著者
藤原 成一
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.A77-A92, 2005

私たちの生存の場は「締(しめ)」「縁(えん)」「間(ま)」「奥」「離」という五つの基本原理によって形成されてきた。これら五つのキーワードは空間構成の原理であるだけでなく、文芸や芸術・芸能にあっても重要な思想であり、かつ作法・方法でありつづけてきた。日本人の発想、表現方法の根底にあるのはこの五つの原理である、という仮説の提起である。本稿はそのうち「間」をとりあげる。空間・時間・世間・人間というように、「間」は私たちの生きる場を根拠づけるものであるだけでなく、日本文化では、とくに芸術・芸能の面で、また人と人との間など、生き方においても、決定的な意味をもちつづけてきた。芸術から建築まで、人や世間、神仏とのつき合いから死生観まで、一貫する「間」の思想と演出方法を見つめ直し、日本文化の本質を再確認することによって、「間」の新しい創出を挑発する。
著者
鳥山 正晴
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.15-28, 2004-07-30

一九八一年十一月五日、部屋のドアに「死者を起こすには強くノックすること」とメモを張り付け自殺したジャン・ユスターシュ。彼はジャン=リュック・ゴダールをして、<最後のヌーヴェル・ヴァーグ> と言わしめた映画監督であった。その鮮烈な死までの十八年間に彼が撮り続けた映画は、苦悩と実験に満ちあふれている。彼の映画に対する姿勢とはどのようなものだったのか? 彼の映画の目的とは何だったのか? 彼が残した映画から、その目的を中心に、映画表現と映画作家の関係を探っていく。
著者
山内 淳
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.79-92, 2005

16世紀初頭、イタリア全土はヨーロッパの強国の利益が複雑に絡み合い、混乱の極みにあった。フランスも、シャルル8世からルイ12世に治世が移ったとはいえ、イタリアへの干渉を継続していた。だが次第にフランスは、他の国々と敵対するようになり、孤立を深めていった。王妃アンヌは、教皇との争いを避けるための外交努力に心血を注いだが、その過程で帰らぬ人となった。夫のルイも、あとを追うようにして亡くなり、フランソワ1世の時代となる。アンヌの悲願だったブルターニュ公国の独立は、もはや望むべくもなく、1532年、最終的にフランス王国に併合される。本編は、アンヌ・ド・ブルターニュ研究の最終章である。
著者
開發 孝次郎
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.A111-A128, 1999-03-15

一九八〇年に入りいわゆるリビジョニストと呼ばれる人々により日本の社会経済システムは異質、特殊であり、世界の社会経済の仲間でいるためにはグローバルスタンダードなるものに合わせなければならないとする主調がなされ始めました。それに対して、経済システムはその国の文化、国民性に基づいているものであり、異質ではなく、違いがあるだけであるとの反論があります。本論では日本の企業に焦点を合わせて、「異質性、特殊性」を考察します。日本の企業には確かに終身雇用、年功序列、平等主義、業界団体、メインバンク制、系列、企業別労働組合、間接金融、官僚裁量主導型などの特徴がありますが、これらすべてが日本の企業に固有のものであり、特殊であると言うことではありません。他の国の企業にも程度の差こそあれ存在しています。それぞれに歴史的背景、社会経済的背景、メリット、デメリットがあります。企業はそれが存在する社会の文化から独立した存在ではなく、それを反映している存在です。日本経済はキャッチアップの時代を終了し、これからは確かな目標がない道を進むために適した社会経済制度に移行して行かなければなりません。それと同時に企業のあり方も変わっていかなければならないでしょう。
著者
ミギー カレン
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.101-108, 2000
著者
青木 敬士
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.83-89, 2004-07-30

