著者
森脇 広 小林 哲夫
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.41, no.4, pp.223-224, 2002-08-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
10
被引用文献数
1
著者
森脇 広 永迫 俊郎 奥野 充
出版者
特定非営利活動法人 日本火山学会
雑誌
火山 (ISSN:04534360)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.31-44, 2022-03-31 (Released:2022-04-26)
参考文献数
39

The southwestern rim of Aira caldera, which is situated at the head of Kagoshima Bay, is critical for examining late Pleistocene and Holocene crustal movements of the caldera with respect to volcanic activity. A suite of Pleistocene and Holocene sea-level and eruption records occurs in combination in exposures on the rim, and so tectonic displacement of the caldera as well as volcanic activity in historical times are both obtainable. Using elevations of coastal landforms and deposits, and with a chronology determined via tephrochronology and archeological remnants, we examined vertical crustal movements of the Aira caldera in the late Pleistocene and Holocene, and compared these movements with historical movement in the light of concomitant volcanic activity. The main conclusions are as follows. Aira caldera has been subjected to distinct uplift, with an average rate of 0.5-0.8 mm per year over the past ~108,000 years. The uplift rate of 0.8-1.1 mm per year, from ~7000 cal BP to the present, appears to be higher than that, 0.4-0.7 mm per year from ~108,000 to ~7000 cal BP. Comparison of these late Quaternary uplift rates with those in historical time clearly suggests that volcanic activities of Aira caldera are responsible for the late Quaternary vertical movements in and around Aira caldera. The results help to evaluate future eruptions of Aira caldera, and to examine the relationships between the late Quaternary crustal movement and volcanic activities in other gigantic calderas without sea-level remnants.
著者
森脇 広 永迫 俊郎 鈴木 毅彦 寺山 怜 松風 潤 小田 龍平
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p><b> </b></p><p><b>はじめに:</b>南九州・南西諸島の古環境と文化の諸要素の高精度編年を進めている.今回は南西諸島の喜界島のテフラと古砂丘を取り上げる.喜界島は全島がサンゴ礁段丘からなる.段丘は多くの年代測定が行われ,最終間氷期MIS 5eの段丘面が標高200mに達し,日本では隆起量が最も大きいことで知られる.このため,最終氷期の亜間氷期MIS 3の段丘面群(上位からD面,E面,F面:太田・大村,2000)が高度90m~15mで,現在の陸上に広く出現している.</p><p></p><p><b> </b>砂丘は喜界島南西部のMIS 3の段丘地帯を広く覆う.それらは,現在の海岸近くにある完新世の砂丘,内陸のMIS 3面上に分布する更新世の水天宮古砂丘(角田,1997)からなる.その地形や堆積物,形成時期について,古くから関心が持たれてきた(三位・木越,1966;武永,1968;成瀬・井上,1987など).</p><p></p><p> 最近,水天宮砂丘地帯において,広範囲の耕地整理工事がなされ,砂丘の地形と堆積物の全体的な様相が明らかとなってきた.この報告では,水天宮古砂丘の分布と堆積物の構造,テフラの同定・編年,及び<sup>14</sup>C年代資料に基づく古砂丘の編年と形成を検討する.</p><p></p><p> <b>テフラ</b>:喜界島のテフラについては,同定や層序,年代などまだよくわかっていない.今回の調査で,9枚のテフラを見いだした.このうち2枚は,バブルウォール型の火山ガラスを豊富に含むガラス質火山灰で,上位はK-Ah, 下位はATに同定される.他の7枚は斑晶や微細軽石に富む淡褐色火山灰で,ここでは,上位からKj-1〜Kj-7と名づける.鉱物は斜方輝石,単斜輝石,角閃石,磁鉄鉱,チタン鉄鉱,長石,石英で,スコリアを含むものもある.全体として特徴的に高温石英を含む.それらの鉱物の含有の有無・度合い,層相・層位などからそれぞれのテフラの識別が可能で,南西諸島の島々やトカラ列島の諸火山でこれまで知られているテフラに一部対比可能なものもみられる.ATはKj-6とKj-7の間にある.K-AhとKjテフラ群との層位関係は同一露頭断面で直接確認できないが,土壌の厚さなどから,K-AhはKjテフラ群より上位にあるものと推定される.</p><p></p><p><b> 砂丘の地形と堆積物:</b>これまで水天宮古砂丘は,喜界島南西部の孤立した丘陵一帯を広く構成しているとされてきた.しかし今回の調査で,水天宮古砂丘とされる丘陵の南半部のほとんどは基盤のサンゴ石灰岩からなるD面,E面で,砂丘はこれらの段丘面を部分的に覆っているにすぎないことが明らかとなった.南半部では,段丘崖や崖上にリッジ状に分布しており,当時の海岸沿いに形成されていったことを示す.</p><p></p><p> 一方,北半部は最大20m以上に及ぶ厚い砂丘堆積物が全体を覆う.部分的には膠結砂丘砂からなっている.この中には少なくとも2枚の土壌が挟まれる.砂丘地形は南北に細長い谷を挟む砂丘列をなす.テフラと下記の<sup>14</sup>C年代は,谷と砂丘の形成期はほぼ同じであることを示す.したがって,谷は砂丘形成後の侵食によってできたものではなく,砂丘形成時の凹地として形成されたもので,水天宮北側の砂丘列は縦列砂丘として形成されたと解釈される.いくつかの地点での堆積物の層理の走向も,この砂丘列の方向と調和し,北方の海岸からの砂の運搬・供給を示す.この水天宮古砂丘はMIS 3段丘群最下位のF面の北端まで続き,この付近の海浜からの砂の供給によって形成されたことを示す.</p><p></p><p> <b>砂丘の編年と形成</b>:古砂丘堆積物を覆う土壌中に認められる上記テフラのうち,もっとも古いのはATである. Kj-7は現在のところ認められない.北半部の厚い砂丘堆積物上部から得られた陸生貝化石の<sup>14</sup>C年代は33,000〜34,000 cal BPを示し,テフラ編年と整合する.ATの層位とこの年代からみて,水天宮古砂丘の主要部をなす北半部の古砂丘は,MIS 3後期の3.5万年前前後に形成されたものと考えられる.段丘面との関係,テフラ,<sup>14</sup>C年代を総合すると,水天宮古砂丘は,MIS 3前期は当時の海岸縁辺に小規模な砂丘が形成され,後期になると,北側の海岸からの砂の供給による大規模な砂丘形成があったと考えられる.</p>
著者
太田 陽子 ピラツオリ P. 河名 俊男 森脇 広
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.185-194, 1985-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
25
被引用文献数
7 11

