著者
宮坂 靖子
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.40, pp.149-163, 2012-03

本論文の目的は、1990年以降のセクシュアリティ研究を対象にして、セクシュアリティ研究における近代家族に関する言説を抽出し、その成果が家族社会学における近代家族論に対してもたらすインプリオケーションを明らかにすることである。家族社会学においては、日本の近代家族の生成・普及は、明治20年代(1890年代)に公的領域における男性の言説により牽引されたものの、その後は男性による家庭言説は衰退し、「過程の女性化」が進行したという認識が一般的に受容されてきた。しかし、1910~1920年代の恋愛論、1920年代の通俗性欲学のいずれにおいても、言説の担い手は男性たちであった。この時代、男性たちが、結婚と家庭について再び語り始めたのであり、1920年代(大正9~昭和4年)は、男性による「家庭回帰言説の時代」であった。「近代家族」パラダイムがア・プリオリに措定している「性-愛―結婚」三位一体観、「過程の女性化」、さらには「セクシュアリティの近代」という3つのキー概念を、ジェンダー非対称性に着目して再検討することにより、近代家族論の脱構築が可能になることが示唆された。
著者
宮坂 靖子
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
日本家政学会誌 (ISSN:09135227)
巻号頁・発行日
vol.61, no.5, pp.265-275, 2010-05-15 (Released:2013-02-19)
参考文献数
46

The purpose of this paper is to demonstrate the reality of birth control in marriages and explicate the meanings and the images given to married couples and families through an analysis of the description of birth control mainly in the 1920's. Therefore this paper examines articles in two female magazines; “Fujin-koron" and “Syufu-no-tomo" 1916 to 1930.The discussion is developed as follows: 1.In the 1920's both sexual control by men and birth control in the family had emerged as social issues. 2. Husbands as well as wives were involved in birth control. Husbands' initiative in birth control was induced by sexualization within marriage. 3.People from the new middle class had an image of a blissful married life and they had actually created intimate relationships by conversing openly about birth control. This leads to the conclusion that the willingness to accept birth control is an important factor in promoting the emotionalization of families.
著者
宮坂 靖子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.4, pp.589-603, 2013 (Released:2015-03-31)
参考文献数
21

本稿の目的は, 第1に, 1990年代以降, 中国の都市中間層で増加している専業主婦の実態を把握し, 中国の専業主婦規範の特徴を明らかにすることである. そして, 日本と中国の専業主婦規範の差異がどのようなメカニズムを通して形成されているのかを考察する. 考察には, 2014年10~11月にかけて, 遼寧省大連市内において9名の専業主婦に対して実施したインタビュー調査のデータを用いる.本稿で明らかになったことの第1は, 中国の都市中間層で生じている専業主婦化は「専業母」化であり, 調査対象者たちは子育て期は子育てに専念するが, 子育て後に再就職することを望んでいた. 第2に, 調査対象者たちは, 子育て期に「専業母」になることを肯定していたが, ただし母親が単独で育児を担当するのではなく, 親族からの育児サポート, 市場の家政サービスを活用しながら, 母親役割を遂行していた.このような「専業母」規範は日本の3歳児神話と大きく異なっており, 日中の「専業母」規範の差異は, 育児や家事などのケア行為のどの部分を誰が遂行し, その分節化された行為にどのような意味を付与するかによりもたらされる. 「市場化をともなった情緒化」と「市場化なき情緒化」のいずれのメカニズムを選択するかはその1つの分岐点となる. 「専業母」化という同じ現象であっても, どのような育児行為を愛情の表出とみなすかという情緒規範は文化的・社会的により異なる.
著者
宮坂 靖彦
出版者
一般社団法人 日本原子力学会
雑誌
日本原子力学会誌ATOMOΣ (ISSN:18822606)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.32-35, 2012 (Released:2019-09-06)
参考文献数
9

