著者
渡久山 幸功 Tokuyama Yukinori 沖縄大学地域研究所特別研究員 沖縄大学非常勤講師
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.11, pp.17-34, 2013-03

ヴァーン・スナイダーが書いた沖縄を舞台にした小説『八月十五夜の茶屋』(1951年)は、ベストセラーになり、その後、戯作家ジョン・パトリックによって舞台化され、3年を超える超ロングランを記録し、後に映画化され大ヒットした。小論では、数少ない先行研究に概観、原作と翻案の比較、その当時の作品と関連する様々な文献(新聞記事、書評、作者自身のインタビュー等)を調査しながら、本作品の解明を試みた。この作品は映画のヒットによって、沖縄の人々の記憶に残っているが、この映画版と原作の小説には大きく異なる点がある。特に、主要人物の芸者(沖縄のジュリ)や沖縄人通訳者の扱い方である。スナイダーの原作では、主人公のアメリカ将校に現地沖縄人からのプレゼントとして芸者を二人用意しているが、これは映画と異なり、アメリカ人将校と芸者との恋愛関係を描いておらず、芸者のイメージの脱セクシャリティ化を企図している。つまり、沖縄文化や沖縄人の等身大の描写を心がけ、ステレオタイプ的な描写を極力抑えられているところに特徴がある。また、軍事植民地沖縄に対するアメリカ軍政府への提言として、東洋人の住民の幸福は欧米的なものではないことを認識することが重要であり、彼らの異文化・習慣を尊重し、アメリカ文化や価値観を温情的に押し付けることがないように示唆している。しかし、それは、単にクリスマスのサンタクロースの様にプレゼントを与えるだけではなく、現地民の自立を促し、真の意味での民主化を提言しているため、在沖米軍(占領政府)にとっては、容認できない「危険な」テキストになっている、と指摘した。
著者
渡久山 和史 Tokuyama Kazufumi 沖縄大学地域研究所特別研究員 那覇市役所
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.11, pp.35-42, 2013-03

本稿の問いは、沖縄県においてなぜ那覇市に生活保護受給者が多い/増加しているのか、である。この問いを軸に、そこから見えてくる現在の沖縄の姿(の一面)を描写する。戦後沖縄は、「復帰前の基地依存から復帰後の行政依存へ。そして、その帰結としての生活世界の空洞化と構造的貧困」という歴史を辿った。我々は今後、生活世界を堅持したオルタナティブな沖縄を構想するべきである。
著者
鈴木 陽子 すずき ようこ Suzuki Youko 沖縄大学大学院現代沖縄研究科 沖縄大学地域研究所特別研究員 沖縄大学地域研究所特別研究員 沖縄愛楽園交流会館研究員
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.17, pp.1-19, 2016-03

沖縄に設立されたハンセン病療養所、国頭愛楽園で、開園時に収容された患者が起こした事件を、入所者2集団と献身的な職員のそれぞれの主体性が絡み合ったものとしてとらえ、事件をめぐる、それぞれの集団の主体的な行動と集団間の関係を入所者の証言、園機関誌などから分析する。本稿は、沖縄に設立されたハンセン病療養所、国頭愛楽園(以下、愛楽園)開園時に収容された患者が起こした事件を、園内の3集団それぞれの主体性が絡み合ったものとしてとらえ、事件をめぐる、それぞれの集団の主体的な行動と集団間の関係を入所者の証言、園機関誌などから分析する。1938年に設立された愛楽園は患者自身が安心して暮らせる居場所を求めて設立した療養所を前身とし、献身的に職員は働いた。それにもかかわらず、1940年、開園時に収容された患者たちは、一心会事件とよばれる組織的なストライキを起こした。 結果、一心会を中心とする闘争では、療養所を求めた患者集団、献身的であろうとした職員集団、収容された患者集団がそれぞれに主体的に行動していたことが明らかになった。療養所の設立を求めて動いた患者集団は職員とともにより良い療養所を目指したが、それは入所者を抑圧し、管理することにもなった。これに対し、開園時に収容された患者集団は抵抗をしたが、隔離政策下、排除が過酷になる集落へ追放された。各集団の主体性の背後には、差別と抑圧の重層的な構造があることがあぶりだされ、その中で、3集団それぞれの、肯定的に生きることを求めた行動が絡み合ったことが考察された。
著者
島村 聡 金城 隆一 鈴木 友一郎 稲垣 暁 しまむら さとる きんじょう たかかず すずき ゆういちろう いながき さとる Shimamura Satoru Kinjyo Takakazu Suzuki Yuichiro Inagaki Satoru 沖縄大学人文学部 沖縄大学地域研究所特別研究員 沖縄大学地域研究所特別研究員 沖縄大学地域研究所特別研究員
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.24, pp.51-62, 2019-10

