著者
山内 淳
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.25-36, 2005

ルイ12世は、前王シャルル8世と同様、イタリア遠征に執念を燃やした。だが当時のイタリアは、ヨーロッパ強国による利権争奪の地となっており、混沌とした状況が続いていた。一方、フランス国内では、国王夫妻の長女クロードの結婚問題が浮上していた。宮廷の大方は、王位継承第一位のフランソワ・ダングレームとの縁談を望んでいたが、ブルターニュ公国の再度の自治権確立を目指す王妃アンヌは、神聖ローマ帝国の後継者との縁組を画策していた。フランス国王夫妻は、娘の結婚問題で対立することになる。本論は、ブルターニュ公国の女公爵アンヌ・ド・ブルターニュについての考察の続きである。
著者
栄久庵 祥二
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.49-54, 2005

There are two kinds of effect which tools have, the one being 'sociopetal' and the other 'sociofugal'. The former refers to the effect of tools that pull people together thus encouraging face to face interpersonal communication, while the latter is the effect that puts them apart, independent or isolated. The traditional Japanese heating equipments such as KOTATSU and HIBACHI play sociopetal role, and so does the well in the context of neighboring engaged in by housewives. Today, in general, sociofugal effect as played by mobile tools dominates over sociopetal one due to the nature of tools, technological development and people's value in our affluent society. Even so, desire for face to face communication among people persists strenuously. In this situation, there seems to be something to do on the part of designers.
著者
熊谷 保宏
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.A73-A92, 2000-07-15

二つの記録演劇教育機関の評価?演劇についての高度な学びの諸相と大学アメリカと日本における大学への演劇定着演劇科の形成とその要困学びの現状と諸問題アポリアとしての入口/出口問題演劇学習者とは何者か「理論と実践」という足かせ実践の逆説演劇を教えるということ大学における位置性混雑した交差点脱中心化と再中心化演劇を学ぶということ
著者
蒲生 郷昭
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.A57-A72, 2006

永禄のころ本土中央に伝来したと考えられる三味線は、本稿が対象とする年代には、すでに広い範囲で用いられるようになっていた。しかしながら、その楽器名は、寛永期に俳譜の分野で「三味線」と書かれはじめるようになったものの、それは普及せず、正保、慶安にいたってもなお、おおくは仮名で書かれ、漢字を使ったとしても、俳諧以外で「三味線」とされることはなかった。別称の「三弦」の用例もはじめて認められるが、それは堺出身ながら十年間琉球に滞在していた人物によって書かれたものである。
著者
山下 聖美
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.A133-A141, 2006

宮沢賢治は一九一八年に盛岡高等農林学校を卒業後、一九二〇年まで研究生として学校に残り、その間、将来の職業問題に悩む日々が続いていた。この期間を宮沢賢治の人生における<挫折>の時期として、同時期に勃発した盛岡高等農林学校の大学昇格運動とその失敗という<挫折>とからめて考察していく。
著者
此経 啓助
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.A43-A60, 2005

明治時代初期に施行されたさまざまな墓地政策を通して、文化政策としての宗教政策を検討してみた。具体的には、墓地政策の「神葬祭墓地の成立とその後」に対象をしぼり、神葬祭墓地の痕跡を現在の公営霊園に探し、さらにそこに神道式の墳墓を探索した。その結果、前者の痕跡は希薄だったが、後者に関しては多種多様な墳墓を見つけることができた。一種の「神道文化」である。それは神葬祭墓地が数年して「共葬墓地」(公営墓地)に吸収された理由を解き明かす大きな手がかりとなった。つまり、墓地政策の「公共性」と「宗教性」の両方を必要とするかぎり、全体としての「文化政策」を「政策文化」に転換しなければならない。「宗教性」のもつ概念化された「宗教」を生きた「文化」として取り扱う必要がある。
著者
此経 啓助
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.A19-A28, 2004-03-15