東京電力福島第一発電所のシビアアクシデントについて,事故時の対応,規制等の観点から十分に調査・検証する必要がある。それにしても原子力発電所の全交流電源喪失(SBO : Station Blackout)規制はなぜ遅れたのか。また,地震・津波の発生の可能性は,専門家から知らされていたのになぜ耐震規制に反映できなかったか。日本の原子力施設の耐震対策は,1995年兵庫県南部地震から数年後に本格検討が始まり,大幅改訂の耐震設計審査指針が公表されたのが2006年9月である。この間に新潟地震があったといえ,あまりに遅く残念である。改めて,安全研究の重要性と適切な規制体系の再構築が必要である。独立した規制機関の再構築が検討されているが,その第一歩はこれまでの対応を解明することである。 本報では,洪水による外部電源喪失事象,津波による冷却ポンプ機能喪失など教訓とすべき事象,米国及びフランスのシビアアクシデント規制の状況,わが国の規制取り組み等に関する提言を含め解説する。
著者
宮坂 靖子
出版者
日本家族社会学会
雑誌
家族社会学研究 (ISSN:0916328X)
巻号頁・発行日
vol.11, no.11, pp.37-47, 1999

近代家族論を経由し、またフェミニズムの影響を受けた後の我が国の家族社会学研究は、大人中心の家族論になったとて言われるが、果たしてそうであろうか。戦後の親子関係研究は「しつけ」をキータームとしていたが、内容的には一貫して大人の視点からなされてきた。「情緒的な専業母」の規範化が子ども中心と理解されてきたに過ぎない。ここ約10年間の研究成果を鑑みれば、むしろ父親排他的な専業母による育児が、子ども、母親、父親の三者にとって望ましいものでないことが明らかになってきており、親子研究は、ポスト近代家族の模索の中にあって、両親による共同育児という方向性を明示してきている。しかし同時に、研究者はその言説の持つイデオロギー的側面に留意する必要がある。家族社会学は自己の発した言説を相対化する視点も同時に把持する必要がある。
著者
宮坂 靖子
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.38, pp.157-170, 2010-03

家族の社会史的研究は、人口動態研究、世帯経済研究、感情研究に大別できる。本稿では、欧米における感情研究においてなされてきた代表的な4人の研究――フィリップ・アリエス、ローレンス・ストーン、エドワード・ショーター、ジャン-ルイ・フランドラン――のレビューを行い、近代家族論の議論の特徴を明らかにすることを目的としている。考察の結果、以下の5点が明らかになった。1. 近代家族化のプロセスについては、二段階説が有力である。その場合第一段階では家父長制の強化段階を経由する。また、第二段階に成立した近代家族については、家族の情緒化と家庭性の成立の点で四者の見解が一致している。2. 家族の近代化過程の考察に際しては、親子関係、夫婦関係のどちらを重視するかという点で違いが見られる。3. 女性(妻)にとっての夫婦関係と親子関係の優先性は、乳母慣行と母乳育児慣行の観点から解釈が試みられている。4. 夫婦関係に着目する研究にあっては、近代家族の特徴として恋愛結婚の成立と夫婦の「性愛化」という要素が指摘されている。5. 避妊の受容は、夫婦関係の変化、子どもに対する意識の変化、家庭経済観念の誕生によって説明される。まず初めに親子関係の観点が導入され、その後夫婦の「性愛化」のための手段という要素が強調される傾向にある。
著者
坂 靖
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.211, pp.239-270, 2018-03-30

本稿の目的は,奈良盆地を中心とした近畿地方中央部の古墳や集落・生産・祭祀遺跡の動態や各遺跡の遺跡間関係から,その地域構造を解明する(=遺跡構造の解明)ことによって,ヤマト王権の生産基盤・支配拠点と,その勢力の伸張過程を明らかにすることにある。弥生時代の奈良盆地において最も高い生産力をもっていたのは「おおやまと」地域である。その上流域で,庄内式期の纒向遺跡が成立する。その後,布留式期に纒向遺跡の規模が拡大し,箸墓古墳と「おおやまと」古墳群の大型前方後円墳の造営がつづく。ヤマト王権の成立である。「おおやまと」地域において布留式期に台頭したのが,「おおやまと」地域を生産基盤とした有力地域集団(=「おおやまと」古墳集団)であり,地域一帯に分布する山辺・磯城古墳群をその墓域とした。ヤマト王権は,「おおやまと」古墳集団を出発点とし,その勢力が伸張していくことにより,徐々にその地歩を固め影響力を増大していく。布留式期には,近畿地方各地に跋扈した在地集団に加え,奈良盆地北部を中心とした佐紀古墳集団,「おおやまと」古墳集団と佐紀古墳集団を仲介する役割を担った在地集団などが存在したことが遺跡構造から明らかであり,そのなかで「おおやまと」古墳集団と佐紀古墳集団が主導的立場にあったと考えられる。5世紀には,「おおやまと」古墳集団は河内の在地集団を取り込み,さらにその勢力を伸張し,倭国の外交を展開する。そして,大和川の上・下流域一帯の広い範囲が生産基盤となり,倭国の支配拠点がおかれた。一方,近畿地方各地には,有力地域集団が跋扈しており,ヤマト王権の支配構造は,危ない均衡のうえに成り立っていたと考えられる。そうした状況が一変するのが,太田茶臼山古墳の後裔たる継体政権である。淀川北岸部の有力地域集団は,近畿地方や北陸・東海地方の在地集団や有力地域集団と協調することにより,ヤマト王権の生産基盤は,畿内地方一帯の広範な地域に及んだ。そして,6世紀後半には「おおやまと」古墳集団と一体化することにより,専制的な王権が確立し,奈良盆地の氏族層に強い影響力を及ぼしながら,倭国を統治することになるのである。
著者
宮坂 靖彦
出版者
一般社団法人 日本原子力学会
雑誌
日本原子力学会誌 = Journal of the Atomic Energy Society of Japan (ISSN:18822606)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.32-35, 2012-01-01
参考文献数
9

