- 著者
-
石坂 友司
- 出版者
- 日本スポーツ社会学会
- 雑誌
- スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
- 巻号頁・発行日
- vol.10, pp.60-71,136, 2002-03-21 (Released:2011-05-30)
- 参考文献数
- 44
- 被引用文献数
-
3
本稿の目的は,「学歴社会」における運動部の社会的意味を描くことである。明治時代中期に, スポーツはもっぱら将来のエリートたる高等教育機関の学生達によって行われていた。特に, ボート競技は当時最も人気を博したスポーツであった。戦前, 我が国の教育システムの中で最高権威を誇った帝国大学は, そのような活動の中心的存在であった。従って, 我が国のスポーツ文化の総体を理解するために, そこで行われたボート競技がどのような意味をもっていたのかについて考える必要があるだろう。本稿は, 帝国大学生がボートを漕ぐ実践を把握するために, 文化的再生産論の視角から以下のような考察を試みた。第一に, 帝国大学でボートを漕ぐことは, 他者とは異なる卓越した文化資本, 身体資本を獲得する「文化の正統性」をめぐる闘争としてとらえなおすことができる。結果として, それが階級の再生産につながっていくことを論じた。第二に, 帝国大学や一高における運動部, 特にボート部の学校内での覇権が応援の加熱やバーバリズムの結果として失われていく過程を示唆した。以上のように, 本稿はこれまであまり注目されてこなかったボート部に焦点を当て,「スポーツの文化性」をめぐる議論を, スポーツ社会学のみならず, 社会学や歴史学との接合から問いなおす試みである。