著者
石沢 賢二 イシザワ ケンジ Kenji Ishizawa
雑誌
南極資料 = Antarctic Record (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.52-70, 2014-03-31

昭和基地の建物周辺と除雪した道路のスノウドリフトを少なくし,ひいては第53 次日本南極地域観測隊による越冬中の除雪作業を軽減するため,次に挙げるいくつかのスノウコントロールを実施した.まず,汚水処理棟高架通路下部の雪と氷を排除し,吹き払い柵を設けて高架通路下部を風が高速で流れるようにした.基地中心部から離れた2 つの高床式建物では,建物と風下のスノウドリフトの間を除雪し,高床下部を風が通り抜けるように維持した.また,空ドラム缶を連結して導風ダクトを製作し,建物のドア前にスノウドリフトが発生しないようにした.さらに,幹線道路の除雪に際し,道路の風下側に排除した雪を置き,新たなスノウドリフトを少なくする工夫をした.以上のような日常的なメンテナンスを行うことにより,除雪の労力を減らすことができた.特に前次隊までたびたび行っていた汚水処理棟と倉庫棟屋根の雪下ろしは,A 級ブリザード後に数時間行うだけで済んだ.また,清浄大気観測小屋や大型大気レーダー小屋でも除雪の労力は大幅に減った.さらに,基地燃料ポンプ小屋とプロパンボンベ庫ドア前のスノウドリフト付着は最小限に食い止められた.見晴らし道路除雪後のスノウドリフトもほとんどなく,再度除雪することはなかった.
著者
石沢 賢二 粉川 牧 半貫 敏夫 Kenji Ishizawa Tsutomu Kokawa Toshio Hannuki
雑誌
南極資料 = Antarctic Record (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.37, no.2, pp.115-127, 1993-07

アイスドームの製作技術と時間によるその変形を研究するために, アイスドームの建設が試みられた。直径10mの膜を送風機で膨らませ, 水と雪をこの上にかけた。約13tの水を使って厚さ7cm, 高さ3mのものができあがった。天井はクリープにより, 徐々に変形が進み, 中央部は99日間で55mm沈下した。また, 夏にはアイスドームの厚さが昇華により急速に薄くなったため, ロータリ除雪車で時々雪掛けを行った。このアイスドームは倉庫あるいは作業場として有効に使用できた。もうひとつのアイスドームは, このために持ち込んだ造水装置を使用して実施したが, 強風と低温で大変な作業だった。また, 水を使わない雪だけのスノードームの製作も試みたが, 固まらなかった。

1 0 0 0 OA 雪・氷の利用

著者
石沢 賢二
出版者
Japan Society for Snow Engineering
雑誌
日本雪工学会誌 (ISSN:09133526)
巻号頁・発行日
vol.17, no.4, pp.349-351, 2001-10-01 (Released:2009-05-29)
著者
石沢 賢二 粉川 牧 半貫 敏夫
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.37, no.2, pp.115-127, 1993-07

アイスドームの製作技術と時間によるその変形を研究するために, アイスドームの建設が試みられた。直径10mの膜を送風機で膨らませ, 水と雪をこの上にかけた。約13tの水を使って厚さ7cm, 高さ3mのものができあがった。天井はクリープにより, 徐々に変形が進み, 中央部は99日間で55mm沈下した。また, 夏にはアイスドームの厚さが昇華により急速に薄くなったため, ロータリ除雪車で時々雪掛けを行った。このアイスドームは倉庫あるいは作業場として有効に使用できた。もうひとつのアイスドームは, このために持ち込んだ造水装置を使用して実施したが, 強風と低温で大変な作業だった。また, 水を使わない雪だけのスノードームの製作も試みたが, 固まらなかった。
著者
石沢 賢二
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.73, pp.147-160, 1981-09

南極大陸氷床上部のP波とS波の速度が, みずほ基地(70°42'S, , 44°20'E, , 海抜2230m)において測定された。測定方法は, 12・13次日本南極地域観測隊で掘削されたボーリング孔を使用した検層と, 屈折法である。検層には孔中固着式受震器が使用され, 深さ80mまでのP波S波の速度構造が求められた。また屈折法ではP波の構造が36mまで測定された。得られた結果は, コアーを使用した超音波パルス法による測定結果とほぼ同じであった。南極やグリーンランドのさまざまな場所で得られたP波の速度構造を対比してみた結果, その場所での年平均気温と強い相関があることがわかった。深さ50mのP波速度に注目してみると, 年平均気温, T_m (℃), が高いほどP波の速度, V_P (km/s), は大きく, それらの間には次のような関係がある。V_P=0.034T_m+4.529
著者
小達 恒夫 石沢 賢二
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.108-129, 2010-03-30