<p> 東京電力福島第一発電所のシビアアクシデントについて,事故時の対応,規制等の観点から十分に調査・検証する必要がある。それにしても原子力発電所の全交流電源喪失(SBO : Station Blackout)規制はなぜ遅れたのか。また,地震・津波の発生の可能性は,専門家から知らされていたのになぜ耐震規制に反映できなかったか。日本の原子力施設の耐震対策は,1995年兵庫県南部地震から数年後に本格検討が始まり,大幅改訂の耐震設計審査指針が公表されたのが2006年9月である。この間に新潟地震があったといえ,あまりに遅く残念である。改めて,安全研究の重要性と適切な規制体系の再構築が必要である。独立した規制機関の再構築が検討されているが,その第一歩はこれまでの対応を解明することである。</p><p> 本報では,洪水による外部電源喪失事象,津波による冷却ポンプ機能喪失など教訓とすべき事象,米国及びフランスのシビアアクシデント規制の状況,わが国の規制取り組み等に関する提言を含め解説する。</p>
著者
坂 靖
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.211, pp.239-270, 2018-03

本稿の目的は,奈良盆地を中心とした近畿地方中央部の古墳や集落・生産・祭祀遺跡の動態や各遺跡の遺跡間関係から,その地域構造を解明する(=遺跡構造の解明)ことによって,ヤマト王権の生産基盤・支配拠点と,その勢力の伸張過程を明らかにすることにある。弥生時代の奈良盆地において最も高い生産力をもっていたのは「おおやまと」地域である。その上流域で,庄内式期の纒向遺跡が成立する。その後,布留式期に纒向遺跡の規模が拡大し,箸墓古墳と「おおやまと」古墳群の大型前方後円墳の造営がつづく。ヤマト王権の成立である。「おおやまと」地域において布留式期に台頭したのが,「おおやまと」地域を生産基盤とした有力地域集団(=「おおやまと」古墳集団)であり,地域一帯に分布する山辺・磯城古墳群をその墓域とした。ヤマト王権は,「おおやまと」古墳集団を出発点とし,その勢力が伸張していくことにより,徐々にその地歩を固め影響力を増大していく。布留式期には,近畿地方各地に跋扈した在地集団に加え,奈良盆地北部を中心とした佐紀古墳集団,「おおやまと」古墳集団と佐紀古墳集団を仲介する役割を担った在地集団などが存在したことが遺跡構造から明らかであり,そのなかで「おおやまと」古墳集団と佐紀古墳集団が主導的立場にあったと考えられる。5世紀には,「おおやまと」古墳集団は河内の在地集団を取り込み,さらにその勢力を伸張し,倭国の外交を展開する。そして,大和川の上・下流域一帯の広い範囲が生産基盤となり,倭国の支配拠点がおかれた。一方,近畿地方各地には,有力地域集団が跋扈しており,ヤマト王権の支配構造は,危ない均衡のうえに成り立っていたと考えられる。そうした状況が一変するのが,太田茶臼山古墳の後裔たる継体政権である。淀川北岸部の有力地域集団は,近畿地方や北陸・東海地方の在地集団や有力地域集団と協調することにより,ヤマト王権の生産基盤は,畿内地方一帯の広範な地域に及んだ。そして,6世紀後半には「おおやまと」古墳集団と一体化することにより,専制的な王権が確立し,奈良盆地の氏族層に強い影響力を及ぼしながら,倭国を統治することになるのである。This article examines the dynamics of and relationships among tumulus, settlement, production, and ritual sites in the Nara Basin and other areas in the central Kinki region to elucidate the regional structure (the relational structure of archaeological sites) and thereby explains the production base and regional government hubs of the Yamato polity and the process of expanding its influence.In the Yayoi period, the Ōyamato area had the highest productivity in the Nara Basin. Its upper river basin is home to the Makimuku archaeological site, which dates back to the Shōnai-style Pottery phase. In the following Furu-style Pottery phase, the clan based at this site expanded, with the construction of large keyhole tombs at the Hashihaka Tumulus site and the Ōyamato Tumulus cluster. It was the origin of the Yamato polity. The powerful regional clan (known as "Ōyamato Tumulus clan") that had established a production base in Ōyamato gained power in the region in the Furu-style Pottery phase and built tombs across the region, including tumulus clusters in Yamanobe and Shiki. The Yamato polity, originated from the Ōyamato Tumulus