著者
原 誠
出版者
同志社大学
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.78-84, 2001-09

研究ノート
著者
宮田 玲 Akira Miyata
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 = Kirisutokyo Kenkyu (Studies in Christianity) (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.96-108, 2003-09-30

旧約聖書において、アシェラ('ǎšērāh)は、木製の崇拝対象物もしくは女神であると考えられてきた。近年、Khirbet el-Qom や、Kuntillet `Aǧrud といった遺跡から、「ヤハウェと彼のアシェラ」と読める碑文が発見された。本稿は、古代イスラエルにおけるアシェラの崇拝について検討を行なう。かつて、女神アシェラが崇拝され、それがヤハウェ祭儀に含まれていた時代があったと考えられる。そして、アシェラの崇拝は、木製の対象物崇拝と関係があったのではないかと推測できる。後に、公には排斥されたが、実際は、ヤハウェ宗教に融合されていった過程があったのではないだろうか。
著者
田中 一成
出版者
同志社大学
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.87-108, 2005-03

ヨハネ福音書8 章24 節、28 節、58 節、13 章19 節の「エゴー・エイミ」の訳語と引照に関しては、出エジプト記3 章14 節を用いるものと、イザヤ書43 章10 節を用いるものに大別される。本論文では、近年の研究論文とキーワードτυφλοζ(tuflos)の分析により、全ての箇所に第二イザヤからの影響が強いことを明らかにするが、58 節のみ「存在」の意味に解釈して、出エジプト記とも結び付ける可能性が残ることを示す。さらに58 節に含まれる「子の先在」の概念が、ヨハネ福音書に前後する文献にも見られることを確認し、第二イザヤとヨハネ福音書に共通する歴史的背景を考察して、新たな神的権威の実在化の過程が、「エゴー・エイミ」の思想的背景として、存在したことを明らかにする。
著者
戸根 裕士 Hiroshi Tone
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.79, no.1, pp.41-56, 2017-06

当論文では『初期三世紀ギリシャ・キリスト教著作家全集』の編集に対するアドルフ・フォン・ハルナックの影響の所在を特定する。本来この編集作業は文献学又は歴史学の手続きで遂行されるはずが、ハルナックの独自の神学的関心がその編集に伺えると先行研究では指摘されてきた。そこで本論では先ず、ハルナックの想定する著作の選定基準とその影響を分析したい。次に校訂済みの各巻を承認する際の要点を整理する。その結果、この編集に関するハルナック独自の神学的関心を特定することは困難である点が判明する。その上で、その編集に対するハルナックの影響に関して言えば、部分的に必要な作業を適任者に委嘱して協働を試み、国家の要望に沿う計画を立案して資金を獲得した点に影響があるといえる。論文(Article)
著者
村山 盛葦 Moriyoshi Murayama
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.77, no.1, pp.25-41, 2015-06

パウロとガラテヤ人との信頼関係は、おもに「十字架につけられたキリスト」の提示、聖霊受容(洗礼体験)、そしてパウロの疾患に対するガラテヤ人の対処を通して築かれた(ガラ3:1-5; 4:12-15)。本小論は、これらの出来事を古代の宗教的感性(密儀宗教、邪視信仰)や古代の人間論(プネウマ理解、視覚理解)の観点から考察する。この考察を通して本小論は、これらの体験が現代人が想像する以上に具体性と身体性がともなっていたことを明らにする。すなわち、「十字架につけられたキリスト」の提示は、パウロの風貌と外見を実見する視覚的経験であり、聖霊受容は、「力動的実在」である聖霊が関与する、継続した身体的活動であった。そしてパウロの疾患は、ガラテヤ人に深刻な恐怖を与え、さげすみと唾棄に相当するものであったが、ガラテヤ人はパウロを「神の使い」、「キリスト・イエス」でもあるかのように受け入れた。このようなガラテヤ人がのちに論敵に説得され割礼を受けたことは、パウロに驚きとショック、そして怒りをもたらしたのであった。A good relationship between Paul and the Galatians was established mainly through Paul's display of the crucified Christ, the Galatians' reception of the Spirit (baptismal ritual), and the Galatians' response to Paul's illness (Gal 3:1–5; 4:12–15). This article investigates these issues in light of ancient religious ethos (in particular, mysticism and the evil eye) and ancient anthropology (in particular, pneuma–theory and sight). This investigation shows that these experiences were more corporeal and physical than modern people believe them to be. The crucified Christ was displayed in the scars and disfigurements left on Paul's body. The reception of the Spirit (a dynamic entity) involved ongoing corporeal activities in the initiate's body. Paul's illness caused the Galatians serious fear and might seem to deserve contempt and spitting; however, they welcomed him as an angel of God, as Christ Jesus. Such Galatians were later persuaded by Paul's opponents to be circumcised, which indeed evoked Paul's shock and anger.論文(Article)
著者
韓 守信
出版者
同志社大学
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.69, no.2, pp.59-80, 2007-12