進化をやめないネットや携帯などの電子コミュニケーションツール。それは、エンデの幻想小説に描かれた「永遠に工事中のつながっていない橋における交易」のように、問題点を置き去りにした発展を続けている。通信の向こう側にいるのは本当に生身の人間なのか? ということすら重要性を失った、単なるレス (反応) に対する欲求がネットには横溢しており、この現代のコミュニケート状況はリアルなマトリックスの戦いである。そこで生き抜く方策を、チューリング、アシモフ、村上龍、神林長平の著作を横断しながら探っていく。
著者
大蔵 康義
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.65-76, 2001
著者
木村 政司
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.17-21, 2003-07-30

The purpose of scientific illustration is not to create art, but to document science. Previous experience with medical illustration highlights the importance of communication between the scientist and the artist. Communication at this level involves the observers' eyes and mutual trust. Scientific illustration requires the development of both technology and the power of nature inherent in man. The observers' eyes might demonstrate greater influence than the imagination. It is time to make a lasting connection between the observational skills of the artist and of the scientist. The permanent value and lasting significance of scientific illustration occur when the objective observational skills of both disciplines can contribute equally, even if the details to which they are drawn differ.
著者
尾上 潤一
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.A39-A45, 2005

谷崎潤一郎は戦後京都に十年住み、「京都小説」ともいうべきものを生む。「少将滋幹の母」につぐ「京都小説」として、「夢の浮橋」は「母恋い」ものの極致をきわめたものだが、それだけに単純な母恋い小説ではない。父、二人の母、息子の関係が二重人物同士のような複雑さをもち、息子の母恋い物語である以上に、最初の妻を愛した父の妄念の物語と読むこともできる。先行論文の読みの問題点を洗って、物語の複雑さを浮かびあがらせながら、「夢の浮橋」の新しい読み方を示したい。
著者
和田 和行
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.87-96, 2008

写実主義の絵画やノンフィクション文学等の芸術作品は、記号とみなすことができる、という考えに問題はないだろう。これらは何らかの実在するものを表しており、したがってそれらの記号となっている。しかし、通常、実在するものを表してはいないと考えられている、抽象絵画や音楽等のいわゆる抽象芸術、あるいは文学でもいわゆるフィクション等は、何らかの意味を有するのであろうか。これらを含めて、すべての芸術作品を記号とみなすことが可能であろうか。モリスは、芸術作品はすべて記号とみなすことが可能であると主張している。さらに、彼はすべての科学を体系化し、それらを統一しようとする"統一科学"の一部として、美学を記号論としてとらえるという構想も述べている。筆者もこのようなモリスの主張と構想を支持するが、しかし、彼の理論は時代的制約もあり、必ずしも完全なものとはいえないと思われる。特に、彼の理論では、意味についての分析が不十分と考えられる。現代の英米系の記号論では、フレーゲやカルナップのように、意味を内包と外延の2つに分けて考える立場がある。そして、これらはライプニッツによって始められ、カルナップやクリプキによって発展させられた可能世界意味論において、可能世界という概念を用いて分析される。この論文では、このような現代の英米系の記号論の枠組にしたがって、モリスの考えの不十分な点を補い、彼の説の正当化を行おうと思う。
著者
藤原 成一
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.A19-A35, 1999-03-15
著者
小林 直弥
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
no.43, pp.27-38, 2006

日本における「舞(まい)」の始源的要素の中には、常に為政者(皇帝・天皇)への「服従」とシャーマニズムを伴う「舞」行為が存在する。その中でもとりわけ特異な存在が「八〓舞」である。この「舞」は、古代中国をその源とし、韓国における「雅楽」においては、中心的な役割を果たしている。が、8列8人、総勢64名による「八〓舞」は、日本では『日本書紀』に記載されるものの、宮中に現存する「雅(舞)楽」には何故か、その存在がない。そこには、日本が中国や朝鮮半島からの外来芸能や文化から、いよいよ独自の文化を形成する方向へ進む、歴史の流れが隠されており、また、儒教思想と仏教思想のどちらを国家が選択したかなど、さまざまな歴史的背景も読み取れるのである。本研究では、わずかな記述のみに残る「八〓舞」を中心に、日本の宮廷楽舞の始源的要素について考察したものである。