著者
阪本(後藤) 純子
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.58, no.3, pp.1117-1125, 2010-03-25

Rgvedaから古Upanisadに至る紀元前500年頃までのヴェーダ文献に残る暦は,太陽日,朔望月,太陽年の組み合わされた太陰太陽暦であるが,夜空に現れる月の形と位置とを基本とする.月の形態変化は朔望月と対応するが,月の位置は白道近辺の恒星との関係により測られ,恒星月と対応する.夜空の月と星が暦の目印であるから,本来は,夜の始まる日没から次の日没までが1暦日であったが,時代と共に日の出から始まる暦日に変化する.夜により,その夜とそれに続く昼を表現する例ならびに夜により暦日を数える例は,Brahmana,Srautasutraに数多く見られる,Agnihotraにおいて,常に日没のAgnihotraが日の出のAgnihotraに先行し,規範とされることは,古い暦日の反映であろう.さらには,新月満月祭が起源においては,朔ないし満月の日没に開始した可能性も否定できない.1暦月は,太陽との合により月が現れない朔の夜amavasya-から始まる.新月満月祭Darsapurnamasauにおいて新月祭が満月祭に優先することと対応する.月は朔から朔の間(1朔望月:約29.5日),白道近辺にほぼ等間隔に位置する恒星(群)に順次近づき,または重なり,朔には太陽と合一して姿を消す.これらの恒星(群)(太陽を含む)はnaksatra-「(月が)到達する所」と呼ばれ,RV以来知られる.Naksatraの数は,本来は朔望月に基づき28(ないし29)であったが,恒星と月との位置関係のずれが大きいことから,恒星月(約27.3日)に基づく27 Naksatra方式が(特に学術文献で)より好まれるようになったと推測される.男性神である月が夜毎に異なるNaksatra(女性神格)を訪れ宿泊するという観念が古くから見られる.Rgveda X 85は朔における月と太陽の合を,月である王Somaと太陽女神(Savitrの娘)の結婚として描写し,また朔におけるSoma献供が新月を増大させることを述べて新月祭の起源を暗示する.黒Yajurveda-Samhita散文ではPrajapatiの娘であるNaksatra達と月(王Soma)との結婚が月の朔望の起源とともに述べられる.Sathapatha-Brahmana I 6,4では新月祭の供物の根拠付けとして,月と太陽の運動が説明される:Indra(太陽と等値される)も月も朔の夜には大地に宿る;Indraないし神々の食物である月(Soma)が天地を循環する;朔には,月であるVrtraが太陽であるIndraに飲み込まれ吸い尽くされた後,吐き出されて,再び新月として出現し増大する.【暦年,Naksatra,新年,季節等は続編で扱う.】
著者
三浦 宏文
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.59, no.3, pp.1122-1126, 2011-03-25

本稿では,インド思想史上実在論学派とされているヴァイシェーシカ学派(Vaisesika)の<色(rupa)>と<有形性(murtatva)>という概念を中心に,同学派の物質概念を検討した.<色>は,実体に属する属性であり,目による認識を可能にさせる概念である.この説は,『ヴァイシェーシカ・スートラ』と『勝宗十句義論』に共通しており,後代のニヤーヤ・ヴァイシェーシカ融合学派にも受け継がれた.しかし,『ヴァイシェーシカ・スートラ』までは運動の認識を可能にさせる<色>の記述があったが,『勝宗十句義論』以降その記述は無くなってしまった.その一方で,<有形性>は『ヴァイシェーシカ・スートラ』には全く出てこなかったが,『勝宗十句義論』や『プラシャスタパーダ・バーシュヤ』で重要な運動の要因として使用されるようになってきた.では,なぜこのような運動に関する<色>の記述がなくなり,色のみの意味で使用されるようになったのだろうか.それは,風と意識の運動の問題があると考えられる.風は,色を持たないので色の運動は目で見ることが出来ない.意識は微細なため,やはり目で見ることが出来ない.したがって,風と意識の共通の運動の要因が必要とされ,それが<有形性>だったのである.以上のことから,運動に関連して<色>の概念の変化が,新しい概念である<有形性>の登場と同時に起こってきたということが結論づけられる.
著者
小林 久泰
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.1106-1112, 2014

ジャイナ教の基本文献『タットヴァ・アルタ・スートラ』における五大誓戒についての註釈には大きく二つの系統がある.すなわち,「注意を怠った人の行為によって」という「殺生」の定義に見られる限定句をそれ以外の四つの誓戒すべてに継起させる系統そして,その限定句を不淫戒を除いた三つの誓戒にのみ継起させる系統との二つである.後者の系統は,白衣派の伝統にのみ特徴的に見られ,註釈者たちは,その典拠を白衣派独自に展開した戒律文献に求めている.白衣派註釈者たちが不淫戒を特別視するのは,このような戒律文献の影響を強く受けているためであり,またその戒律文献に説かれる通り,姦淫を行う人は,不注意であるか否かに関係なく,必ず欲望と嫌悪を伴っているため,他の誓戒とは異なり,注意深かったからといって,その行為が例外的に容認されるということがないからである.