沖縄本島中南部にある5か所の子どもの居場所等の職員、および、当該居場所を管轄する自治体の担当課の職員に居場所運営についてのインタビューを実施したところ、居場所は自身持つ指向から活動型と支援型に分かれ、行政のスタンスから地域型と機関型に分かれることが判明した。行政におかれた子どもに貧困対策支援員は、位置づけの曖昧さから、これらの居場所のネットワーク拡大には寄与できていない。
著者
沖本 富貴子 おきもと ふきこ OKIMOTO Fukiko 沖縄大学地域研究所特別研究員
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.20, pp.29-53, 2017-12

竹内康人(2012年)によって沖縄戦に動員された朝鮮人軍人軍属が配置された部隊と、その人数が初めて明らかにされた。日本政府が韓国政府に渡した朝鮮人名簿をもとに分析を進め発表したものである。この研究をより沖縄に近づけて解釈し紹介した。その結果、特設水上勤務隊以外にも32軍防衛築城隊、歩兵隊、海軍の設営隊など65部隊以上にわたって少なくとも3,500人余が動員されていたことが分かった。部隊別に死亡者数と時期と場所を集計した結果、本島においては首里の攻防や南部に追い詰められて犠牲になったものが多かった。海軍においては小禄、豊見城で6月14日前後に命を落としている。 こうした研究によって「沖縄戦には『朝鮮人軍夫』が『1~2万人』動員され、『雑役』を担った」とする定説が検証され、実態に即して書き換えられていく契機になることを意図した。さらに「朝鮮人軍夫」という表現が妥当であるかについても検討を加えた。 朝鮮人部隊であった特設水上勤務隊について戦時資料や留守名簿、陣中日誌に照らし、編成から沖縄での港湾作業につくまでを詳細に見た。また港湾作業がどのようなものであったか、その実態について当時の陣中日誌及び住民の証言も交えて具体的に示した。本稿は地上戦が始まるまでのいわば序盤までを一区切りとしている。
著者
沖本 富貴子 おきもと ふきこ Okimoto Fukiko 沖縄大学地域研究所特別研究員
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional Studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.21, pp.45-65, 2018-04

沖縄戦に動員された朝鮮人について通説になっている1~2万人という根拠を書誌や報道から探ってみたが、数値を裏付けるものはなかった。現在韓国政府に渡された軍人軍属の留守名簿等から沖縄戦関連者は約3,500人まで数えられているが、この他にもいた可能性を検討した。また慶良間や宮古八重山地域についてはほぼ解明された動員数を示した。
著者
小川 竹一 おがわ たけかず Ogawa Takekazu 沖縄大学地域研究所特別研究員・愛媛大学名誉教授
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional Studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.22, pp.21-37, 2018-10

沖縄県読谷村の集落(字)は、強い共同性を有し、高い自治能力を有している。沖縄戦と米軍統治下の基地接収により、集落の壊滅の危機に面した。各集落は、僅かに返還された土地で、集落の再建を行っていった。この集落の再建を可能にしたのは、歴史的に形成されてきた集落の共同性である。集落領域の土地は、集落の共同資源(コモンズ)として存在してきた。さらに、米軍から解放された土地を分け合って集落を再建したこと、村と集落とが、土地の返還を求めて団結してきた。基地接収された土地を回復されるべきコモンズとして認識してきた。また、集落が得る高額の軍用地料が住民の行事、福利に用いられていることも、コモンズの側面として捉えられる。米軍から返還され、国から払下げをうけ村有地となった読谷補助飛行場跡地の利用は、関係集落ごとに作られた農業生産法人が利用主体となった上で、法人の所有権取得が計画されている。この事業が集落再生の萌芽となるのかを検討する。
著者
黒沼 善博 くろぬま よしひろ Kuronuma Yoshihiro 沖縄大学地域研究所特別研究員 株式会社大林組
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 = Regional Studies (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.22, pp.149-171, 2018-10

南西諸島に位置する宮古島は、生活・農業・産業用水のほとんどを地下水に依存しているが、多雨な気候であるにもかかわらず、地質上、水源確保が困難な環境にあった。その克服策として、地下水の安定的な供給を行うために建設されたのが地下ダムである。地下ダム建設を端緒に、さらなる再生可能エネルギーを構築するため、風力発電、太陽光発電、バガス発電、メタン発酵、バイオエタノール製造など資源再生を行う施設が島内に次々と建設された。 島嶼環境における有限資源の持続を可能にするのは、建設技術の複合と応用である。本稿では、宮古島で展開されている環境技術を分析し、島嶼環境における資源再生技術の将来性を展望する。