- 著者
-
高久 健二
- 出版者
- 国立歴史民俗博物館
- 雑誌
- 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
- 巻号頁・発行日
- vol.151, pp.161-210, 2009-03-31
朝鮮民主主義人民共和国の平壌・黄海道地域に分布する楽浪・帯方郡の塼室墓について,型式分類と編年を行い,関連墓制との関係,系譜,および出現・消滅の背景について考察した。その結果,楽浪塼室墓の主流をなす穹窿式塼天井単室塼室墓については,四型式に分類・編年し,実年代を推定した。さらに,諸属性の共有関係からその他の塼室墓との併行関係を明らかにした。これらの変遷過程をみると,穹窿式塼天井単室塼室墓1BⅡ型式が成立・普及する2世紀後葉~3世紀前葉に大きな画期があり,その背景としては公孫氏による楽浪郡の支配と帯方郡の分置を想定した。これらの系譜については,中国東北における漢墓資料との比較検討の結果,典型的な穹窿式塼天井塼室墓は,とくに遼東半島とのつながりが強いことを指摘した。塼併用木槨墓については,木槨墓から塼室墓へと変化する過渡的な墓制ではなく,塼室墓の要素が木槨墓に導入された墓制であることを指摘した。これに基づいて塼併用木槨墓が造営された1世紀後葉~2世紀前葉に,すでに塼室墓が出現していたのではないかという仮説を提示した。石材天井塼室墓と横穴式石室墓については,いずれも穹窿式塼天井塼室墓と併行して造営された墓制であり,とくに石材天井塼室墓は塼天井塼室墓から横穴式石室墓への過渡的な墓制ではなく,横穴式石室墓の天井形態が塼天井塼室墓に導入されたものと考えた。さらに,これまで不明確であった楽浪・帯方郡末期~滅亡後の状況について,穹窿式塼天井塼室墓・石材天井塼室墓・横穴式石室墓の分布状況や銘文資料などから検討した結果,3世紀中葉以降は平壌地域から黄海道地域へ在地豪族が移動し,これに代わって平壌地域へ新興勢力が流入しており,郡県体制が大きく変容していった時期であることを明らかにした。