clan, gradually strengthened its position and expanded its influence by advancing into new areas.The relational structure of archaeological sites indicates the coexistence of dominant local clans across the Kinki region, the rise of the Saki Tumulus clan based in the northern Nara Basin, and the emergence of local clans serving as mediators between the Ōyamato and Saki Tumulus clans in the Furu-style pottery phase. Among these clans, the Ōyamato and Saki Tumulus clans seem to have played a leading part.In the fifth century, the Ōyamato Tumulus clan won over local clans in Kawachi, further expanded its influence, and acquired diplomatic authority to represent the Yamato state. The Yamato state expanded its production base across the extensive Yamato River Basin and interspersed regional government hubs around the area. It is, however, presumed that the domination of the Yamato polity was based on an unstable balance of power among the influential regional clans thriving in the Kinki region.This situation changed drastically under the reign of Emperor Keitai, a descendant of the Ōda Chausuyama Tumulus clan. This powerful regional clan originated in the northern bank of the Yodo River further expanded the production base of the Yamato Polity across the extensive Kinai region by establishing alliances with other influential regional and local clans in the Kinki, Hokuriku, and Tōkai regions. The merger of these clans and the Ōyamato Tumulus clan in the late six century established an absolute monarchy that governed the Yamato state while exercising its strong influence over the clans in the Nara Basin.
著者
宮坂 靖子 光石 亜由美 磯部 香
出版者
奈良大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2012-04-01

女性の主婦化と「性-愛-結婚」三位一体観とを特徴とする日本の近代家族の生成・存続を可能にしたのは、植民地(朝鮮、台湾、満洲)の存在であった。日本帝国主義は植民地政策において、近代的教育制度と近代公娼制度を利用して、ジェンダーと民族を差異化し階層化することによって、近代家族規範を成立させた。近代家族の「性-愛-結婚」三位一体観は、家族への性愛規範の普及によってのみ成立したのではなく、近代公娼制の存在を必要とした。しかし、近代家族規範は日本国内においてのみ完結したのではなく、日本(宗主国)の外部である植民地に近代公娼制度を移出することにより、自らをより強固なものとしたのである。
著者
宮坂 靖子
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.39, pp.75-89, 2011-03

本稿の目的は、アリエスらを中心とした西欧の社会史研究のインパクトを受けて始動した日本の家族社会学における近代家族論が、その後どのように展開してきたのかを考察することを通して、近代家族の成果と課題を明らかにすることである。日本の近代家族論は、第一段階の「概念生成期」(1985~90年)、第二段階の「論争期」(1990~2000年)、第三段階の「停滞期」(2000~2005年)と推移し、「近代家族」は近代国民国家とパラレルに成立したこと、「近代家族」にはヴァリエーションがあることなどの知見を共有化してきた。現在、第四段階(2005年~)の「脱構築期」を迎えているが、その契機となったのは、近代家族論をセクシュアリティ論の接合であった。近代家族論を脱構築するための一つの可能性として、セクシュアリティの視点から近代家族の情緒化プロセスにアプローチする研究を行う必要があると考えられる。
著者
宮坂 靖子
出版者
奈良大学総合研究所
雑誌
総合研究所所報 (ISSN:09192999)
巻号頁・発行日
no.23, pp.69-84, 2015