第50次南極地域観測隊夏期行動の概要を報告する.第50次隊は総勢46名で構成され,このうち越冬隊は28名,夏隊は18名であった.他に夏隊同行者として,1名が参加した.昭和基地方面で夏期行動を展開した第50次観測隊本隊は,オーストラリアの観測船「オーロラ・オーストラリス」を活用した.観測隊本隊は12月25日に航空機で出発し,西オーストラリアのフリーマントルで「オーロラ・オーストラリス」に乗船した.「オーロラ・オーストラリス」は12月30日に同地を出港し,海洋観測を実施しつつ1月12日に氷縁に到着した.1月13日に昭和基地第1便が飛び,2009年2月2日の最終便までの間に,第50次越冬隊成立に必要な物資(91.8トン)の輸送と越冬隊員の交代を完了した.この期間の観測計画では,「オーロラ・オーストラリス」船上において氷海内の海洋観測を実施した.昭和基地における設営計画では,「しらせ」後継船就航に伴う輸送システムの整備として,道路整備工事,ヘリポート待機小屋建設等を実施した.往復の航路上では,海洋観測を実施し,ホバートに2月20日に到着,観測隊は航空機で2月24日に帰国した.一方,航空機により南極へ入りセール・ロンダーネ山地へ向かった隊は11月16日に成田を出発し,DROMLANチャーター機により,11月23日,プリンセスエリザベス基地(ベルギー)に到着した.同隊は,セール・ロンダーネ山地の西部で野外調査を実施した後,2月11日にケープタウンに戻り,2月17日に成田空港へ到着した.
著者
竹内 貞男 喜納 淳 細谷 昌之 吉田 治郎 石沢 賢二
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.36, no.3, pp.p363-375, 1992-11

日本南極地域観測隊は, これまで4種類の雪上車を使って調査活動を続けてきた。それらの雪上車は用途別に内陸氷床上用と沿岸・海氷上調査用の2つに分類できる。内陸用の雪上車はこれまでSM50S型中型雪上車を使用してきたが, 「南極氷床ドーム深層掘削計画」も提言されるなど, 調査区域が年々内陸奥地に広がり, より低温性能のよい大型雪上車の開発が要望されていた。そのため, 国立極地研究所設営専門委員会に雪上車設計作業委員会を設置して, 現有のSM50Sの技術的課題を分析し, この結果を基に新型雪上車の開発を実施した。この雪上車は国内での試験走行の後, 1991年に南極に搬入され, 1992年の冬期には南極氷床で走行し, ほぼ予想された性能を発揮した。
著者
石沢 賢二 水野 誠
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.130-147, 2010-03-30

第50次南極地域観測隊が,2008年-2009年夏期シーズンに行った「オーロラ・オーストラリス(A.A.)」による昭和基地への人員・物資輸送について報告する.南極観測船「しらせ」の運航は,第49次隊行動で終了し,2009年4月で退役した.そのため,第50次隊の人員・物資輸送を行う代替船として,オーストラリアが南極輸送に使用している砕氷船をチャーターした.同船の行動としては,2008GGGDGLNS02・2F5F2009年シーズンの第3次航海にあたる.同船は,2008年12月30日に西オーストラリアのフリーマントルを出港し,翌2009年1月12日に昭和基地北方の流氷縁に到着した.ここから第50次越冬隊員28名および建設作業などに従事する第50次夏隊員を3機の小型ヘリコプターで昭和基地に輸送した.さらに同船は,昭和基地から約40マイルの定着氷まで進出し,第50次越冬隊成立に必要な物資と夏期作業用物資約91.8トンの輸送を実施した.その後,2009年2月2日,29名の第49次越冬隊員と第50次夏隊員および隊持ち帰り物資を同船に収容した.同船は,同日ただちに北に向け航海を開始,2月20日にホバート港に到着し,チャーター船による輸送が終了した.総航海日数は53日,氷海域行動日数は23日であった.その後,持ち帰り物資を収容したコンテナは,日本まで洋上輸送された.