著者
美川 圭
出版者
摂南大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

後白河院政は、平氏との提携によって確立した。そのために、平氏が中心的な役割をはたした日宋貿易との関係がうまれる。後白河院は王家の傍流であったので、その権威確立のために、蓮華王院宝蔵を重要視した。日宋貿易は、その収蔵品収集にも、大きな役割をはたした。また、七条町という京都最大の商工業地域との関係も重視して、京都の南部に拠点をもうけた。しかし、平家との提携が破綻すると、後白河院政は停止され、本格的な平氏政権がうまれた。平氏政権は福原京へ遷都し、日宋貿易との直結をめざした。だが、源平内乱のなかで平氏は没落し、後白河院政は平氏によって焼亡した東大寺再建を通じて、その権威回復をはかることに成功する。
著者
美川 圭
出版者
古代学協会
雑誌
古代文化 (ISSN:00459232)
巻号頁・発行日
vol.56, no.10, pp.535-549, 2004-10
著者
美川 圭
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.67, no.3, pp.p344-374, 1984-05

個人情報保護のため削除部分あり鎌倉期公家政権の政治制度史が他に比して大変遅れている中で、本論稿では鎌倉中期以降、公家政権に於て重要な職制と なる院伝奏、および朝幕関係の変化を考える上で重要な関東申次の制度的成立を、鎌倉初期までさか上って具体的に考察する。また北条時頼による徳政申入、九条道家の失脚、時頼による関東申次の指名。寛元四年(一二四六) に起ったこれらの政治的事件に対応して、院評定を軸とする公家政権の政治機構の制度化が行なわれたが、従来その相互関係は十分明らかとなってはいない。政治的事件と政治機構の対応関係を明らかにし、その政治的意義を述べ鎌倉期政治史全体への展望を示すことがこの論稿の目的である。I will consider the establishment of two political institutions, Kantomoshitugi 関東申次 and In-denso 院伝奏, from early Kamakura 鎌倉 period when they appeared; the former was an important one in Imperial Court after middle Kamakura period, the latter played a great role between the Imperial Court and the Shogunate Government. There are fewer studies of political institutions of the Imperial Court in Kamakura period than other subjects. And there are many unkown points about the relation between political occurences and institutions, though political institutions of the Imperial Court, in which In-hyojyo 院評定 was a central axis, were organized in relation to political occurrences, Hojo Tokiyori's 北条時頼 offer about benevolent administration, Kujo Michiie's 九条道家 down-fall, and Tokiyori's nomination of Kanto-moshitugi in 4th Kangen 寛元 (A.D. 1246). So I clear that relation and finally I position these institutions in political history of Kamakura period.

1 0 0 0 院政の研究

著者
美川圭著
出版者
臨川書店
巻号頁・発行日
1996
著者
美川 圭
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
古代文化 (ISSN:00459232)
巻号頁・発行日
vol.46, no.1, pp.26-36,69, 1994
著者
美川 圭
出版者
日本史研究会
雑誌
日本史研究 (ISSN:03868850)
巻号頁・発行日
no.348, pp.p33-62, 1991-08
被引用文献数
1