著者
高橋 敏子 久留島 典子 山部 浩樹 高橋 慎一朗 金子 拓 馬田 綾子 池田 好信
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2002

中世東寺を統括していた長者・凡僧別当・執行などに関する史料を系統的に調査した結果、「東寺長者補任」の諸本、「東寺凡僧別当引付」、京都国立博物館所蔵「阿刀家伝世資料」、天理大学附属天理図書館所蔵「東寺執行日記」、「東寺過去帳」などの写真や情報を収集することができた。その上で、これまで行われてこなかったこれらの史料学的検討を行った。1.「東寺長者補任」諸本の調査とそれらの史料学的考察の結果、従来認識されていなかった長者補任の類型を抽出することができた。さらに、諸本それぞれの特徴を提示するとともに、いくつかの補任については作成者を確定することもできた。2.「東寺執行日記」については、これまで研究の素材として主に利用されてきたのは内閣文庫所蔵の二種類の写本であったが、今回の調査によって天理図書館所蔵のより良い写本を発見することができた。今後は、こちらが研究の基礎史料になると考える。3.「東寺文書」「東寺百合文書」「教王護国寺文書」など、これまで利用されてきた東寺関係史料に「阿刀家伝世資料」を加えて分析することによって、平安時代から近世初期に至る東寺執行職の歴代を確定し、その根拠となる史料を翻刻提示した。また執行の職務内容についても検討し、新たな知見をえた。4.東寺に伝来してきた複数の「過去帳」について、それぞれの性格を確定した。また、東寺と関係の深い醍醐寺の過去帳分析も行った。今後も収集史料の史料学的研究を継続するとともに、「東寺執行日記」のテキスト化を行う予定である。
著者
高橋 慎一朗
出版者
公益財団法人史学会
雑誌
史學雜誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.101, no.6, pp.1077-1113, 1234, 1992-06-20

This paper is a case study describing the local lineages of the Jiang 江 village, She 歙 xian during the Ming and Qing periods. The points are following below. The Jiang lineages gained the advantage in this district socially and economically, and the people believed that the lineage's destiny was under the influence of geomancy, feng-shui 風水. From this point of view, the Jiang lineages and others tried to conserve the environment of the mountainous region against the move by the foreign settlers to develop minerals and commercial agriculture, on a backdrop of opposition arising due to continuing stratification among the lineage members. The festival organization called she-hui 社会, shen-hui 神会, si-nui 祀会, etc. was founded on a sublineage basis, including slaves, zhong-po 庄僕, in the Jiang village and Qing-yuan 慶源 village Wu-yuan 〓源. But the sublineages were not equal one another and the qualification to participate in the festival was limited according to social and economical differences. It's well known that the areas were the hometowns of Hui-Chou (Hsin-an) merchants. Segments of the Jiang lineages extended their business activities to the cities in Jiangnan, especially Yang-zhou 揚州, which was famous as a salt merchant center. But local lineages were not formed in Yang-zhou, rather the merchant segments based their relationships on the original lineages. This presented a precarious position for outside merchants. The connection with the hometown was a sort of insurance against the natural features of the region which would protect them and their descendants.
著者
高橋 慎一朗 末柄 豊 及川 亘 川本 慎自 加藤 玄
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

日本中世の大寺院が都市・社会とどのように連携し、いかなる教育普及活動を展開したのか?という問題を、一次史料の調査収集のうえに追究し、中世ヨーロッパとの比較の視点を加えつつ考察した。長期にわたって宗教者・学者の再生産機能を果たした大寺院は「大学」としての性質を備えていたが、個々の宗教者・学者の拠る子院・塔頭が主要な教場であり、個人の活動に依拠する点が大きい点で、近代的「大学」とは異なっていた。その反面、そうした宗教者と都市知識人層との個人的な交誼関係によって、社会一般への柔軟な教育普及活動も可能となっていたことが明らかになった。