる」は, 多くの場合単独では発されず, それに理解のの試みが付加されることによりの「弱さ」が補われることがわかった. このとき, 理解のは相手の語りの中途/語りの終了後の2つの位置に置かれるが, の試みは, 語りの終了後にしか置かれない. 理解のに加えて, 語りの終了後の位置で理解のを試みることによって, 聞き手は, 「私の心はあなたと同じ」であることを語り手に示しており, それを語り手がるという発話連鎖を組織化することによって, 会話の中で理解が達成されることが論じられる. また, この「わかる」連鎖を利用した理解の提示は, 経験とそれへの見解や態度を語り手と聞き手が「分かち合う」かたちでのものであることが明らかになる.