琉球列島南部の小浜島・黒島・波照間島の3島(第1図)について,海成段丘,離水ノッチ,ビーチロック,貝・フジツボ・サンゴ化石など,完新世に形成されたと思われる海岸地形・堆積物・化石を調査した.調査した島の地形分類図,試料採取地点などは第2, 4, 5図に,試料のC-14年代は第2表に示される.これらの3島では約4,000yBPから1,000yBPの間の海水準は今よりわずかに高い位置にあったと思われる.すなわち,小浜島では海成段丘堆積物中の貝や原地性のサンゴのC-14年代はそれぞれ約2,600yBP, 3,300yBPで,旧海面は海抜約1mの位置にある.黒島ではビーチロック中の貝化石のC-14年代は約4,200yBPで,旧海面の年代を示すビーチロックやフジツボがやはり海抜約1mの高さに見出される.以上のように,これらの3島においては約4,000年前以降に今より約1m高い位置に海面があり,それ以降わずかながら離水したことが認められる.しかし,日本の各地にみられる縄文海進最盛期(約6,000年前)を示す資料はこれら3島から現在のところ見出すことはできなかった.なお波照間島の南東岸,高那崎付近の海抜約20mに達する平坦面上にサンゴ石灰岩の巨礫が多数みられる.これはその配列の方向やC-14年代から,1771年の明和地震による津波の堆積物であることが明らかになった.
著者
森脇 広 岩田 修二
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.31, no.4, pp.229-241, 1992-10-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
48

最終氷期のアイスランドは, その主要部を一続きの氷床に覆われていたが, 周辺部の山岳地帯は周辺部が薄いアイスドームからなっていた. 晩氷期末の最高位旧汀線の高度分布はこの氷河分布に対応し, 島の主要部は一続きの広い曲隆域となり, 北西地域に小曲隆部がある. 晩氷期以後, 古ドリアス期と新ドリアス期の再拡大期 (ほぼ同規模) があった. その後氷河は大きく縮小したが, ネオグレシエーション以後拡大し, 現在のようになった. 氷河融解にともなう隆起は完新世初期には終了した. 後期更新世末から完新世初期にかけての隆起量は最大150mに及ぶ. 現在の海岸地域は完新世中期以降は全体としては沈降している.
著者
森脇 広 松島 義章 町田 洋 岩井 雅夫 新井 房夫 藤原 治
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.41, no.4, pp.253-268, 2002-08-01
被引用文献数
2 7