本稿の目的は、中国の都市中間層で増加している専業主婦の実態を把握し、中国の専業主婦規範の特徴を明らかにしたうえで、中国と日本の専業主婦規範の差異を考察することである。2013年10月~ 11月にかけて、遼寧省大連市内において9 名の専業主婦に対してインタビュー調査を実施した。 本稿で明らかになったことの第一は、中国の都市中間層で生じている専業主婦化は「専業母」化であり、調査対象者たちは子育て期は子育てに専念するが、子育て後の再就職を望んでいた。第二に、調査対象者たちは「専業母」であっても、母親が単独で育児を担当するのではなく、親族からの育児サポート、市場の家政サービスを活用しながら、母親役割を遂行していた。このような中国の「専業母」規範は、日本の「三歳児神話」とは異なっており、「専業母」化という同じ現象であっても、どのような育児行為を愛情の表出とみなすかという情緒規範は日中間で異なることが明らかになった。
著者
宮坂 靖子 藤田 道代 落合 恵美子 山根 真理 橋本 泰子 上野 加代子 大和 礼子
出版者
奈良女子大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2001

女性労働力率のパターンに着目すると、本調査の対象地域は、「逆U字(台形)型」の中国・タイ、30歳代から次第に低下する「キリン型」のシンガポール・台湾「M字型」の日本・韓国の3類型に分けられる。つまり日本・韓国以外の地域においては、出産・育児後も共働きが一般的であった。中国、タイ、シンガポールの共働きを支えてきたのは、親族(特に親)による育児支援と、必要な場合の家事使用人の雇用(家事・育児の市場化)であった。しかしより詳細に見ると、特にその後の展開においては各国で差違が見出された。現在の中国(南部)では、親族(特に祖父母)による援助と父親による育児・家事参加により、出産・育児期の女性の就労が可能になっている。タイ(都市中間層)の場合は、同居の親(一般的には妻方)からの援助と住み込みのメイドであったものが、近年インフォーマルな民間の託児所(保育ママさんによる保育)と家事の市場化に依存する形に変化してきている。都市中間層では専業主婦も誕生してきており、1998・1999年にはバンコクの女性労働力率にはM字の落ち込みが初めて出現した。シンガポールでは、親族、有料の養親、住み込みのメイドが主流である(養親とは、保育園に入れる2、3歳までの間有料で子どもを預かってもらうもの)が、最大の特徴は、住込みのメイドによる家事・育児の市場化である(特に家事に関しては、妻夫双方とも行わない)。最後に日本と韓国というM字型社会においても、女性の就業率は上昇している。それを支えている共通点は、妻型の親の育児援助と保育園の利用、および父親の育児参加である。ただし韓国では日本以上に緊密な親族ネットワークや他の多様なネットワーク(近隣、友人など)が存在しており、母親の育児の孤立化は生じていない。育児不安はアジア社会において日本固有の特徴であると言える。
著者
武末 純一 桃崎 祐輔 松木 武彦 橋本 博文 坂 靖 亀田 修一 高久 健二 重藤 輝行 山本 孝文 田中 清美 七田 忠昭 禰宜田 佳男 角田 徳幸 梅木 謙一 庄田 慎矢 浜田 晋介 寺井 誠 李 健茂 安 在晧 池 賢柄 李 弘鍾 朴 升圭 権 五栄 李 盛周 金 武重 金 昌億 宋 満栄 李 暎徹 李 東煕 河 眞鎬 金 権中 金 奎正 李 宗哲 朴 栄九 李 亨源 鄭 一 朴 泰洪 兪 炳〓 孔 敏奎 河 承哲 尹 昊弼 李 基星 裴 徳煥 李 昌煕 千 羨幸
出版者
福岡大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2008

この研究では、日本と韓国の弥生・古墳時代集落研究を、集落構造論の立場から検討し、最終報告書(650頁)を発刊した。日韓の環溝集落の様相や海村の様相、日韓それぞれの地域の国際交流港での渡来人集落が明らかになった。日韓の首長層居宅の比較や、日本人による韓国の集落分析、韓国人による日本の集落分析もなされた。そのほか、日韓の金属器生産遺跡や馬飼集団の集落も解明できた。全体として日韓の集落研究者の絆を深め、両地域の弥生・古墳時代集落研究を活性化できた。