本研究では、「盧溝橋事件」以降の皇民化政策および総動員体制下における朝鮮総督府の宗教政策についての分析を、非西欧系宗教と西欧系宗教との比較を用いて行なった。総督府は、それまでのスタンスを転換し、それぞれの宗教に対して異なった方法論を用いなかった。とくに、英米との対決構造が明確になるにつれ、この傾向はますます強まっていった。キリスト教の宣教師たちが半島を撤収したのち、仏教、儒教、キリスト教を戦争協力へと駆り出そうとした総督府には、もはや非西欧系宗教と西欧系宗教の区別は存在しなかった。この時期の総督府の宗教政策には、それまでの宗教政策に見られた方法論的な差異は存在しなかった。それらはすべて「直線的な政策」であった。
著者
三宅 威仁
出版者
同志社大学
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.31-45, 2006-03

論文(Article)改革派認識論は有神論的信念がキリスト者にとって適正に基本的であり、如何なる証拠によって基礎付けられていなくとも合理的であると主張する。そうした有神論に対して、この世界における悪の存在を根拠として投げ掛けられる疑義に答えるため、プランティンガらは「自由意志による弁護論」を展開した。自由意志による弁護論の核心は「道徳上の悪を含んだ世界を創造することなしに、道徳上の善を含んだ世界を創造することは、神の力の及ぶ範囲内にはなかった」という主張が可能であると示すことにある。改革派認識論が「神義論」と「弁護論」を峻別し、悪の存在は全知全能で善なる神の存在と論理的に矛盾するものではないことを論証した点は評価できるが、その有効性は様々な前提を受け入れることに懸かっているとも言える。Reformed epistemology maintains that for Christians theistic beliefs are properly basic and rational without any evidential foundation. To defend theism against challenges based on the existence of evil in this world Plantinga, the foremost Reformed epistemologist, employs Free Will Defense. The main thrust of the Free Will Defense is to show that it is possible that "it was not within God's power to create a world containing moral good but no moral evil."Reformed epistemology should be given a positive recognition for the fact that it clearly distinguishes between "theodicy"and "defense"and that it has shown that the existence of evil is not logically incompatible with God's omnipotence and goodness. It can be said, however, that the validity of its argument rests on whether or not one is willing to accept divers assumptions it postulates.
著者
本井 康博
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.1-22, 2008-06

論文(Article)同志社神学校の初代神学館、「三十番教室」は、その実態が究明されたことはない。2代目神学館のクラーク神学館も設立経緯については、おおよそのことは明白であるが、なぜ、ニューヨーク州ブルックリン市(現ニューヨーク市)在住のクラーク夫妻が、多額の建築資金を同志社に捧げたのかは、不詳であった。これには新島の死去に伴う同志社校友会による新島記念神学館新築計画やアメリカン・ボードのN. G. クラーク主事(N. G. Clark)の働きが深く絡んでいる。つまり、新島は死後、「ふたりのクラーク」の心を突き動かして、神学館建設を実現させたと言えるのである。本稿は、初代神学館、ならびに2代目神学館着工に至るまでの消息や設計者の動向などをアメリカン・ボードの新資料を駆使して明白にしようとするものである。同時に研究上の課題をも指摘する。Through the use of the mission papers housed in the Houghton Library, Harvard University, this paper will investigate the details from the buying of the first theological hall, the No.30 Classroom to the raising of the second one, the Byron Stone Clarke Memorial Hall as well as the trends of the architect. This explanation will take place alongside focusing on topics from a research perspective.
著者
森山 徹 Toru Moriyama
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 = Kirisutokyo Kenkyu (Studies in Christianity) (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.71, no.2, pp.75-94, 2009-12-03

「アウシュヴィッツ以後」、ユダヤ教とキリスト教の関係を考えた神学者や研究者たちは、キリスト論とキリスト教的反ユダヤ主義の共犯関係を批判してきた。しかし、これらの批判は、キリスト教的反ユダヤ主義の根源的な克服を要求するあまり、しばしばキリスト論までも毀損してきた。本稿の目的は、モルトマンのキリスト論とキリスト教的反ユダヤ主義の関係を明らかにすることにある。モルトマンは、イスラエルの歴史に基づくメシア理解と、十字架につけられたイエスの理解から、「途上のキリスト論」を主張する。このキリスト論によって、彼は、キリスト教的反ユダヤ主義を相対化するだけでなく、キリスト論をも保持することを可能にした。アウシュヴィッツとキリスト教の関係を問題にしている神学者ロイ・エッカートは、モルトマンのキリスト論を「先延ばしされた勝利主義」として批判した。しかし、モルトマンは、途上のキリスト論が、キリスト教的反ユダヤ主義と勝利主義を克服し、キリスト論を保持するのだと主張した。
著者
橋本 滋男 Shigeo Hashimoto
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 = Kirisutokyo Kenkyu (Studies in Christianity) (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.70, no.2, pp.35-54, 2008-12-08

キリスト教はイエスの思想に立脚する。しかし教会においてイエスの思想は常に忠実に継承され実行されたのではなかった。またキリスト教の母胎であったユダヤ教との関係は、きわめて難しい問題であった。それはイエスの死をどう理解するか、死の責任をどう問うかという問題と関わっている。そして70年以後の新約文書においてはユダヤ教徒を厳しく罵る言葉さえ記されている。この過程をたどり、原因を探ってみる。