姶良カルデラ北西縁の平野を対象に,完新世の地形発達および相対的海水準変動,地殻変動を,地形と堆積物の観察,<sup>14</sup>C年代測定,テフラ分析,考古遺跡,貝化石と珪藻化石の分析結果にもとづいて検討した.3面に区分される完新世海成段丘は,それぞれ7,300cal BP(6,500yrs BP)~3,500yrs BP,3,000~2,000BP,古墳時代(1,500cal BP)以降に形成された.姶良カルデラ周縁では,カルデラ中心部へ向かって傾き上がる傾動隆起が生じ,その隆起量は7,300cal BP(6,500yrs BP)以降,最大10m以上に達する.この地域の海面高度は8,700cal BP(8,000yrs BP)頃には現海面高度にあり,現海面上4~5m(8,500~8,400cal BP:7,700yrs BP頃),現海面上6m(8,100cal BP:7,300yrs BP頃)を経て,7,300cal BP(6,500yrs BP)頃に現在の海抜12mの高さに達した.その後,海面は次第に低下し,現海面上5~7m(3,000~2,000yrs BP),現海面上2~3m(1,500cal BP)を経て現在に至った.この特異な相対的海水準変動は,姶良カルデラの火山活動に伴う地殻変動が影響しているとみられる.8,100~8,000cal BP(7,200~7,300yrs BP)には,海進は内陸深く及び,溺れ谷が形成された.この時期,米丸マールを形成したベースサージは,別府川流域の内湾を大きく埋積した.その後,汀線は段階的に前進し,縄文時代後期(3,500yrs BP頃)には現在の海岸に近い位置にまで達した.約8,000~7,000cal BP(約7,300~6,000yrs BP)の時期に,池田カルデラ,桜島,鬼界カルデラでも大規模な噴火が起こり,縄文海進最盛期に形成された南九州のリアス式海岸は急激に変化した.
著者
近森 正 棚橋 訓 塚本 晃久 吉田 俊爾 森脇 広 岡嶋 格 KAURAKA Kau TONY Utanga KAURAKA Kaur
出版者
慶応義塾大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1995

1.自治権獲得以来30年、クック諸島では民族的自覚の確立が模索されてきた。近年、政府内に文化開発省が設けられ、伝統文化の保存・継承の試みが組織的に開始された。本研究は「文化遺産の保存計画」に基づくクック諸島政府の要請によって立案された。その目的はすでに積み上げられたわれわれの調査実績の上にたって、先史遺跡、歴史的遺構を中心とする文化遺産の効果的な保存・継承に関する考古学的、民族学的、言語学的な基礎研究を行うことにある。2.平成7年から9年度にわたる3年間の調査は北部クック諸島プカプカ島と南部ラロトンガ島において集中的に行われた。調査対象となった遺跡は総計17遺跡(プカプカ島5遺跡、ラロトンガ島12遺跡)である。主要出土遺物200点以上、埋葬人骨10体を発見し、両島の地域史を明らかにする上で必要な考古学的情報を充分に蓄積することができた。これにより、祭祀建造物の形式が西ポリネシアと東ポリネシアの双方から文化的影響を受けつつ各島で地域的な発展を遂げたことが判明した。プカプカ島のそれは農耕の祭祀活動と密接な関係を示している。またラロトンガ島の内陸、尾根筋に発見された祭祀建造物とサンゴ礁島の祭祀建造物の発掘調査によって祭祀空間の地域内での多様性が判明した。3.考古学的に明らかにされた祭祀空間の特性が文化遺産の継承形態を規定していることが確証された。この成果は土地法廷史料及び民族学的調査成果との連接を経て、文化遺産の継承形態に関する時系列的な基礎情報群として集成された。これに基づき、当該地域の文化遺産継承を核とする文化政策の策定に貢献することができた。4.プカプカ語はポリネシア語の形成過程の重要な位置をしめる。言語学的に正確な記載と口頭伝承の記録によって、クック諸島の歴史的解明が可能になるとともに、消滅しつつある無形文化遺産の保存に大きな貢献をすることができた。
著者
森脇 広 松島 義章 町田 洋 岩井 雅夫 新井 房夫 藤原 治
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.41, no.4, pp.253-268, 2002-08-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
39
被引用文献数
3 7

