著者
森脇 広 永迫 俊郎 鈴木 毅彦 寺山 怜 松風 潤 小田 龍平
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p><b> </b></p><p><b>はじめに:</b>南九州・南西諸島の古環境と文化の諸要素の高精度編年を進めている.今回は南西諸島の喜界島のテフラと古砂丘を取り上げる.喜界島は全島がサンゴ礁段丘からなる.段丘は多くの年代測定が行われ,最終間氷期MIS 5eの段丘面が標高200mに達し,日本では隆起量が最も大きいことで知られる.このため,最終氷期の亜間氷期MIS 3の段丘面群(上位からD面,E面,F面:太田・大村,2000)が高度90m~15mで,現在の陸上に広く出現している.</p><p></p><p><b> </b>砂丘は喜界島南西部のMIS 3の段丘地帯を広く覆う.それらは,現在の海岸近くにある完新世の砂丘,内陸のMIS 3面上に分布する更新世の水天宮古砂丘(角田,1997)からなる.その地形や堆積物,形成時期について,古くから関心が持たれてきた(三位・木越,1966;武永,1968;成瀬・井上,1987など).</p><p></p><p> 最近,水天宮砂丘地帯において,広範囲の耕地整理工事がなされ,砂丘の地形と堆積物の全体的な様相が明らかとなってきた.この報告では,水天宮古砂丘の分布と堆積物の構造,テフラの同定・編年,及び<sup>14</sup>C年代資料に基づく古砂丘の編年と形成を検討する.</p><p></p><p> <b>テフラ</b>:喜界島のテフラについては,同定や層序,年代などまだよくわかっていない.今回の調査で,9枚のテフラを見いだした.このうち2枚は,バブルウォール型の火山ガラスを豊富に含むガラス質火山灰で,上位はK-Ah, 下位はATに同定される.他の7枚は斑晶や微細軽石に富む淡褐色火山灰で,ここでは,上位からKj-1〜Kj-7と名づける.鉱物は斜方輝石,単斜輝石,角閃石,磁鉄鉱,チタン鉄鉱,長石,石英で,スコリアを含むものもある.全体として特徴的に高温石英を含む.それらの鉱物の含有の有無・度合い,層相・層位などからそれぞれのテフラの識別が可能で,南西諸島の島々やトカラ列島の諸火山でこれまで知られているテフラに一部対比可能なものもみられる.ATはKj-6とKj-7の間にある.K-AhとKjテフラ群との層位関係は同一露頭断面で直接確認できないが,土壌の厚さなどから,K-AhはKjテフラ群より上位にあるものと推定される.</p><p></p><p><b> 砂丘の地形と堆積物:</b>これまで水天宮古砂丘は,喜界島南西部の孤立した丘陵一帯を広く構成しているとされてきた.しかし今回の調査で,水天宮古砂丘とされる丘陵の南半部のほとんどは基盤のサンゴ石灰岩からなるD面,E面で,砂丘はこれらの段丘面を部分的に覆っているにすぎないことが明らかとなった.南半部では,段丘崖や崖上にリッジ状に分布しており,当時の海岸沿いに形成されていったことを示す.</p><p></p><p> 一方,北半部は最大20m以上に及ぶ厚い砂丘堆積物が全体を覆う.部分的には膠結砂丘砂からなっている.この中には少なくとも2枚の土壌が挟まれる.砂丘地形は南北に細長い谷を挟む砂丘列をなす.テフラと下記の<sup>14</sup>C年代は,谷と砂丘の形成期はほぼ同じであることを示す.したがって,谷は砂丘形成後の侵食によってできたものではなく,砂丘形成時の凹地として形成されたもので,水天宮北側の砂丘列は縦列砂丘として形成されたと解釈される.いくつかの地点での堆積物の層理の走向も,この砂丘列の方向と調和し,北方の海岸からの砂の運搬・供給を示す.この水天宮古砂丘はMIS 3段丘群最下位のF面の北端まで続き,この付近の海浜からの砂の供給によって形成されたことを示す.</p><p></p><p> <b>砂丘の編年と形成</b>:古砂丘堆積物を覆う土壌中に認められる上記テフラのうち,もっとも古いのはATである. Kj-7は現在のところ認められない.北半部の厚い砂丘堆積物上部から得られた陸生貝化石の<sup>14</sup>C年代は33,000〜34,000 cal BPを示し,テフラ編年と整合する.ATの層位とこの年代からみて,水天宮古砂丘の主要部をなす北半部の古砂丘は,MIS 3後期の3.5万年前前後に形成されたものと考えられる.段丘面との関係,テフラ,<sup>14</sup>C年代を総合すると,水天宮古砂丘は,MIS 3前期は当時の海岸縁辺に小規模な砂丘が形成され,後期になると,北側の海岸からの砂の供給による大規模な砂丘形成があったと考えられる.</p>
著者
石村 大輔 岩佐 佳哉 高橋 直也 田所 龍二 小田 龍平 梶井 宇宙 松風 潤 石澤 尭史 堤 浩之
雑誌
JpGU-AGU Joint Meeting 2020
巻号頁・発行日
2020-03-13

2016年熊本地震以後に、布田川断層帯および日奈久断層帯において精力的に古地震調査が行われてきた。我々の研究グループでは、2016年熊本地震で出現した副次的な地表地震断層の過去の活動について明らかにするために、2017年には阿蘇カルデラ内の宮地トレンチ、2018年には出ノ口断層上の小森牧野トレンチを実施してきた。その結果、2-3千年という短い間隔で2016年に活動した断層が繰り返し活動していることが明らかとなった(石村ほか,2018,2019)。これは2016年熊本地震同様に、過去にも布田川断層の活動に際して、周辺の広い範囲に断層が出現したことを示唆する。一方、布田川断層の活動履歴については、多くのトレンチ調査が行われているが(熊原ほか,2017;岩佐ほか,2018;白濱ほか,2018;堤ほか,2018;上田ほか,2018,遠田ほか,2019,など)、それらの多くは鬼界―アカホヤ火山灰(7.3 ka;町田・新井,2003)以降に複数回活動したことを示すのみで、個々のイベントの年代が十分に制約できていない。また、トレンチ調査場所も、阿蘇カルデラ内や益城町に向かって分岐する断層上といった地点に偏っており、最も変位量の大きかった布田川断層の中央部に位置する布田周辺での活動履歴はよくわかっていない。そこで本研究では、布田川断層中央部に位置する布田地区でトレンチ調査を行なった。 掘削地点は、布田川断層と布田川が交わる西原村布田地区である。布田川断層と布田川が交わる地点では、2016年熊本地震で出現した大露頭の記載を石村(2019)が行なっており、高遊原溶岩を数10 m上下変位させる布田川断層の主断層と10 m前後上下変位させる副次的な断層が確認されている。そこから約50 mほど東の林内で5つのトレンチを掘削した。トレンチ掘削地点では、2条の地表地震断層が確認されており、南側のものは約10 cmの南落ちを伴う左ステップする開口亀裂、北側のものは30-40 cmの南落ちを示す断層崖であった。地表地震断層の変位様式と布田川の露頭で認められた断層との位置関係から、南側が主たる右横ずれ断層で、北側が副次的な正断層であると考えられる。トレンチは、南側で2箇所、北側で3箇所の掘削を行なった。 トレンチ調査の結果、すべての壁面で2016年の断層活動に加えて、過去の活動が認められた。特にK-Ah以降には少なくとも3回の断層活動(2016年イベント含む)が認められ、高い活動度を示した。現在、放射性炭素年代測定を実施中であり、発表ではそれらを加えて、より詳細な断層活動の議論とその時期について示す。