著者
直野 章子
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.13-30, 2009-05-23 (Released:2017-09-22)

本稿では、<被爆者>という主体位置が医科学・法言説によって産出され、それら言説の発話テクノロジーが<被爆体験>の語りを規定した様相を描く。さらに、<被爆者>が「平和の証言者」として主体化されるなか、どのような語りが後景へと消えていったのかについて、言説分析的な手法をとりながら考察する。法的主体である<被爆者>となるには、「どこで被爆したのか」と「いつ被爆地に入ったのか」という空間・時間的な基準をもとにした「放射線被害の蓋然性」が決定的な要素となる。爆心地からの時空間的な距離は、国家に承認されるときのみならず、誰がより真正な<被爆者>であり<被爆体験>を語る資格を有するのかという序列化の力としても強力に作用していく。さらに、<被爆体験>の語り手は、同心円のイメージに規定された<被爆者>としてだけでなく、「平和の証言者」としても主体化されていく。それらの主体位置を占めずして語ることは、「被爆証言」としては聞きとられないことになるということを、占領下に執筆され、後に正典として読まれ継がれていく『原爆体験記』と『原爆の子』から読み解いていく。
著者
直野 章子
出版者
九州大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2006

本研究では「原爆被害」と「被爆者」の意味をめぐって繰り広げられる政治的・文化的闘争について、戦後補償と被爆者援護に関する法制度、日本被団協運動と在韓被爆者運動(特に裁判闘争)、被爆者の証言行為を中心に考察した。特に、「被爆者」が法によって作られた主体位置だという点に着目しながら、日本被団協の立法運動や在韓被爆者の裁判闘争が「被爆者」や「原爆被害」の時空間的な範囲を広げてきた様相を描いた。
著者
杉山 あかし 直野 章子 波潟 剛 神原 直幸 森田 均
出版者
九州大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2007

本研究は、テレビ放送を、個別の番組としてではなく、われわれが生きている環境を形作るものとして捉え、この環境の分析を行うことを目的としている。具体的主題は、「戦争と原爆の記憶」である。わが国では例年、8月前半に満州事変から第二次世界大戦に到る戦争についての特集番組が多く組まれ、人々の戦争観の形成に大きく寄与している。8月前半、1日~15日の地上波アナログの全テレビ放送を録画・内容分析し、現代日本における戦争・原爆に関するメディア・ランドスケープを明らかにする。本年度は、H.19年度、H.20年度に録画記録したデータを分析する作業を行なった。分析結果の一端として数量的分析によって得られた知見を以下に列挙する。(1)登場人物は日本人と推定される者がH.19年で89.7%、H. 20年で81.1%。これに対し連合国(アジア地域を除く)側と推定された者がそれぞれ9.4%、15.9%であった。朝鮮(当時地域名)・中国、その他の日本占領地を含むアジア地域の者はそれぞれ1%以下、2%以下と、ごく少ない。(2)日本人の描かれ方は、H.19年で74.0%、H.20年で52.8%が被害者として描かれており、加害者としての取り上げはそれぞれ8.1%、7.4%であった。(3)日本人が被害者として描かれる比率はかなり大きく変動しているが、これは描写の仕方が変化したためではなく、北京オリンピックの放送編成に対する影響であったと考えられる。ワイドショーはオリンピック一色であり、ドラマについては、この期間、特集的なものはほとんど放送されなかった。結果としてH. 20年に当該戦争を描いた番組は、ほとんどドキュメンタリー形式の番組であり、ドキュメンタリーで比較すれば、H.19年とH.20年で日本人の描かれ方(被害者的/加害者的)に大きな差はなかった。
著者
直野 章子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.60, no.4, pp.500-516, 2010-03-31 (Released:2012-03-01)
参考文献数
69
被引用文献数
4

記憶研究が流行となって久しいが,その背景にはポストモダニズム,ホロコーストに対する関心の高まり,「経験記憶」消滅の危機などがある.同時に,脱植民地化や民主化運動が記憶という課題を前景化したように,国際的に広がる記憶研究は,記憶が正義や人権回復の取り組みと深く関わっていることの表れでもある.記憶研究の劇的な増加に大きく貢献した「記憶の場」プロジェクトだが,「文化遺産ブーム」に見られるようなノスタルジアを助長する危険性もある.「記憶の場」を批判的な歴史記述の方法論として再確立するためにも,「場」に込められた広範な含意を再浮上させなければならない.その一助として,「記憶風景」という空間的な記憶概念を提起したい.記憶風景とは,想起と忘却という記憶行為を通して,個人や集団が過去を解釈する際に参照する歴史の枠組みであり,想像力を媒介にした記憶行為によって命を吹き込まれ,維持され,変容される過去のイメージでもある.この暫定的な定義をもとに,ヒロシマの記憶風景の現い在まを描いてみる.帝国主義の過去との連続性を後景に退け,前景に「平和」というイメージを押し出す,記憶風景の結節点が広島の平和公園だ.戦後ナショナリズムの文法に従って編成されてきたが,不気味な時空間も顔を覗かせている.それは,国民創作という近代プロジェクトにおける「均質な空白の時間」が侵食されていく場所でもあるのだ.
著者
直野 章子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.60, no.4, pp.500-516, 2010-03-31

記憶研究が流行となって久しいが,その背景にはポストモダニズム,ホロコーストに対する関心の高まり,「経験記憶」消滅の危機などがある.同時に,脱植民地化や民主化運動が記憶という課題を前景化したように,国際的に広がる記憶研究は,記憶が正義や人権回復の取り組みと深く関わっていることの表れでもある.<br>記憶研究の劇的な増加に大きく貢献した「記憶の場」プロジェクトだが,「文化遺産ブーム」に見られるようなノスタルジアを助長する危険性もある.「記憶の場」を批判的な歴史記述の方法論として再確立するためにも,「場」に込められた広範な含意を再浮上させなければならない.その一助として,「記憶風景」という空間的な記憶概念を提起したい.<br>記憶風景とは,想起と忘却という記憶行為を通して,個人や集団が過去を解釈する際に参照する歴史の枠組みであり,想像力を媒介にした記憶行為によって命を吹き込まれ,維持され,変容される過去のイメージでもある.この暫定的な定義をもとに,ヒロシマの記憶風景の現い在まを描いてみる.<br>帝国主義の過去との連続性を後景に退け,前景に「平和」というイメージを押し出す,記憶風景の結節点が広島の平和公園だ.戦後ナショナリズムの文法に従って編成されてきたが,不気味な時空間も顔を覗かせている.それは,国民創作という近代プロジェクトにおける「均質な空白の時間」が侵食されていく場所でもあるのだ.