姶良カルデラ北西縁の平野を対象に,完新世の地形発達および相対的海水準変動,地殻変動を,地形と堆積物の観察,14C年代測定,テフラ分析,考古遺跡,貝化石と珪藻化石の分析結果にもとづいて検討した.3面に区分される完新世海成段丘は,それぞれ7,300cal BP(6,500yrs BP)~3,500yrs BP,3,000~2,000BP,古墳時代(1,500cal BP)以降に形成された.姶良カルデラ周縁では,カルデラ中心部へ向かって傾き上がる傾動隆起が生じ,その隆起量は7,300cal BP(6,500yrs BP)以降,最大10m以上に達する.この地域の海面高度は8,700cal BP(8,000yrs BP)頃には現海面高度にあり,現海面上4~5m(8,500~8,400cal BP:7,700yrs BP頃),現海面上6m(8,100cal BP:7,300yrs BP頃)を経て,7,300cal BP(6,500yrs BP)頃に現在の海抜12mの高さに達した.その後,海面は次第に低下し,現海面上5~7m(3,000~2,000yrs BP),現海面上2~3m(1,500cal BP)を経て現在に至った.この特異な相対的海水準変動は,姶良カルデラの火山活動に伴う地殻変動が影響しているとみられる.8,100~8,000cal BP(7,200~7,300yrs BP)には,海進は内陸深く及び,溺れ谷が形成された.この時期,米丸マールを形成したベースサージは,別府川流域の内湾を大きく埋積した.その後,汀線は段階的に前進し,縄文時代後期(3,500yrs BP頃)には現在の海岸に近い位置にまで達した.約8,000~7,000cal BP(約7,300~6,000yrs BP)の時期に,池田カルデラ,桜島,鬼界カルデラでも大規模な噴火が起こり,縄文海進最盛期に形成された南九州のリアス式海岸は急激に変化した.
著者
森脇 広 新東 晃一 小林 哲夫
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.30, no.5, pp.329-338, 1991-12-25 (Released:2009-08-21)
参考文献数
63

This paper outlines the previous studies of many Quaternary gigantic pyroclastic flow deposits widely distributed in Kyushu in terms of Quaternary studies: (1) age, distribution, and source, and (2) influence on the Jomon Culture of Kyushu in the Holocene and on late Pleistocene slope erosion of Yaku and Tane islands.Seven gigantic pyroclastic flows are recognized in the late Pleistocene: Koya (source: Kikai caldera, age: 6, 300yBP), Ito (Aira caldera, 21, 000-22, 000yBP), Aso-4 (Aso caldera, 70, 000yBP), Nagase (Kikai caldera, 75, 000yBP), Ata (Ata caldera, 85, 000yBP), Aso-3 (Aso caldera, 105, 000yBP) and Torihama (Ata caldera, 100, 000-150, 000yBP) pyroclastic flows. Co-ignimbrite ash falls associated with all of them are found in distal areas more than 1, 000km distant from their sources. The ages, estimated by stratigraphic positions of those ash falls as well as radiometric datings, indicate that the eruptions of gigantic pyroclastic flows concentrate in the early stage of the late Pleistocene. Those pyroclastic flows showing circular distribution extend to a distance of 100-150km from the source.In contrast, the age, distribution, and source of middle-early Pleistocene gigantic pyroclastic flows are not sufficiently clarified, except for the Aso-2, Aso-1, Kakuto and Shimokado pyroclastic flows in the late stage of the middle Pleistocene.A clear difference in Jomon pottery between the layer above K-Ah ash associated with Koya pyroclastic flows and that beneath it, is widely recognized in Kyushu, suggesting that Koya pyroclastic flows eruption played an important role in the change in Jomon culture.We can often recognize slope deposits, including blocks of Nagase pyroclastic flows deposits in Yaku and Tane islands. This may suggest that unstable conditions occurred on the slopes over a wide area around the Kikai caldera owing to this eruption.
著者
森脇 広 奥野 充 大平 明夫
出版者
鹿児島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

南九州の鹿児島湾を構成する姶良カルデラ周辺の臨海平野には完新世海成段丘が分布する.これらの段丘面の編年と高度分布,さらに,露頭調査とボーリング掘削によって得られた構成堆積物の古環境的解析を行い,旧海水準の高度分布を明らかにし,姶良カルデラを中心とした鹿児島湾周辺の第四紀地殻変動を検討した.編年の方法は,テフラと^<14> C年代による.その結果,これまで示唆されてきた姶良カルデラを中心とした完新世の曲隆がさらに確かなものとなった.これは,姶良カルデラの火山活動と関連していると考えられ,桜島火山などの将来の噴火を評価する基礎資料として活用できると考える.